18.元夫婦の推測(※花咲視点)
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自宅で電話をするといつ糸魚川がやってくるのか分からない。聞かれても困るわけではないけれど、極力聞かれたいわけでもないので、人の少ない喫煙ルーム周辺に腰を落とす。
タバコは吸わない。
身近な人間で吸うのは糸魚川くらいで、その人も大学の敷地内に入ってくることもない。
『あのさー。電話しといてって感じだけど、積極的な応援はやめようと思ってたんだよね』
「それは俺が聖女だったから?」
電話口でいうのもなんだか怪しい。この発言が誰かに聞かれたら自分のパブリックイメージは砂と化してしまうだろう。幸い誰もいない。
身体に悪そうな匂いが混じった場所は居心地が悪い。それでもここにしか今は留まれない。
電話口の相手は、声を出してあははと笑っている。さも楽しいですねと言わんばかりだ。
『言葉にするとおかしいもんだ』
「同意する。意味不明だ」
あの頃の人間関係だったらおいそれと会話をするなんてこと、なんて畏れおおいことかと、自分から話すことはほとんどなかった。王は優しかったがそこに情愛はなかった。
『悪手だったね』
その声は楽しそうなものに聞こえるが内容はいたって冷ややかだった。時折見せる冷徹な眼差しを想起させた。
「魚住さんに嘘がつけなかったんだ」
あのとき自分が放った言葉が、前世だとか転生だとかそういうことを抜きにしても、常人にとって気持ち悪いと受け取られるというのは分かっていた。言いかけた言葉は止まらなかった。言おうとしなければ、ああはならなかっただろう。今までは物腰柔らかで距離は若干近いけど、踏み込み過ぎない紳士な隣人を一年かけて培ってきたのに台無しだ。
しくじったと思う反面、魚住さんの様々な一面を垣間見ることができて、やはりゾクゾクと快感にひたる自分もいる。聖女の片鱗がない。思い出せないだけで聖女にもそんな側面があったのだろうか。想起しがたい。
『………花咲くんってさ。いつ聖女の記憶、取り戻したの?』
綿貫さんは一拍あけて、自分の言葉をスルーした質問をする。今の発言に対しては、ノーコメントですと言いたげだ。綿貫さんも良い印象を持てなかったのだろう。持っていたらこわい。自分でもそう思う。自己嫌悪から抜け出すのに時間がかかりそうだ。
「確信はないけど、物心ついたときはぼんやりとあった感じ」
『魚住と出会って開花したてきな?』
「いや。魚住さんと出会ってもぼんやりしていて。あの小説もその勢いで書いていて。そうだね。あの警察に厄介になった件、あのときに記憶が雪崩れ込んできた感じ確信に変わったみたいな」
『最初、自分が騎士だったらとか思っていた?』
「そうなら運命かもって思いはしたね」
『時期は同じか。糸魚川さんは?』
「糸魚川はもうずっと分かっていたみたい。俺と出会ってからだって」
『ははーん。そう』
綿貫さんは考え込むように黙り込んでしまう。風の音がガガガと響く。
煙草を吸う男性を魚住さんはどう思うのだろうか。
あまり好きではないかもしれない。でも好きになった人が煙草を吸っていたら許容するのだろうか。自分はまだその段階ではないので吸わないほうが好感度高いかもしれない。
切るにも切れないので、時間つぶしの思考を続ける。立場はお互い変わってしまったが心の上下関係は、解消されていないのか綿貫さんに対しては自我を出し過ぎないようにと魚住さん以上に気を遣いたくなる。しかし、関係者のなかで、前世において親密度が一番高かったのは彼女であり、魚住さんにもっとも近いのも彼女だ。頼るべきところは頼ったほうが効率はいいだろう。
『私と君だけが性転換しているのって何でだろうね。肉体は魂の器でしかないからって言われたらそれまで。超然的な力に人間は抗えないから、聖女の存在のように在るべきことを飲み込むしかないんだけど……。偶然にしては出来過ぎているよね』
「さあ?幸運だよね。もし仮に、俺が女性だったら、魚住さんは警戒せず傍にいられたかもって思うけど。自分の中に禁忌が残るからこれ以上になれなかったかも」
『あの時の倫理観というやつか。今の時代なら同性同士でもOKだもんな。本人に同意があればね。それは異性間でも変わらないけど』
「綿貫さんは、巻き込まれただけかもしれない」
『え?』
思わず自分の意見を挟むと相手は驚いたような声をあげた。
これは、あくまで仮説。仮説を立てていても誰も実証できない。それこそもう俺は聖女ではない。
「俺と君は、夫婦だったろう。契りも交わして子も成した。魚住さんに知られていると思うと、ぞっとする……」
『仕方ないよ。それはもう。全国民が知っていたよ。それで?』
「繋がっていたからね。そういう意味で」
『ほうほう。……それで聖女様は死期に願ったわけですか』
「願ったんだなこれが。実はそこは靄がかかっていて詳細に思い出すにも変に混乱するんだけど」
『生まれ変わったら、愛する人と倫理観に捕らわれない恋愛がしたいって?』
綿貫さんの声音は優しい。労わるようなものだった。諦めたようなものでもある。責められる、咎められるは覚悟していたので意外だった。そういう器の大きいところが羨ましいと思う。
「多分、きれいな……聖女の感覚で言うとそんな感じ」
『神殿で最期を過ごしたいっていうのはこれを見越してのことだったのかな?』
「あそこは神気が高かったから、体も楽だっただけってのがあるよ」
『聖女は神に愛されていたものね』
皮肉には聞こえなかった。ただ事実を述べるだけという感じだ。
「それが人間の物差しで幸せだったか、神みたいな存在には理解できなかったろうね」
『一方的な愛だったと?』
「君みたいな王の妻であることは対外的にみても幸せだったよ。善き王だった。聖女はずっと死に間際まで思っていたよ。でも直前に想っただけ」
『君を愛した神は実に中途半端だ。だから僕は、神殿と共依存にはなりたくなかった。不意に現れた君を娶ってバランスはとったけど……、巻き込まれるとはね』
「神様に、中途半端という概念はないよ。その在り方が違うだけで、それは神様にとっての最善だった。悪いのは俺」
『受け手の問題ってやつね。はいはい。そう心から信じられるから君は聖女であれたのだろうね。何となく察した。私も神の寵愛の一端をそのとき背負ったのか。聖女と交わったから』
交わったとかもう言わないでほしい。魚住さんの前では口外してほしくない単語だ。
「君は最後に誰を夢見た?国の行く末じゃなかったわけか」
『うわー。会話を振っといて至極真っ当に不誠実極まるけど、後悔している。私は善き王だったはず。でも、人間だったからね。聖女でも私欲が出るんだから仕方なくない?』
「それは藪蛇だ」
『聖女さん。人を巻き込みすぎ』
「君もだろ。元夫婦お互い様」
『否定できないな。ふふ。言うようになったね。こうなると巻き込まれたのは元レテシー陣営だったのか』
「なにそれ」
『派閥のお話。ここまで神は仕組んだけど、ここからは本人次第というわけかな』
綿貫さんの口調は、あの頃と混ざっている。それは意図的なのか無意識なのか判別つきにくかった。あの人も飄々としていたから、もともとの気質なのかもしれない。
「前世なんて気づかなきゃよかった。気づかれたくなかった。それに気をとられていたら、魚住さんは俺をみない」
『私はラッキーかな。そんな巡り合わせがなければ、関わりが持てなかった』
「今世の綿貫さんは強気だ」
『花咲くんは聖女より積極的にみえて意思はよわよわなままね?』
同じ状況にも関わらず、両者の考え方は異なっていた。
状況を整理したところでどうにも変わらないのに、何故か連帯感が得られたのだった。
おそらく前世とは違う形の、良い人間関係を築けたのだと思う。
そこは神様に感謝すべき箇所かもしれない。




