13.魚住さんの感情
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今日の取っている講義が終わった。
夕方には早い時間だ。
最後の教養は花咲さんと同じものをとっていたが彼の周りにいるグループの面々とは誰一人面識はないので、接触していない。花咲さんも無神経な人ではないので、そうそう気軽に話しかけてくるということはなくほどほどの距離で無関係に講義は終わった。
綿貫は別棟でまた違う言語学をとっている。一緒に帰るという約束もしていないので、そのまま帰ることとする。
昼休憩に糸魚川にお礼と健康状態を送っておいた。それに返事がきていたが続ける内容ではないので、こちらは既読だけつけておく。
夕飯は冷凍庫にあった冷凍パスタにすればいいだろう。冷凍野菜を解凍してサラダをつけ合わせれば良心の呵責も納得するだろう。
書店でものぞいておくかと最寄りとは違う駅で降りる。
よく利用するので足取りは迷わない。
「魚住さん」
振り向くと案の定、花咲さんがいた。周りにご学友がいない。今日は、ファミレスに行こうみたいなというグループ内の会話が聞こえていたけれど、彼は同行しなかったのだろうか。
彼に会うのが気まずくなる。一方的な感情だとは十分に分かっている。
「体調はどうでしたか。そのご一緒できなくてすみません。僕がいても役立てなさそうで」
「………」
「ハンカチ!これ、洗って今度お返ししますね。魚住さんのハンカチ助かりました。ハンカチは持ち歩いているんですけど、魚住さんみたくすぐ取り出せなくて」
「………」
「本屋さん、行くんですよね。よろしければご一緒に」
「花咲さん。ごめんなさい」
唐突な切り出しは相手を困惑させると分かっていたが最初になんとか出る言葉は謝罪だった。
花咲さんは悲しそうに俯いた。
「あー、迷惑ですよね。僕なんか一緒に」
「花咲さんに『なんか』という言葉は似合わないですよ」
「つい。魚住さんを前にしたら、そうなってしまって。普段はそんなことないのですが」
「腕、振り払ってすみませんでした。それだけで。本屋さん。行きましょうか」
花咲さんはそんなこと?みたいに目を丸くさせて笑顔を見せた。一緒に行こうという言葉を心底嬉しそうに受け取る笑顔があの笑顔と重なる。嫌悪感が募った。
「花咲さんの本を見たいなって」
「そんな大層なこともなく。俺は魚住さんの好きな系統とか知りたいです」
「私はそんな系統とかそんなないですよ」
「今はどんなのを読まれているんですか」
他愛無い会話が続く。花咲さんは共通の読んだことのある本を知ると嬉しそうにしている。彼は私の前で常に嬉しそうにしている気がする。
特集を組まれている花咲さんの著書のことはなにも触れないようにしたが彼はそれを気にした風もなかった。
一通り棚をみて、話題をひろげ気になった文庫本を手に取ってレジに向かう。
花咲さんは書店の前で待っていた。こうしてみると背も高くて顔も良い。
庇護欲がそそられる顔はしていない。線は細く美という言葉の方が可愛らしいよりは勝っている気がする。守りたいという感慨が湧かないだろう。ただ人好きする、誰にでも好きになってもらえる人間だなと思う。
声を掛けると、こちらに駆け寄ってくる。
そのままアパートに戻るという旨と伝えると相手もそうらしく、またご一緒することになった。
最寄りの駅に到着すると空は茜色になっている。意外と長居していたようだ。
影がよく伸びている。さりげなく道路側を歩く花咲さん。聖女とは重ならなかった。あのこはいつも守られる側だった。
「僕、元聖女、なんですよ」
電車を降りて沈黙が続く道中で花咲さんがつぶやいた。一世一代の告白だというように声が震えていた。しかひ私はその言葉をここ数日で二人から言われている。もう驚くことではないと思っていた。
住宅街に入り込んでいて、周りに人気はない。こんな変な会話をしても訝しむ人間が周囲にはいなかった。
最近は、聖女の正体を暴露する輩が多い。ついに本人ときた。
私は、どうこたえようか10秒くらい迷う。護衛騎士のときみたいにはぐらかしても、花咲さんは受け流してくれると思う。彼が聖女ならば、そういう風に踏み込んでこないだろう。あれはそういう女だった。、と思う。
「花咲さんには似合いますね」
実に間抜けな答えだ。自分でも呆れる。
率直な感想みたいになってしまった。
「全然、似合っていません。一人称は普段、僕じゃないですし、敬語は苦手ですし、魚住さんと近づけません」
文章が要領を得ない。言いたいことはなんとなく分かる。
「花咲さん、時々俺って言いますよね」
「……無意識でした。俺、魚住さんが好きです」
本人から言われたら向き合わないといけなくなる。花咲さんの顔は赤くて、私を見ているのではなくて地面を見ている。睫毛が長いと無駄なことを思う。
「でも、これは聖女の記憶に引っ張られてとかではなくて、俺は魚住さんが好きなんです」
「聖女の記憶が引っ張られていたらどうなんですか」
どうなのだろう。
綿貫は、変なことを言っていたが実際には分からない。
私は彼女を嫌っていたし、彼女と接触した明確なものは婚約破棄した日くらいだと思う。それで恋されるほど、私は優しい態度をとっていない。あの世界の常識ならば、嫌われても変ではないと思う。枯れる生花を一輪、目下の者が上の者へとあんな言葉遣いで渡すのは、大変よろしくない行為だ。
たとえまだあの段階で、聖女が新たな婚約者だと聖女自身が分かっていなくとも、だ。
「愛していました」
花咲さんは、寂しそうに言った。茜色がまるで花咲さんの美しさを際立てる照明になっていた。息をのむ。
好きだったでも驚く自信があったが、愛にまで発展していると思わなかった。まさに絶句である。言葉を失っていると、花咲さんは私を通して誰かをみるように言葉を続ける。
「言えるほどの特別な理由もなく高貴な貴女に惹かれて、愛してしまいました」
まるでドラマのワンシーンを彷彿とさせた。
花咲さんはそういってまた下をみて顔を上げる。その顔にはさきほどの切なさを持ち合わせていなかった。
「僕の好きは、聖女に及ばないと常々思っていました。それでずっと言えなかったんです。でも、今日糸魚川さんと楽しそうに歩いている魚住さんを見て、今、言ってしまいました」
「…………なるほど」
なるほど、などと全然思っていない。私はまだ驚きの最中から抜け出せていなかった。呆然としていた。流れる状況に立ち残されていた。
これほどまでに強い感情をあてられていたとは夢にも思わなかった。
私は単に、彼女を嫌ったのに、彼女はなぜ私にその感情を持ったのか。
聖女はやはり理解しがたい。それゆえに、聖女なのだろうか。
「返事はほしいですがその様子だと、また困らせてしまいましたね。いい返事がいただけるまで、頑張ります」
「な、なるほど」
それからの記憶がほとんどない。なるほどしか言っていなかった気がする。語彙力が低下の一途を辿っていた。
気が付いていたら、自宅についていた。
「魚住さん、着きましたよ」
「あ、はい」
中身のない会話をしていたかのさえ記憶にない。
家について冷凍パスタをチンして、野菜を適当に食べる。
テレビを流し見するもうまく頭に入ってこない。
花咲さんは聖女。
聖女は、レテシーを愛していた。
花咲さんは、私が好きだと言った。
聖女には敵わないなどと言っていた。
「いや、なにそれ」
久しぶりに大きめな独り言が漏れる。
私の中のレテシーだったものが怒号をあげている。レテシーはよき令嬢として、感情を表に出さないよう育てられた。それで心を揺さぶられたのは、あの聖女に出会った時くらいだ。
そして現代の魚住。
人並に誰かに嫉妬するし、怒るし、怖いホラーをみたら驚くし、感情が昂れば泣くこともある。厳しい躾をほどこされたわけでもない。
ただ、人を苦手になるのはいいけれど、嫌いにならないようにと育てられた。
百害あって一利なし。その教えは真っ当だと思ったので、苦手な人はいるけれど、嫌いな人はこの方作ったことはないと思う。
花咲、そういうところがきらいなのだ。
聖女、そういうところが憎たらしく嫌いなの。
感情が重なった。
うわーーと項垂れる自己嫌悪。
自分のそういうところ、ダメなのに。こうも揺さぶられてしまっている。
手を握る力が強くなる。
気づいたら綿貫に電話をかけていた。
「あのさ、聖女に敵わないって言う必要なくないかな!負けないだと嘘くさいけどさ!それなら引っ張られた方がマシなんだけど!!」
『告白したんだ花咲くん。いや魚住テンションたか。返事は?』
「吃驚し過ぎて出来てない。会ったら、きらいっていう」
『それは自由だね、でもさ魚住』
「なに」
『言うのもこんがらがるけど、君、今、聖女に嫉妬している?前世の君に嫉妬している?珍しいよ。君のその感情の変動』
綿貫が君というと違う人と重なる。
「意味わからない」
『思考放棄は推奨しないな。応援はやめたけど、妨害はするつもりないからさ。前世抜きで考えなよ。花咲さん、嫌う理由ある?』
「…………」
沈黙。ない。花咲さんに非はない。いつも親切だし、部屋に踏み込んでくるような図々しさはない。ただ距離は近いけど、そういう気質のヒトもいる。見た目もどちらかというと眼福だ。
『好きになる理由、探してみなよ。多分さ、囚われていたのはこっちだったっていうオチでしょこれ』
反論できなかった。
ずっと奥底にいたレテシー。思い出せなかった私が周囲の誰よりも囚われていたらしい。
もしかしたらこの記憶というヤツは、すごく厄介だ。
「花咲さんいい返事がもらえるまで頑張るって言っていた」
『へえ。良いね。じゃあ魚住はさ。衝動に任せず熟考して返事すればいいよ』
綿貫はスピーカー越しに笑う。
あっちがその気なら、綿貫さんは応援しちゃうなんて言っているの酔っているのだと思う。
熟考するために缶ビールの蓋をあけた。
寝る前に鏡をみる。
勢い任せにビールをあけたので頬は赤い。
告白してきたときの花咲さんは、聖女の顔と重ならなかった。
揺さぶってくるのは、いつもあいつなのだと胸の奥が言う。
今まで満更でもないと思う自分がいたのが悔しい。
私は聖女ほどの感情がないと正直に言った人間臭い花咲さんが今までのただの親切で優しい花咲と乖離していて、その人間臭さに、
惹かれてしまったのかもしれない。
でも、それは認めることができなかった。
聖女みたいになんともなく惚れるというのが悔しいからだ。
本当に人間の感情というものは、どうしようもない。




