第一章 7『空虚な約束』
藍野視点です。会話が続きます。今回も夢の中です。
「大丈夫!?」
目の前で泣いている彼に咄嗟に声をかける。
「大丈夫大丈夫!泣いてるけどそんなに辛いわけじゃないから」
そんなわけないでしょ。辛いから泣いてるに決まってるでしょ。
私はベッドから降りて彼のいるソファに向かう。
いつの間にか彼は、私の腕の中にいた。
「泣いていいのよ。辛かったでしょ、これまで。今は何も考えなくていいから」
人を抱きしめたのは初めてだったのに、私は迷わず動いていた。それくらい彼から聞いた話は重くて辛いものだった。私の話なんかよりずっと。
彼がコクリと頷いたのを確認して、私は目を閉じる。
それから少しの時間がたつと、彼の方から口を開いてくれた。
「もう大丈夫、ありがとう。いやダサいな俺。恥ずかしくなってきた」
「いいの、私も恥ずかしくなってくるでしょ」
彼の一言でそれまで重たい空気だった保健室に柔らかい風が流れてくる。
私たちはソファに並んで座って会話を再開する。やっぱりなんだか恥ずかしい。そして思ったよりソファが深く沈んで少しびっくりした。
「俺何しにきたんだっけ?」
「あなたは私の話を聞きにきたんじゃなかった?」
ぽかんとした表情をした彼に、本人が最初に言っていた目的を教えてあげた。
「あっ!そうだった。早くしないと保健室の先生が……」
彼はソワソワと保健室の扉の方に目を向ける。なんだか忙しない人。
「そもそも、どうしてあなたは私の話を聞きにきたの?」
「んー?それはなんというか。藍野さんの問題を解決するため?」
「なんで疑問文?結局、あなたは私にどうして欲しいの?」
彼はどうして私の過去を探ったのかしら?どうして問題を解決する必要があるのかしら?
彼は少し考えた素振りを見せた後、私をじっと見つめて語りかけてくる。
「人と積極的に関わってくれなんて言わない。でも自分に関わってくる人を拒絶しないでほしい。この先、関わりを持たない人だとしてもしっかりと向き合ってあげてほしい」
「……それは」
「朝、俺のことを拒絶したけど、あの瞬間一番傷ついていたのは藍野さんだろ?だって藍野さんは尋常じゃないくらい思いやりのある人だ。藍野さんの今までの話を聞いてたらそれくらいわかる」
「……私はそんなのじゃない。昔はそうだったとしても今は……」
「……いいや。だってそのさっき……ね?」
彼は小さく自分を抱きしめている。
「言わないで」
「言わないよ。俺も恥ずかしいし……。んーとそれでな、藍野さんが人からの告白に対して恐怖感を持つのは話を聞く限り仕方ないと思う。でも……拒絶しないであげてくれ。自分と向き合って、相手と向き合ってくれ。自分と相手を傷つけないでくれ」
「……」
「ただ俺も無責任に頑張ってくれなんて言わない。もしまた藍野さんの周りで何かが起こりそうになったら、俺が必ずなんとかしてみせる。絶対に。」
「……どうやって?」
「どうやってでもだ」
彼が虚言を言っているようには見えない。全く。そんな簡単に人を信じていいわけないのに……。それに…、
「どうして私のためにそこまでするの?」
「えー?そ…れ…は…、もちろん好きだから」
「それは嘘。あなたは私を好きじゃない」
彼は私のことを好きじゃない。それは最初からずっとわかってた。嫌な言い方だけど私は告白され慣れてるから、あれが嘘の告白ってことくらい冷静に考えたらわかる。
「バレてたのか……」
「うん。だから本当の事を言って。どうしてそこまでするの?」
「……理由なんてどうでもいいじゃん」
はぁ…この人の行動原理はなんなのかしら…?でも彼の過去を聞いた私にはわかる。あなたの方が私なんかよりずっと思いやりのある人間。それも根っからの。そんな人が私を助けると言っている…。
「もう…。わかった……向き合ってみる…。自分と…そして相手と…」
「ほ、ほんとか?」
「その代わり絶対になんとかして」
「するする絶対する!」
ここへきてとても嘘に聞こえてきた。本当に信じていいのかしら?
「はぁ…それなら約束する」
信じる信じないはもういい。とりあえず私も頑張ってみる。
「……でもさぁ、俺の勝手な予想だけど、もうそんなに心配する必要もないと思うんだ」
「根拠は?」
「だって半年経ってまだ1人しかお前の事好きになってないし」
「1人?」
「あー聞かなかったことにして……。んーと……つまりもうお前にはそんなにモテ力は残ってないんじゃないかって言いたいんだ」
何かとてもイライラする言い方。
「今の私には魅力がないってこと?」
「違う違う!そんなこと言ってない!」
「いいわよ別に。男の子からモテたいわけじゃないから。あなたがそこまで言うなら私からも一ついい?」
「?」
「あなたは絶対に私のこと好きにならないで」
「は⁉︎ なんで⁉︎」
「だって今のところこの学校で一番関わりがある男子はあなた。そのあなたが私のことを好きにならないうちは私も安心できる」
それが全部ってわけじゃないけれど…。
「まぁわかったよ。俺からも一つ約束してしてもらったし。トントンってやつで」
「ふーん……」
「何だ?」
「別に……」
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それから私たちは他愛の無い話をした。というよりも、彼が色々聞いてきた。好きな食べ物、好きな音楽、嫌いな授業。彼はとてもおしゃべりな人だった。そして楽しい人だった。でも面白いくらい趣味が合わなかった。
するといつの間にか三時間目が始まる時間になっていた。
「結局、保健室の先生戻ってこなかったわね。そろそろ教室に戻りましょう」
「そうだな。俺絶対佐野先生に怒られるな…」
「ふふ、意味のわからない嘘をついたからでしょう?」
彼は先に戻ってると言って、保健室を出て行ってしまった。1人置いて行かれたことをなんだか寂しく思いながら、時間を置いて私も教室に向かう。
彼との時間はまるで夢のようだった。人と話すことってこんなに楽しいものだったかしら?この先彼とこんな楽しい時間を過ごすことができると思うと自然と笑みが溢れてくる。
教室に戻って授業に参加したけれど、ふわふわした気分が抜けなくて内容がほとんど入ってこなかった。
そんな気分のまま四時間目が終わって昼休みになると、さっきの彼よりも少し背の高い男の子から話しかけられた。
「俺!三嶋颯太っす!藍野さん、ちょっと時間もらっていいでしょうか⁉︎」
「えっ?はい……」
裏返った声で話しかけられたせいか、私もちょっと変な返事をしてしまう。これってもしかして……。
三嶋くんの後ろをついて行くと、生徒が少ない場所に来たところで彼は急にクルッと振り返り、大きな右手を私に突き出してきた。
「そ、その!好きです!付き合ってください!」
やっぱり告白された。もしかして明里くんはこのことを知ってたの?不思議な人…。でも約束は守らなきゃね。私は自分と向き合う。そして相手とも向き合う。これがその一歩目。
「……ありがとう。気持ちは嬉しい。…でも…ごめんなさい。私今は誰とも付き合う気がないの。……ほんとにごめんなさい」
自分の思っていることをそのまま伝えた……。
「そっか。そうだよなー。初めて話すやつと付き合うわけないよなー」
目の前の男の子は笑っている。告白を断ることなんて何十回としてきたことだけれど、こんな気持ちになるのは初めて。
落ち込んでるのかさえわからない彼は再び真剣な顔に戻って私に聞いてくる。
「もしかして友達になってくれたりするっすか?」
「えーっと……」
こんな状況でそんなこと言われたのは初めてだからどう答えたらいいかわからない。私は返事に戸惑ってしまう。
「まぁ振った相手と友達になるなんて気まずいよなー」
「いやそんなことは……。たまに話すくらいなら、別に……」
目の前の彼はこれまた急にパッと明るい顔に変わって私の顔を覗き込んでくる。ちょっとビクッとしちゃった。
「ほんとか!?藍野さんって優しいんだな!これからよろしくな!」
うーん?話すだけで優しいのなら世界中のほとんどの人が優しい人にならない?彼は「じゃまたな!」と元気に勝手に宣言して、教室の方に戻っていった。不思議な人……。少しなら……少しなら人と話しても……。
それはそうとあの人に話しかけた方がいいのかしら?少し遠くの物陰からずっと明里くんが見てるのだけれど。話しかけようと思って彼のいる方に向かおうとした瞬間、彼はどこかに走り去ってしまった。こっちもやっぱり不思議な人……。
教室に戻りながら二つの不思議な体験を思い返していたら、どこからか騒がしい音がする。なんなのかしらこの音。
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「ピピピピッ!ピピピピッ!ピピピピッ!」
私は右手で目を擦って、左手で騒がしい目覚ましを止める。なんだかすごくぼんやりする。
6時半に起きて朝の支度を始める。そう、いつも通りに。でも今日はいつもより楽しい気分。
何か大切な話をした気がする。何か大切な話を聞いた気がする。
誰だかわからない男の子と『約束』をした気がする。でも一体どんな『約束』だったかしら?内容がすっぽり抜け落ちている。
ただ……今の私なら少し人と関わっても大丈夫な気がする。すごく無責任だけれど。
そんな気持ちで10月最初の日が始まった。