第一章 4『数学は受けません』
『魔性の女』とは一体どんな女性を指すのだろう?
一般的に『魔性の女』は自身の魅力で周りの男性を虜にするらしい。
そんな女性に憧れる人もいるだろうが、「魔性の女だよね」なんてことを噂されたら、ほとんどの場合それは嫌味だ。
もし自ら進んで『魔性の女』を演じている場合、それは本人にとって利のあることなのだろう。
ただ自覚のない『魔性の女』は本人にとって地獄でしかないだろう。
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日本史で寝たおかげか、その後の授業はギリギリ受けることができた。ありがとうおじいちゃん先生。
無事学校が終わり、家に帰ると妹が夕食の準備をして待っていてくれた。
「今日は作ったんだな。ありがとな。流石に次は俺が作るよ」
「どういたしまして。でも別に作らなくてもいいよ、今日は時間があったから作っただけだし〜。どうしても作りたいなら前みたいに作ってくれてもいいよ〜」
「不味くても文句言うなよ」
「そんなこと言わないよ〜。お兄ちゃんが作ったものならなんでも美味しいって言うよ〜」
料理が不味くなる可能性は否定しないんだ……。妹は基本的になんでもできて、料理も母さんからいつの間にか教わっていたようでちゃんと作れる。実質二人暮らし状態になっている今、できるだけ家事を分担しているけど彼女の世話焼きな性格が影響して頑張りすぎているような気もする。
「私が無理してるって思ってるでしょ?そんなことないからね〜。昨日だって晩御飯作らなかったし。私は無理なことはしないよ〜」
どうやら俺の妹には人の心を読むこともできるらしい。本当に基本的になんでもできるな。
「そっか、じゃあ心配いらないな」
「え〜?もっと心配してよ〜」
その後はおっとっとくらい中身の無い会話をしていた気がする。
今日も夢の中でやることがあるし早く寝よう。
寝る前に夢の中で何をするか具体的に決めておきたい。でもどの時点から夢が始まるかさえまだわからないんだよなぁ。そもそも自分の予知夢の力についてはまだよく把握できていない。予知夢での結末を変えれば、それに伴って現実での結末も似たような結果に収束してくれるということだけ先月の件で把握しているけど、実際どのように現実に影響を与えているのかを確認したことはない。
今夜の夢が日本史の授業中に見た夢の続きからなのか、それとも一番最初から再び始まるのかは寝てからじゃないとわからない。
あれこれ考えた結果、やっぱり藍野咲本人と話すしかないという結論が出たところでちょうど眠気がやってきた。
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「それじゃあ授業始めるぞー」
そう言って数学のインテリメガネ教師が授業の開始を告げている。数学は確か、1限目だったはずだ。どうやら今夜の夢は日本史の授業中に見たものの続きからのようだな。
授業が始まってしまっては藍野咲と会話をする状況を作るのが難しい……ん?あの空席って、藍野咲の席じゃなかったっけ?もしかすると朝の告白のせいでどこかに行ってしまったのか?うん、先生に聞こう。夢の中だし。
「先生。藍野さんはどうしたんですか?」
「藍野は体調不良で保健室にいると聞いている」
「そうなんですか」
絶対俺が原因じゃん。でもこれはむしろ好都合だな。2人で話す状況を作りやすい。ここはもうなりふり構っていられないし、目的のためならすぐバレる嘘でもついてやろう。
「先生。自分、保健委員なので藍野さんのところちょっと行ってきます」
「保健委員ってそんな仕事あるのか?」
「はい。佐野先生にこのクラスの病人は全員把握するように言われてます」
実際はそんなこと佐野先生に言われてないし、保健委員でもない。そんな大変そうな委員やるわけない。
「そうなのか、わかった」
「はい、すぐ戻ってきます」
インテリメガネは少し困惑した顔で送り出してくれた。どちらかというと、授業を早く進めたいという気持ちなんだろう。クラスメイトは全員「なに言ってんだ」って顔をしてるけど、夢の中だしこれくらいどうってことない。
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教室を抜け出した後はもちろん一直線で保健室に向かう。勢いよく飛び出してきたが、藍野咲は俺と話してくれるかな……?「お前の顔なんて見たくない!」とか言われたらさすがにメンタルが昇天するぞ。
自信が持てないまま、保健室の近くまで来ると白衣姿の女性がちょうど出てきた。
「あら、どうしたの?」
ドアを閉めながら、優しさの塊のような表情で保健室の先生が聞いてくる。この学校で絶大な人気を誇る先生。名前は知らない。
「体調が優れないので少し休もうと思って保健室に来ました、先生はどこかへ行かれるんですか?」
ここで俺が保健委員なんて騙ったら、保健室の先生にはバレてしまうかもしれないから今度は体調不良ってことにしよう。また嘘ついてしまったな。
「あなたも体調が悪いの?ごめんね、私はちょっと用事があって席を外すのよ。体温とか測って待っててくれる?」
そんな心配そうな表情をされると心にグサグサくる。やめてください。
「いえ、大丈夫です。ほんの少し休んだら戻るつもりなので」
「そう、そこまで大事じゃないのね。よかった。でもよくなるまではゆっくり休んでなさい」
思わぬ遭遇をしたが、いなくなってくれてラッキーだな。保健室の先生がいる状況でディープな話をすることはできないだろうしな。会釈をして先生が離れていった後、念の為ドアをノックして中へ入る。
そこに藍野咲の姿はなかった。そこにあったのはカーテンで仕切られたベッド。とりあえず俺はベッドと入り口の間にあるソファに腰をかける。思ったよりふかふかで情けない声が出そうになった。
カーテンの向こう側にいることを信じて、恐る恐る口を開く。
「藍野さん、そこにいる?」