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私って、嫌われてましたよね?~元聖女な私が部下を異動させようとしたら、婚約を申し込まれました~

「イアン・ウィレーム君。1週間後に王宮魔術団への異動が決まった」


 良し、言った。

 出来るだけにこやかに、そして穏やかな口調で目の前に立つ美しい部下へ命令を告げる。

 異動を申し付けられたイアンの、いつもは固まっている頬が、僅かに引き攣ったように見えた。彼は俯いて一つ咳払いすると、机に座った私に顔を向き直す。

 

 イアン・ウィレーム公爵令息。

 人形の様に整った顔。長躯でスラリと伸びた手足。月を思わせる銀髪にアメジストの瞳は、道ですれ違った乙女を一瞬で恋に落とすだろう。頭脳明晰で、魔術の才能もずば抜けている。天が二物も三物も与えたような人物だ。難を言うとすればクールすぎる性格か。長い沈黙の後、そんな彼の美しい唇が動いた。


「…………理由をお聞きしても?」


 その声は静かで硬い。二つ返事で了承されると踏んでいたので、私は内心焦りながらも、平静を装う。


「ええと。……優秀な君がこんな図書館の司書に留まる理由がないし。上からも昇進を勧められているからね」


 イアンは私が話している間、ずっと目線を外さなかった。射貫くような目で見つめられ焦ってしまい、汗でずれたモノクルを掛け直す。

 私――エレナ・コレット伯爵令嬢が司書長を務めるこの『王立図書館』は、お世辞にも王宮で花形の場所とは言えない。仕事の内容と言えば、王国中の貴重な魔術書を管理するという仰々しい名目とは裏腹に、ただ日の当たらない部屋で書を整理しているだけのものだ。


 であれば、才能ある若い貴公子が魔物討伐の前線にと望まれるのは至極当然のこと。

 私の我がままで引き留めるべき人材ではないのだ。


「貴女様もそう判断されたのですか?」

「え、あ、そうだね」

「そうですか……」


 イアンが目を伏せた。私はほっと息を吐く。

 思えば彼とこんなに言葉を交わしたのは久しぶりだ。いつもは軽い会釈だけで、時折目が合えば睨まれていたから。

 話しかけたら凄く苦い顔をされるし、私が彼に嫌われているのは明らかだった。


「畏まりました。貴女様がそう仰るなら、従うまでです」

「わかった。では、引継ぎの者が来るから、色々教えてやってくれるかな」

「……引継ぎ? 私の代わりの者がここに?」

「う、うん」


 しおらしくしていたイアンが、急に声を尖らせた。

 

「男ですか」

「え? ああ。ユーリ・アスティナ侯爵令息だ。年は確か、17歳。君より年下かな。明朗な方らしいから、君と仲良くやれると思う」

「そうですね、私は22なので」


 心なしか、怒っているような……。

 3年間職を共にした部下の年齢も知らないのか、と睨まれた気がして、頬をかく。それにしても、性別が知りたがるとは。もしかしたら、彼は女性が苦手なのだろうか。だとしたら、今まで悪いことをしていたなと気が沈む。


「引継ぎが居るとなると、話が変わってきます」

「イアン君……。そこをなんとか、頼むよ」


 腕を組んでツンとしているイアンを見上げて、眉根を下げる。引き継ぎ業務が面倒なのだろう。

 少しだけ微笑んで、首を傾げた。私のおどけた様子を見て、イアンが素早く顔をそむける。


(失敗したかな)


 如何せん、私の見た目は黒髪に暗い藍色の瞳で、やや釣り目のためかキツく映るらしい。なので、出来るだけ明るく振る舞うが、イアンは心を開いてはくれない。それでも諦めきれなくて、再び口を開いた。

 

「ダメかい?」

「……っ。わかり、ました」

「ありがとう! さすがイアン君だね。頼りになるよ」


 良かったぁ。断られたら一から私が教えないといけないし。

 ニコニコしていると、イアンが顔を片手で隠した。それから、はっと目を見開いて、顔を青ざめさせる。今日の彼は、なんだか百面相だ。珍しい。


 失礼します、と一言イアンは呟くと、足早に執務室を去っていった。

 やがて静かになって、彼とはこれでお別れになるのか、と感慨深くため息を吐く。


「私の恋も、終わりだなあ」


 言葉にすると急に切なくなり、喉元がぐっと詰まる。

 冷たい美貌とは裏腹に、三年間、私のこの不自由な体を労わってくれた彼。


 ――私は、『元』聖女だ。


 昔戦争があり、国が魔物に落とされかけるという瀬戸際で大魔法を発動させ、辺り一帯の魔物を消滅させた。国は平和になったが、私は多少とは言い切れない代償を支払った。

 魔力は勿論、片目の視力の喪失。手もあまり自由に動かせないし、たまに物を落としてしまう。心臓も強くないから、激しい動きも厳禁だ。きっと長くは生きられない。

 

 それで役立たずとなり、体よく図書館に押し込められた私は、今までひっそりと王宮で暮らしてきた。その孤独を過ごす中、ある日、イアンが王立図書館に赴任してきたのだ。


 彼は言葉少なで、最初の頃、態度は氷の様に冷たかった。察するに、私の事を苦手に思っているか、嫌いなのだろうと思った。故に距離を取っていたのだが、しかしである。高い所の書は全部彼が整理してくれるし、物を掴むのもままならない私に、何も言わずお茶を淹れてくれたりと――。イアンは優しかった、とても。


 挙げればきりがない彼の細やかな気配りは、私の心を癒した。


 そうして月日が積み重なっていき。

 彼の、たとえ嫌いな者であっても、困っていたら手を差し伸べずにはいられない優しさがとても愛おしく思えて。

 いつの日にか私は、イアンに恋をしていたのだ。







 

「今日からお世話になります! ユーリ・アスティナと申します。宜しくお願いします!」


 中性的な名前だな、とは思っていたけれど、まさか見た目も中性的だなんて。というのがユーリへの第一印象だ。ニコニコと朗らかに笑う彼は、天使の様に可愛らしい。長い金髪を青いリボンで一つくくりにして、鮮やかな青い瞳を輝かせている。


 絵画に出てくる美しい天使のような顔は、いつまで眺めていても飽きないだろう。体つきは、イアンよりもだいぶ華奢だが、それでも私よりかは身丈がある。つまりは、絶世の美少年だ。


「大聖女エレナ様にお仕えできるなんて、この上ない光栄です」


 ふとユーリが跪いて、自然と私の手を取った。

 そして、手の甲に口づけが落とされる。


「……!」


 久々にレディとして扱われ、驚いて目を丸くさせていると、後ろで控えていたイアンが物凄い勢いで私の手を取った。


「ずいぶん古風な挨拶をされるのだな。手を差し伸べられても居ないのに、馴れ馴れしいとは思わないのか?」

「い、イアン君。ただの挨拶だよ」


 ユーリが薄く微笑んだ。


「それは失礼を。しかし貴兄、強く掴んでるその手をお離しになられては。エレナ様が痛そうです」


 横にいるイアンの、紫紺の瞳と目がかち合う。


「っ、申し訳ございません」


 掴まれていた手が離された。イアンって、こんなに忠誠心に篤い子だったかなと内心驚く。

 まあ曲がりなりにも元聖女。殿方が気安く触れるのを見るのが不快だったのだろう。一人で納得していると、ユーリがイアンの前に歩み出た。

 

「よろしくお願いします、先輩?」


 深窓の姫君もかくや、ユーリが上目遣いでイアンに微笑む。

 スゥっとイアンの目が細められた。


「……ああ。よろしく、後輩殿」


 何故だか剣呑な雰囲気が漂っているのは、気のせいだろうか。

 空気に耐えられなくなり、思わず声を発する。

 

「では、イアン君。ユーリ殿に色々教えてあげてね」


 逃げるが勝ち。微笑んで、この場を丸投げすることにした。

 しかし、踵を返しかけていた私に、ユーリが口を開く。


「そんなぁ。一緒に来てくださらないのですか?」

「えっ」


 甘えた声で強請られて、足が止まる。

 彼を見ると瞳は潤んでいるし、今にも涙が零れ落ちそうで戸惑ってしまう。その様は神が嫉妬しそうなほど、可愛らしいかった。


 まずい、新任を初日から泣かせてしまうとなれば、名折れだ。明日には市街で号外になってしまっているかも。『元聖女エレナ、天使のような少年、ユーリ侯爵令息を泣かす!』――駄目だ、それだけは避けたい。


「……じゃあ、今日だけご一緒させて頂きましょうか」

「やった!」

「エレナ様……」


 落胆の声が一つ。イアンの顔から色が消えたように思えた。反対に、ユーリは喜色を浮かべ無邪気にこちらへ身を乗り出す。


「あと、ユーリ殿だなんて。僕の事はユーリ、って呼んでください。敬語も不要です」


 近づけば甘い香りがした。金色の睫毛が日光を浴びてキラキラと輝く。私の暗い見た目とは本当に正反対だ。気安いユーリより元の身分は下だが、『救国の元聖女』はそれなりに振る舞わなければならない。私は了承することにして、そっと目元を緩ませる。


「そう? ではユーリと呼ぶね」

「はい!」

「……」


 頬を薔薇色に染めて笑うユーリは、純粋に愛らしい。普段侍女さえ話しかけてこないから、余計にそう思える。


 だから、暗い顔で俯き、拳を握りしめているイアンの様子に気づくことは出来なかった。







 遠巻きにヒソヒソと話し声が聞こえる。

 どうやら令嬢たちが噂話をしているようだ。きっと内容は悪いものではないだろう。何故なら私の両隣には絶世の美青年と美少年が居るのだから。


 普段この時間――図書館の利用時間、私は部屋に引きこもっているので、利用者と顔を合わせることは少ない。

 ここでは、利用者に対して司書は一々挨拶はしない決まりのため、イアンと同じように通り過ぎようとした、その時。


「ご機嫌よう!」


 ユーリが明るく令嬢らに話しかけた。彼女たちはぎょっとした顔をして、ぎこちないカーテシーを返す。話しかけられると想定していなかったようだ。


「エレナ様に新しく仕えることとなった、ユーリ・アスティナです! お見知りおきを」

「そ、そうでしたか。私はアイリーン・シュゼムと申します。……だ、大聖女エレナ様に置かれましても、ご機嫌麗しゅう」


 ユーリへの挨拶もそこそこに、アイリーン嬢は耳まで顔を真っ赤に染めながら、私に頭を下げた。応えるため、薄く微笑む。

 

「アイリーン嬢、ご丁寧に。良き日をお過ごしください」

「は、はいっ」


 上ずった声に目を見張る。彼女は緊張しているのだろうか。まあ、こんな美男子を前にしたら当然ではある。すると、周りのご令嬢たちが私の方へとじわじわ近づいてくるのが分かった。


「あ、あの、大聖女様」


 振り向くと、豊かなブラウンの髪をたくわえた、美しい女性。とその他大勢。みんなソワソワとした様子だ。話しかけられるのは本当に珍しいので、これはユーリ効果だろう。


「?」

「私は、ルファ・シーリスと申します。これから王宮の中庭で小さなお茶会が催されるのですが、大聖女様さえ宜しければ、その、是非おいでくださらないかと」

「っ、ルファ! 失礼でしょう!」


 小声でアイリーン嬢がルファ嬢を制した。しかし、周りのご令嬢達の瞳は期待に満ちている。

 ……これは、行った方が良いのかな。便宜上、護衛としてイアン達もついてくる事になる。もしかしたら、ユーリとイアンにお近づきになりたいのかもしれない。お茶会は得意ではないけれど、彼女たちの期待を裏切れない。しかしご令嬢方、イアン殿は手ごわいよ?

 

「分かりました、参ります」

「まあ、本当ですか!?」


 あからさまに喜ぶレディたちは可愛いが、少し複雑だ。私にもルファ嬢のような可愛げがあれば、状況は違ったのかもと思えたからだ。





 場所は変わり、王宮のとある中庭。緑が多く、とても静かである。お茶会は白いテラスの、壮麗な藤棚の下にて開かれた。紫色がうっそりと拡がり、イアンの美貌をより強く映し出す。誰もがため息をついて見惚れるだろう。そのはず、なのだが。

 

(これはどういう状況?)


「大聖女様、スコーンが美味しゅうございますよ」

「こちらのケーキは今流行りの菓子職人が手掛けたものです、是非に!」

「普段はどちらにいらっしゃるのですか? また、お目にかかれたら幸いなのですが……」


 美しい貴公子方を差し置いて、現在、私はご令嬢方に囲まれとても持てはやされている。

 悪い気は勿論しないが、圧が凄い。助けてほしくて、イアンを盗み見るが、彼は一人前方のテーブルで書類仕事をしており、我関せずの構えである。


(いや、空気を読んで!)


 私の心は汚れていた。彼女たちはどうやら私の事に興味を持ってくれていたらしい。応えたいが、人付き合いしない期間が長かったため、上手く言葉が喋れない。困って、曖昧に微笑むと令嬢方が頬を染めた。何故。


「ご令嬢方、エレナ様が困っていらっしゃいますよ」


 騎士の如く、私の後ろに控えていたユーリが、悪戯を含んだ声で助け船を出してくれた。

 目線が彼に集まる。


「あ……、そうですね。私ったら、少女の様にはしゃいでしまいました。申し訳ございません、大聖女様」

「いいえ、それより。その、大聖女様というのは、堅苦しいですね。どうぞエレナと呼んでください」

「よ、宜しいのでしょうか」

「勿論」


 元、聖女だからむず痒いのだ。胸に手を宛てて喜ぶ彼女たちが眩しい。無口なイアンと図書館に籠っているのも良いが、これはこれで癒されると考えていれば、ルファ嬢が口を開いた。


「エレナ様、とユーリ殿は。並ばれるとまるで一枚の絵画ようですわね」

「本当に、藤色と相まって、こちらに絵師を呼びたい程で御座います」

「まこと、美しいですわ。濡れ羽色の黒髪に、夜空の如く落ち着いた蒼い瞳……。涼し気な目元で見遣られれば、そぞろ寒い心地がするくらい」


 ほうっと息を吐くご令嬢方。最後の方はあまり聞こえなかった。


「えへへ、お似合いってことでしょうか、僕たち」

「私はともかく、ユーリは綺麗だからね」


 気を良くしたのか、ユーリが屈んで私の顔を覗き込んだ。美しい顔が近づいて、少しどきりとしてしまう。


「……エレナ様の方がずっとお美しいです」


 ユーリが蕩ける顔で微笑んだ。

 私もお世辞ありがとうと微笑み返すと、キャーっと上がる黄色い悲鳴。

 すると前方でバキッ! と何かが割れるような音が聞こえた。


 ぽたぽたと、イアンの手から零れ落ちる黒いインク。万年筆が折れたのだ。


「いや、万年筆を折るってどんな握力……」


 とわずかに呆れを含んだユーリの声。


「イアン君、大丈夫?」

「え? ああ、はい」


 直ぐ立ち上がり、心配で駆け寄る。ハンカチを取り出して、彼の手をそっと包んだ。


「……っ」


 イアンが身を固くするが、優しく布でインクを拭きとる。どうやら、血は出ていないらしい。


「良かった、怪我はしていないね。今の私じゃ治してあげられないから、良かった」


 笑いかけると、そこには顔を真っ赤にしたイアン。今朝も様子がおかしかったし、体調が悪かったのかも。


「顔が赤いけど、熱が?」

「――いいえ」

「でも」

「エレナ様。彼は休養されたほうが良いかと。僕たちは、そろそろ仕事に戻りましょう」


 安静になるまで一緒について行きたいが、未婚男性に対して馴れ馴れしくするのは、あまり良くない。それに彼も困るだろう。


「……うん。イアン君、1人で戻れる?」

「さあ、エレナ様」


 急いた声で、構わずユーリが私の手を握った。その時である。


「……やはり、少し熱っぽいかもしれません」

「え?」

「ついて行ってくださいますか」


 掠れた声でイアンが呟く。振り向くとじっと彼に見つめられ、目が離せない。傍でユーリが控えているが、イアンの初めての頼みに、心の天秤は完全に彼の方へと傾いていた。甘えてくれている、のだろうか。嬉しくなるが、体調の悪い彼を前にして不謹慎だ。首を振って雑念を払った。


 ――嗚呼でも、私は何があってもきっと、イアンを優先してしまう。好きな人に頼られることは、無上の喜びだ。


「分かった。私でよければ助けになる。ユーリ、済まないけれど業務はまた明日教えるね」

「……はい」


 ユーリが手を放す。置き去りにされた子犬の表情をした彼が可愛そうだったが、お茶会はお開きになったのだった。








「……私を選んでくださって、心から、天に上る気持ちです」

「大げさだなあ、当り前だよ。それより、体調は大丈夫?」


 歩いていると、イアンがふと口を開いた。建前でも彼がそういってくれるのは嬉しい。私の心配に応えて、小さくイアンがはい、と呟く。治癒師を訪ねようとしたのだが、やんわりと断られ、人気の少ない中庭に足を運ぶことになった。風に揺れた、木々のざわめきが耳に心地よい。大理石で出来た腰掛にイアンが白いハンカチを敷いて、私に座るよう促す。少し離れた位置に、彼も腰かけた。


「エレナ様。ユーリ殿がただ、貴女様へお仕えするだけのために、派遣されたとは思えません」

「と、いうと?」

「……婚約者志望ということです」

「へっ!?」

「貴方様も、お気づきになっているとばかり」

「そんなわけないよ」

「そう、でしたか。……安心いたしました」


 安心って、どういう事だろう。婚約してほしくなかったと思ってくれていた? と期待してしまう。私は震える唇で、きわめておどけた風に聞き返す。


「安心って、なんでだい?」

「――もういい加減に、お止めください」


 止めるって、何を? 考えていると、イアンが私の手を取って、自らの頬に当てた。吃驚して、心拍数が急速に上がる。


「な……」


 美しい紫紺の瞳が閃いて、その光が心臓を射貫く心地がした。思い人に恋人同士がする様な動作をされて、動揺が隠せない。触れられている指から甘い痺れがして、蕩けそうだ。――彼は、私の事が嫌いな筈じゃなかった?


「エレナ様は、ひどく意地悪でいらっしゃる。思いをご存知でありながら、このように私の心を乱すなんて。残酷ですね。狂った姿が面白いのでしたら……望み通り、彼を殺しましょうか」


 しゃら、と青みがかった銀髪が揺れて艶めかしい。息も忘れていると、凶暴なまでの美しい顔で昏くイアンが笑った。

 ま、待て待て待て。

 イアンの思考回路が理解できなくて、脳がショートする。


「正直、冷静で居られないほどです、エレナ様。思惑通りですね」


「は、はい?」


 目を白黒させる私を余所に、イアンは言葉を続ける。

 

「私は冷たい男ですよ。そんな男が、慕っているわけでもない女性に甲斐甲斐しく世話したりなどしません。お判りでしょう? 毎日、毎日、視線で貴女様を焦がす程見つめていた私は、さぞ愉快だったでしょうね。誰もがエレナ様に憧れ、お慕いしています。必死になって、男どもを遠ざけている姿は滑稽でしたか?」


「なんの、ことか」


「今度は私を遠ざけて、新しい男を侍らせるんですか。……ハッ、どこまで、私を苦しめれば気が済むのです。いい加減、はっきりおっしゃって下さい。私は道化だと。……そうであれば、私は」


「待って、イアン君」


 私は、頬に添えられていた手を引き抜き、彼の手を両の指で握った。そして、歪む彼の瞳を見つめる。

 

「落ち着いて。まず、私は何も企んでいないし、ユーリを殺す必要もない」


 イアンが顔を背けて、苦し気に呟いた。


「庇うんですか」

「そういう訳じゃないよ。……ええと、私の思い違いでなければ、君は」

「ええ、そうですね。私は、貴女様をお慕いしております」

「……!」


 言わせて満足ですか、とばかりにイアンが嗤う。

 足のつま先からものすごい勢いで熱が駆け上がって、自らの頬が真っ赤になるのを感じた。制御できなくて、俯いてしまう。耐えきれず、イアンの手を放して顔を覆った。


「エレナ、様?」

「み、見ないで」


 彼の中で私は、稀代の悪女だったらしい。誤解を解きたいけれど、それどころではなくて頭がぐちゃぐちゃだ。


「……まさか、察して、おられなかったのですか」


 信じられないと彼が口を開いた。うん、そうだね。全然気づいていなかった。


「申し訳ございません、であれば、失礼なことを……。悋気で、見苦しい姿をお見せしました」


 声がしおらしい。ちらりとイアンを伺うと、赤くなった私と同じ顔色をしていた。何だかほっとして、声が出る。


「鈍い私も悪いけど、君に話しかけても、何というか、嫌々しげだったじゃないか」

「それは……その。貴女様にからかわれているとばかり、思っていた故、苦しかったのです。……エレナ様、では、この場所も御存じでない?」

 

 この、場所? 何も可笑しいところはないけれど……。と空を仰ぎ見れば、ある植物。


(ヤドリギ……)


 はっとした表情を見て、イアンが微笑んだ。


「ご様子を拝見するにあたり、期待を持っても宜しいのでしょうか。……貴女様はよく躓くし、目で追いかけているうちに、その、気づいたのです、世話を焼いて喜んでいる自分に。私だけを、頼って欲しいと。だから、いつまでもお傍において、貴女だけのものにしていただきたい。性急で申し訳ございません、しかし、期を逃したくない。


――婚約者に、なってくださいますか、この私の」


 ヤドリギの下に立った乙女は、口づけを拒むことが出来ない。拒んだら不運になるからだ。しかし、もし口づけを受け入れたのなら。緊張と幸福で胸がいっぱいになり、涙目になりつつ、返事を返した。


「私で、良ければ」


 髪を耳にかけられて、息が止まる。


「貴女がいい」


 こうして私は、稀代の悪女であり元聖女から、イアン・ウィレーム公爵令息の婚約者へと相成ったのであった。







 後日、早朝にて。


「えーっ、完全に当て馬じゃないですか、僕!?」

「エレナ様は貴兄の事など気にもかけていない。当て馬以下です」

「酷い。エレナ様、こんな口の悪い冷たい奴のどこが宜しいのですか!」

「えーっと、……全部、かな」

「ぐっ、そのお言葉は効く。砂吐きそう」


 顔を真っ赤にした2人をユーリが半眼で見遣り、盛大にため息を吐いた。


「じゃあお邪魔虫は退散しますね。また、伺っても?」

「勿論だよ。いつでも歓迎する」

「…………」


 何も言わないイアンに、ユーリが諦めたように肩を落とした。踵を返して、図書館のドアへと歩いていく。声が聞かれる事のない位置で、彼が呟いた。


「あーあ、エレナ様の花嫁姿、綺麗だろうな」


 振り向くと異動の件で話し合う2人の後姿が見えて、クスリと笑う。


「でも、悔しいくらい、お似合い」


 その恋の終わりを受け入れた呟きは、良く晴れた秋の寒空に、どこまでも薄く溶けていったのだった。





読んでくださった貴方様、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] イアンが自爆する前に、想いが通じ合ってよかったです〜 両片思い美味しくいただきました♪ ユーリにも良いことありますように*\(^o^)/* [一言] 新作ありがとうございます♪ 楽しく拝読…
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