第六番
「脳内将棋盤」という言葉がある。
プロ棋士のなかには、目の前にある将棋盤とはべつに、自分の頭の中に将棋盤を持っている者たちがいる。戦争シミュレーション的な要素のある将棋だが、対局に際して、実際の駒をシミュレーションのために勝手に動かすのは、言うまでもなくルール違反である。
だからこそ、棋士は頭の中に独自の将棋盤を構築する。棋力の高い者ほどリアルで独創的な将棋盤を脳内に持つことが可能であり、そして日常的に脳内の盤上で駒を動かして、最善手を見つけるトレーニングを行う。
目の前にある実物でのシミュレーションが許されないのであれば、頭のなかの盤面で、いくらでも仮想の駒を動かせばよい……と、口に出すのは簡単だが、並の棋士にはそれがなかなかできない。目の前にある将棋盤とは別の、くっきりとしたリアルな将棋盤を常に頭の中に持ち続けて駒を動かすという行為に、どれだけの「脳力」が投入されているのか。私たちテレビ取材班の素人な考えでは及びようもないシナプスとニューロンの煌めきが、そこには宿っている。
だが、棋人はさらにその上をいく。彼らは脳内将棋盤を持たない。代わりに、彼は「符号」で将棋を読み解く。棋譜に記された文字情報をそのまま頭の中で何度も諳じながら、最善手を探りだすのである。それは、膨大な演算能力を持つコンピューターが、0と1のマトリックスを駆使して、難解な幾何学問題の回答を導き出す行為に似ていると、五歩堂竜王は口にする。
「画像処理よりもテキスト処理の方が、データ圧縮にかかる負荷が小さいやろ。それと同じや。棋人の脳ミソはパソコンのCPUに近い機能を持っとるんとちゃうかな」
――ちなみにですが、五歩堂さんの脳内将棋盤はどんなイメージなんですか?
「君は、自分の尻穴を他人に見せることに抵抗が無いタイプなんか?……って、ずいぶんな言い種やったなこれは。すまんすまん」
――秘密ということですか。
「みなまで言わんでええやろ」
――今すぐ頭の中の将棋盤を捨てて、これからはテキスト情報だけで最善手を探り出せと言われたら、五歩堂さんはどうしますか?
自分で口にしておきながら、どこか意地の悪い質問だと思う。それでも、五歩堂竜王は少し目を伏せて「うーん」と考えてから、率直な意見を口にしてくれた。
「無理やろうな。もうずいぶん前から頭の中に盤を縫い付けとるから、簡単に捨てられるようなもんでもないし。けどな、孃ちゃん、そんなのは正直"どうでもいい"たぐいの話やぞ」
――そこまで重要視するものでもないと。
「だってそうやろ。あれはただの方法論や。戦いを勝ち抜くためにある手段のひとつで、将棋の真理そのものやない。脳内将棋とか符号を読むとか、そんなもんはただの上っ面に過ぎへんのや」
その日、五歩堂々竜王の口調は普段よりも熱っぽく、荒々しく、カミソリのように鋭かった。A級順位戦全勝という華々しい成績を引っ提げて、第105期名人戦の舞台に上がる2週間前の出来事。竜王と名人のこれまでの軌跡を振り返る特集が各局で組まれ、現役のプロ棋士や将棋愛好家なコメンテーターが勝敗の行方を占い、SNSでは応援のコメントが溢れ返っている。声援は名人に寄せられるものがほとんどで、五歩堂竜王に対しては、かつての「名人侮辱事件」がいまだに尾を引いているのか、冷淡な反応と言ってよかった。
「こっちとしては竜王が勝ち上がってくれて助かってんだよね。原嶋や矢野じゃあ、映えないっしょ」
密着取材中、別の局のディレクターが竜王のインタビューを敢行した際、休憩時間中に竜王のいない場所で、私たち東日本テレビのスタッフに、こっそりとテレビ屋の本心を話してくれた。
「やっぱり視聴者は分かりやすい話を求めてんだよ。正義と悪の戦いっつーか、そういうのっていつの時代もウケるんだよね。隻腕の片目だけでも撮れ高はあるけど、やっぱりもう名人オンリーじゃ数字が厳しくてさ。強すぎるのも考えものだよね。そこにどどん!と、因縁ある竜王が挑戦者としてぶつかるってのはさ、こっちとしては全然アリなわけ。同じ民放同士、東テレさんだって分かるでしょ?」
――どっちがヒールで、どっちがヒーローなんですか?
「おいおい、しらばっくれないでよ。だれがどう考えたって、みーんな五歩堂竜王が叩きのめされるところを見たがってるわけじゃんよ」
――NKKプレミアカップの主催者、たしかそちらの局でしたよね。あの名人侮辱事件を最初に取り上げたのも、そちらの局のワイドショーでしたよね?
「いや、え? なに、そうきちゃう? 手厳しいねぇ」
――責めているわけではありませんよ。メディアは時に、人命を言葉のナイフで意図せず傷つけるきっかけを作ってしまう……良い教訓になりましたからね、あの放送は。
「皮肉をどうも。そりゃあさ、たしかにきっかけを作ってしまうことはあるよ。そういう間違いというか、気遣いの足りなさがあるのは自覚してる。けど、こっちはただ事実を放送しているだけだからね。炎上の水先案内人をやってるつもりはないんだよ。炎上させるか、させないか。それを決めるのは視聴者であり、世論なんだよ。そこを履き違えてこっちに責任の所在を求められてもねぇ」
――それは……
「それにさ、あの事件がきっかけになったかどうか知らないけど、前にもまして竜王めちゃくちゃ活躍しだしたじゃん。彼の躍進のきっかけをメディアが作ってあげたって見方も出来ると思うけどね」
甚だ図々しいものだ。そんなディレクターの性根の悪さを五歩堂竜王も見透かしたのだろう。予定していたインタビュー時間の半分も繰り上げて、彼は会場を後にした。残されたスタッフたちに混じって、ディレクターが鬱々とした面持ちで撮れ高云々と口にしていたのが印象的だった。
前夜祭のごとく世間は煩い。とにかく煩い。密着取材という煩さの極北に取り組んでいる私たちは、だからこそ慎重になった。名人戦の始まる1週間前から、竜王の集中力を削ぐような質問はなるべく控えるように務め、ただの雑談話を、たまの間に挟み込むようにした。撮影用のカメラも、もっと小型の高性能なものに切り替えようとしたが、「なんか隠し撮りされとるみたいで、イヤやわ」という竜王の一声で、結局なしになった。
五歩堂竜王が、世間の雑音に精神を揺さぶられてしまうような、繊細過ぎる胆力の持ち主ではないことを、私たちは知っているつもりでいた。緊張や重圧とは無関係な人だと勘違いしており、だからこそ、この時の彼の落ち着きない様子に心配になった。
約束されたXデーへと日めくりカレンダーを破っていく彼の手に、日に日に緊張の震えが走るのを見た。夜中に目を覚まして電気も点けずにトイレへ駆け込み、そのまま何時間も出てこない日もあれば、二葉七段に何事かを電話相談している日もあった。
苦しい終盤で、あれだけ豪気で迫力ある指し回しを見せる才能溢れた人でさえ、名人戦の前では迷子の子供のような素振りを見せるのが、驚きと同時に異様にさえ映った。しかし、それは「名人戦」が持つブランドの輝きに目を灼かれているからではなく、むしろ「久能名人」という棋界の神話を相手に、己の矮小さを呪い、卑下し、それでも戦いの場に臨もうとする、人間のありのままの姿と言えたのかもしれない。
そしてついに、人間が神話に挑む日がやってきた。
4月10日。第105期名人戦。七番勝負のうちの第一局。
戦いの場所は、東京都文京区にあるホテル椿山東京。その日はあいにくの雨模様で、春先には似つかわしくないほどの冷え込みようだった。
私たちは対局の1時間前に五歩堂竜王と一緒に、タクシーで現地に乗り込んだ。車中で竜王は沈黙を保ち続けていた。「話しかけるな」というオーラを感じ取った私たちは、黙ってそれに従うしかなかった。喉の奥にピリッと痛みを覚えた。
対局室へ向かう竜王と別れて、私たちは大盤解説が行われる別室へ移動した。最前列を確保して、先に到着していた将棋連盟の理事たちへの挨拶を済ませていると、ぞろぞろと他局や新聞社の記者に熱心な将棋ファンや現役のプロ棋士が会場入りしてきた。対局の30分前にもなると、大盤解説室は世紀の一戦を見ようとする人たちでいっぱいになった。久能名人の密着取材を敢行していた別の班のチーフディレクターや、二葉七段の顔もあった。
名人が会場入りしたのは、私たちが到着してからすぐ後の事だった。服装は、老舗である黒瀧呉服店のオーダーメイド。菖蒲色の羽織袴姿。対して、竜王は国内ブランドの下ろし立ての黒スーツ。伝統あるタイトル戦にスーツで挑む竜王に理事の何人かは眉をひそめていた。
対局は午前9時から始まった。振り駒の結果、先手は久能名人。後手、五歩堂竜王。
序盤からして異様な始まりだった。互いに角筋を開け、五歩堂竜王は少し考えてから4四歩の一手、からの4二飛……四間飛車は竜王の得意とする戦法のひとつ。振り飛車使いが避けたがる角交換をされても、さらには中核の飛車交換をされても、攻撃の手を休めない"イバラギシステム"をものにしてからは、勝率8割をキープし続けている。自分が一番苦しかった時期に支えてくれた戦法、自分が最も信頼を寄せる戦法。たったひとりで戦いの舞台に上がった彼にとって、四間飛車の存在はなによりも心の支えになったに違いない。
対する久能名人は、まさかの意外な手を指した。兵力のほとんどを攻撃に傾けようとする竜王に対して、矢倉囲いからの3六歩ときたのである。
急戦矢倉のスイッチ――大盤解説者が困惑しながらも盤面の駒を動かし、あちこちから唸るような声が出た。通常、後手番の際に効力を発揮する急戦矢倉を先手番で指すことの意味を、この時は誰も分からなかった。素人が指した手なら、相手にもされないだろう。だが、指したのは名人だ。20年間無敗の伝説の棋人が意図の分からない手を指したのだから、不気味極まる。
たしかに矢倉囲いは名人が得意とする戦法だが、ほとんどが200手近い持久戦にて使用されるのに対し、早々に決着をつけようとするような急戦という策をここで取ったのも、それもまた記者たちの目には意外に映った。
対局中の棋士がなにを考えているか。外野がそれを知る術はない。孤独の宇宙をさ迷う航海士は、羅針盤の針に込められた意図を自分ひとりで探るしかない。だが少なくとも、この時は会場中のだれもが、名人の手筋に底知れない狂暴性を感じたに違いなかった。
目には目を、歯には歯を、苛烈な手には苛烈な手を。守りを固める時間など与えないとばかりの、攻めの一手、3六歩。駒同士が激しく喰い合うような混戦に誘おうとするかのような手筋。五歩堂竜王が得意とする攻撃的な指し回しに、あえて乗っかろうという狙いがあったのだろうか。
竜王は、盤上に静かに叩きつけられた急戦の一手をじっと眺めた。そして銀を角に寄せる形で上げた。現実的な一手であり、それでいて序盤の展開を冷静に見ている一手と言えた。たとえ角交換されようが、飛車の攻め筋を潰そうとしてこようが、決して怯まないとでも言うような手筋。飛車先の歩を上げながら、美濃囲いを進めていく。
そして中盤。本格的に火蓋が切られた。竜王の桂馬が、翼が生えたように跳ね回って名人の銀を潰し、名人が角交換に乗り出して巧妙な垂れ歩を指す。持ち時間を互いに十分残した状態で、早指しに近い速度で激しさと熱量を増していく。双方の駒が見えない火花を散らしてぶつかり合い、無音の唸り声を上げて微塵に砕け散り、相手の手に触れられて蘇っていく。
序盤の研究力、中盤の構想力で見れば、両者の腕前は互角だった。それでいて、序盤から中盤にかけての指し回しが素早いのも特徴的だった。そこだけ切り取れば現代将棋の流行の型だが、周りの棋士たちに聞いても、これ程スピーディーな展開はいまだかつて見たことがないと口にしていた。久能名人の思考速度に五歩堂竜王が翻弄されつつ追い縋っているのではなく、両者共に将棋の真理に向かって、ほとんど同一の速度で向かい合っている状況。かつて名人に挑み、そして破れ去っていった棋士たちの反応が知りたいところだった。
そんなジェットコースターのような勝負に急ブレーキがかかったのは、昼食を挟んで6時間が経過した頃だった。互いに駒が相手の陣地深くに入り込み、中盤で獲得した持ち駒を使って、どう相手の守りを崩していくかを検討する段階。「強者」の実力が最も試される終盤に入りかけた時、名人の手番でそれは起こった。
4一銀……会場からどよめきが起こった。矢倉囲いで固めている自陣深くを、まさかの持ち駒で、それも通常は攻めの駒として使われる銀を使い、さらに固めようかという一手。玉詰みのスピードが最も厳しく要求される終盤において、攻撃の手を自ら中断したかのような一手だった。
会場のモニター上部を見ると、AIによる評価値のバーはマイナスを示す青色に傾いている。すなわち、それが「悪手」であると結論づけていた。他に良い手が思い浮かばなかったがゆえの、苦し紛れの一手だとコンピュータは見なしたのだ。
相手の手が緩んだ。普通なら、好機とばかりに相手の懐に潜り込むところだ。だが、竜王はすぐには動かなかった。眉間に皺を寄せながら盤上を睨み付け、後ろ髪をぼりぼりと掻くと、ちらりと名人の顔色を伺い、また視線を盤上に戻した。名人が悠然と自前の水筒から飲み物を汲む一方で、竜王は追い込まれたように体を忙しなく前後に揺らしながら、額にかいた汗をハンカチで拭い、4一銀の意図を探ろうとしていた。
私たちには不思議でしょうがなかった。攻め手のレースから降りたのは名人の方なのに、追い込まれたように映るのは竜王の方だ。誰がどうみても、AIでさえも、名人の一手が過剰な守りのために貴重な銀を消費したようにしか見えなかった。
狐に化かされたかのような一手。そんなふうに、竜王は捉えていたのだろうか。結局、この不可解な4一銀の一手を前に、竜王はこの日一番の長考に沈んだ。
1時間30分の後、深く息を吐いた竜王の左手が、おもむろに駒を取った。5三同竜。矢倉の一角である桂馬を取りつつの駒得。AIの評価値はプラスを示す赤色に傾いている。
広い会場で、誰かが生唾を飲む音が聞こえた。まさかの時を、皆が夢想していた。20年負け知らずの名人に対して、称賛以外のどす黒い感情を抱く者も、あの会場にはいただろう。そんな彼らの声にならない感情が、悲鳴を上げそうなほどの緊迫感に会場は包まれていた。
だが……竜王の苦難はそこから始まった。大脳の襞の奥で火花を散らしながら、自分が最善と考えた手を着実に指していくのに、どうしたことだろうか、なかなか名人の玉を詰ませられない。攻め駒を寄せて、ひとつひとつ壁は切り崩していっている。竜と金と銀を一枚ずつ、さらには成金も使っての総攻撃。堅牢な城壁に穴を空け、その玉座を撃ち抜こうとするも、必ず邪魔が入る。彼の脳内将棋盤では、いくつもの「豪腕流」らしい寄せの一手が閃いているのだろう。だが、現実の盤面に視線を落とせば、そのことごとくが名人の「あの不可解な一手によって」カットされていることに気づかされ、愕然としているに違いない。
ここに来て、大盤解説者が名人の読みを理解したのか、「あっ」と声を上げた。あの4一銀の意味に、ようやく気づいたらしかった。
これは後で分かったことだが、たしかにAIの評価値はマイナスだったが、それはたったの四億手しか読んでいない場合の話であり、さらに検討を進めて七億手読ませたところ、あの「4一銀」は、このうえない最善手として突然データ上に現れてくるのだという。
膨大な演算能力を持つコンピュータでさえ読め切れない最善手を、たったの3分程度で思いつき、それを平然と指してしまう大胆不敵さはもとより、発想力、決断力、なによりも精神的な強度という点で、名人は知力の猛者集う将棋界にあって、全く別の次元に君臨している。そのことを改めて思い知らされた一手だった。
竜王の表情が苦悶に歪んでいく。攻めているのに攻めきれない。詰めそうなのに詰めきれない。使える持ち駒をすべて使い果たし、行き詰まる手筋は全て潰して、敵将の首を刈る最短のルートを構築していくはずが、どうしても最後の最後に詰ましきれない。それもこれも、全ては4一銀の一手だった。それが竜王の指す手全てに睨みを利かせ、駒同士の攻めの連係を削がせるのだ。
いたずらに自陣の守りを固めるためでもなく、良い手が思い付かなかったがための、苦し紛れの策でもなかった。守りながら攻める――その要として、盤上の流れを掌握した4一銀。
久能名人は、終盤に差し掛かったあの時点で、すべてを完璧に読みきっていたのだ。五歩堂竜王がどんな手を指し、自分がどんな手を指すべきか。81マスの宇宙に広げられた複雑怪奇な地図を、余すところ無く理解していたのだ。少なくとも、私はそう直感した。
決着がついたのは、誰の目から見ても明らかだった。「まさか」の展開を期待していた会場の熱気は、冷気でも浴びせられたかのように、沈静化してしまっていた。将棋は、相手の玉を先に詰ませた方の勝利だが、攻め手を完全に消失した時点でも負けなのだ。敵将の喉元に突き立てた剣。その切っ先が首の薄皮一枚のところで止まり、どうやっても剣の柄を持つ手が動かないとあっては、勝負を降りるしかない。ここは、そういう世界なのだ。
「負けました」
その一言で以て、第105期名人戦の第一局は、実力制名人戦が始まって100年近い歴史の中で、史上初、1日目のみの対局で幕を閉じた。
若き竜王の敗着という形で。