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第五番

 年をまたぎ、穏やかな陽光が薄く積もった東京の雪を舐めとりはじめ、"棋界のもっとも長い一日"と称されるA級順位戦最終局が開かれたその日に至っても、久能名人の生活は普段と全く変わることはなかった。まるで、惑星の運行の中心にある太陽がそうであるように、一切揺らぎのない振る舞いに落ち着いていた。


 優れたプロアスリートのなかには、自らの心身の調子を滑らかにするための"ルーティーン"を重んじている者がいる。


 久能名人にもルーティーンの概念があった。違うのは、現代スポーツにおいて主体者の意識が作用することで、ただの"験担ぎ"でしかないように扱われるルーティーンが、名人の場合、その元来の意味である"儀式的側面"を多分に含んでいるところにある。


 毎日決まった時間、決まったタイミングで、一階に設えた七畳の和室で正装に身を清め、年季の入った風情を持つ将棋盤に向かうのが、名人のルーティ-ンだった。内容は詰め将棋の時もあれば、過去の棋譜の再現でもあった。


 とにかく名人にとって重要なのは、我々が伝統と格式ある神仏の御開帳に厳かな佇まいで向き合うように、たった八十一マスのなかに顕れる無限の宇宙に、意識を投じていく精神的な修行にあった。


 未知と可能性に溢れた平面的奥行きのある宇宙を遊泳し、ひと欠片の真実の断片"らしき"成果を持ち帰らんとする戦いの供としてそばにあるのが、脇に置かれたステンレス製の水筒の中身にあることを、我々テレビ取材班は突き止めた。棋戦に望む際に、それは片時も離れず名人のそばにあった。その中身はいったいなんなのか? 過去のインタビューにも答えは載っていなかった。ゆえに将棋ファンたちにとっては、名人の神秘性を保証していると言っても良い謎のひとつでもあり、迂闊に触れるのを躊躇われる禁断の領域でもあった。


 だかしかし、毎度の夕食を半年以上も共にしているうちに、――それが奥さまからの命令じみた条件であったとはいえ――我々に気を許してくれるようになったのか、年の暮れになって名人が、ついに明かしてくれたのだ。


『なんてことはありません。将棋の駒を、お湯で煮立てたやつです。白湯に近いものですね』


 おすすめされたので軽くひとくち飲んでみると、材料が奇抜とはいえ、それは味も見た目もなにもかも、ただの白湯でしかなかった。だが凡庸な我々とは異なり、数々の精神的な死闘を盤上で繰り広げてきた名人にとっては、ただの白湯も神酒(ソーマ)のように、ひとくち飲めば活力の漲るエナジードリンクになりうるらしい。


 駒の声を聞き、我々とは違う視点から将棋を切り取り、駒の"出汁"をありがたそうに口に運ぶ名人。そう短くはない時間を共にすればするほど、どんどん彼の異様さが際立っていった。思考も認識もなにもかもが、日々の変化を怠惰な感性で受けとるのが当たり前と化したわれわれ現代人とは、大きくかけ離れているのだと思い込むようになった。親密さが深まれば深まるほど、また、これが馬鹿げた印象であるのは重々承知の上で、それでも名人が、遠い異星の国からやってきた異星人(エイリアン)のように思えてならなくなる時があったのは認めよう。


 しかしながら、ただただ、その超然的な物腰に圧倒され、理解の代替策としてその存在を神格化するので精一杯な我々テレビ取材班とは異なり、浦桐氏は極めて現実的な視点で名人の領域を分析しようと試みていた。


「よくよく考えてみると、名人が"ECHOES"を使う必要性が分からない。この間、名人が受診した人間ドックの結果を見させてもらったけど、彼の横隔膜は一般人のそれとなんら違いがない。声帯にも異常はないし、彼は日本語の文法や語彙は理解しているって、それいま一番言われているからね。でなければ"ECHOES"を使えるはずがないんだ。日本語を話すための機能はちゃんと備えているのに、どうして喋ろうとしないんだろうか』


 灯台下暗しとは良く言ったもので、たしかに浦桐氏の指摘通りだった。そこで我々は、ルーティーンを終えて昼食の下準備に取りかかる名人の様子をそれとなくカメラで追いながら、質問をぶつけてみた。返ってきた言葉を耳にして、我々は、名人が自ら分厚い殻で自身の心を被覆しているのを知った。


『わざわざ声に出して使う必要がないから使わないんです。それだけの話です。自分の身体から意識的に出す音ぐらいは、完全であって欲しいんですよ。それに、不完全に理解できる言葉が誤解を産み重ねていくのであれば、誰にも理解不可能な完全言語を日常的に使用するのだというスタンスを示していれば、相手を傷つけることもないし、こちらが傷つくこともありませんしね』


 それは、自身を無駄に神格化して一方的なイメージを押し付けたがる世間を気遣ったり、伴侶が浴びせてくる心ない言葉から自らの尊厳を守護するために久能名人が考案した、防護策と言って良いかもしれなかった。


 同時にそれは、断崖の絶壁に佇み、真っ暗な水平線の向こうで分厚い黒雲を見据え、その裏側に隠れている月の裏側を夢想するような、辛抱と孤独の極致とも言えた。


「気質に自閉症なところがあるね。岬の灯台にひとりこもって望遠鏡をひたすら覗きまくる蟹の天文学者みたいだ。"知性のひきこもり"というべきか、承認欲求や名誉欲といったものを持たない人なんだろう。ボクたちみたいな凡人には、その消極的な関わり方がどう幸せに繋がるかわからないし、幸せに繋がるとも思えないが」


 ――浦桐さん、あなたの考える幸せって?


「それは男と女で違うものでしょ。ボクは女の幸せなんぞ知らないが、男にとっての最大の幸せがなんなのかは把握しているつもりだ。自分を理解してくれるたったひとりの女性と巡り会うことだよ」


 だとしたら、久能名人は不幸の渦中にあるということになるが、それを決めつけるのは我々テレビマンの仕事ではない。


 映像というのは、視聴者にイメージを喚起させるための触媒でしかないのだ。映像には、製作者の主観が含まれてはいけない。舞台で声を張り上げる役者の姿を観察するような、そんな第三者的な立場を常に取らねばならない。


 しかし、そう構えていたところで、名人の、ときおり発散させる陰鬱としながらも闘争の気質を滲ませる姿勢を前に、妙な好奇心を駆り立てられたのは事実だ。たとえるなら、山の稜線に黄金の傘がかかり、気がつけば世界の全てが濃い闇色に包まれる、その瞬間に似ている。名人との生活には、我々の心を変貌させる力があるのだ。


 我々が初めて彼の自宅を訪れたあの日から、彼の奥様はなにかのタイミングでひょいと自宅に戻ってくることはあっても、この家で日付をまたぐのはおろか、夕飯を我々や名人と取ることもなかった。だから我々はいろいろなことを話した。その日、順位戦の最終局が行われていた日の夜もそうだった。


『AIソフトですか? 昔は少し手を出していた時期もありましたが、いまはそんなものに頼る機会もないですね』


 ――なぜですか?


『"流れ"が再現できないからです。機械は一時的な条件と場における最適解は導き出せても、"なぜその手をそこで指したか"を考えることができない。過程を吹き飛ばして結果だけを叩きつけて勝ったとしても、それは真の強さではない。AIソフトの開発者連中は、そのことがいまいち理解できていません』


 穏やかな口調ながらも、好物の熱燗で酔いが回った久能名人の舌鋒は鋭くはっきりしていて、こちらが口を挟む余地もないほどだった。


『将棋とは、苦しみに耐え抜き、孤独の宇宙をさまようことを意味し、棋士も棋人も、それを乗り越える使命を背負い、その使命に押し潰されるか、あるいは捨てるかしていった者から黒星を積み重ねていく。AIに苦しみはないのですから、そこには同時に使命もありません。ゆえにAIの棋力を語ること自体がナンセンスなんです』


 ――似たようなことを仰っている方がいましたよ。


『興味深いですね。どなたですか?』


 ――竜王の五歩堂さん。いま、別の取材班が密着されている方ですが、彼がそんなことを話しているとウチの者から耳にしまして。


『ああ、彼か。彼ならたしかに言いそうだ』


 そこでちらりと、久能名人は壁にかけてあるダリ風のぐにゃぐにゃデザインの時計を見た。時刻は夜の八時を回っていた。順位戦の最終局は深夜までもつれ込むのが当たり前であり、まさにこの時こそは、竜王が名人への挑戦権獲得を賭けた大一番に臨んでいる刻であった。


『ようやく名人戦で、彼と対局する日が来ましたか』


 ――すでに決まっているような口振りですね。


『彼のことは評価してますからね。"あんなこと"があったのに、また竜王に返り咲いてここまでやってこれたというのは、素養のある証拠です』


 ――あんなこと、と仰っるのは、その……アレですよね?


『私のことを侮辱しましたよね。俗に言う"名人侮辱事件"。たしか、NKKのプレミアカップのやつでしたね』


 ――あ、言っちゃいますか、それ。


『いや、言っちゃうもなにも、私ぜんぜん気にしてないですからね。当時も今も』


 ――そうなんですか? 初耳ですよ。記者連中はみんな名人に気を遣って、あのときのことは訊かないようにしていますから。


『忖度というやつですか。だって、ねぇ。対局前のインタビューで、私のモノマネをしただけでしょう?』


 ――だけでしょう? と言いましても、あれはやりすぎですよ。知的障がい者の権利団体からも抗議の声があったらしいですから。


『うーうー言ってましたね。まあ、仕方ないのかなあ。でも、棋人の言語不明瞭な感じは良く出てましたよ。隣にいた対局相手の船橋六段は顔がひきつってましたが』


 ――あの対局、ご覧になられていたんですか?!


『リアルタイムじゃないですよ。連日連夜、ニュースバラエティで字幕つきで流れてましたからね。そうそう、あの事件の後、彼が私のところに詫びを入れに来たことがあったんですよ。師匠の二葉さんも一緒に』


 ――それ、初耳です。


『誰も訊かないし、私も訊かれないうちは喋りませんでしたから。でもさっきも言ったように、本当に気にしてませんでしたから。玄関先でちょっと喋って、菓子折りだけいただいて帰って貰ったんです。ただ、その対応がまずかったみたいで』


 ――まずかったとは?


『知り合いの棋人から教えて貰ったんですが、誠心誠意謝罪したにも関わらず、私が家に上げなかったことが相当ショックだったみたいで。帰りのタクシーの中で"名人はきっと自分のことを許してくれていない"って、おいおい泣いてたみたいなんです。師匠が宥めてようやく落ち着いたらしいですが』


 ――それだけ聞くと、粗暴というより、子供っぽいですね。


『良い意味で、無邪気なんだと思いますよ。実際、二十歳そこそこですからね』


 ――しかし、子供だからといって許される社会じゃないですよね、棋士の世界は。


『どうなんでしょうね。私はむしろ、彼を好ましいなと思ったのと同時に、やっぱりコミュニケーションって難しいなと実感させられたことの方が大きかったかな』


 ――コミュニケーション、言語、つまり構造言語学ですか?


『私の見ている世界と、彼の見ている世界に、あの時は大きな隔たりがあったんです。それがいま、どの程度縮まっているのか確かめたい。彼が将棋の平面世界を、八十一マスの盤面真理を"四次元的に"捉える力を身につけていたら、きっと素晴らしい対局になるでしょうし、私もそのために全力を尽くす所存です』


 ――ちょっと待ってください。"四次元的に捉える"とは、どういう意味ですか?


『つまり、私は将棋という世界を、空間的な広がりだけでは見ていないということですよ』


 酒の力が、心の隔壁をほんのわずかにとろかした結果なのか。久能名人は真摯さの彼方に底知れない光を宿した視線をこちらに向けて、およそ信じがたい、けれども妙な納得を与える、己の"常勝の真理"を話し始めた。

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