16 フレワルキア歴57年3月26日
とはいえ何も無ければ平穏に時間は進み、時計の針は動き、当たり前のように日付は変わる。
リズの言っていた明日になってしまった。
いつも通り朝7時頃に目が覚める。いつも通りに歯磨きをして、顔を洗って、着替えて、食堂へと向かう。
「おはよう」
「おはよう、ソラ。……なんだか元気がないように見えるわ、体調が悪いのかしら?」
「え〜、ソラどうしたの?大丈夫〜?」
いつも通り、でいたはずだ。
ノーラとベンに気づかれるほど酷い顔をしていたのだろうか。毎日顔を見合せていれば分かってしまうのだろうか。その親密さが、今は鬱陶しい。───ひたりと寄ってきた悪意を振り払う。相手は心配してくれているのだから。
息を吐いて、落ち着こうとする。思っていた以上に、俺は動揺していたらしい。
「まあ少し心配事があってな、でも大丈夫。ありがとな」
卵のサンドイッチと、イチゴジャムのかかったヨーグルトを飲み込んで、2人を安心させるように笑いかける。それでもノーラとベンは困ったような顔で、顔を見合せている。
───ここで幸せに、何も見ないで、全部忘れたふりをして過ごすのは気楽だ。だって何も考えないで済むのだから。
それなのに、今のこの状態はどうだ。やっと手に入った平穏を脅かす変化。1度手に入ったからこそ、もう、投げ出すのは無理だ。今更1人で逃げるなんて、俺は多分、もう出来ない。
「今日もちょっと街の方に行ってくる、準備係をお願いしてもいいか?ベン」
「もちろんいいけど〜、どうしたの?」
「ちょっと用事が出来たんだ、至急の」
───そんなものはない。
ただ、ただ何かが変わってしまうその時を遅らせたい。それだけで、気づいたら嘘をついていた。ここに来てからは出来るだけ嘘をつかないようにしていたというのに。
気遣わしげに見てくるノーラとベンの目線を振り切るために、わざと明るい声で、笑みを向ける。
「じゃあ任せた、ありがとう」
リズは昼頃に校門と言っていた。
そこから逃げる。臆病でずっと停滞していたい俺は、怖いのだ。決定的に変わるその時が。
ーーーーー
行く先もなく、とりあえず大通りに向かおうかと足を向けて、異変に気づいた。
「なんか、騒がしいな…?」
いつもよりも走り回ったり大声を出している人が多いように感じる。いや、実際にそうだ。この前の俺みたいに辺りを見回しながら誰かの名前を呼んでいる。蜂の巣をつついたことはないが、今はその比喩が相応しい状態なのだろう。
ピリピリと緊張が、あたりを覆っている。学園の誰も、俺をのぞいて今日街に下りる予定の人はいなかったのは幸いだ。
「すみません、何があったんですか?」
「……!君、何歳だ!?」
怒声が飛び交うところに聞く勇気はなく、息を切らして下を向いていた老人に話しかけた。
俺の顔を見た瞬間、ガッと目を見開いて肩を掴まれる。肩に爪が食いこんで痛い。顔のシワやまつげの1本1本さえ数えられるような近距離で、荒い息が顔に吹きかかる。
ぞっと鳥肌が立つのを感じながら、手首をグッと掴んで老人の目を見返した。瞳孔が開いていた、深い茶色の目。老人の瞳に怯えた表情の俺が映っている。
「え……16です」
「そうか………ああ、いや、すまない、いきなり」
「あの、何があったんですか」
「子供たちが…13歳未満の子全員だ!朝からどこにもいなく消えてしまったんだ!」
肩から手を外して、目に見えて意気消沈している老人。おそるおそる何があったのか聞くと、また血走った目でこちらを凝視してきて、つばを飛ばしながら悲鳴にも近い大声を響かせる。
それなのに周りの人達は走り回って呼びかけるのに精一杯という感じで、老人と俺の方は見ない。何もかも異常に感じて、ぞわぞわと悪寒がした。
「お前さんが13かと思ったんだ……何か知ってるのではないかと……!」
「……いや、俺は何も……」
「そうか……………おーーーーい!!!フィール!!!返事してくれ!!!」
話が終わると、誰かの名前を呼びながら老人は人混みの中へと消えていった。ぽつりと取り残される。悪寒が止まらない。
掛けている眼鏡の認識阻害のおかげだ。それでなきゃもっと大騒ぎになっていたはずだ。俺は童顔で幼く見えるから。
震える手をぎゅっと握りしめて、助けて、と名前を呼ぼうとした時に我に返った。俺はまだ、全てを投げ出したあの日から抜け出せていない。
「……帰った方が良さそうだな」
人の名前が飛び交っている。叫び声。怒鳴り声。泣き声。ありとあらゆる声が、どれも切羽詰まって響く。ここにいるのは危険だ。長居するべきではない。これ以上は、思い出してしまう。これはだめだ。
目に見える危険と、起こるかもしれない何かの変化。危険の方が回避優先度が高い。今すぐに、ここから逃げ出したい。
──変化は恐ろしい。
その気持ちは変わらないし忘れられない。けれど、ここで過去と向き合うよりはマシだ。溢れだそうとする記憶に、必死に蓋をする。思い出しちゃダメだ。思い出しちゃダメだ。じゃないと、俺は、今度こそ死んでしまう。
元来た道を早足で、しだいに走りながら引き返して、部屋に入り、震える足を動かして転移門を通り抜けた。
ーーーーー
「今はちょうど昼頃か……森の方に行くか……いや、ここでちょっと休んでくか」
転移門から少し離れた場所で、ずるずると座り込む。外からは見えない場所だ。ツリーハウスも少し隠れるように造ってある。こんな辺境まで来る人なんていないと思うが……なんてったって坂道を上がり下がりを繰り返して岩だらけの整備されてない道を来なくてはならないのだから。
けれどリズのあの言い方からして、『誰か』がここまで来るのだろう。その『誰か』と俺が出会うこと、それが確実に何かを変えてしまう。
ぐぅ、と鳴った腹をさする。
「お腹すいたな……カレーまだ残ってたかな」
「お腹すいて動けないのか?」
「いや、ちょっと帰るのが気まずく────は?」
「てか良く見たらこの前の危機感のない人だな!久しぶり───ってほどでもないか、元気?」
いつの間にこの場所に来たのだろう。
何の変化も感じなかった。これが勇者。───恐ろしい。
狐面を被った黒髪の男が、目の前にいた。
リズとクリストファーを見失った時に連れ回された人だ。漆黒の勇者と名乗った人。もう、会うことはないだろうと思っていた人。
このタイミングで話しかけてくるのは───リズの言っていたことからも考えると───こいつで間違いない。
俺のこの平穏な日々に変化をもたらすのは。
「何かと縁があるな!にしたって君は危なっかしいぞ、今日子供たちの誘拐事件が起きてだな、俺も駆り出されるぐらいで……まあ俺はあんま期待されてないから、一応こっちを見て来いって感じだ」
「……誘拐事件」
「一斉に消えちゃったから神隠しとか言われてるんだけど、いや絶対人のせいだろって!神様なんかいないから」
「………いや、神はいるんじゃないか」
「あ、ごめん!今のは完全に俺の見解でというか、君の信じるものを否定する気は全然なくってだな!……話がズレたな、えっと……そう!危ないから一緒に行こう、えーっと…ごめん名前聞いてもいいか?」
「………ソラだ。珍しい名前だろ、俺の母親が異世界信者でな」
「そうなんだな、じゃあ、ソラ、一緒に行こうぜ!この先の獣医学園の方まで!そこにも13歳未満がいるってことで、被害範囲を調べなきゃいけないんだ………ちなみにソラ何歳?」
「16」
「同い年!?」
普通の人が知らないはずのことを、信じているはずのことを間違えてはならない。不思議に感じられてはならない、自然に。俺の出自がバレるわけにはいかない。とくに勇者にはどんな情報だって渡したくない。
ここに、過去を持ち込みたくない。
そうであるべき姿を見せろ。間違えてはならない。
頭がすうっと冷えていく。
「ソラは獣医なのか?」
「………お前も軽蔑するのか」
「えっ!?いや、俺は全然!軽蔑とかないから!」
「……俺は勇者が嫌いだし、怖い」
わざと目を逸らしてそう言うと、空気から伝わってくるほどに勇者は動揺した。彼は少し間を置いて、遠慮したような、落ち込んだ声になって喋り始める。
「あ……え、ごめん、怖がらせるつもりは全然ないし何の危害も加えるつもりはないから………本当ごめんな、俺確認したらすぐ帰るから」
勇者が嫌いで、怖いのは本当だ。
けれどこの漆黒の勇者と名乗ったこいつは別に嫌いでは無いし、それほどに怖くもない。
街で連れ回された時から、初手拉致というやばさはあれど、俺の事を気遣ってくれるような性根の優しい奴だということぐらい、分かる。
これは『獣医学園の生徒』を演じるために言わなくてはならないことで、申し訳ないと思う。
自分に何ら関係の無いことで怯えられるのは居心地が悪いはずだ。今日が終わればここに近づいて来ることもないだろうし、街ですれ違っても声をかけてこなくなるだろう。だって、優しい奴だから。そういうところにつけ込むために、言っているのだから。
「……俺が、朝ご飯食べた時には13未満の人達はちゃんといた」
「そ、そうか!うん、ありがとう……」
「………別に、そんなに気を使わないでいい」
「いや、あー……怖がらせたくなくって、えっと……」
気まずい沈黙が流れる。予想通りの、あるいは思っていたよりも過剰に気遣われる。
もう少しで学園につく。朝の時点でちゃんと13歳未満のノーラとベンはいた。ここは誘拐事件とやらの範囲外なのだろう。それを確認すれば、終わりだ。そこまで辿りつけば俺の平穏は守られる。
「お前は?」
「え?」
「……名前」
「俺は、リュー。気軽になんとでも呼んでいいぞ。………それでだな、あのな、えっと……」
「……」
「俺のこと怖いと思うけど、俺はぜんっぜんソラのこと傷つけるつもりとか一切ないからな!いや、まあ犯罪とかしてたら法律通りに行動しなきゃいけないんだけど、それはまあ置いといてだな」
「……着いたぞ、リュー」
狐面の奥から覗く瞳と目が合いそうになって、思わずリューの話を遮ってしまった。───そもそも俺は何で名前なんか聞いたんだ。知らないままでいた方が、他人でいられたなら傷つかないで済むのに。
「あ、ああ……あーそのなんだ、歴史を感じさせる建物でいいと思う」
「素直に古いって言えばいいだろ」
俺は、もう、平穏であってほしいだけなんだ。




