10 クリストファー・デイビス
僕のお姉ちゃんは、天才だ。
ありとあらゆる才能があって、神様の加護を受けて生まれてきた。それが、僕のお姉ちゃん。
僕なんかにも優しくしてくれて、でも僕はその優しさにずっと苦しめられてきた。
お姉ちゃんに、僕はきっと生まれてきた時に全部取られてしまったんだと思う。僕は最弱を表す目で生まれてきて、一方でお姉ちゃんは最強。
こんなことを思う僕は、最低だ。分かってる。でも、こういうことを考えなきゃやってけない。
お姉ちゃんが羨ましくて、仕方がない。その有り余った力を、何をしたって完璧にできてしまう力を、少しでいいから分けて欲しかった。
何か一つでいい。本当に些細なことでいいんだ。僕にはそれすらないから。
お姉ちゃんみたいに産まれてきたら、僕は両親にいないものとして扱われることも、ひたすら人を疑って自分自身を曖昧にするような人間にならなくても良かったのに。
そこまで考えて、僕はベッドに倒れ込む。とっくに外は暗くなってるし、この話を伝えてくれたアースさんもどっかに行った。
今の僕は、この学園に認められてないらしい。理由は、僕が敵なのか味方なのか決められないような精神状態にあるから、だそうだ。
そして、僕の笑顔が胡散臭いと、そう言った。
笑顔でいることも武器の一つだと、お姉ちゃんはそう言って僕を笑顔を教えた。お姉ちゃんの見せる笑顔を、僕は自分自身に反映させた。
多分、順序が逆だったのだろう。
笑顔でいることは出来ても、僕には笑顔になる感情が分からない。
お姉ちゃんの庇護下から離れたあとでも生きられるようにと、お姉ちゃんにはあらゆることを教えてもらった。それが役にたつことは間違いない。
けれど、型ができていても感情が追いついていない。
僕は生き残る術を手に入れて、でもそこに感情はない。お姉ちゃんに言われたことを全部頭に詰め込んだだけ。
「お姉ちゃん…」
お願いだ。どうか、どうか。
こんな息苦しいところにいたくない。優しさは毒だ。どんどん首を絞められていって、息ができない。
助けて、お姉ちゃん。
ーーー
「クリストファーくん起きた?」
気づけば窓の枠に、白髪の少女が座っていた。
あれから眠ってしまったのか、外は真っ暗だった。
「え…?」
ここは2階だとか、なんでこんな深夜に、とか。あとさっき言ってたのは何だったのか、僕のこと嫌いなんじゃないの、とかたくさん問いたくなった。
けれど、そんな勇気は持ち合わせていない。
とにかく、意味が分からなかった。
ついさっき会った時は、僕のことを拒絶するような、否定するような、そんな冷たい態度だったのに。
今はにこにこ笑って、手を叩いている。二重人格なのかと叫びたくなるぐらい、態度が変わりすぎてる。
ビューゥと風が吹いて、冷たい冷気が部屋へと流れ込んできた。三月の夜は、まだまだ春の気配なんて連れてきていない。
「……そこにいたら、風邪引いちゃうよ」
「大丈夫だよ。私、風邪引かないんだ」
白いTシャツに、紺色の短パンはどう見ても寒さを防げていなかった。
「一緒に遊ぼうよ」
手を取られ、ぐいっと引っ張られる。
窓から落ちれば、怪我は間違いない。けれど反発することはせずに、少しだけ死ねたらいいなとか思いながら、窓の外へと飛び出した。
ふわりふわりと、重力がないみたいに、空を舞う。
──死ねない。
「ど、どうして?」
「どうしてだろうね?」
何も考えてないような真っ赤な目で、僕の方を見た。
「明日には忘れてあげるから、何でも話していいよ」
何も考えていないような目で、口ぶりで、素振りで。
何もかも知ったような言葉を吐いたのが。
どうしようもなく、気持ち悪くて、懐かしくて、愛おしかった。
「僕は、」
「うん」
「ここに来て、びっくりしたんだ」
「そうなの?」
「みんな、優しくて…」
気持ち悪いのだ。
最初に会った時から、“リズ”という人間はするりと馴染んだ。僕は10年間虐待され続け、家族以外に会ったことのないのに。
ノーラやベン、ケビン、エレノア、ソラ。全員優しい人だ。それでも初対面は、そんなこと分からないから、怯えてしまっていた。
けれども、“リズ”相手に怯えることは無かった。むしろ旧友と接するかのように、いや───まさしく旧友と接して、いつもと違うテンションになった。
「僕なんかが、優しくされる理由が、分からなくて」
「うん」
「だから、裏切られたほうが納得出来たんだ。でも、怖くなって、こんなに弱くなかったのに」
「“✕✕✕”くん」
何故なのか?分からない。
分からないから、気持ち悪くてたまらない。
まるで、会ったことでもあるみたいなんだ。けれどそんな記憶はなく、僕の境遇からも会うことは不可能で。それでも旧友であって。
リズと接する度に、存在しないはずの記憶が疼く。
気持ち悪い。愛おしい。
「僕は、分かんないよ“✕✕✕”…僕、何も思い出せないんだ」
「今日が、その日だから。明日には忘れてる。忘れたままでいて。あんなこと、思い出さなくていいよ」
「忘れてしまうの?」
「…また仲良く出来て嬉しいよ!皆の記憶のおかげで、私、生きようって思えてたから」
「…“✕✕”が頑張ってくれたんだ。僕は、何もしてないんだ」
「生きてるだけで万々歳!でしょ」
「っ…あはは!そうだったね!」
彼女の笑い方が、喋り方が、存在が、懐かしくて愛おしい。明日には忘れる感情でも、いつかまた思い出す日が来る。
彼女に手を引かれ、僕の部屋へと戻る。僕がベッドに座ったのを見ると、彼女は窓枠の外へ飛び出して、大きく手を振りながら笑った顔で──
「じゃあね、“✕✕✕”くん。また来年!」
「うん、“✕✕✕“!また次の年で!」
そして、日付が変わる。




