9 2日目
この学園にいるのは、優しい人たちだと思った。
初対面の、泥まみれで汚い子供に対しても優しく接してくれる。服、お風呂、食べ物、寝床、部屋。僕がそれに見合っただけの働きをしていなくて、僕には感謝を述べることぐらいしかできない。
分かってる。
ちゃんと分かってる。
僕の目は、最弱の証。
この目を潰さない限り、僕は見下され続ける。誰よりも弱く、力がなく、泣くことしかできない弱虫。
実家では、僕は僕らしく惨めに縮こまって過ごすことを求められていた。この学園でも、そういう風に生きるはずだった。
上っ面だけの優しさを与えられて、期待して失望するくらいなら、最初から馬鹿にすれば良かったのに。
ベン、ノーラ、ケビン、エレノア、ソラ、リズ。どうして僕なんかに優しくしたんだろうか。
───そっか、心の底では僕を嫌悪してたんだよね。
そうだよね。僕が優しさに溺れていくのを笑って見ていたんだよね。なんだ。どこに『優しい人たち』がいるって言うんだ。
どうしよう。それでも、拒絶されるのは嫌だな。うん、僕が平気なフリをすればいいよね。信じきった感じで、何もかもを見ないふりして感謝を言い続ければいいだけだよね。
どうして僕は、人として接してもらうためには、人であるには、何もかもが足りないんだろう。
気づいたら僕は自分の部屋にいた。外に出るつもりだったのに、階段をいつのまにか登っていたらしい。
「…もう、こんな時間?」
時計を見ると、あたりはオレンジ色になっていた。
誰であっても顔を合わせたくない気分だった。食堂のボードに名前を書いておくのを忘れたから、夕食を食べに行かなくてもおかしくない。
ベッドに腰掛けると、ばたばたと足を動かす。朝はあんなに気分が良く目覚めれて、みんなと楽しく話せていたのに。
今は、元々の自分に戻ったみたいだ。違う、きっとこれが本当の僕なんだ。
今日はここでじっとしていよう。明日からは、普通に、うまく頑張ろう。
なんだか全部、疲れてしまったけど。
コンコン、というドアをノックする音が響いて、びくりと体を震わせた。
「クリストファー少年。おられるか?」
聞いたことがない声だった。そして、大人の声。
ぞわりと全身の毛が逆立つ。
大人。大人だ。両親と同じ、大人。
「……い、います」
おそるおそる扉を開けると、顔を布面で覆った男性がいた。髪は全体的に灰色で、雰囲気からなんとなく両親よりももっともっと歳上のような感じがする。
着ている服もビシッとしたスーツで背も高く、眼差しも強いのに不思議と威圧感がないのは何故だろう。
表情は、布面で見えなくなっていてよく分からない。顔全体を覆ってしまうような布だから、前が見えてるのかが不思議だ。
「よかったよかった。わしはアース・ミラー。名目上ではわしはここの先生ということになるかのう…まあ、学園なんて名前のついた建物じゃが教えることなんて何もないから、ここではただのアース。アース先生でも構わんよ」
「あ、アース先生」
「…ふむ、誰も先生なんて呼ばないからのう、聞き慣れん。やっぱりアースで」
「アースさん……えっと、僕に、何の用ですか…?」
「なあんも説明せんでいたと思ってのう。この学園についてと、その後の話じゃ」
「学園と、その後の話…?」
「なあに、話すぐらいしか趣味のない老人の相手をしてくれればいいだけじゃ」
いつのまにか、この部屋に唯一ある椅子にアースさんは座っていたので僕はベッドの上にちょこんと座った。
「まず最初に、まだクリストファー少年はこの学園で入れない部屋があるのじゃ」
「入れない、部屋」
図書室のこと、だろうか?
あれはノーラが嘘をついていたんじゃなくて、僕が入れないだけだった?
「まだ客人扱いなんじゃよ。お風呂、トレーニングルーム、食堂、キッチン、個人部屋、物置部屋、あと外の設備は客人でも入れるようになっとる」
「…入れないのは?」
「今言った部屋以外の全てじゃのう…図書室とか、作業部屋とか」
どくどくどく、と心臓が暴れ出す。
僕が勝手に勘違いして疑って落ち込んだだけ…?
それだけ、それだけなの?
…そっか。よかった、嫌われたわけじゃないんだ。
駄目だな、ほんとに僕弱くなっちゃったみたいだ。平気なフリをする、とか言っておきながらいざ勘違いかもと分かると舞い上がってしまう。
嫌われているのが当たり前だったのに、期待なんてしてしまうのか、僕は。
「ど、どうして客人扱いなんですか?」
「お前さんのことを、まだ信じることができないからじゃのう」
鋭い視線に、射抜かれたかと錯覚した。強い強い眼差し。
アースさんの顔は布で覆われているのに、僕は何で最初から眼差しも強いなどと思ったのだろう?
分からない。表情は見えなくて、目も鼻も口も覆っている布で分からないはずなのに。でも、その目の力強さだけは分かる。
我ながら矛盾しているとは分かってるけど、でもそれが僕の感じたことで、アースさんは顔全体が見えない状態だけど力強い眼差しの人だ。それは、なぜか間違いないと感じる。
「僕のことを、信じることができない」
「ああ。……だってお前さん、気づいてないのかのう?」
「…何を?」
「お前さんは顔の見えないわしよりも、よっぽどうさんくさい笑みを貼り付けておる」
表情が、凍りついた。
僕の笑い方が、うさんくさい?…そんなの、おかしい。これは本心からの笑い方だ。そうだよね。ねえ?
だって、これは───お姉ちゃんが、僕に向ける笑みなのに。




