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静かでそして穏やかだった。細かな塵が降り注ぎ、月の光が青く浮かぶ。
鏡とそして勇者証と同じ素材のモザイクタイルの礼拝堂は、わずかな光を増幅し、薄暗くも十分な光量をもたらしていた。施設と一体化したオルガンは雷に撃たれ焼けている。オルガンの一部であった金属のパーツが融解し、酷くねじ曲がり歪曲し、朽ちた生き物の体内のようであった。
ソードは片手で外套そして防具を外す。荷物も全て放り出して、血と汗そして泥が滲む、身軽なシャツだけの姿となった。
魔神の顔を覗き込む。翡翠そして黒曜石の頭骨が露出し、眼窩の奥には闇が渦巻いている。どこまでも黒くて深い。まるで吸い込まれてしまいそうなほど、光の欠片もない闇だった。魔神は目の無い顔で月の光を見上げている。幾重にも重なる塔の屋根よりもっと高く。地に落ちた黒い神を見下ろす月は、生前と変わらぬ光を投げかけていた。
黒い額に手を乗せる。冷たく硬いものだった。見るも無残な姿形は生きていたとは思えない。魔神の死体を見下ろしながら手で触れた物の先へと意識を向ける。
少しずつ魔力が集い目には見えない所から修復が始まる。身体に空いた穴は中身から詰まっていき、やがて表面が覆われていく。失われていた両腕両足からは骨にも見える物が伸びていき、五つに枝に分岐する。同時に肩と腰の切り口から黒い肉らしき物が包む。
翠玉と黒曜石の頭骨を魔力の薄い皮膜が覆っていく。男性体の胸元で動き出した心臓が聞こえるほどの鼓動を打った。
赤い剣を握り直す。片手でシャツの襟を下げて、下着も一緒に引き下げる。露出した左胸では心臓がソードの鼓動が脈打っている。赤い刃の先端を左胸へと突きつける。眠り込む魔神を無言で見下ろしながら、剣を持つ手に力を込めた。
刃は皮膚を裂き、骨を傷つけ心臓を刺す。つらぬき抜けて背から剣の先が現れ、シャツを切り裂く。鮮血が剣の先へと流れて落ちる。体温の下がる感覚は感じるものの、痛みは全く感じない。赤い剣を強く握ると、力任せに引き抜いた。
大量の血が剣の軌跡を描き出す。三日月状に大きく広がり、外へ外へと伸びている。
自らの血の付いた剣の先を魔神の口元へと運ぶ。垂れ落ちる音が大きく響く。一滴、二滴、三滴と滴り落ちたその瞬間、魔神の両目が開かれた。