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竜と呼ぶには忌々しくあり禍々しい。レインさんの竜でさえ、もっとましな見た目をしている。生前の神話に出てくる馬と人との半人半獣に近い。もっとも似ても非なる怪物で、馬では無く竜の下半身、頭も人から大きく離れた半実体の化け物だった。
「ここは任せて。何とかする」
タクトが金属杖を引き抜いて、ナイフを二本、一つを片手に一つを口に咥え込む。彼女の頬を汗が流れ落ち、一人で先に走り出した。
手にしたナイフを投擲し、口のナイフを落として蹴り出す。二本のナイフは竜へと飛んで、首と胸に突き刺さる。深く刺さったはずなのに気にする素振りも全く見せず、迫るタクトを静かに見つめる。彼女が間合いに入ったと見るや否や、素早い動作で片手に持ったグレイブで薙ぎ払った。
膝から下が切れ落ちて身体が傾き崩れかける。タクトは瞬時に再生し、尖ったガラスの欠片の中を素足で踏ん張り立て直す。頭上から振り下ろされるグレイブを横っ飛びに何とか避けると、砂埃の中に姿を消した。
ソードは走りながら両手剣を抜き股座の下を滑り抜ける。立ち上がりつつ全力を込めた一撃を叩きこむも、鱗で難なく弾かれた。
「長くは持たないから早く行け!」
強靭な尾の追撃を防ぎきれず叩きつけられる。金属杖は大きく曲がり、脇腹からは大量の血が流れだす。タクトはやっとのことで傷を治すと、盾のエッジでの殴りつけを何とか避けた。
両手剣を背に納め、タクトを残して奥へと進む。戦闘音と地響きが城全体に木霊して、細かな塵が天井より舞い落ちる。走る彼女は徐々に速度を落として行く。カンテラの灯を頼りに暗い通路を進み、壁に沿った螺旋階段を下る。石造りの床は最下層まで穴が開き、直上からは射す月の光に満たされていた。
神聖文字が掘られた壁を指の先で触れながら下へ下へと下って行く。崩れ、欠け、ヒビの入った階段を一歩一歩確実に降りていく。艶やかな壁は彼女が進むその度に黒から順に色を変え、赤橙黄緑青藍紫へと変化する。そして彼女の触れる指の位置では紫色もほとんど消え失せ、もはや白となっていた。
戦闘音は遥か遠い異世界での出来事かのようで、もはやここまで聞こえてこない。静かで暗い闇に差す月の光は階を重ねるごとに細く細かいものとなる。
何周も何周もして最下層へと降り立った。砂埃の中に唯一の足跡を残し、一筋の光の照らす先へと進む。雷の焼け跡残る床の上に黒い物が倒れている。ソードより一回りも二回りも大きくて、生物なのか、そうでないのかすら分からない。
ソードは赤い片手剣を引き抜いて、光の下へと歩み寄る。これこそ求めた物だった。全ては自分に剣を向けるため、自分の命を懸けて取りに来た。光の中に浮かび上がるは焼き潰された胴体に両腕足が切られ、もがれた、かつての魔神の姿であった。