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「姉ちゃん?」
彼は言った。
「なにしてるの? 恐いよ」
「大丈夫だよ。大丈夫だから」
少年の手に力が入る。彼は必死になって暴れるも彼の力は極めて弱く、いとも容易く抑え込めた。
「病気を、よくするために、必要な事だから、ね。大丈夫だよ。姉ちゃんがついてるから」
大丈夫と、口の中で繰り返す。彼女の大きな目は一層大きく見開き歯は震え打ち鳴らされる。
「さぁ、目を閉じて。いい子だから。今はゆっくり眠る時間だよ」
息を吐き出すことさえ忘れ、何度も何度も息を吸う。少女はグローブ越しに彼の頬を撫で、目を閉じるのをじっと待つ。
少年は何も言わずに目を閉じる。大丈夫だよと繰り返し、少女はゆっくり息を吐き出す。そして両目を強く閉じると、少年の胸にナイフを差し向けた。
刃は一切ぶれる事無く、彼の胸に差し向けられる。ゆっくり彼女が目を開けた時、輝く刃は少年の胸を刺し貫いた。
血が溢れ出す。彼のボロが赤く染まる。少女がナイフを引き抜くと、反動で力無く尻もちをつく。
痙攣と共にシーツまでもが赤くなる。激しく肩で呼吸する彼女の手からナイフが落ちる。それは冷たい石の床に当たって、無機質な音を奏で上げた。
抑えた手には、もう脈は無い。それでも彼の体温だけは今もまだ手に感じられる。少女の肩を包み込むミツキを見ながら、ソードはそっと手を離す。赤色をした水たまりの中で、少年だった物に意識を向けた。
「弟は。大丈夫ですか。これで病気は」
少女の言葉を遮って少年が激しく咳き込む。口の端から赤い液を零しつつ、ひっきりなしに咳き込んでいる。ミツキの制止を振り切って少女は少年の手を取った。
「私が分かる?」
脇腹にできた、こぶしほどの腫瘍はなお健在で、嫌忌すべき姿を見せている。少年の咳は治まるどころか一層激しく荒くなり、合間を縫って笛のような音を立てながら喘いでいた。
「咳が止まらないの? 熱は? 治まった? 待っててね。すぐに水を取ってくるから」
力の無い手で握り締め、立ち上がりかけた少女を留める。目にいっぱいの涙を湛えながら激しく咳き込むと、やっとの事で口を開いた。
「姉ちゃん。お願い。助けて」
少女はナイフを取り上げる。そして高々と振り上げると、叫び声をあげながら、刃を何度も何度も突き立てた。
「もういい。もう、充分だ」
ミツキが少女の腕を止める。刃はさながら血管のように、幾本もの赤い流れが枝分かれし合流し、少女の手から伝い落ちる。
「悪かった」
「元々、有って無かった希望です。希望を見せてくれた。それだけでも感謝しています」
何度も何度もしゃくりあげ、その度涙がこぼれ出す。震える小さなその背中を、もう一人のミツキが優しく擦る。
「でも、やっぱり。生きていて欲しかった」
食いしばった歯の間から捻り出すように、幾度となく中断しながら、やっとの事で押し出した。
ソードは何も言わなかった。掛けるべき言葉が無かったのだ。
少女の手からナイフを取ると鞘に戻す。開いたままの少年の目を閉じさせると、赤く染まったシーツで頭の先まで覆い隠した。