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ミツキは一人、夜の森を駆けていく。森は急な下り坂で正確には山かもしれない。人の手も入っておらず、伸び放題な草の根を掻き分けながら進んで行く。
得体の知れぬあれは来てなさそうだ。暗闇の中、木々と草花に遮られ遠くまでは見通せない。ミツキが歩きながら振り返った時、足場は不意になくなって、気づけば崖を転がっていた。
空と陸が何十回も入れ替わる。木や岩肌に手足をぶつけ擦り剥きながら、ミツキは転がり落ちて行く。手は空を掴み、足は踏ん張る事もままならず、腰に、背中に傷を増やす。最後に酷く岩に頭を打ち付けて、彼女の身体は宙に高く投げ出されると隆起した木の根に強く叩きつけられた。
おぼろげな世界が回って見える。大きく胸を膨らませ肩で激しく呼吸しながら、なお大量の空気を求める。身体は熱くもあり寒く。冷たい雨を欲しつつも、抑えきれぬほど震えていた。
黒くなる視界の中に、オレンジの光が浮かび上がる。それは小さく瞬きながら崖を下って人の姿を映し出す。人影は光をかざして周囲を見渡すと、やがてミツキに気が付いた。
逃げないと。ミツキの理性はそう言った。だが彼女の肉体は全てが警報を出し、頭の指令に逆らっている。やたらに重い自分の身体は、さながら鉄でできたかのようで、指一本を動かすまでがやっとであった。
そうこうしているうちに彼女はミツキのすぐ傍で立ちどまる。オレンジの穏やかな光を放つカンテラを、横たわるミツキにかざして照らす。濡れる草地に膝を付く彼女が優しく手をとる様子をおぼろげながらに感じ取り、落ちて行く意識の中で、ミツキの心は不思議と穏やかな気持ちに満たされていた。