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「どうでもいい」
強引に手を引き戻す。風は急に吹き止んで、太陽の揺らぎも絶える。ヒナタの顔を半分を緑の光が照らしあげ、残り半分に影を落とす。今のいままで浮かべていた微笑が薄れ曇って、少しだけ、初めて残念そうな笑みに変わった。
「ミツキなら。受け入れてくれると思ったのにな」
影の中から黒い蛇が現れて、ヒナタの身体を這いまわる。身の毛もよだつ片側だけの蛇の目は、鋭く細く睨みつける。ヒナタが醜い老婆に変わり、まばたきした後、元に戻った。
「確かにアンタの言う通り、何もかも嫌になって、死にたくなる事もある。でもね。お前を受け入れるわけねぇだろクソババァ」
ミツキは自己の内に意識を向ける。膨大な魔力が内部で新たな肉体を構成し、古い細胞はプログラムされた死を引き起こす。アポトーシスで死滅した細胞は収縮し、断片化して、新しく生まれた細胞たちに取り込まれていく。
学校の屋上だった光景は光が明滅するたびに、薄暗い倉庫の中と入れ替わる。ヒナタの身体を這う蛇が、咄嗟にミツキに飛びついて両手を固く縛り上げた。
「ダメだよ。抵抗してはならん。身を任せなきゃ。バッドトリップしてしまう。荒ぶる感情を感じて、そしてゆっくりと静めないと。冷静になるのだ、不滅の勇者」
赤と緑がせめぎ合う。老婆とヒナタが交互に映る。片手をミツキに差し出して、そっと肩に手を触れる。ミツキはその手を掴み引き寄せて、ヒナタの顔に頭突きした。
学校の屋上の縁に立つヒナタは老婆へと変わり、倉庫の中で老婆は急ぎ距離を置く。メイスを持ったゴブリンが緑の世界の影に変わって、ミツキの頭を殴りつけた。
縁の上をよろめきながらも踏み止まった。激しく肩で息をする彼女の目と目の間から、赤黒い血が流れ落ちる。失せた女神の微笑みは、また歯噛みする老婆へ戻り、細い瞳には緑の光が湛えていた。
「なぜだ。なぜ、抵抗する! 儂はお前さんを助けようとしたのだぞ」
「誰が助けろって言った。蛮族風情が!」
メイスに激しく打ちのめされて、干しレンガの壁に叩きつけられる。力なく壁にもたれながらずり落ちて、冷たい床に座り込んだ。
「薬を毒にしたのはお前自身だ。受け入れておれは楽になっただろうに。お前自身の軽率な行動がお前自身を苦しめたのだ」
ゴブリンがメイスを振るう。ミツキの頭を直撃し、堅い石の床に叩きつける。生暖かな液体が顔半分を覆い尽くす。視界は黒い霞みが覆い、同時に白い閃光が迸る。
「折角の善意を無下にするとは、呆れを通り越して笑いが出るわ。勇者と言う者達はどこまで野蛮である事か。まだ死んでおらんな? 不滅の勇者よ」
ミツキを蹴って、仰向けにする。指先が、まだ少しだけ動くのを見てから、老婆は静かに言った。
「さてと。お前達、好きにしろ。ただし、絶対気絶させるな。不滅の勇者が本当に不滅であるのか、限界を試してみようでないか」
二匹は赤く輝くメイスを掲げ、何度も何度も打ち付けた。