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舌を噛み傷をつけ、鉄の味で口内を満たす。覚醒しきらぬ頭は、まだ夢の中にいるような、霞がかった感覚がある。
悪い夢を見ていた。内容はやはり覚えていない。激しかった感情も徐々に落ち着きを取り戻し、鏡面のように凪いでいく。胸の内には死に掛けた感情の欠片だった物が棘のある塊として、かすかな痛みを伴い残っていた。
手にした服に血を吐きつける。綿でできた純白の服の胸元に、赤黒い滲みが広がっていく。暫く黙って眺めていたが、おもむろに立ち上がり窓から服を押し出す。風に砂が混ざり込み壁に当たる音がする。まだここも砂漠の内であることは疑いようが無いのだが、具体的な場所までは皆目見当がつかない。北極星さえ見つかるならば大まかな緯度は分かりはするも、まだ日没はもう少しだけ先だった。
ベッドの端に腰かけた時、扉が開き人影が姿を現す。杖を持ち、厚手の外套のフードをかぶる老婆であった。
白い肌には皺が深く刻まれて、色の抜けた髪が目元近くにまで垂れ落ちている。とりわけミツキの眼を引いたのが、首筋から伸び左目を覆う、巨大な蛇の入れ墨だった。真っ黒な大蛇は老婆の眼と一体化して、彼女を見下ろす。二人の目と目が交差をするも、先に視線を逸らしたのは老婆だった。
「具合はどうだ?」
聞き取りにくいが共通語だった。乾き、絞り出すような声で、ミツキに背を向け扉を閉める。いつ蹴り込もうかと腰を浮かせていた少女にとって、老婆の言葉はあまりに意外であった。
「私は共通語が苦手でね。蛮族語はできるか?」
鈍い音を立て扉が閉まる。杖を壁に立てかけて、フードを下ろす。
乾燥し、痛んだ髪の合間から先の尖った大きな耳が覗いている。間違いようが無い。絶滅したはずのエルフ族だ。エルフ族の話はよく聞いていた。つい最近絶滅した蛮族として、なにかと例に取り上げられる。白い肌に尖った耳が特徴とされ、落雷による森林火災が致命的な原因とされていた。ミツキが転生した頃には既に絶滅した後だった。
「どうかしたか?」
蛇の眼を向ける老婆に対し今度はミツキが、なんでもない、と目を逸らす。共通語でなく蛮族語で答えたことに気づいたようで、ただでさえ細い目を更に細めた。
「不滅の勇者。いつか会いたいと思っておった。予想したよりも若い。だが予想以上に魂が摩耗しておる。それが不滅の代償かね?」
エルフの眼が鈍く輝く。蛮族語だが妙な訛を含む口調は、どこか古風で威圧される感覚を覚えた。
「さぁ?」
蛮族に答える事は何もない。だが情報だけは必要だ。他にどのような蛮族がいるとも知れないが、少なくとも今この場所には、ミツキと老婆の二人きりだった。隙を突いて、殴り倒して出ればいい。
両手の指を組み上げて、膝の上にに両肘を乗せる。赤い日差しが照らす中、ミツキはゆっくりと頭をもたげた。