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「来たよ、ヒナタ」

 砂のような感覚が手から伝わる。柵を抜けられるような場所は無い筈なのに、安全柵の向こう側で、足を投げ出し座っていた。

 降る雪の粒は一つ一つが指先の大きさ程度にもなり、少しばかりの風で大きく揺らぐ。ミツキの頬や手に触れた時、雪は消え去り、ひとしずくの水に変わった。

「来てくれると思ってた。待ってたよ」

 恐ろしく単調な口調だった。雪に濡れ、湿った髪をそのままにして、ヒナタは暗闇へと視線を向け続けている。コートも上着も何も着ておらず、髪と同様に彼女の纏う衣服も酷く濡れていた。

「ミツキ。あの時の話覚えてる? 生き物が死ぬ理由について話していたの」

 ミツキは何も言わなかった。何も言えなかった。ヒナタが何を考えているのか分からなくて、最適解が思いつかなくて、開きかけた口をそのまま閉じる。すぐにでも引き戻さなければならないのに、柵がそれを阻み閉じ込めていた。

「私はね。思うんだよ。嫌なことがあった時、どうしても辛い事から逃げられない時、最後の逃げ道として死が必要だったんじゃないかって」

 縁の上に立つ。真っ白な手はより白く、色の記憶を無くしたかのように、雪と同じ色をしている。雪はヒナタの手を撫でて、水に代わるこのとなく、積もった雪へと紛れ込む。

「ミツキに理解できるかな。何もかもが嫌になる気持ち。世界の全てが敵に見えるこの感覚が」

「危ないから、こっちに来て」

 やっとの思いで言った言葉はわずか数語にしかなれなかった。それでも口は酷く乾燥し、心臓は激しく脈打っている。呼吸をするたび吐く息が、白い無定形の霧となり、暗闇の中に消えて行く。

「ミツキ。理解出来なくても別にいい。ただ、知っていてほしい。何もかもが嫌になった人間が行きつく先を。ミツキが私の最後の良心だから」

「聞いてた? 早く戻って」

 柵を思わず強く握る。金属同士が擦れ合い、嫌な音が辺りに木霊す。ヒナタはミツキに背を向けたまま、一人静かに呟く。

「もしミツキの人生狂わせられたなら、私が生きてきた意味があったのかな」

「ヒナタ、はやく戻りなさい!」

 縁に立つ少女が振り返る。目や鼻がほんのりと赤み帯びていながら、変わらぬ女神のような笑みを浮かべる。整えられた髪は雪に濡れ、黒い瞳に光は無く、黒く済んだ闇が湛えていた。

「先に行ってるね。地獄の門のひとつ手前で。ミツキが来るその日まで、待っているから」

 少女の身体が倒れてゆく。時間の流れが遅くなる。頬を伝う雫が宙に舞い、濡れた髪は徐々に広がり加速する。

 柵の隙間から精一杯に手を伸ばす。錆により、ミツキの服を、頬を、汚すのも気にせずに、手を伸ばし、さらに伸ばす。支離滅裂で無意味な言葉を、ミツキ自身も気づかぬうちに、喚き泣き叫び放っていた。

 縁の地平の向こう側へ、ヒナタの身体が沈んでいく。完全に消えてしまった時、ミツキはその場に座り込んだ。

 雪が彼女の髪を濡らし、赤錆と雫が混ざる。赤黒く染まる雫が伝い、純白の雪に滴り落ちた。雪は寄りあう翼のようにミツキを優しく包んでいた。

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