6 春野菜尽くし②
仕立屋を後にした私は、日傘を差して西日を避けつつ、ピリヨの横を歩く。いつもの全身ローブとビジネススーツは影にしまっており、見立てて貰ったワンピースを身につけていた。先程から、すれ違う街の人々の目線をちらちら感じる。服に頓着はない私ではあるが、こうも好奇の目線に晒されるとさすがに居心地は悪い。……見とれているだけならいいんだけど。いや、よくはないが。でも気持ちは分かるし。本当によくないのは、あいつ大して似合ってないのに自分のこと可愛いと思ってる勘違い野郎と思われることだ。過去のトラウマが刺激される……。一応、隣の男に聞いてみる。
「ねえピリヨ。この服、変じゃない?」
「いや……似合っている、と思うぞ」
彼は私を一瞥するとすぐに目線を前に戻して述べた。聞いておいてなんだが、一般的な翼人のファッションセンスってどんなもんなんだろうな。まあいいや。ピリヨのセンスを信じよう。
道中、私が露天の串焼き肉につられかけるハプニングがあったものの、あとは何事もなく進む。日傘で日光と視線ガードを兼ねつつ歩を進めているうちに、日が暮れてきた。魔力灯の薄ぼんやりした明かりが街に浮かび上がる。大通りから小さい路地へと進むと、道幅が狭くなり、魔力灯も少なくなってくる。私が三度目のお腹すいたを唱えたとき、ピリヨが立ち止まって言った。
「ここだ」
その店構えはなんというか、こじんまりした感じだった。平民の富裕層の住む地区にあって、一階建ての平屋というのは逆に目立つ。しかし、決して悪い感じはしない。店の看板なんかもなくて、出入り口の扉に掛けられた開店中の旨を示す札だけが、この建物が何かのお店である事をかろうじて示している。路地裏に立地していることもあって、隠れ家的な雰囲気を醸していた。なんというか、いいよな、こういう佇まい。俄然期待が高まる私を尻目にピリヨが木の扉を開けて、私も慌ててそれに続く。
魔力灯に照らされる店内は縦長で、気持ち天井が低い気がした。四人座れる丸テーブル席が二つに、カウンターが四席。規模からして個人経営だろう。私たちの他に客はいない。しげしげと店内を観察していると、白い髭を蓄えた翁がやってきて挨拶した。
「ようこそお越しくださいました、ボーロさま。お初にお目にかかります、お嬢様。当店オーナーのカルネイジと申します」
その佇まいは料理人というよりも、執事って感じだ。あと、ボーロってのはピリヨの偽名か? 隣の彼を見遣るが訂正する様子もないし。こいつそういうお仕事の人だし。合わせとこ。
「ああ、今日はよろしく頼む」
「ええと、カンロです。どうも……」
「どうぞよろしくお願いいたします。さあ、自由にお掛けになってください」
ピリヨがテーブル席に腰掛けたので、その対面に座る。程なくしてオーナーがグラスとピッチャーを持ってやってくる。その水が注がれているのは、硝子のグラスだった。すげー、硝子だ。懐かしい。こっちじゃ全然見ないんだよな、硝子。なんか草の蔓っぽい装飾が施してあって、魔力灯の光が水とグラスに乱反射して、目を楽しませた。ちょっとテンション上がってしまう私だが、微笑ましいものを見るピリヨの視線に平静を取り戻す。
「なんか慣れてそうだけど、ピリヨは何回来たことあるんだ」
「ん? まだ二回目さ。もっとも、俺はそんなはしゃいでいなかったが」
なんと。憮然とした表情で、私はグラスに手を伸ばす。口をつけると、僅かに柑橘系の香りが鼻に抜けた。果汁入り、いいじゃない。眉間の皺もあっさり解れる。ピリヨが得意げに、王宮の湖の湧き水から直接汲んでるから澄んだ味わいがするとか解説していたが、あまり耳に入らなかった。嫌が応にも次に運ばれてくる食べ物のことで頭がいっぱいなのだ、私は。ご託を聞きに来たわけじゃない。……さあやってきたぞ。店主が小さめの皿を持ってきて卓に並べる。これは……なんか、茶碗蒸しみたいだ。
「お待たせいたしました。春の野草のフランでございます」
茶碗蒸しでなくフランだった。フランが何かよく分からんが、まあいいだろう。手のひらサイズの円柱状の皿は、白く光沢を見せている。陶器だ。これもまたお高い食器。その内におわしますのは、薄黄色い凝固した卵液の色と、その黄色から僅かに顔を出す緑色。卵の中に野草が包んであるのだろう。対面に座るピリヨの動きを真似をしつつ、早速頂くとする。
銀の匙で掬うと、ぷるんとした感触とともに、さっそく緑が露わになる。タランボだ。現代日本風に言うとタラの芽。一口で頂く。卵のつるりとした舌触りとともに、そこに混ぜ込められた味がじわりと広がる。これは、だし汁のうま味だ。懐かしいこの味は、たぶん、コンソメだ。ブイヨンって言うのかな。……美味しい。そして懐かしい。何せ手間暇がとってもかかるので、中々口に出来ないお味だ。懐かしくて涙が出そう。そしてタラの芽。ほのかな苦みと格調高い香りは、卵の中でも主張を損なわない。しかし癖があるわけでもなく、卵と調和しているっていうのかな。とにかくまあ、美味いよな。贅沢な楽しみ方だと思う。もう一匙掬えば、ごく幼いタケノコや、ワラビコゴミが顔を見せる。春って言葉には甘さのイメージがあるけど、苦いのを楽しむのもいいものだ。
匙を口に運びつつピリヨを見ると、ゆっくり味わうようにして食べている。嘴と、猛禽の脚のような手は、下世話ながらも、不器用そうに映ってしまうけど、その動きに淀みは見られない。手慣れているんだなあ。よく見ると目尻が下がっているようにも思える。じろじろ見つつ匙を動かしていると、かちんと匙と皿が音を立てる。もうなくなってしまった。まあ、皿が小さかったし、しょうがない。もっと食べたかったけれど。次に期待だ。
ピリヨが食べ終わる頃に再び店主がやってきて、「失礼」と短く一声かけ、丸い木籠を卓の中央に置いていった。籠の中にはパンが盛られている。白パンだ。言わずもがな、高級品だ。黒パンと違って柔らかく、酸味も薄い。次いで、何も乗っていない皿が二枚。ここに籠から取り分けたパンを置くのだろう。そして間を置かずして、陶器の深皿に盛られてやってきたのは、シチューだ。
「テンマメとサンゴジュナスのシチューです」
赤い色はサンゴジュナスの色だろう。真っ赤でどろっとしたスープには、テンマメや切り崩されたアーリーグローブ、マレイショ、そしてウインナーがごろごろと転がっている。立ち上る湯気とともに鼻腔をくすぐるのは、食欲をそそるスパイスの匂い。よさげ。見た目はぶっちゃけトマトシチューです。
ピリヨと同時に食べ始める。ひとまずシチューから。まずは香りを楽しもう。フランで幾分か空腹が癒やされていた私は、彼に倣って優雅な食事を楽しもうとした。しかし、いざ銀の匙を鼻に寄せてみたら、眼鏡が曇った。んん。優雅でない。慣れないことはしなくていいな。そのままぱくりと含む。温かさが身に染み入る。どろっとしたスープは、じっくり加熱された具材がとろけたものだ。いい意味で、殊の外重たい。嚥下してなお胃に存在感を感じられる。うん、このシチューはおかずだ。汁物じゃなくおかず。白パンを一つ取って手で千切り口に運ぶ。雑味の少ない麦の味。柔らかい。これ単品でも中々のものだが、シチューと一緒だとより美味しい。ベストマッチ。
がっつかない程度にぱくぱく食べ進めていると、ピリヨが尋ねてきた。
「……眼鏡取らねえの?」
口の中が忙しないので、私は首を横に振って答える。魔術具だからね。取りたくてもそうそう取れない。頬張っていたシチューを飲み下してからそう言うと、一応は納得して貰ったようだ。時折ナプキンで眼鏡の曇りを拭いつつ、食べ進めていく。ピリヨが何か料理の解説をしていたが、あまり聞こえていなかった。
テンマメは豆、マレイショは芋。噛み締めるほっこりした食感とうま味が、口の中でスープに絡んでとろけて、喉をするりと下る。食べやすいけど満足感がしっかりと感じられる。ウインナーは大きめに切られていて、煮込まれた脂がシチューに溶け込んでいる。かといってくたくたになっているわけでもなく、囓ればぱりっとした食感が弾ける。とろとろのシチューの中で、清涼感のある歯ごたえだ。口内で弾けた脂があつい。香辛料も効かせてあるためか、少し汗ばんできた。でも手は止めない。
さて……対面のピリヨの手の動きを窺うが。その予兆はない。テーブルマナーはよく分からないが、アレって駄目なのかな。その……有り体に言えば、パンをシチューに浸けて食べるやつ。だめかな、だめだろうなあ。しかし……ええい、聞いちまえ。
「ねえ。パンってこう、浸けて食べていいの?」
「ん……まあ、やらねえ方が無難だな。そもそも、こういうコース料理のパンは料理の合間に食うもんだ。前の料理の味を消すために」
へええ。ガリと一緒かよ。ていうか、さっきからパンとシチューを交互に食べてたけど、それも駄目なやつだったのか。口内調理はさすがに避けたけど、注意不足だった……。少しへこんでいると、話を聞いていたらしい店主の声がカウンターの奥からかかる。
「ははは……お好きに食べて頂いていいんですよ。ここはしがない小料理屋なのですから」
「だってさ」
白パンをちょんちょんとつけて、口に運ぶ。うん……やっぱりこうだよ、こうでなきゃ。パンとシチューっつったらさあ。ピリヨは何か言いたそうにしていたが、結局黙って食べていた。知識階級ぶってはいるが、ピリヨだって、この前下町の飯屋に行ったときはがっついていたじゃないか。ありゃ素じゃなくてTPOってやつだったのか? 徹底しているなあ。
「何気にピ……ボーロも謎だよね。生まれも育ちも」
「んぐ……急になんだ。そりゃこっちの台詞だ」
「そうだね」
お互いのことは、あまり詮索しない。そう取り決めたわけではないが、何となくそういうふうになっている。私としても、今の間柄が心地いいので、これでいいと思う。
互いにシチューを平らげ、口の中をパンでリセットしていると次の一品が運ばれてきた。
「春野菜のサラダです」
浅めの陶器の皿に、色取り取りの野菜が、おしゃれーな感じで盛り付けてある。一番目立つのはニシツヅミグサのぎざぎざな葉で、これは日本で言う蒲公英みたいな春の野草だ。そのほか、千切りにされたアーリーグローブやカットされた茹で卵、そのほか名も知らぬ野菜が和えられている。そしてサラダの上から、曲線を描くように真っ赤な木苺のソースが引かれている。この、たとえばフランス料理で見かけるような、食材でなくお皿に直接ソースを引くのって、なんか意味があるのかね。可食部位にかけないと無駄じゃん? と思ってしまう私は、食道楽にはなれても美食家にはなれないのだろう。
サラダを銀のフォークで一掻きする。ソースは結構さらっとしていて、サラダによく絡む。フォークからこぼれない程度に掬って口へ運ぶと、木苺のソースがまず主張する。甘さは思ったほどでなく、むしろ酸っぱい。酢と塩も混ざってるかな。ドレッシングっぽいな。そしてツヅミグサを噛めば、若干の苦みと青臭さが広がる。いい。いかにも草を食っているって感じがいいのだ。その青臭さを、濃い味のソースを絡めて攻略していくのが嬉しい。アーリーグローブはさわやかな辛みがアクセントになっていて、卵のまったりした味が時折口の中を落ち着けてくれる。このように美味いサラダってのは、実は中々食べられない。高級品だからだ。冷蔵庫なんて便利な物はないため、葉野菜の類いは傷みやすいのである。新鮮なサラダを王都で提供するためには、想像以上に労力がかかっているはず。その贅沢な味をしっかり楽しんでおこう。
ふと気付くと、対面に置いてある皿が空になっていた。男であるピリヨの胃には些か少なかったのか、それとも好みに合ったのか。たぶん、私のお腹がいっぱいになってきたのもあると思う。でも、まだまだ入らないわけじゃない。多少無理してでも食べる価値は充分にある。
「デザートの、木苺のゼリーです」
さて、いよいよ最後だ。背の低く底の浅いグラスに乗ってやってくる。ゼリーがやってくる。摘んだままの姿の木苺と、飾り付けのちっちゃい何かのハーブが上に佇んでいて。それらが乗っているステージが、半透明の赤で染まった甘いゼリー。デザート。なかなかいい言葉だと思う。人間には、食事が必要だ。でもデザートは必ずしもそうではない。嗜好品の色が強いから。なかなか食べられないよ。
小さい銀のスプーンで、ゼラチンの感触を楽しみつつも、すっと突き入れる。割と固めの感触だ。冷蔵技術が発達していないため、ゼラチンが薄いと溶けちゃうらしい。固いも柔いも気にせず行こう。口にゆっくり含むと、甘みがぶわっとやってくる。あ。多分砂糖だ。結構な量の砂糖が入ってる。こう、脳髄に直接語りかけてくるよね、砂糖って。私のような庶民にとって甘味と言えば蜂蜜や果物が関の山だ。数瞬の間、恍惚とした表情を晒した私を誰が責められようか。はたと意識が戻り、ばっとピリヨに顔を向ける。私の方を見てニヤニヤしていた。見られた。不覚……と思ったけど、お前のそのニヨニヨも砂糖によるものなんじゃないか。目尻が垂れてだらしがないぞ……。
デザートがなくなってしまうのを惜しむように、食事が終わることを惜しむように、ゆっくりと匙を振るう。ピリヨも心持ちはどうかは知らないが、ペースはゆっくりだ。どことなく弛緩した空気が漂う。脳髄がもっと糖分が欲しいとねだり、どうにも口寂しくなって、代わりに言葉を紡ぐ。
「今日はありがとうね。楽しかった」
「いや……俺も来たかったしな」
「そっか。じゃあ、また来る? 来週くらい?」
「早えだろ……もちっと空けようぜ……」
ピリヨが後ろ手に店の扉を閉める。お会計はまたしてもピリヨが払ってしまった。支払いの際、硬貨の中に大銀貨が混じっているのが見えたので、十万エン以上は堅いと思う。見栄を張るにも限度があるんじゃないかなあ、と心配になる。さて、夜の帳は完全に下りていて、ここのような小さい路地には置いてある魔力灯も少ないので、ほとんど真っ暗だ。私は吸血鬼だから見えるけど。
「ピリヨ、この後どうする?」
「どうって……帰るんじゃないのか?」
「ん、帰ろっか。あ、宿までの道わからんな」
普段来ないエリアなので、この辺りの地理はよく分からない。まあ最悪飛べばいいか。憲兵に見つからないようにしないといけないけど。
「送っていくか?」
「いや、いいよ。なんとかなるし」
私の言葉が嘘ではないと知っているのだろう、彼も特に何も言わなかった。それから、とりあえず途中までは一緒に行こうと言う話になり、歩き出そうと言うとき。奇妙な呻き声が闇夜に届く。真っ暗闇の中、人気のない静かな道に、建物に反響して響くその声は、さながら亡者の慟哭。アンデッドかなと勘違いしそうになったが、夜目が利く私には、建物の壁に手をついて呻いている酔っ払いの男がはっきり見えた。びっくりさせやがる。この辺りの家の人かな。それとも前後不覚になって迷い込んできたのか。遠目に観察していると、目が合った。男が目をこすり、呟く。
「ああん? こんな所に娼館なんざあったかな……」
しょうかん? ああ、娼館。客引きだと思われてるのかな。ハハッ、こんなちんちくりんを捕まえて、飲み過ぎじゃないの。暗いからよく見えてないのかね。
「ねーちゃん、別嬪さんだねぇ」
千鳥足で寄ってくる男。ピリヨが前に出て私の身体を隠そうとするが、私はそれを制した。紹介制のお店の店先で騒ぎなんか起こしたくない。ピリヨが憮然とした表情を向けてくるので、声を潜めて説明する。
「さっき、眼鏡のこと気にしてたでしょ。ちょっと見せたげる」
私が手招きすると、酔っ払いがふらふらとやってくる。そんなざまでは、ここがスラム街だったら命も危ないぞと、他人事ながらちょっと心配になる。泥酔して猫背気味の男の顔は、私が両手を伸ばすと呆気なく捕まった。目の前に引き寄せ、片手で固定しつつ、もう片方の手で眼鏡を額にあげる。目を合わせて囁く。
『もうお家に帰っておやすみ』
手を離すと、男はぼんやりとした目のまま、踵を返して薄暗い路地を出て行った。かくして魅了の魔眼は発動し、彼は寄り道なく帰路につくことだろう。眼鏡の位置を整え、前髪を手櫛で直す。酔っ払いの背中を見ていたピリヨが尋ねてくる。その表情は、あまり見たことのない表情だ。少なくとも、愉快ではなさそう。
「今の、魔眼か?」
「うん。普段は使わないんだけどね。眼鏡は不用意に発動しないためのものだよ」
眉を寄せたまま黙りこくってしまうピリヨ。ううん、ちょっと不味かったかな。今日のお礼として、知識欲旺盛な彼が気になっていたことを教えてあげようと、軽い気持ちだったのだけど。まあ、人の行動を操るなんてよく考えないでも愉快な気持ちにはならんよね。アホか私は。
「それを見せたのは、俺の仕事に役立つと思ったからか」
えっと……何を言っているのかちょっと分からなかったが、私は深く考えず正直に言葉を返す。
「違う違う。なんか知りたそうにしてたから、知って欲しかっただけ」
軽い調子で言うと、彼の緊張した雰囲気がゆっくりと霧散していく。ほっとする。浅慮だったなあ。ちょっとばかり自己嫌悪。表情を和らげ、少しだけ笑顔を浮かべて、彼は短く呟いた。
「……そうか」
「なんかごめんよ。さっ、帰ろ帰ろ」
努めて明るく言う。ここで気まずいままだったら、次回来るとき尾を引いてしまう。彼の方もそう思ってくれていたのか、帰り道はいつもより話が弾んだふうに思う。また来よう。財布が軽くなりすぎない程度に。