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5 春野菜尽くし①

 かつて住んでいたかの地では、ある程度のお金さえあれば、一定以上の味が保証された出来合いの料理が簡単に手に入った。サラリーマンであった私は仕事帰りなどに、それらの中から時々の気分に合うものをお好みで選んで食べていた。しかし、残念ながらこちらではそうはいかない場合も多い。とても多い。

 だから、食べたいものがあったら自分で作れ、というのは至極真っ当な意見なのだけれども。私はあまり料理をしない。簡単なメニューなら出来ないこともないが、その昔学校の家庭科で習った程度の腕前、取り立てて言うほどのものではない。自分で作った飯は、あまり好きではない。ああすればもっと美味しく出来たとか、あれを使った方がよりよい味になったとか、ごちゃごちゃ考えながら食べるのがどうにも、性に合わないというか。人の作ってくれた飯の方が、頭空っぽにして楽しめる気がする。

 そう、私にとっての料理とは食べるものであって作るものではないのだ。


「知らねえよ貴族かよお前……」


 私の語りを聞いていたピリヨがうんざりした表情を浮かべた。ここはピリヨの自宅。いや、本当に自宅なのかは定かではないが。こいつの稼ぎなら、一等地に家をもう一件持っていてもおかしくはあるまい。私はいつもの全身ローブを脱いでスーツ姿で、彼は上下とも麻で編んだ粗い服を身につけていた。


「そういうわけだから、春っぽい野菜が食べられるお店知らない?」

「情報屋の領分じゃないと思うんだが」


 この世界に於ける食事とは、腹を満たすためのもの。傷んでいなくて量があればそれでいいという価値観が根強い。味は二の次、栄養学は何それといった具合。一般市民には清貧を尊ぶ風潮が強く、美味い飯を食えているのは概ね貴族や王族に限る。偉い人は大抵料理人を抱え込んでいるが、地位や権力のない私のような根無し草では、美食に与ることは困難極まりない。飽食や情報化された社会の恩恵を享受していた身としては困ったことに、それらに辿り着くのは困難だ。インターネットのイの字もない世の中で、彼は一番頼りになる情報源といえる。


「まあ、思い当たるところがないこともないが……」


おお、さすが。私が目を輝かすと、彼は鬱陶しそうな表情を隠そうともせず続けた。ため息交じりに話す彼の言葉によれば、息子に後進を譲った貴族お抱えの料理人が暇を貰い、今は下町で小料理屋を営んでいるという。お値段は張るそうだが、普通の食事に飽いた大商人や、貴族の料理を食べたというステータスが欲しい一部の人に人気らしい。


「ただまあ、あそこ、紹介制なんだよな」

「えー」


落胆したような声が口から漏れる。が、しかしながら実際これは相槌みたいなものだ。ピリヨは無駄な情報をひけらかすだけの男ではないのである。


「そういうわけだから、俺も行く。俺はすでに行ったことあるしな」

「えっ。いいの?」

「当然だが、滅多なことはするなよ」


ウンウンと頷く。紹介制なら、私が何か問題を起こせば彼に迷惑がかかるというわけだ。私としても贔屓にしたいお店なので是非もない。

懐の影から銀貨を取り出し、情報量を支払う。仲介料込みだったが結構お安かったので不思議に思っていると、ピリヨが口を開いた。


「お前がワイバーンの肉たくさん置いてったからな。その分の金は勘案してある。それから、それしか食ってねーんだよここんとこ。たまには別のもんが食いたい」

「ありがとピリヨ。……あと、ごめん? でも美味いじゃん?」

「限度はあるだろ……」


 部屋を見渡しながらピリヨは言った。私たちが座って話をしているその頭上には、肉がたくさん浮いていた。部屋の壁に釘で留められた糸が縦横に巡らされ、その上にワイバーンの干し肉があちこちに引っかけられているのである。前日に狩った雌ワイバーンの肉を私では消費し切れなかったので、お裾分けしたのだが……。スラム街にあってなお清潔にしているピリヨ宅だが、さすがに匂いが籠もっていた。ごめんよ。






 王都テーブルウェアは千年都市とか言われているが、真偽のほどは怪しいと私は勝手に思っている。大きいのは間違いないが。王都の地理は単純だ。中心部に据わるのが湖に浮かぶ王宮、その周りを囲むのが貴族街、その更に外に平民街と、おおよそ同心円状に広がっている。ちなみにスラム街は平民街の一部で、勿論外側の方。今回私たちが向かうのは、貴族街にほど近い平民街の辺り。平民街は面積としては一番広いので、今いるスラムから貴族街の辺りまで足を運ぶとなると、結構な距離だ。


 目的地に近づくにつれて、周囲に並ぶ石造りの建物の背が高くなっていく。二階建て、三階建てと立派になっていく。見上げれば、本日は曇り空だ。時刻は昼下がりだが、太陽は雲隠れしている。春の陽気は幾分か和らぎ、吸血鬼的には過ごしやすい。目的の小料理屋では夕餉を取るつもりだが、陽が高いうちに外出しているのは、ちょっとした野暮用のためだった。


「おい、着いたぞ」

「おーぅ……」


 目線の先には、店先に垂れた吊り看板。それの示すところは、仕立屋だ。私たちは服を買おうというのである。それなりの場所へ赴くにはそれなりの格好をしていかなければ、とはピリヨの弁だ。ちなみに、ピリヨはすでに彼自身が所有する礼服に着替えている。白い長袖シャツの上にウエストコートを羽織り、下はスラックス。貴族の身に纏うようなやたら布地の多い服でなく、シンプルな仕立てだ。そんなん持ってたのね。

 ピリヨが扉を開け、しぶしぶ私も後に続く。正直、いい服なんて持ってても着る機会なんかそうそうないし、気乗りしないのは仕方がない。それに、今ローブの下に着ているスーツだって、所変わればきちんとした紳士服なんだぞ。男女平等が叫ばれて久しい昨今、女性が着ていても不思議じゃなかったんだぞ。ここまで来たらもういいけどさ。

 さて、店の内装は……色とりどりの生地や糸が多く陳列してある。すわ今から作るのと疑問符が浮いたが、よく見ると古着も扱っているようだ。扉を開けた私たちに気付いた店の人が近寄ってくる。若い女の店員さんだ。楚々とした笑みを浮かべていて、その丁寧な動作に目を瞠る。身なりも綺麗だし。ここ、結構お高い店なんじゃないの?


「ええと……古着を見たいんですけど」

「かしこまりました。どのようなものをお探しでしょうか」


問われて、言葉が詰まってしまう。んん。正直、服のことなんてまるで分からん。お高いものであれば尚更だ。私は既製品が溢れかえっていた世界でさえ外出着を三着しか持っていなかったようなやつだ。とはいえ黙っているわけにもいくまい。まあ、どんな服が必要かだけ伝えればなんとかしてくれるだろう、おそらく……。そうだ、隣にちょうどいい指標も立っていることだし、それで行こう。


「そうですね……じゃあ、この人の隣に立ってても恥ずかしくない感じ? でお願いします」

「まあ! かしこまりました。いくつかお持ちしますね」


伝えると、店員さんは楚々とした笑みを崩して、なんというか年頃の少女っぽい笑顔を覗かせた。こっちが素なのかな。目端でピリヨの身体が揺れたような気がした。不思議に思ったが、店員さんが早速いくつか衣服を持ってきたので、その疑問も頭から抜け落ちてしまった。


 実際の所、服選びにはさして時間もかからなかった。私の服の選び方は消去法だ。私のような矮躯でも着られるか、肌の露出は少ないか、私の価値観から見て奇抜が過ぎないか……などといった基準があって、正直見目の良さとかはあまり頓着していない。我ながら残念な女だな。そうして候補を挙げつつ、店員さんやピリヨにダメ出しされつつを経て生き残ったのが、一着のワンピース。丈は長くて、ロングブーツと合わせれば足元の露出は消える。胸元と腕が日に晒されるが、腕の方はドレスグローブを着けてなんとかする。胸元は日傘でガードしよう。常に影の中に持ってるし。装飾も腹に巻いてあるリボン(ウエストリボンって言うんだっけ?)くらいで、そこまでヒラヒラゴテゴテしていないのもよし。


「お客様、とてもお似合いです……! ああ、飾ってしまいたいくらいですね」

「ありがとうございます。これにします」


ファッションはわからないが、可愛い子に褒められて悪い気はしない。セールストークちょっと大げさすぎるけど。この店唯一の大きな姿見の前に連れられ立ってみると、なるほどなかなか。馬子にも衣装だな。ただ、胸元が開いているので乳の薄さが隠せない。あと眼鏡が野暮ったい。乳があって眼鏡がなきゃ、迷わず美少女認定していただろう。まじまじと見ていたが、視界の端にピリヨが財布を出して支払いを済ませようとしているのを捉える。慌てて声をかけた。


「ちょ、ちょっと」

「こういうところは男に払わせておけばいいんだ」


駆け寄るが、取り合う気もないようで、軽くあしらわれる。んん。まあ、女の子の前で見栄張りたい気持ちは分からんでもないよ。でもそれ元は私の金じゃないの、なんてことも言わないよ。私は男心の分かるやつなのだ。


「ごめんね。ありがと」


こういう時は微笑んで受けてやるのがいいんだ。たぶん。後で何かしらお返ししよう。

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