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4 ワイバーン肉の串焼き②

 その後。森に広がる炎は、騒ぎを聞きつけた騎士団と冒険者の手によって食い止められた。水の魔術を使える者を筆頭に消火を行い、使えない者は使えないなりに、延焼を防ぐために木を切ったり運んだり、魔術を行使する人に魔力薬を配ったりしていた。騎士団も冒険者も卓抜したもので、火事の被害が最小限に抑えられたのは彼らのおかげだ。一回目の咆哮を聞きつけた時点で駆けつけていたというのだから、初動も早かった。

 ワイバーンの死骸は、燃え盛る森の中にあってよく焼けていた。炎にある程度耐性を持つワイバーンだが、死んで魔力が霧散してしまえばいくらかそれも落ちる。素材として使える部分は少ないだろう。価値が落ちていないのは、口から吐く炎のブレスにも耐えうる牙くらいだそうだ。内蔵系はほぼ全滅らしい、と目を赤くしたタットゥが嘆いていた。ツァラハトも牙はいらないと辞退したので、私もそれに倣った。元々私の招いた事態だし、罪悪感を少しでも軽減したい……夜通し働かせてごめんよ、みんな。知らぬが仏、討伐隊の面々は使用に耐えうる数少ない素材を分け合ってわいわいやっていた。


 山の向こうの空が白んでいた。業火が去って取り戻された暗闇は、再びほの明るくなりつつある。私の普段着であるビジネススーツは、私の体と同様に魔力で回復する特別製だが、全身を覆うローブはそうではない。ワイバーンに引き裂かれてしまったので、今はツァラハトの持っていた外套を借りている。全身を覆うタイプではないが、ツァラハトに合わせたサイズのため、私の身体を覆うには足りる。日光に当たってもすぐに死にはしないが、当たっていると火傷してしまうのだ。消火作業のごたごたの最中、いつの間にか姿を消していたツァラハトがやってきた。タットゥが尋ねる。


「あれ、ツァラハト。どこいってたの?」

「いやなに。飲み水を汲んでいた」


そう言って、大きな皮の水筒を持ち上げてみせる。気付くと、喉が渇いていた。ありがたい。喉を潤す。自覚してしまうと不思議なもので、どんどん症状が強くなる。非日常から日常へ戻っていく。気が抜けた途端にやってくるあいつの名は、空腹。くぅ、と腹が鳴った。私から受け取った水筒をくぴくぴ飲んでいたタットゥ、耳聡いツァラハトが私を見る。思わず目を逸らす。すると、そこには肉の山があった。すなわち、ワイバーンのお肉。


 私が歩を進めると、ツァラハトは乗り気で、タットゥは嫌々ながらもついてくる。解体のためにワイバーンの周囲に集まっている男の一人に声をかける。用件を伝えると不思議そうな顔をしたが、快く切り取ってくれた。ツァラハトが、比較的綺麗な、焼け残った木の枝を三本拾い、軽く拭ってからこちらへ渡してくれる。まだ熱さの残る、ワイバーンの尻尾の輪切り肉。鱗のついた外皮の部分は既に切り取ってある。それでもフライパンには収まりそうもない直径だが、火はしっかり入っているようで、血の滴りもない。かわりに脂がてらりと肉の表面を垂れている。円状の肉の中心部分に枝を突き刺すと、野趣溢れる見た目の串焼き肉の様相を呈した。ふつうに美味しそうなんだけど。ごくり、と喉を鳴らしたのは私か、それともツァラハトか、もしかしたらタットゥだったかもしれない。


 がぶり、と大口を開けて噛み付く。未知なる食材の味を確かめようという気持ちはなかった。ただ、腹を満たしたいという欲求、それだけ。なにせ、空腹に空腹を重ねたところに、焼かれた肉を差し出されたのだ。この誘惑は暴力的ですらある。ああ、肉。やっぱり肉は王様だよ。尻尾は筋肉の塊だ。ワイバーンの肉体強度に比して、この肉は軟らかい。脂肪の柔らかさではない、筋肉の柔らかさだ。やっぱり、鶏肉に近いな。歯で容易く裂くことが出来るが、心地いい反発も持っている。淡泊な味で、獣臭さはない。確かな脂のうま味をもっていて、それがしつこくない。美味い。これは、口に運ぶのが楽しい。

 気付けば、三人とも黙々と食べていた。タットゥの、私たち二人と比べると弱い顎の力でも問題なく食べ進めているようだ。その目は真剣味があって、私はタットゥの食わず嫌いが敗北したことを悟る。ツァラハトは豪快に口を開き、二口三口くらいであっという間に串を一本平らげてしまった。……いや、まだ咀嚼している。口いっぱいに頬張って咀嚼するのって幸せだよな。わかる。私も、目で二人を窺いながらも、口は止めていない。三人とも黙って忙しなく口に運ぶさまは、傍から見れば大食いか早食いで競っている風にも見えるのかもしれない。最後の肉を飲み下すと、タイミング良くツァラハトが水筒を差し出してくれる。ああ、なんて気配りが出来る人だ。イケメンだ。見遣れば、タットゥも食べ終わっているようだ。私はごっくごっくと水を胃に送る。息をほう、と吐く。


「いい……」

「いけるな」

「……悔しいけど」


 私たちは誰ともなく頷き合い、さっきと同じ男に声をかけた。もう一本だ。冒険者とは得てして健啖家であるが、ツァラハトはともかくタットゥまでおかわりとは恐れ入る。昔食ったワンポンドステーキくらいあったと思うけど。男は、先程と違いどうも目つきが怪しかった。まあ、目の前でワイバーン肉を貪られたら引くということもあるかもしれない。別の箇所の肉も試したかったが、内臓が抜かれずに焼けてしまったので、胴近辺の肉はやめておくほうが無難か。試すなら、影の中にある雌の肉で試そう。尻尾肉でいい。尻尾肉が良い。


「あんたら……大丈夫なのかい?」

「あら。さる美食家の貴族の手記にも、ワイバーンの肉を食べて身体を壊したなんて事は書いてないんですよ」


尻尾肉を切り分けながら男が私たちに聞くと、タットゥがやや早口で口上を述べた。それ私が野営中に話したやつじゃん……。タットゥの様子に、ツァラハトの口の端がちょっと歪んでいた。程なくして二本目の串が三人の手に行き渡るが、食べる前に懐、というか影の中に手を突っ込む。取り出したるは、岩塩が入った小瓶だ。さっきは夢中でそのまま食べたけど、塩を振ったらなおのこと美味い。絶対に美味い。だって肉と塩だぞ。決まってる。今日も汗をかいたので、気持ち多めにぱらぱらと振りかける。二人にも瓶を渡して、お好みの分量を。

 さっきと同じように、かぶりつく。お上品な食べ方ではないが、貴族の食卓にテーブルマナーがあるように、野外での串焼き肉にもそれ相応の食べ方ってもんがあると私は思う。耳障りの良いことを言って、自分が気持ちのいい食べ方をしたいだけかもしれない。んっ。塩が沁みる。身体に沁みる。心に沁みる。肉と塩分を食っていると、生きているって感じが強くする。ああ、ああ、美味い。それにしても、やっぱり歯ごたえがいい。これ好きだ、ざくっざくって、歯が肉を囓っている実感がある。私は食の評論家ではないので大した語彙は持ち合わせていないが、うまいよこれ。円状の肉の外側からじわじわ攻めつつ、最後に残った一口を噛み付き、串を横に引っ張って引っこ抜く。そうして裸になった串を見ると、達成感とともに幸福な気分になれる。私たちは程なくして、二本目の串焼きも平らげた。


「ふう……」

「はあ……」

「うむ」


 二人も食の評論家ではなかったようだ。余計な言葉はいらなくて、その満足げな表情だけで充分だった。






 私たちはワイバーンから多少離れて、切り倒された木を椅子にして一列に座っていた。私を挟む形で二人が腰をかけている。いくらか大きくなった気がするお腹に手をやり、一息つく。さすがにもう食べれない。私は食べるのが好きだけど、たくさん食べられるわけではないのだ。いや、十二分に食べた気もするけど、でもそれは特別空腹だったせいもあるし。

 なんとはなしに仰ぎ見ると、山の向こう側にあったはずの太陽がもう姿を見せていた。いかんいかん、日焼けしちゃう。今ここには、食後の休憩と言わんばかりの弛緩した空気が流れていた。考えてみれば、雄ワイバーンの襲撃から一夜の山火事、ついでに肉の実食と修羅場続きだったから、今になって身体に重みを感じる。


「美味しかったね、カンロちゃん」

「ああ。美味かったな、カンロ」


うん。私は頷く。それから、お礼を述べる。


「二人とも、一週間ありがとうね。ワイバーン食べさせてくれて」

「どういたしまして」

「気にするな。こちらこそ色々と助かった」


二人は優しく微笑んで言葉を返してくれる。その笑みがどうにも綺麗なので、それを崩したくなくて一瞬思いが鈍ったが、それでもこれは言っておかねばならない。


「それと、ごめん。たぶん、私が雌のワイバーン丸ごと持ってきたから、雌を探してあいつが着いてきたんだと思う。私のせいで」

「そうなの? ……でもカンロちゃんは私のこと守ってくれたよね。今は皆も無事だから……だから気にしないで」

「あのときは肝が冷えたが……本当に身体は大丈夫なんだろうな」

「大丈夫だよ」


私の告解をあっさり受け止め流してくれる二人は聖人君子か何かかと思う。


「それと、怖がらないで接してくれてありがとうね。一人で食べてたら、お肉もきっとあそこまで美味しくはなかったかなって。いい思い出になったよ」


そう言うと、タットゥが不意に身体を寄せてくる。そのまま肩を抱かれる。近い、近いって。面食らっていると、今度は反対側から頭に手を乗せられる。ぽんぽんと優しく叩くのはツァラハト。……けっこう気持ちがいい。肉球かな?


「ちょ、どうしたの、二人とも」

「いや、だって。カンロちゃんがお別れみたいなこと言うから、つい……」

「遠征は帰るまでが遠征だ。食べたからってお終いじゃないぞ。別れはもうちょっと先だな」


ああ、それはそうだ。なんとなく終わった気でいたが。彼女たちにとってみれば報酬が貰えるのは王都に戻ってからなのだ。


「……そのね。カンロちゃんがよければ、なんだけど」


タットゥが身体を離し、私の目を見て切り出した。思わず姿勢を正す。


「よかったら、私たちと組まないかな? 冒険者として」

「歓迎するぞ。もちろん、カンロさえよければだが」

「えっ、と」


ううん、凄く魅力的な提案ではあるのだが……。私の表情を見てどう思ったのか、彼女は畳みかける。


「カンロちゃんの魔術が魅力的なのは勿論あるけど、それとは別に一緒に旅を出来たらなっていう思いがあるの」

「これまで、私はタットゥを守りながら動かないといけなかったが、カンロの堅牢な影があれば、私は自由に動けるようになる。そして、その人となりも、上手くやっていけるものと私は思っている」


あ、嬉しい。求めてくれるのは嬉しいが……でも、ごめん。言葉に出すのは心苦しい。


「気持ちは嬉しいけど……私は冒険者にはなれないよ。種族が種族だし、あまり荒事に関わると、露見する可能性も増えちゃうし。今回みたいに」

「……そっか。ごめんね、無理言って」

「残念だな」


タットゥの表情が陰る。ツァラハトの声色も幾分か落ち込んでいる気がした。


「だから、だからさ。今回みたいな大所帯じゃなくて、それこそ三人での仕事とかだったら、お手伝い出来ると思う。冒険者じゃなくても、今回みたいな協力者として」

「本当?」

「こんな場面で嘘はつかないよ。どうせなら美味しい仕事だったらいいなあ」

「ふふ。それはどっちの意味だ?」

「勿論ご飯の方」


ちょっぴりしんみりした空気は霧散し、私たちの表情に笑みが戻る。気が抜けて、ふと欠伸が漏れた。真面目な話は疲れてしまうのだ。私は適当な人間であるからして。あ、人間じゃなかった。


 遠目には、ワイバーンに群がる冒険者たち。その手には、牙や爪といった素材ではなく、切り分けられた肉が握られていた。さっき私たちに肉を切り分けていた男が、今は肉に齧り付いている。自分で言うのも何だけど、結構チャレンジャーだよな、みんな。治癒魔術があるからだとは思うけど。竜騎兵の存在が近しいからだろうか、騎士隊の面々はあまり参加していないようだが。それでも場の空気に流されたのか食欲に負けたのか、騎士の姿もちらほら見える。みな、一様に笑顔だ。徹夜明けだもんな、その気持ちちょっとわかるよ。朝日と、笑顔が眩しかった。

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