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 はじめにその女の子と引き合わされたとき、タットゥは彼女のことを快く思っていなかった。


 背丈は小柄なタットゥと比べてもいくらか低く、頭から足の先までを黒いローブに包んでいる。彼女の身体で唯一目に見えるのはその顔だけだが、なるほど愛らしい。銀に輝く髪と赤い光彩の瞳は目を奪われそうになるし、その整った顔に無骨で大きな縁の眼鏡をかけているのもアンバランスさを感じさせて、なんというか目を引く。雰囲気は柔らかくてのほほんとしていて、どこか隙がある。たぶん、こういう子は男受けするのだろうな、と思う。魔術師然としている装いなので、おそらくそうなのだろうと当たりはつけているが、それにしたって遠征の仲間としては頼りなかった。綺麗なドレスでも着て舞踏会でダンスをしている方がお似合いだろう。

 そして、思い出す。情報屋の使い魔である烏からの言葉を。訳ありな娘を送るので、その子をワイバーン討伐の遠征に同行させて欲しいと。ああ、この子はどこかの貴族のお忍びで、王都でも誉れ高い竜騎兵たちの騎乗するワイバーンを見てみたくて、そして私たちはその物見遊山のお守りをするのだろうな。そうタットゥの頭の中で絵図が広がった。結果としては彼女、カンロの「ワイバーンのお肉を食べてみたい」という言葉に否定されるのだが。






 カンロは、タットゥが予想したとおり魔術師であったが、想定外だったのは彼女の技量だった。四大魔術に当てはまらない魔術を彼女は修めていた。古代魔術の類いかと思うが、残念ながらタットゥでは分からない。異空間に物をしまったり取り出したりする魔術は垂涎物だったが、彼女曰く、入る容積は決まっているらしく、あんまり大きい物は無理だし、重たい物も持てないらしい。手が空くだけで十分だとは思うのだが、しかし貴族であれば召使いだっているだろうから必要ないのかも。そんな彼女は荷物持ちを買って出てくれたので、武具や貴重品は自分で身につけ、それ以外の荷をありがたく預けることとした。

 また、ともに行動するに際して、お互いの力量を知っておくのは重要なことだ。だから、タットゥとツァラハトは出発の日の朝、己自身の力量をカンロに披露した。とはいっても、さして特別なことではない。タットゥとツァラハトは互いの研鑽のため、ときどき二人で実戦式の訓練を積んでいて、今回はそれに一人観客が加わっただけのことである。タットゥは己の得手である風を中心とした四大魔術を、ツァラハトはその鍛え上げた大剣を携え武技を以て向かい合った。タットゥは魔術師の定石通り距離を取って迎撃、ツァラハトは対魔術師の定石通り距離を詰めようとする。タットゥの魔術は躱され、いなされ、逆転の布石である罠として潜ませた魔術も見破られ、あっさり組み伏せられた。カンロの手前、平静を保ってはいたが、内心では大きく負け越している現状に悔しく思った。

 それから、カンロはまだ余裕のあるツァラハトと組み手を行う。眼鏡は危ないので預かろうと申し出たが、曰く魔術具だそうで、その素顔は見れなかった。カンロの魔術は不可思議で、己の影に実体を持たせて自由に操るというものだった。影は自在に形を変えつつもその硬度は目を瞠るものがあり、ツァラハトの大剣と打ち合わせるたび、金属質な音が鼓膜を揺らす。近接戦を挑む魔術師を相手に、ツァラハトは多少戸惑っていたようだが、影の間合いや特性を見切ると、数合かの打ち合いののちフェイントをかけてカンロの背後を取り、ツァラハトの大剣がカンロを下した。魔術の扱いは手慣れた物を感じさせたが、無駄の多い体運びや、あっさりフェイントに引っかかるあたり、実戦経験は少ないのだろうと思われた。そのこともまた、彼女が貴族のお忍びであるという予想に拍車をかけた。


 彼女は全身をローブで覆っているため、見た目に怪しい。ぱっと見では性別も分からないが、しかし鈴の鳴るような声を一言聞けば彼女が年若い女性だということは丸わかりだし、そしてそのローブからちらと覗く容貌はひどく麗しい。男所帯の冒険者の集団において、特に目を引く存在だ。タットゥとて、見目はいい方だという自覚はあるし、言い寄ってきた男をあしらう術だって必要に駆られて身につけてきた。そして今ではツァラハトの協力もあって、軟派な男に悩まされることもなくなってきていたのだけど。冒険者でもない彼女は、どうもその経験が足りないらしく。

 一日目の野営で、タットゥとツァラハトが花を摘みに行く折に、カンロも誘ったが、彼女はその誘いを断った。その様子がどうにも必死だったので、貴族の習慣では一緒に用を足しに行くとかあり得ないんだろうなと思いつつ、彼女の意思を尊重した。他の冒険者もいるし、もし魔獣か何かの急襲があってもそこまでの危険はないだろうと。そうして二人が気持ち急いで戻ってきてみれば、ああ、彼女が男どもに囲われているではないか。六人もいる。不届き者どもを見回せば、冒険者だけでなく騎士まで混じっている。そして渦中の彼女を見遣れば、男どもに貢がれた酒を勧められるがままに煽っている。現状では多少頬と鼻を赤らめるに留まってはいるが、無防備が過ぎる。ツァラハトが歩を進め、カンロを迎えに行く。相手方もそこまで本気ではなかったのか、それともツァラハトの偉容に二の足踏んだか、あっさりカンロを取り戻すことを出来はした。だが肝が冷えた。貴族の令嬢にしたって、箱入りが過ぎるだろう。危うく護衛失格となるところであった。警戒の度合いを引き上げる必要があるかもしれない。ツァラハトとこっそりそんな話をした。


 遠征も五日を過ぎると、多少なりとも連帯感という物が生まれてくる。四六時中一緒にいるわけだから、さもありなん。距離だって近づく。当初は彼女を貴族のお忍びと見ていた私だったが、時間をともにするにつれ、その予想に疑念を抱いていた。なんというか、彼女は貴族らしくないのだ。まず、お世話されることを嫌う。髪を結わせて貰いたかったけど断られた。水で身体を清めるときも手伝いを申し出たが遠慮された。そのほか、汚れた毛布に文句も言わずすやすや寝てしまうし、虫も割合平気そうにしている。携行食の不味さにだけは不満を露わにしていたけれど、それも嫌な顔をする程度だ。きちんと全部食べる。貴族令嬢が身分を忍ぶためにやっているとしたらたいした物だ。

 白状すると、最初の印象が良くなかったせいもあって、タットゥはカンロのことを好ましく思っている。ギャップ効果というやつだ。元々、冒険者なんてものをやっていると、同性と知り合う機会は多くない。カンロには話しやすい気安さがあり、そして妙なところで世話が焼ける点が親しみやすさをもたらし、会ってまだ一週間と経っていないにも拘わらず、手のかかる友人かもしくは妹のように接するに至っていた。

 タットゥにとって予想外であったのは、殊の外ツァラハトがカンロを気に入った事だった。ツァラハトは気難しそうな見た目に違わず、人付き合いという物を好まない。いや、それだと語弊があるか。人付き合いが苦手なのだ。口数は少なく、無表情で感情を表に出そうとしない、人見知りだ。今でこそタットゥはツァラハトのよき理解者であるが、それもそれなりの積み重ねがあってのこと。あっさりツァラハトとの距離を縮めてしまったカンロに、もしかしたらタットゥは自分でも気付かないうちに嫉妬さえしていたかもしれない。とはいえ、タットゥ自身もカンロを気に入ってしまったので、特にどうこうしたいという気持ちが起きたりはしなかった。この遠征が終わっても、この三人で仲良くやっていけたらな、という思いはあったかもしれない。






 ワイバーンの住処へは、あっけなく侵入できた。


 ワイバーンは、鱗に覆われた鳥のような姿をしている。鳥と大きく異なるのは、翼が腕としての機能も持っていることだ。翼腕と呼ばれている。ワイバーンの番は春先から秋にかけて、長い子育てを行う。生態系の上位に君臨するワイバーンでも、卵や幼体が肉食獣に襲われればひとたまりもない。そのため、子供が孵化してある程度大きくなるまで、雌はほとんど巣を離れない。獲物を運んでくるのは雄の仕事だ。広い縄張りに侵入した脅威を追い払うのも雄の仕事で、これに見つかると厄介だ。言語こそ持たないものの、ワイバーンは知能も高く、ほとんどの人間が飛べないことを知っている。上空から火を噴かれれば弓や銃や魔術で対抗するしか術はない。しかし雄の主目的は外敵を殺すことではなく、縄張りから追い払うことなので、住処に差し迫らなければ嫌がらせ程度にしか接近してこない。これでは討ち取るのも難しい。そしていざ住処に差し迫ったときには、雄と雌から挟撃を受ける羽目になる。

 しかし、今回は幸運なことに、雄に見つかることなく事を運べた。雌がいなくなれば雄は新たな番を探さなければならない。単独での子育ては確認されていない。子育ての季節のごく初期であることを考えれば、すぐにでも新たな雌を探しに行くだろう。彼らは復讐心など持たない。もっとも、これは希望的観測かもしれないが。


 騎士隊が巣の入り口に見張りを数名置き、ワイバーンの巣に侵入する。この番は切り立った山間の底に居を構えていたようだ。巣には、体高二メートルほどのワイバーンの雌がこちらに視線を向けている。すでに気付かれている。騎士隊と冒険者たちがなだれ込み、雌へと斬りかかる。その中にはツァラハトの姿もある。そして、タットゥとカンロは後方で待機。本来であれば、雌は卵を守るために巣から大きく離れられないので、魔術を使い遠距離から削るのが安全策なのだが。この突撃には訳があった。

 竜騎士の駆るワイバーンは、人間の手を介して繁殖された個体がほとんどで、その数は多くない。その限られた範囲で繁殖を繰り返していけば、やがて近親交配が進み、悪影響が出る。対抗策として、友好国間でワイバーンの貸し借りなども行われてはいるが、もっとも効果があるのは野生種の血を取り入れること。親を親として認識したワイバーンの子は、目の前で親を殺されれば決して人間に懐くことはない。なので、人間が野生種を手懐けるには、卵の状態か、あるいは眼も開いていない時期の幼体を攫うしかない。つまり、要するに我々は欲に目が眩んで、危険を冒して卵を傷つけることなく攫おうとしているのである。タットゥも雇われ遠征隊の一員である以上、綺麗事は言えない。親がいなくなった子には死しか待っていないだろうし、間接的に殺されるのと攫われ手懐けられるのと、どちらが幸福なのかはタットゥには分からなかった。


 ワイバーンの爪は人の肉を容易く裂き、その鱗は生半可な攻撃では傷もつかない。とはいえ、今ここにいる人員は、ワイバーンの討伐を任されるほどの騎士団、そして高位冒険者である。猛者である。その鎧と技術はワイバーンの爪を上手く受け止め、躱し、いなし。鍛え上げられた業物とそれを振るう肉体はかの鱗を破り、その肉へ刃を届かせるに至る。尻尾の一撃を受け、手傷を負った冒険者が一人後退し、代わりに待機していた騎士が戦線に飛び込む。タットゥは傷ついた冒険者を治癒魔術で癒やす。彼は身体の調子を確かめるとタットゥへ礼を言い、再び戦線に復帰する。炎の息の直撃を受けた騎士団の一人が倒れ込み、皆に庇われつつ二人がかりで運び込まれ、聖職者の装いをした騎士によって高位の治癒魔術を施される。焼かれた騎士は昏倒していたが、息はあるようだ。いずれは目が覚めるだろう。この戦いの最中ではなくとも。いや、もう戦いではないな。これは狩りだ。元々、ワイバーンの番を討伐しに来た。二匹を相手取ってなお勝算が得られる編成だ。雌一匹では、太刀打ちできないだろう。

 ワイバーンが咆哮し、飛翔。その質量と重力加速度を伴い、前衛の人員の頭上を切り裂くように突進、すれ違いざま脚の爪を振るう。巣の守りはなくなるが、今のままでは外敵を打破し得ないと悟ったのだろう。それでも、鋭い爪が命を刈り取ることはない。そして飛翔したことで、卵への被害を考える必要がなくなった。騎士団冒険者問わず放たれた魔術が雌に殺到する。魔力を秘めた鱗は魔術に対する抵抗を持つが、通用しないわけではない。度重なる風の刃が翼腕を傷つけ、雌は姿勢を崩し、滑り込むように墜落した。好機とみた冒険者の一人が飛び出し、高く跳躍する。その両の腕が振るうのは無骨な大剣。ツァラハトだ。最高到達点に身を置いた彼女は、重力に引かれ加速する。その大剣の重さで加速する。振り下ろし、遠心力により切っ先が更に加速する。倒れ込み、隙を晒すワイバーン。その長い首を覆う鱗を貫き、肉を裂き骨へ到達せしめ、頸椎を的確に破壊する事の出来るツァラハトであることを、タットゥは知っていた。






 「なにしてるの」と、タットゥは尋ねた。カンロは目を瞑り、両の掌を胸の前で合わせ、浅く頭を垂れている。祈りの所作だとは思うが、タットゥの知識には思い当たるものがなかった。ナムナムってなんだろう。死者の安寧を祈ってるんだとお返事頂いたので、なんとなくタットゥもカンロの隣で真似をした。

 騎士団は巣の卵を素早く運び出す。人の頭より大きく重いので、安全を期するのなら一つにつき一人の手が必要だ。冒険者は卵に興味はないので、事切れたワイバーンの雌を解体する。爪や牙、傷ついていない翼膜は価値が高いので、貢献度の高い者から順に報酬として貰われていく。第一功であるツァラハトはいの一番に燃料袋を頂いていた。タットゥは肝臓の一部を。魔法薬の素材になるのだ。雄を討伐していないため、一部見張りを立てて、残りの皆が急いで解体を進める。頭が落とされ、手脚を落とされ、腹を開かれ内臓を抜かれ、鱗を剥がれたワイバーンは、ややもすれば肉屋の店先に並んでいる裸の鶏まるまる一頭に見えなくもない、サイズはともかく。解体された亡骸は、皆が復路に於ける身軽さを重視したため、結構残っている。

 功績の順で言えば、カンロは一番下だった。今回の戦闘に於いて、彼女は何もしていなかったので。肉を切り取ってやろうと申し出たツァラハトがどこの肉がいいかと聞くと、カンロは必要ないよと短く言った。彼女の足元から影が伸び、裸になったワイバーンの下に潜り込んだかと思うと、みるみるワイバーンの身体が沈んでいくではないか。十秒もしないうちにワイバーンは沈み込み、影はカンロの足元に戻る。ちょっと前までワイバーンがここに在ったのを示すのは、岩肌に染みた血痕のみ。皆が呆気にとられていたが、ツァラハトが急ごうと声を張ったので、ぎこちないながらも撤収が始まる。後になって思えば、功績順に分け前を取っていくという暗黙の取り決めに則った行為であるものの、訳の分からない魔術で大きな取り分を得たカンロがやっかみを受ける前に、ツァラハトが場の空気を撤収作業に向けさせたのかとも思う。さすがは私の相棒だとタットゥは嬉しくなったものだ。






「タットゥ危ない!」


 ワイバーンの雌を討った、その日の夜。私は、私を地面に引き倒したカンロが、身を挺してその凶爪を受け止めるのを見た。目の前の小さな身体から、その胸の辺りから、赤黒く染まった鉤爪が生えるのを見た。

 どうして。番を失ったワイバーンは、新しく番を探し、子育てをやり直す。人間のように、復讐に走るようなことはない。だからこそ、雄は捨て置かれていたのに。その知識が間違っていたのだろうか。どうして、彼女は私を庇ったのだろう。出会ってまだ一週間しか経っていない、言ってしまえば付き合いの浅い私を。どうして、私は警戒を怠っていたのだろう。どうして、野営地から離れてしまったのだろう。討伐を祝した宴会に中てられていた? 討伐を終えて気が緩んでいた? そのせいでカンロは。

 ワイバーンの雄が咆哮する。奴が足を薙ぐと、カンロは容易く引き裂かれ、上下半分に別たれた。その光景を、私は夢うつつのようにぼんやりと眺めていた。


「タットゥ!」

「っ」


ツァラハトが声を張る。彼女の声は、私の意識を現世に繋ぎ止める声だ。そうだ、これは現実。私のせいで起きてしまった現実。奴の双眸が月光を受けて照り返し、怪しく光る。その光には憎悪が宿っているような気がしたが。もしかしたら、私に宿った激情の炎が、月の光と同じように反射し、そう錯覚させただけかもしれない。せめて、私が。

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