ある親子の会話
「だいぶ目立つようになってきたわね。もう名前は決めたの?」
「まだよ。性別は調べてないの。生まれてからのお楽しみ」
「でも、男だったらこの名前、女の子だったらこう、とかもないの?」
「ええ、だって反対側の名前を考えておくのって、うまく言えないけど、なんだか裏切りのような気がするんだもの」
「変なこと考えるのねえ。ほら、お父さんも何か言ってあげてくださいよ」
「うむ」
母親と娘はしばらく待ったが、父親はなにも続けない。
「お父さんは相変わらずね。いいわよ無理しなくて。じゃあまた来週ね」
『もっとだいぶ目立つわね』「もう生まれそうじゃない」
「ええ。来てもらって悪いわね」
『なに言ってるのよ。変な遠慮はなしよ』「なに言ってるのよ。遠慮する子じゃなかったでしょ。大人になったのかしら」
「そうよ。なにしろ子供が生まれるんですからね」
『変なこと考えるのねえ。ほら、お父さんも何か言ってあげてくださいよ』「はは、そりゃそうね。ほら、お父さんも黙ってないでほら、何か言ってやってよ」
『うむ』「うむ」
「お父さんは精度高いわね」
『はは、そりゃそうね。うむしか言わないから』「あら、そうなの? 仕組みがよくわからないから」
「逆にお母さんはぶれまくりよ。このぶんだと意外にかかるかもね。まあいいわ。今度はしばらく会えないかも」
『そうなの?』「あんたも、けっこうずれてるわよ。じゃあ疲れるでしょうからもう帰るわね。つぎは再来週かしら」
「お母さん、ほら、キネマ、こんなに大きくなったんですよ」
『どれどれ、抱っこさせて。ああ、重くなったねえ。もうすぐに、おばあちゃんじゃ抱っこできなくなるわね。ほら、お父さんもどうぞ』
『うむ』
「お父さんは、まだしばらくは大丈夫そうね」
『うむ』
「でも抱っこできるのも赤ちゃんのうちだけよ。自意識が出てくると、もう機械じゃエミュレーションできなくなるから。つまり、動きが複雑すぎて予想できなくなるから、バーチャルスタチューをキープできなくなっちゃうの」
『難しくてよくわからないねぇ。でも会話のずれは今はもうほとんどないわよ』
「大人になるとまた会話や動きが予測しやすくなるのよ。物心つくかつかないかの頃が一番難しいの」
『もうだいぶ離れちゃったから、同時にはあんたの声は聞こえないし、姿も見えないけど、あとで届いたのを見たり聞いたりすると、バーチャルのやつとほぼおんなじよ』
「わたしたちは何年もかけてミーティングしてきたから。精度が九十九パーセントくらいになってるのよ。だいぶ離れてきたから、会える頻度が下がってきちゃったけど。こっちでも、お母さん、お父さんの反応の精度、すごくいいわ」
『宇宙船と地球で別れているのに、こうして自然な感じで会えるのはいいわね』
母親は娘のバーチャルスタチューを見ながら言った。
『キネマはどうしたんだい?』
「やだわ。こないだ、就職して家を出たって言ったじゃないの」
『ああ、そうだったわね。私もボケちゃったのかしら、ねえ、お父さん』
『うむ』
「あらひどいわねお父さん、ちゃんと否定してあげないと。でも、ボケったって、生きてればいいじゃない。私なんか、この会話をしているころには、そっちの時間でいけば、はるか昔に死んでるのよ」
『その理屈がよくわからないのよねえ』
「バーチャルミーティングマシンが時間の流れを調整してくれているけど、実際にはこちら――地球では百五十年以上経過しちゃってるのよ。だから私どころかキネマももう死んでるわ。お母さんとお父さんが話しているのは、私の残像みたいなものよ」
『人口調整のために地球を追い出された私たちの方が、結局長く生きてることになるなんて、なんだか皮肉ですねえ、お父さん』
『うむ』
〈了〉