其ノ肆ノ弐 王国へ 〜道中編・前〜
今日は遂にこの森を出る。おれが死んで気が付いてから、ずっとここにいた。
……思えば短い時間の中でいろいろあった。早々に命の危険を感じたり、コニオさんに助けられたり。魔法で一喜一憂もした。
また戻ってくるかも知れないが、とりあえずはお別れだ。感傷に浸っても許されるだろう。まだ朝は少し遠いほの暗い空を見ながらおれはとコニオさんはこの森を出発した。
日の出頃、森の端に差し掛かった。
「〜〜〜〜!」
声が出ないことも忘れて歓声をあげようとする。おれが住んでいた所は都心からは少し離れていたが見渡せばビルが立ち並び、自然はビルのベランダから見える観葉植物や公園や街路に人工的に植えられた花や木ぐらいなものだった。
しかし今、おれの目の前には見渡す限りの草原、川、山、少し先から遥か遠くまで小道が伸びている。ぽつぽつと動物が見える。空気を吸えば、澄み切った早朝の少し冷たい空気が身体中を駆け抜ける。
初めて見る、しかし何処か懐かしささえ覚える光景に心奪われた。
「やはり森以外は見たことが無かったのか。あまり珍しいものでもないと思うが」
とコニオさんがつぶやくのを聞いて、森の外を見ただけで大はしゃぎしてしまった自分が恥ずかしくなる。……こんなに感情が表に出る人間だったかな。これではまるで子供のようだ。
恥ずかしさで頬が熱いのを無視したままコニオさんの前に付く。道中の安全を考えた結果、万が一でもはぐれないように、そしておれの速度に合わせる為の措置だ。妥当で当然だとは分かっているが子供扱いされているのがひしひしと伝わってくる。身体は子供なので反論できる訳もなく少し不満だったのだが、今は顔を隠せるのでちょうど良かったと考えよう。
少し進むと急に木の数が減り、繁殖したと思われる深く草の生い茂った地面に変わり、先程見えた小道に辿り着く。後ろを見ると森の境がよく分かった。
おれたちが先程出てきた入口は暗く、中の様子を窺うことは出来ない。改めて出立したことを意識した。
少し離れた所には牛や羊、そして疎らに鹿が見える。
『こんな所に居る牛とかって誰が飼ってるんですか?来るの大変そうですよね?』
何となく気になって訊ねてみると、
「飼う?不思議なことを言うんだな。あんな野生の動物など不用意に近づいても怪我をするだけだぞ。」
と怪訝な顔をされた。野生動物な事に驚いたがこの世界では飼われている方が珍しいらしい。
しばらく進んでいると、大きな川に出た。少しの段差を挟み、河原が広がっている。
大きな川だった。相当な川幅があったが流れは穏やかで澄んでおり、時折魚が泳いでいるのが見えるほどだった。
「ここでお昼にするぞ」
またも初めて見る景色に息を呑んでいると、コニオさんがそう言って河原に降りて、荷物を下ろした。
景色を見ていて全く気づかなかったが、ふと空を見上げるともう太陽はすっかり真上で輝いていた。
あとに続いて河原に降りて落ち着いた瞬間に足が痛くなった。……ずっと歩いていたので疲労が溜まっていたのだろう。
おれはコニオさんが周囲の様子を見ている間に共用バックから動物の皮を繋ぎ合わせて作った、所謂レジャーシートみたいなものを取り出した。
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『国に行く途中でも、やっぱり地面に座ったりってしますよね?』
準備が終わりかけた時、コニオさんに聞いてみた。
「それは恐らくあるが。……ああ、成程。そういうことか」
前に聞いた話によると、地面に座ったりすることはあるが、コニオさんは今までそのまま地面に座っていたらしい。別に気にしないし元の男のままならおれもそれで良かったのだが、いかんせん今は身体が女の子になっていて、地面に座ると痛かった。
また1つ元の体との違いを見つけて驚いたが、それよりも道中で座れないと辛いだろうな、と思った。
その時に思い出したのがレジャーシートだ。たずねるとそんなものは聞いたことがないらしい。名前が違うだけで存在はしているのか色々訊ねたが知らないと言う。この世界には無いのだろうか。
そう言えばこの世界の文化レベルを聞いたことが無かったが、王国へ行けばわかるだろうと思ったのでそれは良いだろう。
そこでおれはコニオさんに保存食にした狩った動物の皮を集めて貰い、それをそこら中に生えている丈夫な蔦で繋ぎ合わせて広げると二人が座れる程の大きさにした。
コニオさんは
「わざわざそんなに大きくしなくても、別に俺はそれに座らなくても良かったんだぞ?」
と言っていたが、座れて悪いことはないだろう。
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そうして2人用のシートを広げて荷物を置いて飛ばないようにして待った。
まだ少し獣の臭いがするが、出立前にいい匂いのする果実が集まった所でずっと干していたので随分とマシになっている。
そうしているとコニオさんが帰ってきた。珍しいものを見たと言ったような顔をしながら、レジャーシートに土足で上がりかける。
『靴を脱いで上がってください!』
慌ててライトレターで伝える。
今までで一番速い魔法の行使だったような気がする。日本人は細かいのだ。
「脱がなきゃダメなのか。面倒くさいな」
と不満そうにいいつつも、ちゃんと靴を脱いで上がってくれる。
コニオさんはやはりいい人だ。
「……おお!」
コニオさんが感嘆の声を上げる。シート1枚あるだけで地面に座る感覚も随分と違うのだ。前の記憶が上手く使えた。
「確かにこの使い心地はいい。その得意顔も頷けるな」
……気付かないうちに変な顔になっていた様だ。恥ずかしいので言わないで欲しい。その恥ずかしさを隠すようにお昼の用意をする。
「何を作ってるんだ?」
『……サンドウィッチです』
「さんどうぃっち?」
『はい』
コニオさんがパンを持っていて良かった。コニオさんに答えながら取っておいた鳥を使わせて貰い、それをパンに挟んでいく。
調味料に困ったが、コニオさんがハープや食べられるキャベツのような野菜を持ってきてくれた。次々と作っていく。
流石全て美味しく食べられると言われているカントリだ。一匹で1食分のサンドウィッチができた。……と同時にコニオさんの持っているパンが尽きた。少しは緊急用に残してあるが。
あまり作ったことは無かったので上手く出来るか不安だったが、出来上がったそれは見た目はそこそこ揃っていたので良かった。
心無しかこの世界で女になってから、器用になった気もする。……指が細くなったことも関係しているのか、細かい作業が上手く行える。そのおかげで上手くサンドウィッチを作ることが出来た。
『食べてみてください。こっちがももの辺り、こっちが羽の辺りです。あまり調味料が無かったのであまり味の違いは無いかも知れませんが』
そう伝えると、ああ、と答えたおずおずとコニオさんは1口頬張った。
驚きの表情に変わった。
『どうですか?』
覗き込むようにして様子を伺う。
「……美味い」
それだけ言うと、コニオさんは黙々と食べ始めた。
コニオさんは好物を食べる時本当に何も喋らなくなる。その沈黙が気に入ってもらえた何よりの証拠だった。
『口にあったようで良かったです』
そう伝えると、おれも食べ始めた。美味しい。やはり上手く作れるようになっている気がする。
食べ終わった後、おれは水辺で遊んでいた。《ウォータールート》の練習も兼ねてだが。少しつづ調整などの仕方が分かってきて初めの様に倒れる心配は無くなった。時々掛かる飛沫は冷たくて気持ちよかった。
コニオさんは食休みするとシートで寝転んでいた。完全に睡眠しているわけでは無いらしく、ちゃんとおれのことを見守ってくれて居るようだ。シートが気に入って貰えたのだろうか。急ぐ道中ではないらしいので、落ち着くまでそこに居た。