其ノ肆ノ壱 王国へ 〜準備編〜
王国に行くと決めた翌日、俺達は一日を準備に費やした。何でも『王国の隣の森』と言っても誰も来ない程、つまり少し距離があるらしいのだ。そして暫くここで暮らして来たコニオさん、そして何も持たずこの世界に来た俺、その準備は多岐に渡った。
まず食料。これは森の中を歩けば動物や、果物……のようなものが沢山あった。
初めはこの世界に来た時襲われたような大きな猛獣の類と遭遇することを恐れてビクビクしていたのだが、出会う動物はそれこそ俺の記憶にある程度の大きさだった。
改めてあの狼のような猛獣の大きさに戦々恐々しながら、全く遭遇しない事を疑問に思い俺が尋ねると通常はあんなに大きな猛獣などは居ないらしい。コニオさんもあの大きさはこの森では初めて見た様だ。
採集が一段落しコニオさんと家へのけもの道を一緒に歩いていると、コニオさんが急に歩みを止めた。
急な静止に対応出来ず背中にぶつかった。痛い。抗議の意を示そうとすると、コニオさんは身を屈めて、
「静かに。あの木の枝に大きなカントリが居る。ここにお前は隠れていてくれ。俺が捕まえてくる。」
と言った。姿は見えないがコニオさんだからこそ見つけられたのだろう。カントリとは、行く前に聞いた鳥の名前だった。どんな部位も美味しく食べられるらしい。言われた通り俺は身を小さくして息を殺す。
コニオさんは静かながら素早い動きで近付いてゆく、何か手伝えないだろうか。
……魔法が使えるだろうか。利便性は先程示されたので、あとは何処までイメージ出来るか。
“この土地を統べる森よ、『汝は我が腕であり』、『また汝は籠なり』全てに気付かれずその道を閉ざせ
《ウッドゲージ》”
唱えると少しの倦怠感が襲う。森は範囲が広いので魔力消費が大きいのか。もう少し条件を考えた方が良いかもしれない。もしくは『気づかれないようにする』という言霊の実現が難しいのか。
しかし言霊の命令を実行するようにとても静かに森が変化する。それは殆ど目では感じれないが、しかし魔力の変化を通じて俺はこの森の変化を認識する。変化した森は確かに木々が鳥籠のように重なり合っていて、その鳥が中に居るのなら逃げられる所は無かった。
そしてコニオさんは少し遠くの木に近づくと、
予備動作無しで……3、4メートルぐらいを垂直に跳んで木の葉の中に消えていった。
そしてそのまま少しガサガサと葉のこすれる音が聞こえたが、生き物の声は聞こえなかった。
しかし降りてきたコニオさんの腕には動かなくなった少し大きな鶏のような鳥を抱えていた。
あの手際の良さなら俺要らなかったな。魔力の無駄な気さえする。
しかし魔法を解こうとすると、帰ってきたコニオさんから
「そのままにしていろ」
と言われた。魔法使ったのはもう分かってるらしい。流石コニオさんだ。
コニオさんは鳥を俺の近くに置くと、また素早く移動────今度は少し身体をパネのようにしてまたもや垂直跳び、見えなくなった。降りて来たコニオさんは2匹オルトリを持っていた。
「大漁だ。」
……役に立っただろうか。珍しいコニオさんの笑顔につられて俺も笑った。
こうして食料問題は解決した。
ちなみに、この鳥を狩った帰りにコニオさんは
この鳥は動く物の動きと音に敏感で少しでも近くで音を立てるとすぐに逃げていくので、基本バレない位置から遠隔攻撃で仕留めるのがセオリーだと語ってくれた。
……コニオさんの狩り方を見ているととてもそうは思えないが、恐らくコニオさんが凄いだけなのだろう。
次に野宿の為の寝床だ。何が問題なのかと言うと、コニオさんが言うにはこの森に来る時に使っていた動物の皮で出来たテントの様なものと毛布があるのでそれでいいらしい。
……と言っているのだがそれは一人分しかないのだ。
確かに大きさは俺が小さいので十分ある。
しかしなんというか……嫌では無いのだが。
『あの……ちょっと近くないですか……?』
1度建ててもらい共に中に入り思わずそう聞いた。
案の定中は2人が入ると丁度一杯で殆ど余裕が無かったのだ。
自分でもなんでここまで気にしてしまうのか分からないのだが、何故か意識してしまう。
「そうか……? あまり狭いとは感じないが」
コニオさんは全く気にしている風では無いのでやはり私がおかしいのだろうか。
確かに未だに自分のことさえよく分からないのだから、おかしいのは私の方なのだろう。
『そうですよね、すみません、大丈夫です』
結局無理矢理自分を納得させることにした。
『準備、もう殆ど出来ましたか?』
頭を振って気持ちを切り替え、話題を変える。
「ああ。だが、最後に───」
かれこれ1時間、いや2時間は経っただろうか。この世界に来たばかりで何も持っていなかったのでなんの準備も要らないと思っていたのに、本当に問題だったのは、俺の準備の方だった。
「.......」
『.......』
なんとも言えない沈黙が2人の間を支配している。
それはコニオさんの
「そう言えば聞いていなかったな。お前の名前を教えてくれないか?流石に学校に紹介する時に名前を言えないのは問題になる」
という言葉が始まりだった。
言われてからはたと気づいたのだ。俺は名前を知らない。……もちろん元の世界の俺の名前は覚えているが、流石に女の子となってしまった今の姿に合うとは思えない。俺は黙っている俺を不思議そうに見るコニオさんに
『名前を覚えていません。……記憶がないのです』
と伝えた。実際名前を言えないので嘘ではないが本当でもない微妙なラインだが少なくとも間違っては無いだろう。
それを聞いたコニオさんは少し考えた後、
「そうか...なら一緒に考えよう。とりあえずでいいがお前の名前を」
と言ってくれた。……言ってくれたのは良かったのだが、楽観視できていたのは最初の30分程だけだった。直ぐにその困難さに頭を抱える事態となる。
なんせ人ひとりの名前を決めようと言うのだから、ペットの命名とは訳が違うのだ。全く決まらない。
その迷走っぷりはコニオさんが
「もういっそ俺の名前を逆にしてオニコはどうだ」
と言う程だ。流石にそれは拒否した。
それからさらにああでもない、こうでもないと時間を費し、日も傾いてしまった頃、やっと名前が出来ようとしていた。
「……じゃあこれでいいな?」
チラリと俺の方を見る。
『……ええ。いい名前だと思います』
俺もそちらを見て頷く。
「じゃあ今日から、お前の本当の名前がわかるまでで良いが、お前の名前はミツキ。ミツキ・フォーレライだ」
満月から少し欠けた月が照らす日、この世界でのおれの名前が出来た。
本当はコニオさんと同じフォーガシアンにしたかったのだが、何故か却下されてしまったので頑張って似たのを考えた。
紹介するにあたっては身内とかそういったものの方が便利な気もするが、何か理由があるのだろう。
今日は大変だったが、なんとかすべての準備を終えることが出来たし、色々なことをして正直楽しかった。
夜寝ようとしてやはり譲って貰ったベッドに入り今日を思い返すと、蘇る記憶は全体的に距離が近いような気がした。すぐ側で見ていたコニオさんの顔を思い出すと、何だか顔が火照る。
しかし明日は遂にこの森を出て、おれの未だ知らぬ土地に行くのに緊張をしているのだ。きっとドキドキするのはその緊張が同行人の顔で意識してしまったせいに違いない。
だって、そうとしか考えられないし、そうでは無いと説明がつかない。
……身体は女でも精神は男……のはずなのだから。