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デミット×カワード ぷろとたいぷっ  作者: 駒沢U佑
第一章 環境適応のススメ編
8/53

冒険者ギルド



 ロレインカムの中心地、大通り沿いの真ん中にある大きな二階建ての木造建築物。それが冒険者ギルド・ロレインカム支部だ。


 紅朗の見立てでは住宅が煉瓦造りで、それ以外の用途の建造は木造のようらしく、このギルドの支部も例に漏れず明るい材木を使用した建築物だった。門の形を模した扉の上には、シンボルが彫られた立派な看板。羽根が刻まれた丸い盾の後ろで二本の剣が交差しているそれが、冒険者ギルドのシンボルなのだろう。シンボルの下に刻まれた文字は、テーラ曰く冒険者ギルドと書かれているようだ。窓には街灯には無かった綺麗に透き通ったガラスが填められており、そこからも文明レベルを彷彿させている。


 ギルドの外観を観察していた紅朗を尻目に、ソーラ達がギルドの扉を開けた。自己主張をし始めた腹を撫でながら、紅朗は二人の後を追って扉を潜る。


 まず紅朗の目に入ったのは、吹き抜けの内装だった。だが二階部分が無い訳では無く、奥の方に何室か部屋を設けたロフト部分があり、まるで大きなログハウスのようだ、と紅朗は思う。


 紅朗の右手側には区切りのついたカウンターがあり、一つ一つのスペースに猫だの犬だの雑多な種族の女性が立って、カウンターを挟んで立つ者達と話していた。話している人物もこれまた雑多な種族だ。革だの金属だのの武器と防具を身に着けている事から、恐らくは冒険者。そしてカウンターの内側に立つのはギルドの受付嬢なのだろう。冒険者(仮定)の後ろには他の冒険者(推測)が少ない列をなしており、今か今かと佇んでいた。


 紅朗の左手にはベンチや椅子、テーブルが何脚か用意されており、グループを組んだ何組みかがテーブルを囲んで飲食に励んでいる。漂う匂いは少しのアルコールと柑橘系、そして焼かれた肉。美味そうだと思う反面、多分食べられないのだろうな、と紅朗は腹を擦った。飲食スペースの奥にある看板は恐らく掲示板だろう。近付かなければ文字を判別出来ないが、何枚か貼られた紙か羊皮紙が見える。まぁ、近付いた所で紅朗に文字は読めないのだが。



「クロー。こっちこっち」



 そう、ギルドの内装を観察していると、きょろきょろしている紅朗を恥ずかしいと思ったのか、テーラが紅朗の服を引っ張って関心を引く。見れば、テーラは紅朗の右手、カウンターの方に指を向けていた。カウンターから並ぶ冒険者(憶測)の列の最後尾にソーラが立ち、紅朗達に目を向けている。



「あたし達とパーティー組むんだったら、まずはあんたも登録しないとね」



 ソーラの方に向かいがてら、テーラが言う。その事に関して紅朗に否やは無い。金が稼げればなんでも良いのだ。ギルドに所属して金を得られるのならばそうしよう。と、紅朗はソーラの後ろにつく。並んでいる人数はソーラの前に三組。自分達の番が来るのは早そうだ。


 そうして暫く雑談していると、予想通りソーラ達の番は早くに訪れた。



「おかえりテーラ、ソーラ。採取はどうだった?」



 カウンターの向こうに立つ女性は、門番と同じく双子と知り合いのようだ。スコティッシュフォールドのように折れ曲がった耳を持つ猫型種族の女性が笑顔で迎えてくれた。だが双子の心情としてはそうもいかない。受けた依頼を達成出来なかっただけならまだしも、足を射抜かれ剣を折られ、ただ時間と体力と金を失って帰ってきただけなのだ。忸怩たる思いを胸に、溜息を吐いてソーラは答える。



「残念ながら今日は失敗したわ。西の森で山賊とボアウルフに襲われてね」


「あら、それはご愁傷さま。でも無事に逃げ切れたようで安心したわ」


「逃げたんじゃなくて両方とも倒したのさ。あたしらじゃなくてこの男が、だけど」



 テーラの言葉に、受付嬢の両目が紅朗に向いた。何かを見定めるような、測るかのような目だ。そんな視線に少しだけイラッとした紅朗だが、それも仕方の無い事で、しかし誰かが悪い訳でも無い。受付嬢からしてみれば、山賊やボアウルフという、【荒事】という物事を安直に考えれば誰しもが直ぐに思い浮かべてしまえる物事の上位入賞格を、目の前の男が解消したと言われたのだ。穿った視線で見てしまうのは職業柄致し方ない事だろう。


 対して紅朗は現在、空腹である。胃が食料を求めてきりきり言い始めている。つまり平常時より些か感情がささくれ立ち易くなっている状態だった。初対面の人物に対する許容が少しばかり狭くなっているのだ。だがその苛立ちも、わざわざ波立つ程のものでは無い。平時より少しだけ、髪の毛一本水面に落とした程度の、ほんの細やかな揺れだ。


 それを自覚する紅朗は心の苛立ちを納め、受付嬢に対し片手を上げて対処した。



「初めまして、俺はクロウ。今日はこの二人の報告ついでに俺の冒険者登録をしに来た」


「初めまして、私はアイリス。見かけによらず凄いのね貴方。登録は初めて?」


「初めてだな」


「そう。……ガンター、ちょっと来てー」



 猫型の垂れ耳受付嬢ことアイリスは紅朗から視線を外して振り返ると、やや大き目な声を上げた。振り返った先には扉などの仕切りが無い部屋。そこが関係者入口だろう事はカウンターの奥にある現状明らかで、ややあってのっそりと大柄な男が現れた。


 縦にも横にも大きな男だ。だが太っている訳ではなく、ただ肥大した筋肉の塊がそこに立っていた。



「なんだぁ? 誰か呼んだかぁ?」


「ガンター、こっちこっち。新規の登録者さん」



 アイリスにガンターと呼ばれた男は惚けた顔で欠伸を噛み殺しつつ、のそりのそりと紅朗達の立つ受付まで歩み寄ってくる。やがて彼は紅朗の目の前に立ち、やはり大きいと紅朗を驚愕させた。


 身長は178cmある紅朗より頭一つ分高い。だが問題は身長では無く、異常なまでに発達した上半身だろう。服の上からでも解る腕の太さは、紅朗の腕二本分でも足りないかもしれない程に太い。その腕を繋げた上半身は、やや猫背気味の態勢の所為ではっきりとは言えないが、それでも服の皺から胴体部が引き締まっている事を伺わせている。紅朗が熊かと見紛うばかりの男だった。



「熊か」



 実際、紅朗は思った事を素直に口にしてしまい、



「おぅ。良く言われる」



 と肯定が返ってきた。それもその筈、ガンターという男は外見的に熊なのだ。露出した手と顔がそれを如実に表している。紅朗の頭部を丸々鷲掴み出来る程に大きな手は、頑丈そうで黒く鋭い爪を持ち、灰色の剛毛に覆われていた。更にその顔は、目元までびっしりと、これまた灰色の剛毛で覆われている。幸いな事に目撃や体験などした事の無い紅朗だが、その男を地球風に言うのならばグリズリーに良く似ていた。



「俺ぁ熊腕族のガンターってんだ。宜しくな新人さん」



 片腕を支えにカウンターに乗り出し、紅朗に手を差し伸べるガンター。紅朗はその手を握り返して、その巨躯の頑丈さを垣間見る。握った手の平が、自分が想定していた以上の力強さを誇っていたからだ。


 握手から得られるものは、相手の文化や手の平の硬さだけでは無い。ある程度の技術を修めた武道家であれば、表面には露出していない腕の肉付き、そこから推測される相手の全体的な筋肉量。重心、果ては得意な型さえ判別出来る。


 紅朗は武術を齧った程度の腕だが、それでもガンターの手から感覚で理解出来る事は多々あった。


 まず感じたのは、その腕の重さだ。五指全体で感じるずっしりとした重さ。脂肪の重さじゃない。みっちりと詰まった筋肉の重さだ。そしてその腕を固定する筋肉量。自身の腕の力だけではびくともしない。ガンター主動でハンドシェイクされた時には、文字通り振り回される事しか出来なかった。熊を相手にしたらこうなってしまうのかと思うと、その恐ろしさを想像して紅朗の背筋に冷や汗が流れる。


 その、紅朗が抱いた驚愕と言うべきか戦慄というべきか。雑多な言い方は数有れども、兎も角としてつまりは感情の一種をガンターは目敏く感じ取り、少しだけ口角を上げた。口に乗った感情は嘲りか苦笑か。それを紅朗が判断する間も無く、ガンターは隣のアイリスに顔を向ける。



「で、俺にいったい何の用だ」


「私ちょっと二人の調書取ってくるから、新人登録やっておいて」


「調書? なんかあったのか?」


「取ってきたら教えてあげる。後よろしくねー」



 言って、アイリスは後ろ手をひらひらさせながらテーラとソーラの双子を連れてカウンターの角、仕切りで隠された向こう側へ行ってしまった。が、途中でテーラだけが紅朗の所へ戻ってくる。



「なんか、ソーラがあんたに着いててやれって」



 それは助かる、と紅朗は首肯した。未だ文字を理解出来ない紅朗だ。何かに記入しなければならない書類など出てきた時は、代筆を頼まなければならない。ガンターに頼めば別料金を取られるかもしれないのだ。今日の収入は山賊からぶんどった幾らかしか無い事だし、余計な出費は避けたい所だった。


 テーラとソーラに紅朗が内心で感謝の念を送っていると、後頭部をガリガリと引っ掻きながらガンターが紅朗達に目を向けた。同僚に対する呆れを脇に置いたのだろう。小声で「まぁいいや」と呟いていた。



「じゃあ新人登録だな。坊主、此処に名前と年齢、出身地、種族名、得意な獲物を書きな。解んねぇだったら未記入で良い」


「未記入でも大丈夫なのか?」



 出された羊皮紙をテーラに渡しつつ、紅朗は疑問を口にする。門番の所よりは詳しく記入しなければならなそうだが、渡された羊皮紙の欄数に反してかなりの適当感が伺えた。紅朗にとって言えば、出身地や種族名なんて答えられるものじゃない。そもそもが冒険者どころかこの世界自体のルーキーなのだ。日本と書けば良いのかジャパンと書けば良いのか。種族は黄色人種か日本人かホモ・サピエンスか。そこら辺で色々と面倒で手間取りそうな事柄を、未記入というぼかし方でスルー出来るのは助かる事だ。


 が、そこで未記入にしたらしたで予想外の面倒事にならないよう、念には念を入れて聞いてみた所、



「あぁ。中には孤児とか生まれながらに天涯孤独な奴だって居るからな。人に言えねぇ過去を持つ奴だって居る。だから偽名でも構わねぇぜ」



 それは嬉しい前例だ。全力で乗っかろう。と、紅朗は記入すべき事だけをテーラに耳打ちする。すなわち、名前と年齢。後は格闘家とでも書いておけば良いだろう。



「因みに入会金は銀貨五枚な。あと利用規約についてだが、これをよく読んでサインしてくれ」


「残念だが、俺は学が無いから読めないんだ。口頭で説明してくれるかい?」



 ガンターからの羊皮紙を受け取りつつ、紅朗は返す。受け取った羊皮紙には、この冒険者ギルドの規約がびっしりと書き込まれていた。といっても、文字自体の大きさは読み易い程度で記されており、さほど細かいルールは無さそうに見える。だが念には念を入れるべきだろう。不必要に署名してしまうと恐ろしい目にあうのが大人の契約だ。故に今の時点ではサインせず、テーラに確認を取ってからすべきだろうと紅朗は考える。


 そんな風に考えている紅朗に対し、ガンターは何処か嬉しそうに身体をカウンターに乗り出した。



「おう、良いぜ。新人への説明は受付の花だ」


「俺は今まで受付なんてした事無いんだが、そういうもんか?」



 俺だったら面倒でしかめっ面するかもしれない、と紅朗は思う。勤続年数が多ければ多い程、説明の機会も当然増えるだろう。決まりきった言葉を都度並べ立てるのなんて面倒極まりない。文字も読めない自分が言うのもなんだが、「読めよ」と言ってしまうかもしれない。


 が、ガンターはそうは思っていなかった。



「くっちゃべるだけで金が貰えるんだ。こんなボロイ仕事は無ぇだろ?」



 そう快活ににやける熊を前に、紅朗は苦笑する。随分と素敵な勤労意欲だ。



「さて、利用規約だな。取り敢えず、まずは冒険者ギルドの事について話そう。俺らは基本、仲介屋だ。付近一帯で困ってる人がいて、問題を解消したら金を貰える。そういった図式で言えば、問題に困っている人と、問題を解消出来る人とを繋ぐ仲介屋。このギルドはその仲介料金で経営しているんだ。んで、その問題が依頼となって、あそこの掲示板に貼られている」



 ガンターが指差した方に紅朗が目を向ければ、確かにそこには掲示板があり、長方形に切り取られた羊皮紙が貼られている。成程、と紅朗は頷いた。つまりこの組織は、金になる問題を一箇所に集めて、問題解消出来る人材を派遣する組織、言ってしまえば派遣会社、斡旋業者のようなものなのだろう。但し、どれぐらいのペースで問題解消業務を行うかは、ある程度個々人に任せている、と。そう考えると、フリーランサーのハローワークみたいだ。



「依頼の種類は様々だ。大まかに分けるのならば常駐依頼と定期依頼、突発依頼の三つ。あぁ、個人依頼ってのもあるがこれは例外な。簡単に言えば全部文字通り、常駐は常時募集している依頼の事。定期はある時期に必ず出る依頼。突発は急な依頼で個人依頼はギルドを介さない依頼だから例外。どれも基本的には護衛、討伐、採取、探索の四種だが、場合によってはそれら四つの複合もあるし、また全く違う別の仕事の場合もある。護衛とは言えないまでも警備とか、ゴミ屋敷の清掃とかな」



 どうやらこっちの世界にもゴミ屋敷があるらしい。一言にゴミ屋敷とは言うものの、これは存外結構な問題なのだ。紅朗は割とばっさり切り捨てる方だが、コレクターという、他人から見ればゴミに等しい物を宝物として大事に収集する者もいると紅朗は聞いた事がある。話に聞いた所、あるコレクターが30年かけて集めた収集物を、その妻がゴミと称して無断で全て捨てるというなんとも恐ろしいエピソードがあった。というかその捨てられた物を全部集めて欲しいと実際に依頼を受けた。知らねーよなんだよ二十年前に絶版になった漫画とか。俺が産まれる前じゃねーか。とぶちぶち言いつつ二年がかりで全部集めきった記憶がある。あれだけ時間がかかる仕事は二度としないと誓った依頼だ。



「んで、利用規約。これは簡単に言ってしまえば、業務上に起こりうる全ての負債は大概基本的に自己責任ですって話だ。ギルドの依頼を受けて出先でくたばっても当方は一切責任を負いかねますってな」


「素敵な規約だ」


「そう思うだろう? だが例外は有るしリターンはデケェ。例外ってのは、例えば低難易度の依頼が俺らの調査不足で高難易度だったりした場合は慰謝料を払うってのが一番多いケースだな。リターンってのは、俺らはあんたらが持ってきた全てを購入する用意は出来ているって事だ。依頼物、それ以外の採取品、果ては情報まで。勿論、そこらの商人に売り渡すのも有りだが、持ってきた奴がギルド員であるなら俺らは相場より割り高で買うぜ?」



 確かに、荷物にもならない情報を買ってくれるのはデカい。相場より割高ってのもポイントだ。だが、果たしてそれだけでリターンがデカいと言えるかは疑問と言えよう。


 しかし、その疑問を呼んでいたかのように、ガンターは言う。



「リターンのデカさはそれだけじゃねぇ。なにせ俺らのギルドははっきり言って世界一手広くやっている。ほぼ全ての国の主要都市だけじゃなく、ほぼ全ての町という町に支部がある。俺らのギルドに国境線は通じねぇ。そして引退した冒険者の職業斡旋もしている。これは確実なリターンだろ」



 もしガンターの言葉が真実だとしたのなら、それは確かにリターンだ。少し話を聞くだけでも、冒険者というのは荒事が目立つ職業だ。当然、普通に就職なりしているような安定した給料は発生しない。加えて、荒事の中には後遺症の残る怪我を負う事もあるだろう。そうした将来の不安をある程度薄れさせるのがリターンだと言えば、それは確かにリターンだった。ましてやワールドワイドなギルドという事は、紹介出来る職種も豊富だろう。


 だが一つ、紅朗には腑に落ちない事がある。



「このギルドは、そんなにデカいのか?」


「おおよ。全ての国とは言い辛いが、大概の国に冒険者ギルドは常駐しているぜ。あぁ安心してくれ。国同士のいざこざに巻き込まれる事は無いと言っても良い。俺らは国家権力に決して屈しねぇ。大分前にうちのギルド員が侯爵家に絡まれた時は、代償としてその貴族の一族郎党潰した実績がある」


「それは怖いな」



 怖い。このギルドの実態は怖過ぎる。最早それは、網目状に張り巡らされた領土を持たぬ国だ。国民はギルド員、国軍もギルド員の、国民総軍国家だ。しかもその軍が、どの国の主要都市にも根城を構えている。他国にとって言えば、毒を持つ大蛇が常に首元に巻き付いているようなものだろう。いつ寝首をかかれるか解ったもんじゃない。そんな事されたら、そりゃあ貴族の一つも潰せる程デカくなろう。



「だろう? だが本当に恐ろしいのはこっからだ」



 まるで場末の酒場にでもいるような感覚で、ガンターは続ける。少し顔色を赤くしたらもう大分酒が進んでいるようにさえ見えてくる。この男は本当にお喋りが好きなのだな。と紅朗は次を待った。



「少し話は変わるが、まぁ聞いてほしい。このギルドは依頼の達成難度をランク分けしている。そして冒険者もランク分けする事により、依頼達成率の向上化を図っているんだ。自分の実力が今どの辺りで、命の危険無く達成出来るのはどんな依頼かってのを解り易くしたんだ」



 それは良い事だ。労働者を守ろうとする動きでやる気を上げている。ランク分けする事により依頼の選抜に時間をかけずに済むし、「尽くせり」とまでは言わないが「至れり」までは言っても良いだろう。



「ランクはF、E、D、C、B、Aの六つ。


 Fランクは登録直後、初心者だ。選択出来る依頼は町内の雑用が主。依頼を十個達成すると自動的にEへ上がる。あるいは依頼を五つと適正試験に合格するとEへ上がる。


 次がEランク、半人前。選択出来る依頼は町の外、約300m圏内の採取が主。ランクアップはFと同じ。


 その次がDランク、一人前。この辺りから依頼の選択肢が大幅に増える。まぁ自分のランクより下という条件付きだが、依頼の全てを受けられる。


 Cランクからは一端の者扱いで、この辺りから一目置かれ始める。貴族や商人なんかとのコネが増え始めるな。


 Bランクは一流だ。個人依頼が増え始め、二つ名――所謂「俗称」ってヤツが付けられる。「刃の三角錐」とか「剛腕の二等辺三角形」とか。あ、一応言っておくけどこの俗称は適当だからな? 別名【非凡の境界線】。凡人の最高到達地点。あるいは、才能だけで到達出来る限界点だ。


 そしてAランク。言わずとも解るギルドランクのトップ、達人級だ。別名【才能の限界点】。突出した才能を持つ者が、現状に甘んじる事無く、努力の末に到達を許される最高ランク。爵位の低い貴族ぐらいなら一睨みで黙らせる事が出来るレベル。因みに冒険者ギルド支部長の最低条件だ」



 どうやらこのギルドはランク分けにアルファベットを使用しているようだった。それはまぁ良い。紅朗の世界でもアルファベットでのランク分けは普通に使用されている事だ。だが一つ、紅朗はガンターの言い分に一つだけ気になる事があった。


 それは、BランクとAランクの説明に出てきた、ランクの別名。Bランクは【非凡の境界線】、Aランクは【才能の限界点】と言われているようだが、しかし何故、そんな中途半端な言い方なのだろう。中途半端……そう、中途半端なのだ。余りにも言葉として未完成。道半ば感が強い。Bランクを凡人の最高到達地点と言いながら、何故Aランクが限界点止まりなのか。何故……



「……何故、【頂上】と言わないんだ?」


「……気付いたか。聡いな」



 紅朗の呟きに、ガンターはにやりと口角を上げた。



「そう、そこだ。何故ギルドのトップランクの別名が【才能の限界点】と言われているのか。まるでそこから先も確認されているかのように、わざわざ其処が才能で到達出来る限界だと言うのか。何故、頂上と言わないのか」



 そこでガンターは言葉を止め、人差し指一つ上に向ける。



「実はある。人としての境界線の向こう側に踏み込んだ、Sランクという頂点が」



 神妙な顔をしてガンターは言う。



「だがそれは最早実力者として尊敬される事は無く、危険度として畏怖されている。約100年ぐらい前までは実力者、強者としてのSランクがあったんだが、とあるSランカーが国を五つ程滅ぼしてしまったんだ。だからSランクの撤廃が決まり、わざわざ他のSランカーをAランカーに落としてまで、危険度としてのSランクが残されている。Sランカーになる条件はたった一つ。国を潰した実績があるかどうかだ。現在、Sランカーは僅か五名。そのうちの一人が冒険者ギルドのギルドマスターなのさ」



 紅朗は合点がいった。成程、それがギルドの恐ろしさに繋がってくるのか、と。確かに、国潰しの実績があるのでは、恐ろしくて手も出せない。ましてや守るべき事柄の多い貴族には決して、軽々と歯向かう選択肢は選べないだろう。それ程影響力がデカい事にも納得は出来る。



「ところで、普通に考えて国家反逆罪とか転覆罪とかそういう、ドエライ大犯罪者じゃないかギルドマスターは。何故、逮捕なり投獄なりされないんだ?」


「解って聞いているだろお前。その法律の下で生きているお偉方が軒並み殺されて、その土台さえぶっ壊されてんのに、誰が何をどうやって裁けば良いんだよ」



 そりゃそうだ、と紅朗は笑い、ガンターも肩を震わせた。



「さて利用規約の話に戻ろう。利用規約その二。依頼には期限がある。依頼毎に期限が定められて記載されているが、その期限を過ぎても依頼を達成出来なかった場合、契約不履行として罰金を支払わなくてはならない。金額は依頼達成報酬の半額」



 紅朗はちらりとテーラに目を向ける。テーラ達は薬草採取の依頼を受けていたが、道中色々あって、今日は採取出来ていないと彼は聞いていた。それでもギルドに到着してから何も払った様子が無いという事は、彼女らは未だ期限に余裕があるという事だろう。



「利用規約その三。一月に依頼一つは必ず達成しなければならない。これは定期的な生存報告も兼ねてのルールだ。勿論、怪我の治療などで動けないとか、依頼が一月以上かかるとか、そういうやむを得ない場合は免除される。簡単に言えばこの三つだな。あとの細かいルールは都度聞いてくれ。あるいはお隣さんに聞けば良い。お前らパーティー組むんだろ?」



 いきなり説明がおざなりになったな、と紅朗は思うが、それも良いだろうと頷いた。テーラは記入を終えているし、視界の端でソーラとアイリスが調書を書き終えたのか戻ってきている。そしてなにより、腹が減った。日も暮れてきた事だし、ギルドの中も帰ってきた冒険者達で賑わい始めてきた。いい加減面倒な事を終えて飯を食いたい。



「で、登録するかい?」


「あぁ、頼む」



 紅朗は腰袋から銀貨を五枚出し、テーラの記入した羊皮紙と共にガンターに渡す。ガンターはそれを受け取り、カウンターの下から木版を取り出した。



「ようこそルーキー。これはお前のタグプレートだ。ギルドメンバーの証って奴だな」



 紅朗に渡された木版は親指一つ分の小さな長方形で、冒険者ギルドの看板に彫られていたシンボルマークが焼き印されていた。上部には小さく穴が開けられ、そこに革紐が通せるようになっており、主にネックレスとして活用されている。首にかけて服の中に仕舞っていれば、そう簡単に紛失しないからその形を取っているのだろう。



「依頼を受ける時はそれを見せな。じゃないと依頼が受けられないからな。破損や紛失は銅貨一枚で新しくこさえてやる。まぁ、EとFランクのタグプレートは大量生産品なんだけどな」



 ガンターの言う通り、EとFランクのものは大量生産品のタグプレートだ。それは何故かというと、単純に初心者や半人前は勝手に森の奥に入るなどの無茶をして死にやすく、そこにコストを割くには無駄が大き過ぎるとギルドマスターが判断した為である。加えて、EランクFランク共に、依頼は離れても300m程しか離れていない町の近隣のみ。子供でも出来る仕事だってある。親のいない子や、生計の苦しい子達の為の救済措置の面でもあった。


 因みにだが、Dランクからは銅板のプレート、Cランクは鉄、Bは銀、Aは金である。そして全てのプレートに本人の名前が掘られている。その事を聞いた紅朗は隣のテーラにプレートを見せてもらったが、そこには確かに名前が掘られた銅のプレートがあった。残念ながら当然、紅朗に文字は読めなかったが。



「さ、登録は以上だ。どうする? 常駐依頼受けていくか?」


「いや、今日はもう帰るよ。宿も見付けてないからな」


「それは困るわね。貴方にはまだ聞きたい事があるから、もう少し付き合ってほしいのだけれど」



 ガンターの言葉に首を振って答える紅朗だったが、その紅朗の行動を抑止しようとアイリスが入ってきた。ソーラの調書だけでは不十分だったのかと紅朗は頭を傾げる。



「彼女から聞いたのだけれど、私にはやっぱりどうしても納得出来なくて。貴方、本当にボアウルフを倒したの? それも素手で」


「おいおい、ボアウルフを素手ってお前……」



 アイリスの言葉にガンターが唖然とするのも当然だろう。何故ならば紅朗が倒したボアウルフとは、ギルドの中で危険度Bランクに位置した獣なのだ。猪のような皮下脂肪と硬い体毛は鎧のように頑丈で、柔な剣ぐらいは簡単に弾く。そして見た目こそ鈍重のように見えるが、その実、狼のように俊足性に優れているのだ。Bランクの中でも下位の方の獣ではあるのだが、荒事に慣れていない素人が素手で太刀打ち出来る生物では無い。



「えぇ、それも一人で。おまけにその直前には狼牙族の山賊13名を打ち負かしているわ」



 その言葉に、ガンターは今度こそ絶句した。


 対面する紅朗の体は、冒険者的に見て、はっきり言えば細い方に分類されているだろう。引き締まっていると言えば聞こえは良いが、どう見ても中肉中背。一般的な成人男性と同程度の筋肉量でしか無く、ましてやこの世界の基準で考えるとやや痩せていると言っても良い程だ。


 そしてガンターは、握手を交わした時に紅朗が感じたのと同じく、はっきりと紅朗の筋肉量を感じ取っていた。体幹はしっかりしていて、筋肉量からみたらすこし異常なぐらい重心が根深い事を感じていた。だが、それだけだ。大した肉を持っていない華奢な体で、狼牙族13名とボアウルフをソロの無手で攻略出来るとは、彼の常識では到底考えられない。


 そしてガンターの考えは、アイリスの考えとも合致している。だからこそ、二人共に紅朗を疑心を持った眼で見詰めていた。疑心を隠さないその視線に対する紅朗は、視線の意味に気付き溜息を吐く。



「俺がやったかやってないかはあんたらが勝手に決めれば良いだろ。俺はさっさと休みたいんだ」


「そうはいかないわ。周囲の危険調査も私達の仕事なの」


「それはお前らの都合だろ? 人の都合よりも自分の都合を優先させたいのなら、他人に自分の都合に合わせて動いてほしいのなら、足りないものがあるんじゃないか?」



 言って、紅朗は右手の平を上にしてアイリスに伸ばした。



「金だよ。今なら銀板一枚で手を打ってやっても良い」



 その台詞にアイリスとガンターは身を硬直させ、ソーラとテーラは冷や汗を流す。前者はまさかの逆交渉に、後者は紅朗の雰囲気の既視感にだ。特にソーラは紅朗の眼を見て、マズイと思った。その瞳に浮かぶ感情が何なのかは理解出来ないが、相当の意思の硬さが伺える。なにせ、紅朗が食料を強請った眼と同じ意思を見たからだ。


 単純に、現状だけを見れば紅朗がアイリスに強請っているように見える。だが、アイリスはギルドの人間だ。彼がやっている事は、下手したら組織に喧嘩を売っていると見られてもおかしくない行為だった。国境をものともせず、国家の影響力を無視出来る巨大な組織に。


 このままでは、紅朗とパーティーを組む自分達もギルドに目を付けられる。そう危惧したソーラは慌てて紅朗を制止しようとしたが、そこで更に事態をややこしくさせる者が現れた。



「おいおいおいおい。さっきから聞いてりゃあお前さん、ボアウルフをやったそうじゃねぇか」



 依頼帰りの冒険者だった。種族はガンターと同じく熊腕族の男だが、毛色はダークブラウン。密集した体毛は肘から先のみで、ガンターより一回りも大きい男だった。そしてソーラにとって最悪な事に、片手には小さな樽で拵えた、しかしそれでも通常の飲料容器よりも大きなカップ。漂ってくる匂いから中身はほぼ間違いなく酒だ。仕事終わりの一杯、いや三杯は飲んでいるようで、見るからに赤ら顔だった。



「そんな華奢な体で? 大法螺吹いたなぁ、えぇ? お坊ちゃんよぉ」



 そんな男が、酒を持っていない方の手で紅朗の肩を掴む。大きくて鋭利な爪が紅朗の肩に食い込み、その巨体に見合った握力で握り締め始めた。ぎしりと、紅朗の肩が軋む。加えて、その巨体を活かして上から抑えつけるように圧迫。肩だけでなく、背骨にも負荷がかかる。



「悪ぃ事ぁ言わねぇ。冒険者は嘘吐きにも弱虫にも向いちゃいねぇ職業だ。帰ってママのおっぱいでも吸ってな」



 男は紅朗の肩を掴んだまま、げらげらと笑い始めた。男を挟んだ紅朗の向こう側に居る、紅朗達に気付いている冒険者達の何人かも、男と同様笑っている。



「おいガルゲル、そいつはまだルーキーなんだ。虐めないでくれないか」


「そう言うなやガンター。これは新人に対する先輩の教えだぜ? 下手なハッタリは早死にの元っていうなぁ」



 頭上で交わされる言葉の下、嘲笑の的となった紅朗はと言えば――溜息を吐いた。正確に言えば、呆れていた。男に対してじゃない。自分の周囲の事でさえ無い。まさか――まさか、そんな台詞を此処で聞けるとは、という誰に向ける訳でもない呆れ。


 その台詞自体は存在を知っていた。昔、高校の知り合いが見せてくれた古い西部劇の一コマでだ。そんな紅朗だが、師匠と共に各国を渡り歩いていた時に、アメリカの酒場辺りでもしかしたら言われるかもしれない、聞けるかもしれないと少しだけワクワクしていた事を覚えている。しかし少々残念な事に、旅先で出会った人々は極端に紳士か極端にフランクか極端に排他的で、自分がまだそんな人間や機会に遭遇していないだけなのか、誰からもそんな台詞を言われた事は無かったのだ。


 そんな台詞を、まさかこんな異郷の地で、天性的な全身獣コスプレのイカレたおっさんに言われるなんて、思いもしなかった。ほとほと、溜息ばかり出てしまう。



「ガンター」



 が、そう溜息を吐いてもいられない。こうしている間にも肩や背骨の圧力は増しつつあるし、腹は減り続けている。紅朗は取り敢えず目の前の男を無視し、ガンターに向かって声を上げた。



「聞きたい事が二つある。まず一つ目だが、こうした冒険者同士の諍いをギルドはどう対処しているんだ」


「ん、あぁ……。まぁ、当人同士の事だし、俺らは基本不干渉だ。ギルドの中で殺人さえ起きなければ、自己責任の下でどうにかしてくれってスタンスだな」



 申し訳なさそうに告げるガンターに、紅朗は「そうか」とだけ返す。次に紅朗は、ガルゲルと言われた熊腕族の後方に向けて声を上げた。



「なぁあんたら、あんたらはこのおっさんを止める気は無ぇのか? 今なら酔っ払いの戯言として聞き流してやっからよ」



 そう、大衆に向けて告げたが、返ってきたのは一際大きくなった笑い声だった。中には「自分でなんとかしてみろよ」とか「大言壮語もそこまでいきゃあ立派なもんだ」という嘲笑の声も混じっている。その声の群れにも紅朗は「そうか」とだけ頷き、


 バギャリッ!! と硬い何かが砕ける音がギルド内部に響いた。



「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 次いで響き渡る酷い絶叫。その咆哮に、そして光景に、大衆の声はぴたりと止まった。


 それもその筈、絶叫の主はガルゲルで、絶叫の元は膝が砕かれ解放骨折していたからだ。誰がやったかは、見ただけで誰にでも理解できる。本来曲がるべきでは無い方向に圧し折れたガルゲルの膝の上に、未だ紅朗の右足が乗っかっているのだから。


 紅朗がやったのは至極単純な動作だ。紅朗の「戯言」という言葉に腹を立てたガルゲルが、踏み出すために足に力を入れた瞬間、斜めからその力の集中点である膝を踏み抜いただけ。ただそれだけで、ガルゲルの膝は鈍い音を立てて折れ曲がったのだ。



「そんだけでかけりゃ、足の負担も半端じゃ無いだろうさ」



 膝が圧し折れて少し低くなったガルゲルの顔面を、紅朗は鼻で笑いながら蹴っ飛ばした。膝から下が無くなったとしても幾分紅朗より高いその顔面を蹴るための、ハイキック。鞭のような、しかし鈍器のようなくぐもった破裂音。紅朗の蹴りは容易にガルゲルの鼻を砕き、勢いをそのままにガルゲルの後頭部が床に激突した。湧き水のように溢れ出す血がギルドの床を濡らしていく。


 ギルド内部でガルゲル以外の音が消えた。誰しもが息を呑み、声を殺し、ただ物事の中心点を凝視する。


 彼らはほぼ全員が冒険者で、荒事には慣れている。皆が皆、という訳でも無いが、ほぼ全員が命のやり取りの果てを目撃し、あるいは体験している。にも関わらず、何故今絶句しているのか。それはガルゲルがCランク中位の実力者である事もあるだろうが、その最たる要因は、未知であるからだ。


 確かに侮った。その一般的に華奢な体付きを見て、アイリスの言葉を小耳に挟み、大言壮語だと嘲笑した。だが現実はどうだ。ギルド内部全員の予想は斯くも容易く覆された。自らが華奢だと揶揄した体付きの、いかにも弱そうな男が、顔色一つ変えず、微塵も躊躇せず、Cランカー中位の膝と鼻を砕き、二撃で地に沈めたのだ。


 人は未知に恐怖する。人は未知を畏怖し、遠ざける。それは何処の世界も同じようで、例に漏れずギルド内部全員が紅朗を遠ざけ、固唾を呑んで一挙一動に注目していた。


 渦中の紅朗は、既にガルゲルを視界の外に追いやって、ガンターの方に歩み寄っていく。カウンターの向こう側でガンターが後退るのを、少し呆れつつ。



「なぁガンター。お前は言ったよな? 基本不干渉だと。殺しじゃなければ自己責任で、当人同士でどうにかしろと」


「……あ、あぁ」



 あやふやな言葉を肯定と取り、紅朗はカウンターに手を添える。冒険者ギルドのカウンターは一枚板で出来ていた。長さは約4m。幅約50cm。厚みは6cm程度の、頑丈そうな一枚板だ。触った感じ、大丈夫そうだと紅朗は判断した。



「言質は取ったぞ」



 紅朗の言葉がどういう意味を持つのか。ガンターが思いを巡らせる暇も無く、手元のカウンターが悲鳴を上げ始めた。めきめき、ビシビシ、バキバキと。それはギルドのカウンターが、紅朗の手によってもぎ取られ始めた悲鳴だった。紅朗の五指がカウンターにめり込み、台座から引っぺがされようとしている音であった。



「俺は心が小さくてね。降りかかる火の粉はさっさと踏み潰して、後々大火にならないよう、ちゃあんと始末しておかないと、夜も眠れないぐらい小心者なんだよ」



 バキバキバキィッ!! と、カウンターは完全に台座と分離した。それでも一枚板全てを剥ぎ取る事は出来なかったようで、その全長は3m弱程度に短くなっていたが、人を撲殺するには十分な強度と威力を持っているだろう。その、鈍器へと変貌したカウンターを肩に担ぎ、紅朗はガルゲルに足を向けた。



「選ばせてやる」



 紅朗はガルゲルに声をかける。今は呻いているだけのガルゲルだが、意識を失っていない事を紅朗は知っていた。何故ならば鼻が砕ける程度まで力をセーブしたからだ。現にガルゲルは痛みに呻きながらも、しっかりと紅朗の動向に注意しており、その言葉も耳に入っている。



「命以外の全てを今無理矢理奪われるか、自ら進んで金目の物全てを献上するか。どちらか選べ」



 ガルゲルは既に、膝を叩き折られた時に文字通り屈していた。身体のみならず心までも。それは彼の姿を見れば一目瞭然で、砕けた鼻を押さえる手の隙間から滝のように血を溢しつつ、ひしゃげた膝を放り出して腹這いに紅朗から離れようとしていた。その逃げ道を、紅朗はガルゲルの生きている方の足首を踏みつける事で塞ぐ。



「成程、無理矢理奪って欲しいんだな。その意気や良し。なぁに、痛ぇだけで済むから気張って歯ァ食いしばれ」



 鈍器と化したカウンターを高く掲げる紅朗に、己の未来を想像したのか。ガルゲルは全身を硬直させつつも震えだし、喉の奥から声にならない音が絞り出された。強く訴える現実の痛みと、これから来るであろう幻視の痛みに、ガルゲルは屈したのだ。


 屈した彼は制御出来ず震える手を自らの腰回りに移し、拙い動きに時間を掛けながらも、腰袋を紅朗に差し出した。金が入った袋である。それを躊躇せず毟り取るように受け取った紅朗は中身を見て、破顔した。依頼達成直後だったのか、中には金貨が数枚入っていたからだ。



「よぉしよし。お前は賢い選択をしたな。体と金のどちらが大事かをお前は直ぐに選択したんだ。俺はお前を尊敬しよう」



 投げ捨てたカウンターが高い音を立てて床に転がる。音に怯えたガルゲルだが、その正体に気付くと安堵したかのように眉尻を垂れさせた。その表情にさえほくほく顔を浮かべ、紅朗はガルゲルの肩に腕を回す。



「じゃあこの喧嘩で起きたギルドの修繕費は全部お前持ちな。しっかり働いて返せよ? じゃないとギルドに睨まれっぞ」



 驚愕の眼で紅朗を見るガルゲル。彼の膝は今さっき目の前の男に踏み砕かれたのだ。そして、彼の持ち金はほぼ全部とは言わないまでも、少なくない金が今彼の手の内にある。とても仕事など出来る状態では無く、支払える状態でさえ無いのだ。


 だが紅朗の視線は既にガルゲルから外れ、ガンターの方に向いていた。負かした奴の末路なぞ知った事では無いと言わんばかりに。肩に回された腕さえ外れている。



「という訳だガンター。鎧なりなんなり売っ払ってどうにか徴収してくれや。なぁに、足りなかったら後ろの奴らにも払って貰えば良い」



 そして紅朗は、ギルド内に最後の爆弾を落とした。後ろ手で指した面々が絶句しているが、彼にとっては既に終わった事。振り返って面々を見渡し、



「お前らはコイツに同調した仲間だろ。俺なんか間違った事言ってるか? なぁ」



 その一言で、紅朗はギルド内に居る冒険者の殆どを当事者にした。冒険者がガルゲルを代表者に選び、紅朗と喧嘩させて、負けた奴らだと言外に告げたのだ。



「あぁ、それと二つ目」



 後ろの面々にもう用は無いと、紅朗はガンターに向く。二つ目とは、ガルゲルと争う前に言った疑問の事だろう。



「ルーキーが勝手に森に入って勝手に獣だりなんだり駆除して勝手にギルドに持ってきた場合、お前らはそれに金を払うか?」



 それが獣であれば、皮なり肉なり骨なり、売れるものはあるだろう。肉は食用、皮は衣服、骨や爪は装飾品として活用法はある筈だ。何せ、紅朗が来ている服や、テーラやソーラ、他の冒険者が着込んでいる革の鎧が日常的に使われている世界だ。需要があればそれを生業とする者が存在するのは社会の定理であり、それを個人間で売買する行為は地球でもままある事だ。故に、この世界にも存在しない筈が無い。


 そう紅朗は考え、そしてそれは当たっている。



「……金は払う。だが、新米冒険者の無茶を減らす目的で、買値は相場より三割減らした価格だ。それが依頼品であっても、支払い金額は三割減らされる」


「そうか、解った。ソーラ、テーラ、行こう。腹が減った」



 そして紅朗は双子を連れてギルドを出る。後に残った者を歯牙にもかけず。彼にとってギルド内で起きた争いは、既に円満に終わったものなのだ。少なくともガルゲルが腹いせに何か仕掛けてくる事は無いと紅朗は見ている。あの時見せた表情が、それを如実に物語っていた。





そろそろ説明会が終わります。

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