滞在三日目 ~朝~現場検証
大分詰め込み過ぎました。
「ゾンビの正体は、死体に遠隔操作の魔術を使った、マリオネット――?」
「その通り。今回の事件は自然発生的なものじゃねぇ。明らかに人為的。人の手によって引き起こされた殺人事件だよ」
ソーラと紅朗の間で飛び交う言葉。ゾンビに関しての説明。村長の前で繰り広げられた種明かし染みたソレが行きついた先にあった結論は、殺人犯がこの村の中に居た、あるいは現在進行形で居る、という事だった。
「そん、な――まさか……」
その推論を聞いて大地が揺らいだかのように体を傾けるのは、この村の村長、ムース。
紅朗に話の先を促したのは、村長自身だ。確かに、犯人というキーワードに釣られて話の続きを尋ねたのは彼だが、よもやそこから殺人事件に繋がるとは思いもしなかったのだ。彼も彼で、ソーラ達と同様、ゾンビとは自然現象によって産み出されているものと疑っていなかったのだから。
ゾンビ化の原因が解明出来るかと思えば、出て来たのは殺人事件という推論。村長の足がふらついてしまうのも無理も無かった。
「ま、そうじゃねぇと理解出来ないって話だ。死者が動くだの、肉が腐っても動くだの、脳が死んでも動くだの。お前らは魔術だのなんだので納得出来ちまうかもしれないけどな、死体が意識的に動くってのは、世界の法則性が全部狂うって話と同義なんだわ。例え理解出来ねぇ不思議力が間に入ろうと、宇宙の法則が乱れようと、これだけは絶対不変のものだ。何人たりとも侵す事の出来ない不可侵領域の話なんだよ」
足下の覚束ない村長の心情を顧みる事無く、紅朗は話を続ける。
「そしてその理屈で言うのなら、外に居るスケルトンも説明は可能だ。アレらも操り人形なんだろうよ」
スケルトンも操り人形。そう考えるのならば、数が多いのも理解は出来る。なにせ、操るのは骨だけで良いのだ。肉のついた腕と骨だけの腕。どちらが軽いかは論じるまでも無い。
「敵対行動は恐らく、どっかから監視でもされてるか。あるいは、ゾンビ達の感覚を共有しているんだろう。罠の遠隔起動なんてもんがあるんだ。そういった魔術だってあるだろうよ」
肉眼で目視可能な罠を起動させるのは確かに場合によっては有効的な手段でもあるが、それならば魔術に頼らずとも物理的な起動の方が効率的だろう。例えば相手の自重で作動するような仕掛けを用いる等。そうでなくては罠を仕掛ける意味が薄れてしまうのだから。
そもそも罠とは、自分が獲物の前に居なくても対象を拿捕出来るように考案された技術の一つだ。対象の付近にいなければ使えない罠ならば、それも高位の魔術師でなければ作動出来ないのならば、それ相応の頭脳と魔力を用いて対象を直接的に攻撃すれば良い。肉眼目視圏内での作動など不合理の極み。それならば、もっと効率の良い魔術に魔力を割くべきだろう。
そういった逆算形式で紅朗はゾンビ達の敵対行動に理屈を付けた。
その推論は恐らく、八割方的中しているだろうとソーラは見る。魔術の中には遠見の出来るものは確かに存在するし、操作系の高位魔術は確かに対象の重量によって効果が増減されるものなのだから。
と、紅朗の理屈に一人納得を示すソーラは、そこで漸く合点がいった。紅朗の理屈に、では無い。今朝方ゾンビと接敵したあの時、家屋の屋根上で紅朗が呟いた、「巻き込まれた」という言葉にだ。
紅朗はあの時、あの屋根の上から森を見ていたのだろう。そしてその木々の下で蠢くスケルトンを目視していた。村の中で発生したゾンビの存在と、あからさまに村を囲うスケルトンの群れ。まるで、村から誰一人として外に出さないように。さながら檻を監視する看守のように、突如うろつき始めたスケルトン。その状況は、正しく巻き込まれたと言うに相応しい。何故ならば――
「――そ、んな……、何が目的でこんな事を……」
「そこまでは知らねぇよ。ただまぁ、今解ってる事で言える事は、俺達が巻き込まれたって事は確かだな」
「なんで巻き込まれたって解るの?」
ムース村長の呻きにも似た呟きに紅朗が返せば、変わりにと言わんばかりにテーラが疑問を呈す。
「俺がこっちに来て手ェ出した相手は山賊数名と冒険者一名、防衛騎士団の連中だけだ。流石に村一つと引き換えに殺される程恨まれてるってのは無理がある。お前らがそれほどあくどい事をしてたってんなら話は別だがね」
「いやぁ、獲物横取りとか不幸な事故、正当防衛執行程度なら有るけど……そこまで悪い事はしてないかなぁ」
「だろうな。お前らにそんな事出来るような才能は無い。短い付き合いだが、そのぐらいは解る。だから、【巻き込まれた】んだ」
そう、村一つと引き換えに出来る程、紅朗達は恨まれてはいないのだ。悪事を働くにはそれ相応の才能が必要で、村一つ脅かす程の怨恨を買えるような才をソーラとテーラは持ち合わせていない。中には逆恨み、というものもあるだろうが、それだって村一つ壊滅させるという対価は余りにも大き過ぎる。ましてや紅朗には、それ程恨まれるような――怨恨を熟成出来るような期間をこの異郷で過ごしていないのだから。これほど大規模な事件の中心地に紅朗達の存在を据えてあるとは考えにくい。
そもそもの話、紅朗達がこのヘイルディ村に訪れた事自体が突発的なもの。にも関わらず滞在三日目で四体の村人ゾンビを生産し、二体の腐敗ゾンビと数えきれない量のスケルトンが投入されている。仮にこの事件が紅朗達を狙って引き起こされたとするのならば、これはもう個人で出来る領域では無い。明らかな組織的犯行だ。そしてそのような人材も物資も豊富で、その上反社会的な行動を是とする組織に喧嘩を売った覚えなど、紅朗達には無かった。
であれば、必然的にこの騒動はヘイルディ村に何らかの目的があってこそ引き起こされたと言えるだろう。故に紅朗は、「巻き込まれた」と言ったのだ。
「し、しかし……この村にだって、そこまで恨まれるような事は何も……」
「残念だが村長、今回の事件の原因が恨みだとは思っちゃいない。現実として村一つ巻き込んだ犯罪行動ってのは、それ相応に時間も金も労力もかかる事だ。そんな事、恨み骨髄ぐらいは無いと出来はしないよ。それ以外に考えられる事は、まぁ、殺戮自体が目的なんじゃない?」
あるいは、一つの村を故意に滅ぼした事による社会的もしくは金銭的デメリットを払拭して余りあるメリットが有れば、とも考えられるが、それ程の旨味をこのヘイルディという小さな村落が持っているとは思えない。
ともあれ、原因が怨恨だろうが利益だろうが、相手はこの村を滅ぼそうという意思を持っている事だけは確かだ。それだけ解れば充分。後は徹底抗戦すれば良い。
「という訳で村長。ちょっと確かめたい事があるから、このゾンビ化した三体の住居まで案内してくれんかね?」
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村長を先頭に案内されたのは、小さめの一軒家だった。造りは当然、ほぼ木造。ログハウスと言えば聞こえは良いだろうが、悪い言い方をすれば原始的な家屋。それも、築数十年は経っているだろう家だった。屋根は丸太と石を重しに樹皮を敷いて、長らく使っていたのだろう苔どころか草さえ根を下ろし。窓は品質が悪いのか薄汚れていて、厚さも均一では無く。老朽化に伴い補修した跡が所々に見え隠れする古い家。
それが、ゾンビ化された一家が住まう家だった。
といっても、それはゾンビ化された一家が特別貧乏であった訳では無いらしく、周囲の家々も大体同じレベルで痛んでいた。仕事道具であろう農具や荷車は家の外に置かれており、そこが定位置化しているのだろう、車輪の形に土が窪んで草が生えた様子は見られない。出入口から離れた軒下には、乾燥させる為か紐に括られた野菜が暖簾のようにぶら下げられている。
――家屋の状況は周囲と変わらず、特別な差異は無い。固有の財産は外に置いていられる。少なくとも周囲から嫌われていたり、忌避されていたりする訳では無さそうだ。だとすると、ゾンビ化されたのはたまたま選ばれちまっただけの線が濃厚かな。
家屋の外観を見ながら思考に耽る紅朗は、取りあえず適当に手を合わせて表面上のみの体裁を取り繕った。
そんな紅朗の行動を後ろから眺めていたソーラは、視線を紅朗の背中から剥がして古い家屋を見上げる。一見して、なんの変哲も無い家を。しかし、今朝からの狂騒を産み出した一家が住んでいた家を。
「ねぇ、今更ゾンビ化した家族の家に来て何をするつもりなの?」
「検分」
ふと、思いついたかのように上げられたソーラの疑問に、紅朗は一言だけ返して周囲を見渡す。その行為の目的が探索か索敵かは解らないが、少なくとも観察ではあるだろう行為を続けながらも紅朗は言葉を続けた。
「あのゾンビ共の死因を知りたくてよ。というか、……まぁ、なんだ。どっちかって言うと他の奴らを黙らせられるレベルの証拠が見つかんねーかなと思ってな。今俺が一人で突っ走った所で絶対邪魔されるし、それはちとウザったい」
「それは、どういう――」
「スイ、シロ。お前らは外に居ろ。変なもんがあると厄介だからな。シロ、スイを頼んだぞ」
「たのまれた!!」
紅朗の言葉から少しばかり不穏な匂いを嗅ぎ取ったソーラは追及しようとするも、続く紅朗の言葉に遮られてしまう。代わりとばかりに溌剌としたシロの返事が静まり返った村の中に響いた。
シロが紅朗の言葉をちゃんと理解しているかは不明だが、しかしまぁ、スイとシロを外に残すのは理解出来る事だ。ヘイルディ内にゾンビが発生した事は確かだが、五体のゾンビを制圧した時に他のゾンビの存在は確認出来なかった。という事は、この村内に発生したゾンビは五体のみという事になる。というのも、知能の無いゾンビが隠遁する事は考えにくいし、制圧した五体以外のゾンビが居るのならば、今のこの状況で未だ何処かで破壊音がする筈だからだ。
であれば、今最も危険な場所である可能性が高いのが、ゾンビ化した一家がゾンビ化する直前まで住んでいた家屋の中だろう。紅朗の説が正しければ正確にはゾンビ化では無いが、それでも一家三人の命を奪った何かがあった場所。罠か、毒か、それとも実行犯かそのグループか。鬼が出るか蛇が出るか解らない領域に一歩踏み込むのだ。非戦闘員であるスイを連れていく訳にはいかない。
シロならば一緒に連れていけるかもしれないが、それでも今回の目的は限られた空間内の探索だ。戦闘以外でシロが役に立つ事は余り無い上に、危険が去ったとはいえ安全とは言い切れないのが現在のヘイルディ村だ。スイを一人で待たせる訳にもいかないだろう。
故に、紅朗はシロとスイを外に残す選択をしたのだ。
扉とは名ばかりの、恐らくはゾンビとなった一家が無理矢理破壊して通ったのだろう、無残に壊された戸を踏み越えて、紅朗は件の家屋に侵入した。一見して間取りは1DKのようなもの。土間のような土造りのキッチンと、板の間のダイニング。ダイニングにあるテーブルの上には食器が転がっており、器に入っていた汁物が机上と共に床板へと滴を垂らしていた。端っこに畳まれた厚めの布は、恐らくは布団だろう。
箪笥、小物入れ、一人用の椅子と複数用の長椅子、農具入れ、水瓶、屑籠。どれをとっても普通の、少しばかり荒れてはいるが、ただの家以外の何でも無い。此処で一体何が起こり、三人家族の命を奪ったのだろうか。
「事が起こったのは朝食を摂っている時だったようね」
ソーラの言葉に、紅朗は頷きを返す。村長もソーラの言は理解出来たらしく、しかし残念な事にテーラは理解出来なかったようだ。
「え、なんで?」
「端っこに布団が畳まれていて、テーブルの上に三人分の食器。中には食べかけのスープ。それが倒れて転がっている。ゾンビが布団を畳んで食卓を囲むと思う?」
「あぁ、なるほど」
付け加えると、土間の鍋には微かに湯気を上らせているスープ。その下にある焚き木はもう種火程しか残っていないが、一筋の白い煙を吐いていた。鍋の隣には加工途中の食材と刃物。火と言う、文明の始まりを利用する知能が残っていた確実な証拠。少なくともこの家に住む一家は、朝の段階では家族全員が存命していて、朝食を摂っていたというのは誰の目にも明白だった。
殺害されたのは、ソーラの言う通り朝食時だろう。荒れたテーブルの上がそれを物語っている。
と、そこまで理解した上でふと、テーラは顔を上げた。
「ていうか、流れで入ったけどあたし達は何を探せば良いの? あのゾンビ達ってどうやって死んだのかね」
そう。死因を探る為と紅朗は言ったが、それはあくまでも紅朗の脳内にある思考を端的に告げられただけ。ゾンビ化した一家の家で具体的になにをするのか、テーラ達は聞いていないのだ。
「クロウの読み通りだと、殺された、らしいけれども……」
「この部屋の様子や早朝に暴れ始めたという事からして、長く争った訳では無い……。刃物か何かですかな」
「いや、それは無ぇな」
テーラの言葉を確かにと頷いたソーラは思考を巡らせ、傍らのムース村長も事件を解決すべく脳を働かせる。だがそんなムース村長の言を紅朗はきっぱりと否定した。
「なんで?」
「ほら、あのゾンビ、血が出てたろ?」
紅朗の言葉に先程のシーンを各々が思い返せば、確かに大地は赤く染まっていた。実験の際に分断した手足からも血液は出た、とも紅朗が言っていたのは記憶に新しい。
「千切った時だって勢いこそ無いけど血はまぁまぁ出ていた。つまり、五体満足の時には体内の血液は体外へと流れ出ていなかったって事だ。実際、体に多少の擦り傷や切り傷はあれど、とても致死量に届くとは思えない程度の小さな傷だったしな」
言いながら、紅朗はテーブルの上にぶちまけられた食器を手にする。器に残っていた内容物の一つ一つを観察し、テーブルと床の一部を汚す汁に人差し指を浸した。汁に熱気は感じられず、既に冷め切っている。汁に浸した指先を鼻に近付けて匂いを嗅ぎ、流石に汁を口に含む事はしないようで、テーブルの濡れていない部分に指を擦り付けて水気を落とした。
「てぇ事ァ、失血死じゃない。少なくとも刺殺じゃ無いって事だ。喉に痕も無かったから絞殺じゃあ無い。急所付近に打撲痕も見られなかった」
この異郷の住人はその殆どが高い密度の体毛にほぼ全身覆われている為、外気に晒している皮膚の面は異常に少ない。それでも、外傷があるかどうかの違いは解るものだ。
絞殺死体であれば生存本能による喉への掻き毟り傷が出来るもの。少なくとも毛が潰された痕跡や、苦痛から脱却しようと喉を掻き毟り、自らの爪で毛や皮膚を毟ってしまう筈だ。だが、それらは見当たらなかった。
また打撲痕は前述の理由で皮膚の露出が少ないので、腫れているかどうかでしか解らなかったが、それでも死傷に至る傷だ。紅朗の経験則から言えば、そういうのは触れれば解る。
しかし、ゾンビ化した三人の身体にそれらの痕跡はまるで見当たらなかった。
「つまり現状、あの三人の死んだ理由が解らねーのよ」
屑籠を逆さに振るい、内容物を床にぶちまけながら紅朗は溜息を吐く。撒かれた内容物は埃、毛、藁の切れ端、木の葉や枝。屑籠に入れられていたのは正しく不要になったゴミそのもので、なんら不審なものは無い。
だが紅朗が溜息を吐いたのは、何も屑籠に怪しい物が入っていなかったからでは無かった。
「死斑がなぁ、動き回っていたし特定部位は毛深いしで解んねーのが痛いなぁ」
そう。紅朗が嘆いていたのは、この異郷特有のもの。原住民たちの毛深さにあった。
「なに、シハンって」
「人が死んで心臓が動かなくなると血液は流れる事無く停滞する。停滞した血液が長時間経つと肉に血の色素が沁み込んで皮膚表面の色が変わるんだ。その色や色合いの強弱で死んだ原因や何時に死んだかを推定する事が出来るのさ。俺も専門じゃねぇから詳しくは解らねぇけど、普通は赤っぽい紫。毒で死んだら焦げ茶や緑ってな具合に」
現代日本の法医学の一つ、死斑。死後数十分程度で肉体に現れる血の痕跡である。
それが観測出来なかった事が唯一の痛手だろう。と言っても、紅朗の言う通りゾンビは動き回っていた事から、例え毛深くなくとも死斑は出来ていなかっただろうけれども。
更に言えば、その痛手はさして痛くも痒くもない。ただ、観測出来ていたら多少マシ、ちょっとした時短が出来る程度のものだった。何故ならば――
「ま、なんとなくは予想着いてるけどよ」
紅朗には、ゾンビ達が如何にして死んだのか。その原因に少しばかりの心当たりがあるのだから。
「なんとなくって?」
「単純に、外に死因が無いってんなら――原因は中だろ」
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紅朗達がゾンビ化した一家の家探しをしている間、スイとシロは紅朗の言い付け通り、その家屋の傍で待機していた。
ダークブラウンの大きな外套を頭から被り、膝を立てて大地に座り込むスイ。その隣には自らの長い尾を用いてとぐろを巻き、それを布団にして眠りに着くシロの姿。大人用の大きな外套を器用に使って自らの白い素肌を隠してはいるが、それでも隠しきれるものでは無く。外套の下から所々、長く太い尾っぽを晒していた。
実を言えば外套を深く被って歩きながらも、シロの尾っぽは時折外気に晒され、それを村人達は目撃していた。決して姿を見せない二人の(仕草や声音からして恐らく)少女の二人。その一人から時折まろび出る白い尾っぽは、村人達からするとただでさえ正体不明の不気味さを醸し出す二人を更に怪しく見せた事だろう。
それもあってラウマが暴れ出した時、いの一番に紅朗達が疑われる羽目になったのだが、それはさておき。
膝を立てて座り込むスイは、時折吹く風の影響で揺らめくフードの端を掴み、更に深く被り直す。
ダークブラウンの、大きな外套。紅朗という大人の男が使う為に購入された外套はスイという十歳前後の少女には遥かに大きく、ましてや栄養失調による成長不足の貧相な肉体には尚の事だ。袖の太さは自らの腕を二、三本追加しても有り余るし、手を伸ばしても袖の先は地面に向かって垂れ落ちるばかり。余程捲らなければ、自身の指先さえ見る事が出来ない。裾だって、紅朗が着てようやく脛の辺りだ。スイが着込めば裾は大地に着くし、歩けば必然的に引き摺らざるを得ない。
それ程に、スイから見れば、大きな大きな、外套である。
自身の全てを覆い尽くす外套。己が身をひた隠すヴェール。ともすれば、まるで紅朗に守られているかのような心地をスイは確かに覚えている。
であるのに、この胸の内に沈む寂然とした感覚は何なのだろうか。
辺りを見れば家屋が立ち並び、そこかしこに生活感が溢れている。使い古した荷車。綺麗に切り揃えられた芝生。丹念に育てられた花。寒い冬に耐えるべく造られている、吊るされた干し物。何度も修繕を図った壁の数々。何処を見ても人の生活している匂いがするのに、生活している音は欠片も無かった。
あるのは隣のシロから聞こえる微かな寝息と、正面の家屋で家探ししているだろう紅朗達の微量な物音と聞き取れないレベルの話声だけ。それ以外は全て、寒々しい空風の音だけがスイの聴覚を支配していた。
それが、スイの胸中を更に冷たく沈ませていく。
仕方ない事ではある。そう、スイは思う。現在、このヘイルディ村は怪事件の真っ最中だ。恐慌中とも言って良い。生存している村人達は恐らく全員が村役場で一塊になり、この狂乱から避難している事だろう。周囲から生活音がしない事は仕方が無い事ではある。
それに自分がこうして外で待たされている事だって、当然だ。自分が紅朗達と共に家屋の中に居たとしても何もする事は無いし、もしかしたら邪魔をしてしまうかもしれない。家屋の中に殺人犯が居たとしたら、狭い空間内だ。自分はあからさまに邪魔者となってしまうだろう。だから、一先ずの護衛役としてシロと共に外で待つ事になっているのは、納得出来る。納得、するしかない。
自分は、何も出来ないのだから。
あぁ、そうだ。解っているのだ。この感覚が、嫌悪だという事は。拒否感だ。自分は今、また棄てられるかもしれないという、漠然とした不安を抱えているのだ。
「私は、何も、出来ない……」
もう二度と、棄てられたくないという忌避感。それを払拭するには、自分が有用である事を証明するしかない。だが、スイが思う自分には、何も無かった。戦う事も出来ず、守る事も出来ず、知識も無く、常識も無い。自分が役立たずである無力感に、スイの薄い胸は苛まれる。
そしてそれは、紅朗の口からももたらされた事でもあった。
「何も、しないで、いい……」
この村に到着した日の夜に交わされた、各々の役割分担の話。その際、スイは勇気を振り絞って己が役割を紅朗に問うた。母に嫌われ、父に疎まれ、信じた物が崩壊し、世界に嫌われた彼女。一度、愛する家族に自身の根底を全て廃棄された彼女が勇気を出す。それが、どれだけ満身の力を込めたのか。どれだけ渾身の力を込めたのか。それはスイにしか解らない。
返された紅朗の言葉にどれほど傷付いたのかさえも、彼女にしか解らない事である。
それでも彼女には、紅朗しか縋る者が居ない。他に縋れる者など何も無い彼女が、その者から嫌われないように手を尽くして自らの有用性を示したいと願うのは、何も間違った感情では無いだろう。
しかし……しかし彼女には――
「何も、ない……」
彼女の手には、何も無かった。
紅朗に自らの有用性を示せるようなモノが無い。未だ未熟な年齢故に戦力にならず、幼少から監禁されていた頭に知力は育たず、少ない栄養で育った貧弱な体力は紅朗の旅路の邪魔でさえある。
ただ出来る事は、日に三回の食事だけ。生まれ持った膨大な魔力を頼りに、紅朗の腹を膨らませるだけだ。それは何も、スイじゃなくても出来る事。現に紅朗はソーラの魔力で腹を膨らませていた事があるのだから。
で、あれば。いずれそのうち、自分よりも有能で、紅朗の腹を満たす事の出来るものが現れてしまったら。自分は、またしても棄てられてしまうのではないか。
漠然とした不安がスイの背に圧し掛かる。なまじ一度棄てられた経験を持つ身だ。その不安はスイの脳内において、夢か現かも解らなくなる程の圧倒的な現実味を帯びてスイの胸中を焦がし続けていた。
そんな、深く暗い未来を幻視して塞ぎ込むスイを現実に戻したのは、傍らで眠るシロだった。
「!」
ぴくり、と顔を上げたシロは何を思ったか、がばり、と上体を起こして周囲を見回し始める。その急な反応に何事かとスイがシロの後頭部を見つめ続けていると、不意にシロがいつものように尻尾で立ち上がった。
「にく!!」
言って、跳ねたシロが数メートル程先の道端で着地した地点には、確かにシロの言う通り干し肉の切れ端が転がっている。燻製にしているとは言えほぼ無臭の肉の香りに強い反応を示すとは、その食い意地を褒めるべきか嗅覚を讃えるべきか。思わず苦笑を漏らすスイだが、後方のスイの反応など露知らず、シロは再度跳ねて脇道の入り口に止まる。
「にく!!」
そこにも、干し肉が転がっていたらしい。そしてそれは、転々と道端に転がっているようで、割と離れているスイから見える程、シロの横顔は喜色満面と笑みを浮かべていた。恐らくはゾンビが暴れた影響か、周囲に干し肉が散らされてしまったのだろう。だがこれ以上シロと離れてしまうとシロを見失ってしまう恐れが出て来たので、スイは顔を埋めていた膝を伸ばし、立ち上がる。
そんな時だった。
「――こんな所に居たら、危ないよ」
後方から、聞き覚えの無い――否。聞き覚えの薄い声音が上がったのは。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲
「死んだ原因が外じゃなくて中? それって――まさか、毒!?」
紅朗が告げた言葉が意外だったのか、ソーラは声を上げて眼を開く。
場所はゾンビ化した一家の住まい。テーラと村長は机の脇で、ソーラは土間と板の間の境に立ち、紅朗は未だ種火燻る土間のかまどを覗いていた。
背中を丸めて覗き込む紅朗の背中。その男が今し方口にした、ゾンビ化した一家の死因予想。それが外傷では無く、毒殺に因るものであるとの予想は、ソーラにとって予想外のものだったのだろう。
というのも、毒殺というのはそう簡単な事では無いからだ。まず毒物の選定からしなければならない。呼気吸入に使用するのか、経口摂取に使用するのか、外傷塗布に使用するのか。次に麻痺毒か、出血毒か。あるいは即効性か遅効性か。一言に毒と言っても、用途によって用意する毒物は多岐に渡るのだ。そこから毒物を選定し、ものによっては抽出もしなければならない。
使用する毒が決まったのなら、次は何時、何処で、どうやって、だ。毒を盛った事を誰にも知られたくないのならば、対象の行動を何日も観察して日常のルーティーンを見定める必要がある。
毒殺とは本来、それ程の時間を用いて計画的に実行されるものなのだ。それが、言い方は悪いがこんな辺境のド田舎で実行されたとは、到底思いつかないだろう。ましてや相手はその後にゾンビ化して運用し、周囲をスケルトンで囲んで逃がすつもりが無い計画犯だ。刃物だのなんだの使って実行した方が手っ取り早いだろうと考えるのは不自然では無い。
故に思いつかなかった毒殺という選択肢に驚愕の声を上げたソーラへ、しかしクロウは肯定する。証拠までも揃えて。
「多分と言うか、まぁ、コレが出たんじゃそれ以外に無いだろうな」
振り返った紅朗が持っていたのは、灰塗れになった一枚の葉だ。かまどの中にあったそれは恐らく巧妙に焚き木の下へと隠されたが故に灰の下に入り込み、延焼せず残ったものだろう。一部が熱に煽られて焦げているものの、それがなんであるか一目で解る程の原型を留めていた。
緑色の、大きな鋸刃状に深裂した葉。葉本が細く、葉先の太いそれは、紅朗達の記憶に新しく、またそうで無くともこのような形状の葉は彼らの知る所、それ程多くは無い。それとはつまり――
「――タラキサカム……」
セイヨウタンポポに酷似した花の葉であり、こちらではタラキサカムと呼ばれる毒草であった。
「名前までは知らねぇやな。因みに聞くが村長。一般家庭がコレを採取する理由は何かあるのかね」
「……無い、な……」
異郷歴の短い紅朗でさえその花が毒草である事は知っているのだから、村長であるムースだってそれを良く知っているのだろう。話を振られた村長は言葉少なに首を振る。
それも当然。タラキサカムとは、花も茎も葉も、口に含んだだけで死に至る毒を持つ野草なのだ。誰もが親から教えられ、誰もが友から伝えられている程、この地域では有名な、触れる事さえ禁忌の野草。例えどれだけ血迷おうとも、この村で育ち生きてきた村人がその野草を採取してくる筈が無いのだから。
そんな、ある種の地域特産的な野草を地球産まれの紅朗が何故知っていたかと言えば、ロレインカムから脱出した後の野宿で色々あったが故なのだが、それは割愛。
「決まりだな。死因は毒殺。じゃなけりゃこんなモンをわざわざこんなとこで燃やさねぇ。多分、刻まれて鍋のスープに投入されたか、内側に塗りたくられたんだろうな。ただまぁ、言っちゃなんだが手口が稚拙で証拠隠滅が杜撰。コイツァ多分、狙い通りだなぁ」
「――狙い? ちょっと待って、クロウまさか、犯人に目星付いてるって事?」
先程、この家屋に入ろうとした所でソーラが問い掛けようとした紅朗の台詞。それを加味して考えると、紅朗の今の発言は明らかに犯人を特定している言い草だった。ソーラが抱いた疑念に対する紅朗の答えは、是である。
「目星が付いてるっつーか、一番臭いからなぁ。俺が疑うにゃあ充分だ」
「だ、誰なのですか、その不届き者は!!」
腰を伸ばす様に立ち上がりながらソーラに答えた紅朗。その背中に向けて声を荒げる村長の気持ちは解らないでも無かった。
なにせ、村の中に居るかどうかは兎も角として、村人一家が毒殺されている事は確定したのだ。この狭い村の中で、共に生きてきた隣人が、だ。村を治める者としてもただ一人の個人としても、彼が憤らない訳が無い。
しかし紅朗は、それに答える訳には行かなかった。
「残念だがそいつぁ言えねぇ。まだ俺の憶測の段階だからな」
そう。紅朗の脳内にある犯人がまだ確定された訳では無いからだ。紅朗の中ではほぼ100%黒ではあるものの、物的証拠も無い今、その人物を言った所で混乱させるだけであろう。であれば、これからすべき事は決まっている。
「ま、今から尋問しに向かうからよ、奴さんが楽に吐いてくれる事を祈りな」
そう、意気揚々と家の出入口たる戸の無い扉を潜り抜けた所で、紅朗は硬直した。
紅朗に背を向けたシロが一人で、忙しなく顔を周囲に振り撒いているからだ。右を見て、左を見て、上を見て、下を見て、また右を向く。顔だけで無く、その体を持って周囲を見回していた。その行為が何を示しているのか、それは紅朗で無くても解るだろう。紅朗越しにシロを見たソーラやテーラ、村長さえも気付く事。
二人で屋外に待機していた筈なのに、居るのはシロ一人だけ。そのシロが右往左往している。周囲を見回すシロの行動はきっと、探索でも関心でも無い。索敵でも警戒でも無い。探し方の解らない子供が良くやる、拙い捜索行動だ。
「……シロ、何があった」
紅朗が言葉少なに声をかけると、シロは強張るようにその身を竦ませる。ややあってゆっくりと振り返るその表情には、明らかな畏怖が乗せられていた。もとより白い顔を更に青白くさせ、その口元には乱雑に食ったのだろうなんらかの食べかすが付着している。
怯えた顔の下部に伺える、実に間の抜けた痕跡。シロの浮かべる表情にソーラ達は気を抜かしてしまいそうになるが、前方に立つ男から立ち上る雰囲気を前に彼女らは何も言えなかった。
「シ、シロ……、たのまれた……。できなかった、スイ、イなイ……」
拙い言語能力を、それでもなんとかフルに活用してシロが絞り出した言葉はつまり、スイがいなくなったという事だった。
「な、なんでスイちゃんが……!」
テーラが驚きの声を上げるも、隣のソーラにはある程度理解出来ていた。
というのも、現状を見ればなんとなくは解る。スイという少女は育ってきた環境が環境故に、積極性が大きく欠けている。そんな少女が一人で勝手に居なくなるというのは些か考え難い。大方、シロが何らかの食べ物を見付けてがっついている間に攫われた、というのが大まかな流れだろう。
しかし問題は一つ。ソーラ達が居た場所とスイが攫われた現場は、決して遠い訳じゃない。むしろ近場も近場。隔てるものなど粗末な壁しか無く、ましてや扉も壊されているので密室なんてものでは無い。紅朗は兎も角、嗅覚も血と腐った肉の臭いで鈍っているものの、もう一つの優れた能力である聴覚を持つ狐兎族姉妹。その索敵能力を潜り抜けてスイを攫うなど、実質不可能に近い。
なんの小細工も無ければ、の話ではあるが。
「遮音魔術……」
ソーラの脳裏に過ぎる、幾つかある小手先の技術。その中でも一番可能性の高いものであろう技術を、ソーラは呟いた。
それは、名の通り音を遮る魔術。内緒話や潜伏する時に良く使用される、自らの周囲、あるいは任意の範囲の音をその場所以外に漏らさないようにする魔術の事である。そしてそれは、習得こそ容易ではあるものの、こんな田舎の村でまで利用される程、有り触れた技術では無かった。
「ビンゴだ。くっせぇくっせぇ魔力の残り香がしやがる」
そこに、紅朗からソーラを肯定する言葉。紅朗が魔力を嗅ぎ分ける事の出来る能力を持っている事は、ソーラ達は既に知っていた。その能力で自らの餌を求め周り、スイを見つけた事も。範囲こそ広くは無いが、その精度はソーラやテーラですら足下にも及ばない。なにせ彼女らには……否。この異郷中の全生命体の殆どが、魔力に匂いがある事さえ知らないのだから。
そして、スイが攫われた事が何を意味するか。最早、これまであくまで紅朗の推測程度のものだったソレが、確定的になってしまった事を意味する。
「ムース村長。残念だけど紅朗の言う通りだったわね」
「な、なにが、ですかな……」
ソーラの口調から不穏な空気を敏感に感じ取ったムースは恐れ戦くも、ソーラはきっぱりと言い切った。
「この村で事件を起こした犯人が居て、そしてそれに私達が巻き込まれた、というのが、よ」
そしてなにより、ソーラは知っていた。
「――クク、」
スイが、どういう名目で紅朗に連れてこられたのかを。
「は、ははは」
紅朗が、どういう目的でスイを手に入れたのかを。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
紅朗にとって、スイという少女がどれ程の存在だったのかを、ソーラはほぼ正確に理解していた。
村中に響き渡るのではないかと思える程の、怒号にも似た大笑。その笑い声に愉快さは微塵も無く、快楽の色さえ含まれていない。凡そ喜楽という感情の一切合切を取り払った笑い声は聞く者全てを凍えさせ、ソーラは眉を顰めてテーラは脂汗を流し、異形の少女シロに至っては完全に怯えてソーラとテーラの背後に回って身を竦めていた。
やがて笑い声は唐突に、凪のようにピタリと鳴き止む。まるで嵐の前の静けさに包まれたヘイルディ村の中で、ソーラは確信を覚えた。
これは、恐らく予想では無い。予見でも無い。予報でも予知でも無い。これはきっと、もう確定事項になってしまった事だ。
「これは――そうか、これは、アレだな……?」
愉悦に塗れた顔から漏れる、憤怒を乗せた呟きは最早――
「――殺してくれって事だな?」
クロウ・イスルギが――他者の迷惑を顧みない存在が、村民の迷惑になろうとなかろうと一切関係無く、合切躊躇せず、本気で動くという事に他ならない。
前回の今回で大変申し訳ございませんが、ちょいと実生活が禿げ上がる程に忙しくなってきました。数か月ばかり更新が停滞致しますが、必ず戻ってきますのでどうかお待ちいただけると幸いです。
今回はガチ目に忙しいので、停滞期間が解りませんがどうかご了承くださいませ。その内、ひょっこり戻ってきます。更新再開目標は……じゅうが……いや、九月。なんとか、九月までには色々片付けてまいります。




