滞在二日目 ~昼~遺跡観光
朝の鍛錬が終わり、流した汗を拭き、適当に簡素な昼食を取って、時刻は昼を少し回った頃。小屋でだらだら過ごしていた紅朗達の元に、昨日の約束通り干し肉を携えたラウマが訪れた。干し肉の入った携行袋を受け取った紅朗はそのまま腰に括り付け、ラウマ先導の下、装備荷物一式を身に着けて紅朗達は滞在目的である遺跡へ向けて小屋を出た。
向かう先は北西。ホレヘルベルトから南の王都へ向かうという当初の目的からかなり逸脱した行動だが、一日だけのただの観光なのでさしたる影響は無いだろう。
昨晩に村長が言っていた通り、あるいは今先導案内をしているラウマの言っていた通り、周囲360°の、見渡す限りの麦畑という圧巻な景色に包まれながら歩く事、凡そ二時間。紅朗達が(主に紅朗とソーラが)待望していた遺跡の姿が遂に姿を現す。
それは、森……という程の規模では無い、雑木林の中にあった。出来るだけ距離を離そうともその全容が視界に映らない程、横幅の広い岩の壁。崖とも言う岩壁の中に埋め込まれたかのように存在する、崖壁だった。左右に集積されたかのように積み上げられた土砂がさながら門のようにも見えるその壁は、直角に切り取った石材をモルタルだかセメントだかで接着して積み上げ、構築した、明らかな人工壁。所々綺麗に切り取られたかのように開いた穴は、きっと窓だったところなのだろう。それは、文明的な人の類が住んでいたであろう痕跡以外の何物でもない。
それを見たテーラは「へぇ」とだけ呟き、スイは興味が有るのか無いのか何処となく眺めているだけ。シロに至っては完全に興味の外で大きな欠伸を浮かべていた。それらとは真逆にソーラは童心を取り戻したかのように瞳をキラキラと輝かせ、しかして紅朗は――
「まぁ、そりゃそうか」
と、独り言ちた。
紅朗がそう、社交辞令的に落胆を表面へ浮かばせていないだけの反応を見せるのも、仕方の無い事だ。紅朗が想像した遺跡と、今目の前にある遺跡が大分かけ離れているからである。というのも、紅朗が想像した遺跡というのは手記さえ残らない程に古い時代のもの、例えばエジプトのピラミッドだとかメキシコのテオティワカンだとか、そういう世界遺産レベルのものを想定していたのだが、現実は只の石造りの家屋の壁。
心の底で落胆を覚える紅朗ではあるが、そもそも遺跡とはそれを含めたものなのだと思い至る。伝統も、伝説も、古代もクソも。今迄周知されていない古い時代の家屋が出てくれば、それはもうそれだけで分類上遺跡なのだ。例え竪穴式住居だろうが、より原始的な洞穴式住居だろうが、それが人工物であれば、人の類の手が入ったという遺った跡なのだから。
確かに古代の浪漫はあれど、驚愕レベルのものじゃない。卓越した技能も無い、超越した技巧も無い、再現不可能な技法も無い。紅朗の眼前にそびえる遺跡は、紅朗の既知の手法で造られた構築物だった。
これならば洞穴式住居でも見てる方が幾らかマシだ。とさえ言えるような紅朗の心情は、ウキウキ気分で廃城見学に来てみれば極々小規模の、築60年程度のボロ砦を見せられたような気分、とでも例えれば少しは伝わるだろうか。
故に紅朗は、溜息を吐くように大きく肺の空気を外に出した。よもやもう紅朗に遺跡に対しての興味は無いが、ソーラが大分乗り気な為に一方的に帰ると伝える事は出来ず、仕方なく案内役のラウマへ顔を向ける。
「一応、注意事項を聞いておきたい。これはやってはいけないとか、進入禁止な所はあるか?」
遺跡に入る前に注意事項を聞くのは当たり前の事だ。特にこの世界の常識を知らない紅朗からしてみれば、備えあれば、というものだろう。もしかしたら国が重要文化財に指定しているのかもしれない。もしかしたら重罪として囚われるかもしれない。この国への帰属意識もへったくれも無い紅朗ではあるが、くだらない事に時間を取られたくない紅朗としては聞いておきたかった。
だが帰ってきた言葉は少し拍子抜けするもので。
「もう調査自体は終了しちょるし、特に価値が無いらしいんでね。大抵の事ぁ御咎め無いと思いやすぜ。壊さなければ大丈夫じゃあねぇかなぁ」
特に、そこら辺の規定は無いらしい。紅朗にとっては興味が無いのも確かだが、しかし仮にも遺跡。自国領土内にある歴史ある物に対して、なんとも緩いものだ。まぁ、この国が歴史を軽んじて結果潰れたとしても紅朗に関心はまるで無いから別にどうでもいいのだが。
そんな紅朗の心境はさておき、現時点でラウマは案内役を完全に全うした。故に彼は踵を返して紅朗達に背を向ける。
「そんじゃあわっしは此処で帰りまさぁ。畑仕事せにゃならんで」
彼には彼の人生があるし、故に生業がある。特に農作業など一日たりとも休みは無いも同然のものだ。そんな中……村長と交わした交換条件は兎も角として、忙しい中時間を割いてくれた事への労いも込めて、紅朗はラウマに片手を上げて別れの挨拶を済ます。
そしてラウマの背中が木々に隠されて完全に見えなくなった頃、紅朗はソーラへと目を向けた。
「テーラ、見てよコレ! これはきっと古代セメントの一種だわ! 一体どれだけ前のものなのかしら……。崖の中に埋まっているという事は相当古い時代のものかもしれないわね。崖の面にも地層が見える事から千年? 二千年? ドキドキするわね! いやでもちょっと待って。こうして地に埋まった遺跡が出て来たって事は、まさかこの遺跡は地盤沈下で出て来たのかしら、それとも隆起かしら。ああもうワックワクするわね! この土砂はなにかしら。材質から見てこの崖が崩れて出来た訳でも無い……地面の跡から考えると中から出してきたのかしら? 掘り出した? そしてここに集積? だとするとこの遺跡は見た目よりも奥が深いって事かしら! クロウ、クロウ! 早く中に入りましょう! ウズウズしてきちゃって私もう止まりそうも無いわ!」
どっぷりとトリップしたソーラへと。その姿には流石のスイも引き気味だ。
「何アレ」
「あたしにも解んない。新しい本を見ると大体あんな感じになるけど、それと似たようなものなんじゃない?」
ソーラのテンションにスイ以上に引いてる紅朗は、この場に居る唯一のソーラの肉親に尋ねるが、さしものテーラでさえ遠い目をしていた。テーラの言葉から察するに、知的欲求が満たされる感覚でヤバめのクスリをキメたみたいにハイになっているのだろう。新しい玩具を手に入れた子供がやるならまだしも、妙齢の女性がやるとちょっと引く光景だ。見る者によっては可愛らしいと思えるのだろうが、残念ながら紅朗にその視点は存在しない。
「クロウ! テーラ!」
「はいはい。取り敢えず、光源出してくれよ。松明造る時間が勿体無ぇ」
急かさんとばかりに言い放つソーラの瞳の輝きに、やれやれと後頭部を掻きつつ、紅朗は歩を進めた。
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正面以外を圧縮された土で覆われた、太陽の光が届かない遺跡内部に、ソーラが魔術により生み出した光球と共に足を踏み入れる。その後に続いて遺跡に一歩目を刻んだ紅朗は、その内部が彼の想像以上に整地されていた事に関心を抱いた。
地面が平らだった事に、では無い。それもあるが、一年程前に遺跡調査が入り、そして正面入り口の両脇に土砂が集積されていた事から、内部はまぁまぁ踏み荒らされているであろうと思っていたからだ。だが埃の堆積した独特の臭いはあるものの、硬い石材の床は綺麗に払われて汚い印象は残っていない。調査の名目上か歴史に対する礼儀かは知らないが、ここの遺跡調査班はしっかりと業務を遂行したのだろう。
「やっぱ、入口だけあって目ぼしい物は何も無いね」
「何言ってるのテーラ! これ! これ見てよこれ! この床! 石でも無い、モルタルでも無い! この綺麗に整えられた一枚床! これは古代セメントに違いないわ! 所々細かい穴や罅割れが出来ているのは経年劣化と地盤変動による歪みの所為ね!」
「あーはいはい。解った解った」
近くで騒ぐ狐兎族姉妹の雑談を聞き流しつつ、紅朗は床を隅から隅まで観察する。確かに、この床は紅朗の感覚に寄ればセメントに近い。踏み込んだ瞬間に返ってくる力の反発具合が何処か懐かしいのはその為だ。最も、今現在は当時のようなゴム底の靴を履いていないからか違和感は拭えないが。
それにしても、と紅朗は身を屈め、手の指先をもって床に触れる。恐らくは土くれが薄く降ったのだろうざりざりとした感触はあるものの、指先に伝わるひんやりとした触感はセメント……というよりもコンクリートの感触だ。だが、身を屈める程気になったのは、床の材質の事では無い。
色である。灰色の床一面に点在する、斑の黒ずみ。それに紅朗の興味は引かれた。
初見では斑に黒ずんでいるようにも見えたが、良く良く見ると黒ずみは等間隔に並んでいるようだった。遺跡入口を背にして、細長い影のような黒ずみが横二列に並んで真っ直ぐと、縦四列に。そして一番奥の黒ずみは、今紅朗達の居る付近のような細長い黒ずみじゃない。壁との境まで真っ黒だ。
その正体を探るべく、更に深く身を沈める紅朗。地面すれすれまでに顔を、というより視界を近付けて見れば、奥の方の真っ黒な場所。床と壁の境辺りに異物を発見した。周囲の固形物とはどうも違う様子のそれを探る為に這いつくばりながら寄ってみれば、それは小石程度に小さい、炭のような黒い固形物だった。
「……ふむ」
一目見て解る程に、石のような硬さも見受けられない固形物。紅朗は指先でそれに触れ、慎重に持ち上げる。科学者でも地質学者でも考古学者でも無い紅朗には見ただけでは当然、それが何かは解らない。そのまま指先で軽く揉むように擦ってみればいとも容易く固形物は崩れ、紅朗の親指と人差し指の腹に地面と同じ黒ずみを残した。
黒く変色した指先を鼻に近付け、匂いを嗅いでようやく紅朗はその黒い固形物の正体を知る。
「……腐った木の欠片か」
「どしたのクロウ」
急に珍妙な行動(這いつくばっての歩行等)を取り出した紅朗に気が付いたテーラは、紅朗に近寄って尋ねるも、紅朗は自分の指先以外に視線を向けず、あまつさえ傍のテーラを無視してソーラに話しかける始末。
「ソーラ、光球の位置をもう少し上げてくれ」
「え? あ、うん」
テンションがハイになっていても他人の声が届かない訳では無かったソーラは、紅朗の言う通りに光る球を自身の頭上高く浮かばせる。その行動によって見えてくるのは、遺跡の床全体だけではなく、その天井もだ。
「はん、成程ね」
「?」
天井を見てはそう勝手に一人で納得した紅朗の言葉を聞き、テーラは上を見上げた。そこにあったのは、何の変哲も無い土の壁。さながら土自体が三角形の屋根を形作るかのように見事なバランスでこの遺跡の天井を覆い、遺跡の内部を保持している。ただそこに一体何の意味を持って紅朗が納得したのか解らないテーラは少しだけ不満顔だ。
「ねぇ、いったい何が成程なの?」
「ン? あぁ、まぁ、大した事じゃないんだがな」
自身の頭の出来が良くないと自覚しているテーラは、一度考えて解らなかったものを直ぐに疑問として口に出す。それに対して、紅朗は地面を指差した。
「この床がなんで斑に黒いかを考えていて、そんで理由が見付かっただけだよ」
多分な、と一応の注釈を挟んで、紅朗は言う。それは本当に大したものじゃない。ただ一度関心を抱いた疑問をそのまま放置するのが余り好きでは無い紅朗は、状況にも寄るが一考ぐらいはしてみる価値はあると思っている。その疑問が解けた事によるアハ体験が好きなだけかもしれないのだが、それは兎も角として、つまり今回の件もそういう事であった。
「この黒ずみは多分、木が腐って変色したものが床全体に散らばって出来たんだ。黒ずみが纏まって出来ているのは、恐らく長椅子か机だな。斑の黒ずみで解りづらいが、等間隔で均一に出来ているから木製の人工物である事は確かだろう。すると、今俺の足元にある一際纏まって出来た黒ずみは、舞台か教壇。斑に散っている黒ずみは、まぁ屋根が腐って落ちたんだろうな」
「え、腐って落ちたって……残ってるじゃん」
テーラが天井を指差すが、それに紅朗は否と首を振るう。
「いやいや、ちゃんと天井を見てみろよ。あの土壁、不自然な程に滑らかだ。起伏が殆ど無い。自然物であそこまで都合の良いものなんざまず有り得ねぇ。人工的に削った可能性もあるだろうが、洞穴にでも住まなければわざわざ屋根を糞重い石や岩でなんざ造らねぇだろ。きっとあの土壁の下に結果的に土台となっちまった、この家屋の屋根となるものがあったに違いない。そこに土砂か何かが積もり、圧縮されて固形化したんだ。だから屋根が腐り落ちても、あの形を保って居られているんだろうな」
そう言われて再度テーラが屋根に目を向ければ、確かにその土壁は型取ったかのように平らだった。もし紅朗の仮説が正しければ、木材を用いて造られた屋根はきっと、その骨組みである梁も柱も木材で構成されていただろう。それが長い年月を経て腐り、崩れ、風化していったのだとすれば、確かにこの床一面に広がる黒ずみの散らばり様も納得は出来る。
「とすると、この家屋が建造された目的は教師役か偉い人か、まぁ少なくとも選ばれた者が壇上に上がり、衆目を集める為に建設されたものだと思う。俺はこの国の文化も歴史も余り知らないから解んねぇけど、そういう役割を持つ墓守でも居たんじゃねぇの?」
一頻り述べた紅朗は、自らの仮説に満足そうに頷いた。そこであやふやに終わったのは、彼は考古学も歴史にも興味が無いからだろう。彼が気にしていたのは床の変色のみ。そこから派生して家屋の役割を説いたのは、在りし日の家屋の間取りを想像し、展開しただけに過ぎない。【家屋の役割】という仮説の正当性に関心は無いのだ。
「そんじゃまぁ、奥まで行ってみっか」
すっきりした様子の紅朗は、部屋の端っこを親指で指した。そこには、石煉瓦調の壁が無残に崩れ、人一人ぐらいなら楽々と通れる程の穴が開いている。ソーラが出した光球の明かりが壁を映していないという事は、その穴は奥に続いているという証左に他ならない。意気揚々と壁穴を潜る紅朗の後を、煮え切らない様子のテーラが続き、ソーラやスイ、シロも続いた。
そこから先は、入り組んでいるかと思えばほぼ一本道だった。かつての遺跡調査隊が掘り出した土砂を運んだのだろう、一輪車のような轍が刻まれた道を紅朗達は進む。轍が途中で途切れている交差路のような場所で少々迷ったものの、概ね他の道は行き止まりだった事から、余り迷う事無く紅朗達は歩を進めた。
道中、炭が少数のみだが散らばっていたり、土が掘られた後に埋められたような、周囲の土とは明らかに色が違う箇所があり、それは何の為なのだろうと紅朗は不思議がるも、その関心は新たな謎と出くわして掻き消える。
それは、大きな広場のような場所に出た時だ。広場と言っても当然ながら土で覆われており、開放感など微塵も無いのだが、木組みで壁や天井の崩落を抑止された広場に紅朗達は辿り着く。組み木素材の質感からして、明らかに遺跡調査隊が組んだものだろうその場所は、道中の道や入口の家屋よりも天井が高かった。
いや、天井が高いと言うよりもコレは、地面が低いと言うべきだろう。紅朗達が歩いてきた道は坂道として構築され、地面は複数の穴でデコボコなのだから。遺体の発掘名目で地面一帯が掘り返され、自然と天井が高くなったようだ。
その広場に到着した瞬間、紅朗は鼻をスンと鳴らす。
「なんかさぁ、臭くね?」
臭気。遺跡特有の香りとは違う、妙な臭気に紅朗の関心は全て引っ張られてしまったのだ。
「昔の墓だからね。聞いた話によれば、土葬だったみたいだし」
「……その所為、なのかなぁ」
ソーラ達の方が臭いに敏感な筈なのに、彼女らはどうという事も無いとばかりに素っ気ない。もしかしたら敏感過ぎるが故に遺跡に入った時から臭いに気付き、鼻がもう慣れてしまったのかもしれないが、純粋培養の人間である紅朗はどうも気になってしまう。だが、何処から漂ってくるのかも判別出来ない程に、その臭気は微かなのだ。
遺跡特有の埃臭さとは違う。掘り返された土の香りでも無い。土に埋もれていた場所に良くある、空気の停滞していた臭いとも違う。勿論、未開の洞窟探索にて必ず留意されるガス臭さでさえ無い。
何処か腐敗臭にも近い、鼻の奥につんと来る臭い。それを際限無く薄めれば、今紅朗が嗅いでいる香りに近くなるだろう。しかしそれは、死体独特の臭気とも何か違う気が紅朗にはしていた。
微かな臭気に対する明確な違和。それでも特段臭覚力に優れている訳でも無い紅朗には、その臭いの発生源はどうにも掴めそうも無かった。遺跡入口でのアハ体験を掻き消すようなもやもや感を覚えた紅朗は、妙なケチが着いたなぁと一人後頭部を掻く。
そんな事もありながら紅朗達は広場を取り敢えず一周して見回り、
「あんま見るもんは無ぇな」
「そうね。帰りましょ」
別段興味が惹かれる事も不思議な物も遺留物も浪漫も糞も無い広場に見限りを付け、帰路に着く。紅朗だけに妙な徒労感を抱かせながら。
遺跡
縄文時代とかの遺跡とか見て回った事があるんですけど、やっぱり既に現代人の手垢が着きまくった遺跡は余り面白くなかったです。いやまぁ、古代の生活様式に思いを馳せるのは中々楽しかったですが。所詮、俺も現代人ですから、もう既に解っている事に強く興味を惹かれないのです。古代の浪漫とかよりも、神殿とか謎とかが好きなんでしょうねぇ。それに日本人ですからね、現代の義務教育課程で風習も文化もそれとなく知れてしまうし、なんとなく共感も出来てしまうのです。やっぱ海外という知らないし触れた事も無い新鮮味溢れる文化圏の遺跡、マチュピチュとかマヤ文明のそれとか見に行くしかないのかなぁ。
遺跡だからって、全部が全部ダンジョンみたいになると思うなよ!




