一日目、終了。
開墾王こと農家のおっさんラウマによって案内された先は、村の内と外を区切る柵のすぐ傍にある簡易な小屋だった。木の板のみで壁と屋根を造っただけの、窓さえも無い掘っ立て小屋。だが物置として使っていた訳では無く、恐らくは以前に住人が居ただろう様相を呈していた。というのも、中には水瓶と幾つかの薪。囲炉裏のような火を焚くスペースまであるのだ。小屋の小ささからして前住人はきっと独身だったに違いない。いや、あるいは結婚して小屋から出たのかもしれない。まぁそれはどちらでも構わないが。
人が居なくなって少なくとも数か月は経過しているだろう埃の積もり具合からして水瓶に手を出す気にはならないが、暖が取れて寝れるスペースも取れるのならば、一宿とするには充分な小屋だ。
紅朗達は翌日昼頃に干し肉を携えてこの小屋の前で会う約束を交わしたラウマと別れ、小屋内にて就寝スペースを確保する。と言っても精々が埃を払って火を焚く程度のものだが、やらないよりはマシだろう。
「遺跡ってーと、ダンジョンかー」
「そういやソーラ、その遺跡とやらはどういったモンなんだ?」
各々適当にスペースをこさえている最中にふと呟かれるテーラの声に、付随して浮かび上がった紅朗の疑問。眠りこけているシロを村人達の誰にもその素肌が見られないよう外套で丸ごと抱えていた紅朗は、彼女をゆっくりと下ろしながらソーラに尋ねる。
だがソーラにも特に有益な情報は収集していなかったらしく。
「特筆する事が無かったのか、地下墓地だった、という事しか知らないわ。ダンジョンでは無いと思うのだけれど、念の為装備だけはしっかりした方が良いわね」
「おっけー了解。鍵……ダメだコレ。鍵もクソも無ぇ掘っ立て小屋じゃねぇか。防犯意識ひっくいわぁ」
「あと一応、役割も決めておかないと」
ソーラの言葉を聞きつつも小屋の扉を調べていた紅朗は、小規模コミュニティ特有の防犯意識に舌打ちする。引っ掛けるものも何も無い無防備な扉は、誰であろうとも簡単に開けられる開き戸だ。故に紅朗は、その扉をしっかりと閉めた後に、扉と床板両方を貫くように腰に差してた剣鉈を突き刺した。これなら、剣鉈が扉と床板を繋げて引っ掛かりになり、簡易的な鍵の役割を果たしてくれるだろう。
「役割?」
剣鉈を刺した後、何度か扉の固定具合を確かめて頷き、紅朗はソーラに疑問を返す。
「今迄なぁなぁにしていたけれど、パーティーとして動くのだから戦闘時の役割。言っちゃあなんだけど、私達と紅朗って今迄碌に連携とってなかったでしょ? これから長い付き合いになるんだし、こうして人数も増えたのだから、効率の良い戦い方を考えないと」
薪を動かして火の勢いを調整しつつ、ソーラは言う。
確かに、ソーラの言っている事は正しい。遺跡という事もあって、そこでもし魔獣などとの戦闘があった場合、今までの屋外での戦闘とは勝手が違う。屋外で適当に動き回れた状況では無く、屋内という限られたスペース内での戦闘だ。勝手気ままに動いて戦っていれば、味方の攻撃が被弾しないとも限らない。互いに互いの動き方や行動優先順位を知らない現状、その可能性は決して低くないのだ。
また、味方に被弾しないよう躊躇する事だって有り得る。味方を護る為に躊躇した結果、それが起点として怪我ないし最悪全滅なんて、本末転倒もいいとこだ。
そしてその考えは、今までソロで旅をしてきた紅朗には無い視点だった。
「あ、そうか。複数で動くとなるとそういうの決めた方が良いのか」
各々の役割を決める。自分の戦闘範囲をあらかじめ決めておいて、自分の領域の仕事を完璧にこなす。そうすれば被弾の可能性はぐっと低くなるものだ。言うならば、調和の取れた戦時行動と乱戦との違いのようなもの。
紅朗がその事に気付いた様子を見て、ソーラは頷いた。
「そ。で、私は見ての通り遠距離迎撃で、テーラは近距離遊撃だったんだけれど、クロウはどうする?」
「うーん……」
ソーラの右手には弓、左手には魔術の光が灯っていた。テーラは長剣と盾。見て解るようにそれぞれの武器を持つ二人を見て、紅朗は数瞬悩む。しかし、どれだけ考えようとも取れる選択肢は一つだ。紅朗の武器は、両手両足頭の五体が着いた胴。即ち、徒手空拳しか無いのだから。
「正直、俺の役割は斥候が良いんじゃないかな。斥候と言うよりも、尖兵と言った方が近いけれども。索敵に関してはテーラの方が高いと思うが、汎用性と攻撃面に関しては俺の方が高いと思う」
「うん。確かに」
紅朗の武器が己が五体のみである事はソーラもテーラも理解している。武器らしい武器を持たない紅朗には、近距離以外の選択肢が無い。そして紅朗の持つ戦力としての特性を考えれば、彼の言う尖兵、つまりは誰よりも早く戦場に突撃する一番槍が妥当だろう。
何故ならば彼にはその実力がある。ロレインカムの最大戦力を落とす攻撃力が。
「だから、俺が前衛。テーラが中距離の守備寄り。俺としてはスイを護ってくれるのが一番良いかな。んでソーラが後衛の迎撃が俺らの陣形としてはベストかと。シロは遊撃で。というか、ぶっちゃけシロに関しては細かい作戦が理解出来ないだろうし、好きに動いてくれた方が楽」
まぁ、そりゃそうなるだろう。とソーラが吐息を溢す。特にシロに対する見解は一致している。いちいち細かい説明を挟んで戦闘中の流れを殺すぐらいならば、好き勝手に動いて貰った方が有意義だ。
だがここで否やが入る。
「えぇー。あたしが中距離ぃ?」
狐兎族姉妹の特攻隊長こと、テーラだ。彼女的には前線で思う存分暴れたいのだろう。否やと言うより、不満の色が大分濃い文句を上げたテーラに、しかし紅朗は毅然と首肯した。
「そうだ。呆れる程の体力を持っているお前が、その種族特性による索敵能力を活かせば、戦場を縦横無尽に動き回れる。これは対複数の戦闘では戦術的に大きな価値を持つ役割だ。俺が危なくなったら前衛に、ソーラが危なくなったら後衛守護か迎撃。これをやってくれるヤツが居るのと居ないのとでは、継戦能力も戦闘終了時の生存率も大きく変わる」
続いて出てくる言葉に、テーラは「ほぅ……」と関心を寄せる。
今までソロで動いていた紅朗が複数対複数戦の話が出るのは、なにもおかしな話じゃない。彼だって日本にいる頃はそれなりに勉学に励んでいた身だ。戦争の話は知っているし、そこまで近代じゃなくても戦国時代だって学んできた。それだけでは無く、更にはスポーツにだってこの話は適用されるものだろう。
紅朗の話は、言うなればサッカーで言う所のボランチの話なのだから。攻撃と守備のどちらにも加勢する、優れた体力を持つ者に与えられる役割。それを紅朗は、テーラに見出していた。
「そしてその役割を十全に熟すのなら、テーラの初期位置は俺とソーラの間。つまりスイの立ち位置に近い方が良い。故の中距離守備寄りって話だ」
「成程……。ちょいと動きに慣れるまで厳しいだろうけど、好きに動き回れるのは良いね」
最初は不満げなテーラだったが、紅朗の説明が彼女の琴線に触れたのか、次第にやる気を見せて受諾する。動き回る事が好きなテーラは、しかしソーラと冒険者稼業を続けていくにつれ、今までにも危うい場面が何度もあった事を思い出したのだ。自分の実力が足らず、格上の魔物にやられそうだった時。伏兵にソーラを狙われた時等。また、スイという余りにも無防備な存在を放っておくというのも忍びない。
スイは多大な魔力を持ってはいるが、それの運用法をまだ知らないのだ。つまり現時点ではなんの武力も無いのと同じ事。戦う事も守る事も、まして避ける事も逃げる事も出来ない彼女は、必然的に前衛と後衛の中間、というか恐らくは紅朗が突出し過ぎるが故の後衛寄りになる事は誰の目にも明らかな事実だった。そんなスイを見放せる程、テーラは人情味を斬り捨てていない。
「……決まりね」
「じゃあ明日からそんな感じで」
テーラが紅朗の案に乗り気になった所で、パーティーの役割は決まったようなものだ。ソーラが議論を纏めるように告げれば、テーラが終いとばかりに埃臭い床に寝転がった。彼女ら姉妹の間では最早話し合いは終わったようだ。かく言う紅朗も特にこれといった不満や話題は無いので、壁を背にどっかりと座り込む。
「はー、やっと野晒しじゃないトコで寝れるねぇ」
「そうね。それに暖も取れるし、地面に直接じゃない所も体が冷えなくて良いわ」
「あー、昨日とか酷かったもんねぇ。体が強張っちゃってて動き辛いのなんのって」
ソーラの言う通り、地面に直接……例え外套を下に敷いていたとしても、冷えた大地の冷気はやんわりと体に沁み込んでくるものだ。それが外気に晒されていると尚一層。睡眠中にも体温は低下するので、翌朝の身体の強張りは酷い事になる。少なくとも小一時間の準備運動を挟まないと、狩猟にせよ戦闘にせよ、怖くてやってられないのが現状だ。
そこを踏まえると、この小屋での就寝は野宿と比べると天と地程に離れている。正に文明様様と言ったところだ。惜しむらくはもう四日程風呂に入っていないので、そろそろ体を洗いたいところだが、そこは流浪生活していた紅朗だ。体表面の汚れに関しては一定の耐性がある。
驚くのはテーラやソーラと言った、曲がりなりにも女性に分類されるだろう彼女らが風呂に入りたいと駄々を捏ねないところだった。二日目ぐらいに限界が来るんじゃないかと思っていた紅朗だったが、紅朗の予想に反して彼女達は三日に一回、水に浸した布で体を拭う程度の事で表向き満足しているように彼には見えた。
そういえば、と紅朗はふと思い出す。劇団員や雑誌の編集者などの、過密スケジュールで働いている女性は、一日二日どころか一月入らなくても苦にしないと紅朗は聞いた事が有る。テーラとソーラは、それと似たようなものなのかもしれない。いや、ただ単に文明レベルが低い原住民だから毎日風呂に入るという文化を知らないのか。
そう、一人どうでもいい思考を適当に纏めた紅朗は、眠る前に己が食欲を満たそうとスイに向けて声を上げた。
「スイー、俺腹減ったから水出してー」
しかし紅朗の要望に返答は無く、魔術による水の生成も無かった。痩せ細った薄幸の、色の薄い少女はヴェールのように外套を被ったまま、もじもじと平坦な胸の前で己が指を弄り合わせている。なんだなんだ、小便か? と紅朗は思うが、どうもそんな様子では無い。顔を少しだけ上げて、また下げて、口を開いては閉じての繰り返し。催したのならば内腿を擦り合わせるだろうに、そうでは無い行動に、紅朗は小首を傾げた。
「……スイ?」
「あの……」
「うん?」
聞き返した紅朗の言葉に、ややもって返したスイ。それでもその口から意志が語られる事は無く、再度その口は堅く閉ざされ、傍でどうでもいい雑談をしていたテーラやソーラさえも沈黙した。
沈黙の時間は実時間がどうあれ、長く感じるものだ。何時まで経っても喋ろうとしないスイにソーラが助け舟を出そうと腰を上げた行動を、しかし紅朗の視線が制する。
誰かに促されるようにして語るのは楽だ。それも自分より強く、頭も良い者が後押ししてくれるのならば、自分の口から語るものがなんであろうと、その口から出た言葉の責任を譲渡ないし最低でも分割出来るのだから。
だが、それじゃあ駄目だと紅朗は思う。例え過去に肉親から捨てられた過去があろうと、どれだけのトラウマがあろうと、己が意志だけは己が力で突き出さなければならない。でないと、何時まで経っても誰かが促さなければ生きていけない代物になる。そんなもの、人形を抱えて運ぶのと何も変わらない。
故に紅朗は、待つ。スイが自分の言葉を話すまで、何時間でも彼女を見て待つつもりだ。それを言外に悟ったのだろう、ソーラは腰を下ろし、テーラと合わせて二人で紅朗とスイの成り行きを見守り始めた。
そこから暫く、時が経った。ぱちぱちと薪の弾ける音と、シロの静かな寝息のみが小屋の中に染み渡る程の時の後。一世一代の大勝負に賭けるかのような意気込みで顔を上げたスイは、か細い声を懸命に絞り出す。
「私、は……どう、すれば……」
そのまま尻すぼみに消えていくスイの儚い声色。「どうすれば」という言葉の意味から察するに、彼女の問い掛けたものは、先程迄紅朗達が話していた事のそれだろう。
「役割の事?」
「はい……」
ふるふると、スイの弱弱しい体が震えている。微震にも近いそれは、それでも彼女の薄い色が更に薄くなるよう、周囲に溶けて行ってしまうのではないかと思える程の儚さを紅朗達に感じさせた。
しかし、彼女の疑問は正当だろう。スイは今まで、戦うという事を放棄するように生きてきた。生かされてきた。それは彼女自身が幼さ故の貧弱さに加え、本来保護すべき存在から疎まれたトラウマにも起因するものだろう。スイの今迄の人生そのものが、戦うという理念から大きく外れていたのだ。故に彼女は、戦時中にどのような動きをすれば良いのか解らない。
足手纏いには当然なる。勿論、誰かに加勢する事は不可能に近い。だが、それでも極力足を引っ張る事は避けたい。それが、彼女の今後の人生の為。紅朗達に、今度こそ棄てられないようとする、弱弱しい足掻きだった。
その様をどう見たのか、紅朗は口を開いた。
「お前は何もしなくていい。戦いが始まったら、なるべくソーラの近くに居ろ。そうすりゃ俺らが、全てどうにかする」
紅朗の口から出た言葉が、スイが本当に求めていたものか否か。それは、彼女にしか解らないだろう。
ヘイルディ
ホレヘルベルトの東に位置する場所にある村。ロレインカムと同じように丘に挟まれた村だが、何方も傾斜が緩く、棚田へと開墾されている。町と町の間にある村であるが、立ち寄る旅人は少ない。主な生産物は麦。村人達の主な種族は鼠牙族。
東にも南にも設定上町があるけども、それが出る事は多分無いんじゃないかな。
近くに遺跡がある。




