第二章プロローグ
第二章、始まります。
「そこまでだ! ジョウティーナ・トゥヨ・シサイ!!」
森の中で、一際大きな声が響いた。
声の主は男だ。歳は十代後半から二十代前半頃。黄金色の波打った長髪から覗く立派な角は、まるで鹿のように、あるいは樹木のように枝分かれしている。その特徴から一般的に直角族とも呼ばれている種族の一人だ。纏う衣服はいやに洗練されており、その着こなしや出で立ちから恐らく貴族か、もしくはそれに近しい者の様相をしていた。
「お前の企みは既に我が優秀な執事が潰した。海路も陸路もお前に与する者は全て牢獄の中だ。逃げ場なんて無いぞ! 観念しろ!!」
その男が顔を顰め、怒号を放っている。瞳には怒りとも憎しみとも取れる激しい感情を宿し、波打った長髪が揺らめく程の激情を身体から発していた。
その感情を向けるのは、五歩向こうで男に背を向けて立つ、一人の女性。
ジョウティーナとも呼ばれた彼女は全体的にほっそりとした女性で、そして高い。長身痩躯という言葉がぴったりと似合う女性であった。その高さは、おおよそでも2m50cm以上。淡い緑の髪を後頭部で纏め、シニョンのようにして布で包んでいる。そんな彼女だが、それらよりも大きな特徴をその体に宿していた。胴体部分と同程度に長い、キリンのように長い首である。
一般的に首長族と呼ばれている種族の一人であるジョウティーナは、背後からかけられた怒号に対して振り返らずに呟いた。
「――観念……、観念だと?」
その声はまるで、地獄の底から響く程におぞましく。声に色を付けるのならばきっと、どす黒い漆黒の色をしていただろう。
「何を観念する事がある。私にはまだ手は残っている。勝つ為の手段は、未だ私の手から零れ落ちてなどいない!」
男に振り返り、勝ち誇るかのように言い放つジョウティーナ。その手には、紫色に鈍く光る石が握られていた。拳大程度の石を目にした男は、その眼を見開いて鋭く呟く。
「遺跡残留物……【ソドムの秘蹟】!! やはりお前が持っていたか!!」
アーティファクト――または【遺跡残留物】とも呼ばれるそれは、名前の通り各地に点在する遺跡から掘り起こされた出土品の事である。遺跡から出土される物は基本的に土器等の日用品、武器や防具、首飾りや腕輪等の装具や装飾品程度のものであり、それらをひっくるめて遺跡残留物と呼ばれているが、稀に強大な力を保有する物品が出土する事があり、その異様な出土品の事をアーティファクトと呼ばれていた。
現在確認されているアーティファクトは多岐に渡り、一部を抜粋するのならば業火を吐き出す羽衣、暴風を纏う蹄、飢えを満たす甕等が見付かっているが、そのどれもが傾国の威力を孕んでいる。攻撃にせよ、防御にせよ、補助にせよ、その威力は絶大。アーティファクトを持つ事が強者への近道、あるいは国さえ平伏す特権階級者の仲間入りとも言われ、その事もあって、アーティファクトとは憧憬と畏敬の対象となっていた。
その、アーティファクト。人によっては垂涎の的にされ、国によっては一族郎党皆殺しにしてでも奪い取らんとする強大な遺跡残留物。その中の一つこそが、怪しい煌めきをもってジョウティーナの右手に収められている【ソドムの秘蹟】である。
「その通りだよアーリウム坊ちゃん。セルヴァリウス家の地下に眠っていたこのアーティファクトで、私は遂にこの世界へ復讐を遂げるのさ!!」
「……そんな事の為に……っ! そんなもんの為にセルヴァリウス家に近付いてきたのか!! ティナ姉ちゃん!!」
「私をその名で呼ぶなァッ!!」
アーリウムと呼ばれた直角族の男の声を掻き消さんばかりの怒号。怒り狂うジョウティーナの形相は正に般若のようで、隠しきれない憎悪が溢れていた。
「その名で呼んで良いのは私の仲間だけだ! その名で呼んで良いのは私の友だけだ!! その名で呼んで良いのは、私の家族だけだ!!」
だけど一瞬、ほんの一時の間。ジョウティーナの顔は悲哀一色に歪む。
「その名はもう……あの、美しい庭園に置いてきたのですよ、リム」
「ティナ、姉……」
口角を下げ、まるで歯を食いしばるかのように。あるいは瞼から水滴を溢さないように、ジョウティーナの顔が歪んだ。
しかしそれは、一瞬だけの間の出来事。アーリウムが呟くほんの一瞬の間に、先程の光景が幻だったかのようにジョウティーナの顔は憎悪に塗れた。悲哀の顔が嘘のように。悲哀の顔を、隠すかのように、塗り潰すかのように。
「――さぁ、凱旋しよう……。蹂躙しよう。戮殺といこう!! 地獄を、始めようかァッ!!」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
悲鳴と怒号に彩られた彼らは気付かない。その足元を触手を生やした中型犬程の大きさの軟体生物が勢い良く走り過ぎた事さえ、彼らの意識の外だった。それさえ些末事と斬り捨てられる程に、彼らは運命に翻弄されていた。翻弄され、拡販され、あるいは凝縮され。彼女達の視界は、閉ざされたかのように互いのみを見定めていた。
「退けやデカブツゥッ!!!」
「ごっパ――!!」
故にジョウティーナは乱入者のハイキックをまともに食らい、喉の奥から奇妙な音が零れ出る。2mを余裕で超える長身の頂点にある頭部に、尋常では無い威力の蹴りが叩き込まれたそれは、さながら爆発音にも似た打撃音を森の中に響き渡らせた。
「っだあ!! くっそあのイカもどき何処行きやがった!!」
「アっち!!」
「ナイスだシロ!! 見失うんじゃねぇぞ!! それが今日のお前の晩飯だからな!!」
赤髪の青年が倒れ伏したジョウティーナを足蹴にし、素早くくねる白い異形の後を追う。
「あ、すいません。ちょっと通ります」
その直ぐ後に、金髪の狐兎族の女性が、薄幸そうな少女を背に担ぎながら走り過ぎ、
「な、なんで、あんな、元気なのよ……どいつも、こいつも……」
ややあって白髪の狐兎族の女性が荒れた息で喘ぎながら、這う這うの体で金髪の女性の後を追って去っていく。
乱入者が過ぎ去った後に取り残されたアーリウムの足元に、一陣の寂しい風が吹いた。
呆然と立ち尽くすアーリウム。意識を失って転がっているジョウティーナ。霧散した緊迫感。滑り落ちた緊張感。じわじわとにじり寄る脱力感。
「え……っと……取り敢えず、確保……」
数分の時間が経って意識を取り戻したアーリウムは、白目を剥いて倒れているジョウティーナを見て、一先ず自分が此処にいる目的を達成するべく、彼女の腕を縄で縛る。
その胸中は寒々しいものであった。
別に、悪い事では無い。死を覚悟してかつての家族に立ち向かい、死別を覚悟してかつての家族と戦おうとしていた。結果としては何方も死ぬ事は無く、ましてや致命傷や後遺症の残る程の怪我さえ追っていない。ジョウティーナの頬は鷲掴み出来る程がっつり腫れてはいるが、これは予想を遥かに超えた最上の結末ではないか。
そう自分を騙そうと試みるアーリウムだが、その心に吹く風は自分を騙す事が出来ぬ程に憂いに満ちていた。
「……なんか――なんかなぁ……」
肩透かし感が半端無い。虚脱感を隠し切れない。言ってしまえば瞬きした次の瞬間に全部が終わっていたかのようなこの現状。どうして手放しで喜べようか。
――いや別に死にたかった訳じゃないし、殺したかった訳でも無いし。穏便に終われるのならばそれをどんなに夢見た事か解らないけれど、こんな終わり方はなぁ……。
思わず溜息を吐いたアーリウムだったが、もう一つの目的を回収するべく周囲に視線を這わせて、彼は気付く。
「あれ? 【ソドムの秘蹟】は?」
残念な事に、アーリウムの探す【ソドムの秘蹟】というアーティファクトは、現在彼の傍には無い。ジョウティーナを蹴りつけた赤毛の青年、紅朗の蹴たぐりによって【ソドムの秘蹟】はジョウティーナの手を離れ、そればかりか高く放り上げられてしまったのだ。周囲の木々をも超える程高く放り投げられた【ソドムの秘蹟】は当然、アーリウムの居場所から遠く離れ、放物線を描いて再度森の中へと投下された。
木の枝にぶつかり、岩にぶつかり、彼方此方を跳ね回った【ソドムの秘蹟】はやがて勢いを失い大地に転がり、最終的に偶々そこに居たスライムというゲル状の不定形生物の体内にドプンと収まる。それはきっと、偶然と偶然と偶然が重なった、奇跡的な迄に最悪な事なのだろう。
アーティファクトという人知を超えた絶大な能力を行使するには様々な起動条件があり、そしてそれはアーティファクトによってまるで違う。魔力を通せば良いもの、膨大な数の祈りと贄を持って初めて起動出来るもの、装着者が瀕死の重傷を負って発動するもの。
そして【ソドムの秘蹟】というアーティファクトは、体内に取り込む事でその絶大な能力を発揮する事が出来るものだ。
スライムの体内で徐々に溶けてゆく【ソドムの秘蹟】。それはつまり、スライムが【ソドムの秘蹟】の能力の発動条件を満たしつつあるという事に他ならない。
【ソドムの秘蹟】の能力は【無尽蔵の破壊】。核融合など鼻で笑い飛ばせる程の絶対的なエネルギーを周囲に撒き散らし、爆発も炎上も無いままに、ただただ崩壊を促す静寂の爆弾。自然界における風化という現象を、超速再生されるが如き崩壊。そんな馬鹿げた能力を、知性の欠片も持たない不定形生物が持ってしまう。それがどれだけ最悪な事か理解出来るだろうか。
産み出されるのは、【無尽蔵の破壊】が無差別に無作為に振り撒かれる地獄のような災厄の光景である。
そして、その光景へのカウントダウンは既に始まっていた。
スライムの体内で【ソドムの秘蹟】が泡と共にみるみる小さく溶けていく。拳大程もあった【ソドムの秘蹟】は、今や指で摘まめる程に小さい。その【ソドムの秘蹟】の能力が段々とスライムへ移行されているのだろう、不定形生物の身体はどす黒い紫色に変色していき、
「だああああ見失ったあああああ!! あの邪魔したデカブツ食い殺してやろうか畜生!!」
頭上の木の枝から飛び降りた紅朗にズドンと踏み潰された。
「うげ、なんだコレ」
足元から覚えた、大地を踏みしめた以外の奇妙な不快感。それを確かめようと目線を足下へ下ろせば、明らか自らの足で勢い良く踏み潰し、そして飛散したゲル状の物体がそこにはあった。それを見て顔を歪める紅朗。そこに先程までの激情が無いのはきっと、足に伝わってきた圧倒的不快感に頭が冷えたのだろう。なんだなんだと紅朗の身体に巻き付いて登り、紅朗の肩越しから彼の足元を覗くシロも、そのゲル状の物体の正体を知らないらしく首を傾げていた。
そんな彼らに注釈するのは、彼らの無軌道にも思える走行にスイを背負いながら着いてきていたテーラ。木々の隙間からひょっこり現れた彼女の背中に背負われているスイは、長い上下運動に酔ったのか、色素の薄い顔を青くさせて目を回していた。
「あぁ、それスライムだよ。魔物の中でも最弱な生き物とも呼ばれているね。群れだったり大きい個体だと凶悪だけど」
「感触スゲェ気持ち悪ぃんだけどコレ」
まるで犬の糞でも踏んだかのように、ざりざりと紅朗は自分の足を地面に擦り付ける。執拗に、念入りに擦り付けた御蔭か、紅朗の足裏にゲルが付着している事は無かった。足裏に伝わった不快な感触も地面との摩擦によって多少は消えたので、紅朗は行動を再開する。今日の晩飯が何処かへ消えたので、次なる獲物を探しに行くのだろう。
「あれ? ソーラはどうした?」
「向こうでへばってる」
「なんだなんだ、だらしねぇなぁ。それでも一介の冒険者かよ」
紅朗達の去った地面は、草と土とが混ぜに混ぜられ荒れていた。その土の下に、小指の先よりも小さくなった【ソドムの秘蹟】がある事は、きっとこの先何十年と知られる事は無い。この土地に土を食べる生き物はいないし、掘り起こされて偶然見つかったとしても、それがアーティファクトだと気付く者はまず居ない。ここは遺跡では無いし、綺麗な小石などそこら辺に転がっているのだから。人の目に触れたとしてもきっと、路傍の石同然に記憶の端に引っ掛かけられる事さえされず、見過ごされるだけだ。
土に埋まった【ソドムの秘蹟】はこうして伝説となり、やがて人の記憶から消え去っていくのだろう。それが良いか悪いかは兎も角として、人々が知らない間に、人知れず、もしくは世界中の誰も理解しないまま、人類存亡の危機は免れたのだった。
これは、世界平和も人類滅亡も関係無く、地球産まれの石動紅朗という男が、異郷の地で他人の迷惑を考える事無く自分勝手に活きる物語である。
ジョウティーナ・トゥヨ・シサイ
とある貴族家の女中として雇われ、そこの屋敷の主の息子に見初められて婚姻を果たした首長族の女性。貴族の息子という誠実な旦那と、女中との婚姻を快く認めてくれた旦那の親族に囲まれて順風満帆の人生を送っていたが、ある時不幸な事故と行き違いと災害と、ほんの少しの悪意によって全てを失ってしまった。
そんな彼女だが女中としての能力は高く、また旦那の遠い親戚である貴族に拾われて生活している時、その屋敷の地下でアーティファクトを見付けてしまう。その時に彼女は、全てへの復讐を企み始めた。
長身痩躯と言えば聞こえは良いが、言ってしまえばデカくてド貧乳なので悩みと言えばそこが悩み。
と、まぁ色々と設定はあるけれども名前までは付けていなかったキャラクターの一人。急遽命名したので、ある言葉のアナグラムで急造しました。興が乗ったら考えてみてください。もしかしたらクスリと笑って頂けるかもしれません。




