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デミット×カワード ぷろとたいぷっ  作者: 駒沢U佑
第一章 環境適応のススメ編
37/53

【骨法術】

もうそろそろ一月も終わるという頃になりますが、遅れましてあけましておめでとうございます。


今年一発目の更新でクライマックスです。どうぞご賞味あれ。



 突如として鳴り響いた警鐘に店を閉めた。その後、怯える商品(・・)達を部下と共に宥めている最中、震える館と騒音。居ても立っても居られなくなり外に出て商館の周囲を確認してみて、愕然。


 セイムダート奴隷商館の支配人、フレグフロウ・フリーフルズは呆然と立ち尽くし、己の激情をそのまま口に叫ぶ。



「……わ、わ、私の商館があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」



 視線の先には、二階部分の外壁にぽっかりと開いた大穴。自らの職場がそのような無残な姿になっているのだからフレグの気持ちも解らなくは無い。


 このセイムダート奴隷商館は言ってしまえばロレインカム支部。フレグはその支部の総責任者だ。本店は過去に彼の口から語られたようにイーディフ王国の王都にあり、彼はその本店にこの無残な様相を晒している現状を報告する義務と責任があった。要するに総責任者と言えども組織の一社員である事に変わりは無く、きっと彼はこの後、相応に上司から責め立てられてしまう事だろう。己の過失などまるで無いのに。その未来を鑑みれば絶叫してしまうのも無理は無い。


 せめて上司の溜飲を下げる為にすべき事は一つ。下手人をひっ捕らえて補償させる事だ。フレグは視線を周囲に這わせた。


 容疑者は二人。先程路地裏から勢い良く出てきた白髪の狐兎族の娘。そして向かいの屋根から此方を見下ろしている丸角族の男だ。飛び出してきた狐兎族は知らないが、丸角族の男ならフレグは見た事がある。あれは確か、ロレインカム防衛騎士団のトップ、スカイクォーツ・コンソルディ。本来であればその立場や噂に聞く性格上、容疑者には成り得ないが、だが残念ながら色々な状況証拠がそれを許さない。


 ほぼ丸腰に近い細腕の狐兎族があの大穴を開けるのは想像付かないが、得物を抜いた筋骨隆々の男ならば有り得ない事も無い。状況的に何かを飛ばして壁に穴を開けたのだから、細腕でかち上げるより太腕で投げ飛ばす方が容易い。その上で、悲観を顔に浮かべた狐兎族と、疚しさに顔を歪めたスカイクォーツ。どちらが犯人と見るかは一目瞭然だろう。「げ」というスカイクォーツの呟きが今にもフレグの耳に届きそうな程なのだから。



「お、おおおおお前かあああああ! わた、私の店をよくも、よくもおおおおおおお!!」



 井蛙族らしからぬ溢れ出る激情に語気を荒くするフレグ。これは不味いと判断したスカイクォーツはすぐさま屋根から飛び降り、フレグの前に着地して頭を垂れる。



「……大変申し訳ありません、ご主人。商館の壁を破壊した件に付きましては、日を改めて謝罪に伺います。しかしどうか、今は落ち着いて下さい」


「これが落ち着いていられるか!! うちの壁ならどうにでもなる!! だがうちの商品(奴隷)達に一生物の傷が残ったらどうしてくれるんだ!! お前らが補填してくれるのかロレインカム防衛騎士団!!」


「ご主人のお怒りは御尤もです。ですが今は、犯罪者の取締り中ですので――」


「あぁ、しかもあそこは売約済みの子が居る所じゃないか!! お、お客様になんとお詫びすれば……!!」



 スカイクォーツの言を遮ってまで喋るフレグは、きっと彼の人生史上最上位に値する程の激情を抱えているのだろう。憤怒と困惑を上手く捌き切れず、まるで情緒不安定になったかのようにコロコロと表情を変えていた。いや、事実情緒不安定なのだ。支配人として、一社員として、商人として、一人の町民として。矜持と自尊心と責任と不安、やるべき事やしなければならない事が有り過ぎるのだから。



「その点に付きましても我々がなんとか補償しましょう。ですから今は、どうかお隠れを」


「いやこんな事してる場合じゃない!! もしかしたら瓦礫に埋もれているかもしれないじゃ――お客様?」



 そんな彼の視界に、一人の人物が写り込んだ。二階部分の壁に開いた大きな穴。その穴の淵に、彼は居た。二日前にある一人の少女を予約していった者だ。というか、今の今迄どうやって謝罪すべきか考えていた相手だった。Dランカー冒険者、クロウ。


 フレグの言葉と共にスカイクォーツもその者を視界に入れる。そして怪訝に眉を顰めた。



「――どういう事だ……?」



 その体に、つい先程まで刻まれていた傷が見受けられない事に。全身の擦過傷も、打撲痕も見当たらない。折れて抉れて削れていた筈の左腕も、何事も無いように垂れ下がっている。ばかりか、少しばかり大きくなってやしないだろうか。



「――あぁ、良い気分だ」



 困惑と怪訝の視線を一身に受けた紅朗は、それらをさらりと流して穴から飛び、地面に降り立つ。



「ようやっとだ。ようやっと、存分に体を動かせられる」



 まるで階段を下りるような自然な動作。地面に足が着いた時ですらその膝は曲がる事も無く、自重を加味した相応の衝撃を軽々しく受け切っていた。そんな男が数分前まで大怪我を負っていたとは、到底思えない程に。


 その体の事も、紅朗の言葉の意味も検討が付かないスカイクォーツだが、一つだけ解っている事がある。


 紅朗の瞳は光を失っておらず、ばかりか輝きを増してぎらついていた事だ。抜き身の剣、と言うよりも唾液に濡れた猛獣の牙に似た、生々しい輝き。その瞳を持ってスカイクォーツに向けている視線がどういう意味を孕んでいるか。


 考えるまでも無く、スカイクォーツはフレグを置いて走り出した。脳裏に過ぎるは先手必勝。向かう先は当然、紅朗。右手に持った剣を煌めかせ、その切っ先は空を貫いて突き出された。


 刹那、バガァァン!! と、スカイクォーツの顔面が弾け飛ぶ。


 まるで顔の直ぐ横で何かが爆発したかのような衝撃はスカイクォーツの巨体を浮かせ、踏ん張り所を無くした肉体は派手な音を立てて地面に転がった。


 受け身も取れず無様に倒れたスカイクォーツには、何が起きたか解らないだろう。しかし推測は出来る。自身が繰り出した渾身の突き。その切っ先が紅朗に触れるか否かのその瞬間、紅朗は身体全体を独楽のように旋回させて自身の突きを躱したのだ。ギリギリまで引き付けての回避に、それだけでもその観察眼と度胸は驚嘆に値するが、問題はその後だ。


 その直ぐ後、顔面に爆発のような衝撃。衝撃の正体は恐らく蹴りだろう。爆発と勘違いする程の鋭いハイキックにより、自身は蹴り飛ばされたのだ。その証拠に、見上げる形となった視線の先に立つ紅朗は、片足を上げてニヤニヤと見下ろしているのだから。



「ぬううううううううううううううんッ!!」



 きっと、まぐれだ。恐らく偶然だ。そういった希望的観測に我が身を奮い立たせ、スカイクォーツは再度紅朗に突進する。立ち上がりしなのショルダータックル。と見せかけて大地を蹴り、紅朗の右側に回ったスカイクォーツが繰り出すは再度の突き。だが突きを放つ寸前に、紅朗の飛び膝がスカイクォーツの顔面を捉えた。



「――ブッほォッッ!!」


「――はっ」



 鼻で笑う紅朗の膝はスカイクォーツの顔面、その真芯を捉えており、距離を取ったスカイクォーツの鼻から滝のように鮮血が溢れて落ちる。だぱだぱと石畳に赤い水溜まりを形成するスカイクォーツ。鮮血と激痛。両の鼻の穴から溢れ出る鮮血は気道を塞ぎ、口呼吸を迫られ呼気は幾分荒い。顔面の激痛は光を幻視する程の衝撃で、生理現象による涙がスカイクォーツの視界を滲ませていた。


 だが彼は、そんな自身の反応よりも紅朗自身の動きに瞠目していた。先程までとは明らかに違う、蹴りの速度。例えその動きが見えていようとも、避けようの無いタイミングで繰り出された足にスカイクォーツの攻撃は撃墜されていた。


 なんだコレは。なんの冗談だ。そう眼を見開くスカイクォーツの回復を待たずして、紅朗は動き始める。



「――ははは、」



 しかし紅朗は所詮、迎撃主体の男。今迄もそうだった。迎撃が得意なだけで、決して自分が劣っている訳じゃない。


 そう心したスカイクォーツの視界に、紅朗の姿が急激に拡大されて映る。まるで予備動作の見当たらない急加速にスカイクォーツの五体は反応する事すら出来ず、その無防備な左頬に紅朗の右回し蹴りが叩き込まれた。強制的に背けられる視線。顔の半分が無くなったんじゃないかとさえ思えてしまう激痛。そしてソレは、それだけで終わりじゃない。


 踏み込めば足を取られ、下がれば足が捻り出され、しゃがめば脳天に踵を叩き落される。



「あはははははははははははははははははははは!!」



 右に行った、かと思えば左に。上へ飛んだと思えば下に潜り込んで。遠ざかるように近付いて。旋回するように蹴りつけてくる。縦横無尽に動き回りながら呵々大笑する紅朗。その動きはどれもが攻撃の起点を読めず、タイミングをずらされ、スカイクォーツは直撃を免れる事が出来なかった。


 手玉に取られている。紅朗の一手を受ける毎にその事実がスカイクォーツの中で肥大していく。


 なんだコレは。クロウという冒険者は、迎撃主体では無かったのか。その混乱と動揺がスカイクォーツの動きを鈍くしているのもあるだろう。


 だが実は違う。迎撃主体という情報こそが誤りで、侮りでもあった。誤と悔に振り回されたスカイクォーツが、紅朗の本質を見抜けなかった事こそが今の被弾に繋がっているのだ。


 紅朗は決して、迎撃を主体とする戦法は使わない。率先して使いたいとは欠片も思っていない。幾ら隔絶した技術があるとは言え、それだけではジリ貧になっていずれ負けてしまう危険性が高い。ましてや紅朗が元々旅していた世界は銃社会。遠距離からの発砲は、幾ら技術があるとは言えその壁を容易く貫いてくる事が多いのだ。そんな世界で迎撃主体で生きるには無理があり、そしてその世界で負けは死を意味する。そんなデメリットをわざわざ自分から選択する程、紅朗はマゾヒズムに漬かっていない。


 では何故迎撃を主体に動いていたかと言えば、そうするしか無かったと言う他無い。それ以外の選択肢は、先程までの紅朗には残されていなかったからだ。


 だが今は違う。今の紅朗はもう、節約する必要など無いのだから。



「あぁ、やっぱ万全に動けるってのは良いなぁ」


「どういう、事だ……」



 決して、上昇した体温を放出する為のものでは無い汗が滲むのを自覚するスカイクォーツが、自然と疑問を挟むのも仕方ない事なのだろう。聞いた所で互いの力量差が埋まる訳でも無い事を知りながら。聞いた結果、まぐれや偶然が、ただの必然となってしまう事を慄きながら。



「悪いね。今の今迄、腹ァ減ってたからさ。ちゃんと動けなかったんだ。別に騙していた訳じゃあないぜ?」



 満足そうな笑顔と共に放たれた紅朗の言葉に、スカイクォーツは硬直した。


 今、紅朗は何と言ったのだろうか。しかと彼の言葉を耳に入れ、はっきりと認識していながら、スカイクォーツは我が耳を疑う。しかしどれだけ思い返そうとも彼は確かに「腹が減っていた」と言っており、それが幻聴の類では無い事は明らかだ。確かに、紅朗はこれよりも前、腹が減っていると言っていたが……、それを今、正当な理由として持ってくるか?



「腹、が……? 腹が減ってたとか言ったか?」


「そういえばクロウ、今日の朝御飯食べてない……」



 思わず呟いたスカイクォーツの向こう側で、ソーラもまた呟く。然程離れている訳でも無い距離感で呟かれたソーラの言葉は当たり前のようにスカイクォーツの耳にも届き、そして彼女の言動はスカイクォーツを激昂させるに足るものだった。



「だからなんだと言うのだ! たかが一食抜いただけの腹が満たされて動きが変わるなんて、そんな馬鹿な話があるか!!」


「一食? ざけんな。感覚的には一日以上食ってないわ」



 荒げた言葉に返ってきたのは、吐き捨てるような台詞。心底心外だと言わんばかりに顔を歪めた紅朗は、腹を擦りながらそう言った。現に紅朗にとって、ソーラの魔力量が一食分にすら満たないのは事実である。紅朗が森でソーラ達と出会った頃、あの衰弱死寸前の頃に比べれば些か動き回る事は可能だが、それでも日々の疲労は蓄積されていく。飢えた欲求は満たされないままに。一食分にも満たない食事を幾日繰り返せば、少しずつ衰弱していくのは誰にだって解るだろう。


 そして空腹による衰弱は、スカイクォーツにも経験があった。人に歴史あり、とでも言えば良いのか、何も食えずに戦場を走り回った過去がスカイクォーツにはあった。


 その経験を踏まえて言えば、確かに合点はいく。一日以上何も摂取しない状態と、満腹の状態。その二つの状態時で動きに明らかな差異が出るのは、至極当然の話だろう。


 ――空腹。言ってしまえば実に簡単な言葉で、聞くだけならさして問題視する事の無い単語だ。だがそれは、飽食の時代に生きている者のみが得られる極めて恵まれた感覚である。


 空腹とは即ち、栄養失調に他ならない。飢餓による衰弱はモチベーションの喪失に繋がり、栄養失調による貧血は視界のかすみや手足の震え、集中力の減退に繋がる。もし、そこまでの空腹を本当に抱き込んでいたのなら、動作が鈍るのも無理は無いとスカイクォーツは思う。


 そこまで考えて、スカイクォーツの背筋に戦慄が駆け巡る。


 紅朗の言が全部本当であるならば、それは、戦慄以外の何物でも無いだろう。


 何故ならば紅朗は、今までの闘いを――、ガルゲルという冒険者の時も、アマレロの時も。そして今の今迄の、スカイクォーツとの闘いも。


 紅朗は、衰弱した状態のまま戦っていたのだから。



「じゃ、そろそろ終わりにするか」



 ただでさえ衰弱状態でほぼ互角とも言える力量。何かが間違えていれば、天運が紅朗に味方していれば、路上に転がるのがスカイクォーツだったかもしれない先程迄の戦い。


 衰弱状態でそれ程の力量を持っている紅朗が、完全に回復したのなら。


 眼前に立つ者はきっともう、先程迄のクロウとは思わない方が良い。それを如実に感じ取るスカイクォーツ。


 決着を宣言する紅朗は極自然体でスカイクォーツに歩み寄る。その歩行には微塵もぶれは無く、その表情には些細な躊躇も無い。相対するスカイクォーツは、矢張り紅朗とは正反対に自然と半身になり、剣を大上段に構えた。速度と、破壊力。そのどちらをも搭載した、全てを叩き伏せる構えで。



「……()して(まい)る」


(まか)(とお)ってやる」



 呟き迎えるスカイクォーツ。牙を剥いて迫る紅朗。両者の距離は一歩ずつ静かに詰められ、当然の如くスカイクォーツの間合いに紅朗が触れた。刹那の瞬間(as soon as)


 それは確実に、スカイクォーツの人生で一番の攻撃だった。スピード、パワー。両方が最高潮に達した振り下ろしだった。


 だがそれでも紅朗のテクニックには届かない。


 イメージするは小魚の群れ。左足の指先から順に上ってくるよう、足首を通し、膝で捻り上げ。頭部の重みを首の筋肉に乗せ、両手の指先から背筋に流れ、全ての動きがロスする事無く股関節で合流して方向転換し、力が流れると同時にたたまれていた右足を開き、流動した全身の力を右足の爪先へ。


 単純なスピードの勝負ならば、スカイクォーツの剣が紅朗の身体に減り込む方が先だっただろう。だがこれはスピードの問題じゃない。加速の問題だ。スカイクォーツが剣を振り下ろす速度よりも、紅朗の加速が速かった。なにせ、スカイクォーツが剣を振り下ろそうとした時には、ただの歩みだけで紅朗の加速はトップスピードに移行していたのだから。その為のテクニックを、紅朗は修得しているのだから。


 正面から、正々堂々と、隠して騙して陥らせる。それを目的とした紅朗の加速法(日本産まれの武術)は、スカイクォーツの剣にさえ追随を許さなかった。


 そして今度こそ(・・・・)、イメージは完璧。肉体は紅朗の意思を完全に反映し、そのイメージと寸分違わず構築された蹴りは一直線に伸び切り、その衝撃を何に殺される事も削がれる事も無く、スカイクォーツの腹部に叩き込まれた。凹む鎧。減り込む足。波立つ肉。軋む骨。落ちる剣。罅割れる壁。それらが一斉に奏でる不協和音さえも暴力的に、ソーラやフレグの鼓膜を強く揺さぶった。


 仮に紅朗の体重を70kgだとすれば、その衝撃はそのまま70kgの鉄球が高速でぶち当たるものと同じだろう。最終的に受ける衝撃力は、重量の何倍になるのだろうか。


 その答えは、スカイクォーツこそが体現する。



「――グ、ハァッ……!!」



 けたたましい破砕音と共に壁に激突するスカイクォーツ。打ち付けられた衝撃により肺が瞬間的に潰れ、刺々しい呼気が口腔を裂く。鎧の腹部、臍の下辺りの金属部分は砕かれており、その下の衣服まで削れ、薄らと毛の生えた腹部は赤く腫れ上がっていた。まるで、訓練場で紅朗と戦ったアマレロのように。


 しかし受けたダメージは、動けない程じゃない。確かに深いダメージだ。動きたくも無くなる程の鈍痛と、手足の痺れ。気を抜けば気絶しそうな程に意識は揺れている。だが、まだ戦える。そう、スカイクォーツは思っていた。彼の意識だけは。



「――ッッ!!」



 そうして動き出そうとした瞬間、悲鳴すら殺された。


 意志に反して彼の肉体は動く事を許さない。奮え立つ闘争心の足を雁字搦めに縛り、固着される。一歩たりとも動かす事が出来ない程に。足だけじゃない。全身が硬直している。壁から身を剥がす事は勿論、スカイクォーツは小指一つ動かす事が出来なかった。


 その原因は、呼吸一つだけで全身に波及する、腰の激痛。



「――な、ンだッ、これは……っ!!」



 その尋常では無い激痛に顔を歪めるスカイクォーツは、思わず問うた。口を動かすだけでも脂汗が滲み出る激痛に狼狽しながらも言える要因は、削られて尚高い闘争心か不屈の自尊心か。


 対して、問われた紅朗は激痛に呻くスカイクォーツを観察しながら、満足そうに笑みを浮かべた。



「……なんて言えば良いのかな。他流派では【(あぶみ)通し】ってヤツの応用だけど……うん、問題無い感じだな」



 ある流派では【魂落とし】と呼ばれ、ある流派では【鎧貫き】とも呼ばれる技。呼び名は様々あれど、その内容に大した差は無い。衝撃をただ貫通させるだけの技だ。一番有名な技名が中国武術で言う所の【発勁】だろうか。決して超常現象染みた技じゃない。漫画やゲームのようなものでも無い。鍛えれば誰にでも出来る、人が丹念に拵えた技術の一つである。


 つまる所、紅朗はそういう技術を駆使してスカイクォーツの腹を打ったのだ。その衝撃は鎧を砕き、腹筋を貫通し、内臓を掻い潜り、真っ直ぐ通って抜けていった。


 勿論、それだけでスカイクォーツが動けなくなった訳じゃない。要因は紅朗の蹴りだが、原因はもっと直接的なものだ。アマレロ戦では上手く力が乗らず、足先がブレて発現出来なかった、悪意の矛先。腹と背の間にある小さく細い、しかし紅朗達のような動物には無くてはならないもの。


 それは、骨。脊椎動物の中枢、その一部である腰椎。それを、紅朗は【鐙通し】を使ってずらしたのだ。


 満足のいく結果が見れて思わず頬を緩める紅朗。スカイクォーツの肉体が如実に見せる症状が、彼の満足感を刺激していた。


 通称、【魔女の一撃】とも呼ばれるその実態は、【急性腰痛症】――所謂、【ぎっくり腰】である。



「今のお前のように、筋肉だけじゃどうにもならないんだよ。人の身体ってのは、骨があって初めて、筋肉に価値を持たせられるのさ。どうだ。骨身に沁みたか?」



 動物は、筋肉だけでは地面に立てない。押す力がどれだけ有ろうと、引く力がどれだけ優れていようと、その根幹に埋め込まれている骨が無ければ、骨格で固めなければ、全ての生き物は蠢く事しか出来ないのだ。


 その骨を持って動き、骨を持って止める。骨の活用と破壊に長けた武術こそが、紅朗の修めた武術。故に【骨法術】。


 例え異郷の地に紛れ込もうとも、例え異形の徒に絡まれようとも、例え異教の術に纏わりつかれようとも。持って産まれた種族差も、隔絶した対格差も、天性の筋肉量で負けようとも。フィジカルにどれだけの差があろうとも、これは対生物間の話。


 生物としての根幹を知り尽くした者が、生物としての根幹を知らない者に負けて良い道理など在ってはならない。


 そんな蛮族共に、紅朗が負ける訳にはいかないのだ。



「ざまぁねぇな。糞ファンタジー」



 口角を吊り上げて吐き捨てる紅朗の言葉はまるで、この世界全てに対して宣戦布告するようだった。




御読了ありがとうございます。感想お待ちしております。

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