乱戦の開戦
遅くなりましたが更新です。
ロレインカムの門の前。冒険者達は皆離れ、紅朗達はロレインカム防衛騎士団に囲まれていた。周囲を見渡せば鈍色に光る鎧を着飾り、騎士達はそれぞれ抜き身の剣を思い思いに構えていた。白刃の切っ先は、紅朗達に向けられて。
四面楚歌の状況を体験した事は無かったのか、狐兎族姉妹は焦燥に身を強張らせ、きっと脳裏に描くのは己が末路の姿だろう。五体満足に牢屋へ入れられるとは限らない。例え五体満足だとしても、御先は真っ暗だ。
姉妹が将来への不安に顔色を悪くする中、白い異形は敵意を敏感に感じ取り威嚇の声を上げていた。野生の獣は敵意を感じ取る事に長けているが、こればかりは敏感もクソも無い。誰であろうとも、例え何も知らない赤子であろうとも、周囲から集められた感情が敵意である事は明白だった。さしもの紅朗も、難しい顔して唸るばかりである。
「ど、どーする!? どうしようソーラ!?」
その状況に最初に音を上げたのは、狐兎族の体力担当、テーラだ。怖気付いて中腰になりながら、少し離れた紅朗の近くにいる姉のソーラへ現状の是非を問いかける。だがソーラはソーラで、頭の良い分、脳裏に描く予想図が明確だったのだろう。意気消沈して俯くばかり。
「あはは……お尋ね者かぁ……短い人生だったなぁ……」
「諦めちゃダメだよソー――ッ!!」
飛躍して死を連想し始めたソーラ。姉であるテーラはそんなソーラを見てられず、元気づける為に近付こうと足を動かすのだが、それは叶わなかった。彼女の背後から、背筋を凍らせる程冷たい輝きを灯した剣が伸びて来たからだ。それはテーラの首元に添えられて、彼女の足は大地に根付く。
「妙な動きは止めた方が良い。クロウ君に巻き込まれただけかもしれないが、君達も準二級犯罪の容疑者なのだから」
確かに、テーラ達は直接的に紅朗の騒動に関わる事は無かった。ガルゲル戦の時も、アマレロ戦の時も、今でさえ表立って対立する事はしていない。だからと言って、それではいそうですかと容疑を外してしまえる筈が無い。可能性の面で見れば、紅朗を操って暴れているという見方も出来るのだから。それでも準二級の犯罪者と、紅朗よりも危険度を低く見積もっているという事は、防衛騎士団はその線は無いと見ている事の表れだろう。
そんな事、捕縛される側から見れば大差無い事ではあるが。
「ク、クロウ……」
「いやぁ、どうすっかなぁ」
実姉に剣が突き付けられた現実はソーラの意識を浮上させ、されど打つ手は見当たらず。自然とソーラは紅朗に求めるが、紅朗は紅朗で未だ首を捻っていた。間延びした口調からは緊張感が微塵も感じられず、周囲の脅威をものともしていないように。そんな事実を前にしてソーラが口調が荒くなるのも仕方無い事だろう。
「何を呑気な……どうするかじゃないでしょ! 早く謝って! 逮捕されちゃうんだよ!?」
「あぁ、いや。その事じゃないんだ。コイツの名前どうしようかなぁ、と」
だが紅朗は、やはり騎士団を歯牙にもかけないように、腰元付近に浮かぶ異形の頭に手を置いて言う。ソーラと紅朗の間にある余りにも遠い隔たり。緊張感を共有してないばかりか、先程からずっと唸っていたのはそんな事か、と狐兎族姉妹は愕然とした。愕然ついでにその感情は意図せず口から溢れ出る。
「呑気にも程がある!!」
「今気にする事じゃない!!」
「そうだ、シロにしよう。白いし」
「「犬かっ!!」」
周囲に騎士団を、あるいは背後から剣を差しこまれている事さえ忘れて叫ぶ姉妹。その圧倒的な呆けっぷりに、姉妹だけでなく包囲している騎士団ですら呆気にとられていた。
が、渦中の紅朗はやはり素知らぬ顔で、眼下から上がる声に視線を落とす。
「シ、ロ?」
「そうだ、シロだ。シロ。お前の名前だ。解るか?」
不思議そうに見上げられた異形の瞳は何を映すのか。音の響きを反芻するかのように呟かれた言葉を、紅朗は繰り返して語り掛ける。奇妙な感覚に戸惑いを覚えた子供のような表情を浮かべる異形は、やがてその意味を悟ったのだろう。合点がいったかとばかりに瞳をキラキラと輝かせて、彼女は紅朗に手を伸ばす。
「シロ! シロは、シロ!! シロがなまエ!!」
その手にきっと意味は無い。勢い任せに上げられただけの手だ。嬉しくて諸手を上げる時のように、楽しくて両手を開く時のように。まだ感情表現が未発達な子供が、それでも自分なりに喜びを表現するのなら、きっとこんな仕草になるのだろう。体格に見合わない、大袈裟な程に大きな両手を上げて喋る異形――シロに、紅朗は自然と笑みを浮かべた。
微笑ましいという思いもある。だがしかし、それ以上に、紅朗はシロの知能に破顔したのだ。想定よりも、頭の出来が良いと。それは表情のみならず、言葉となっても口から溢れた。
「おお、なんだやっぱ賢いじゃねぇか。意思疎通は充分出来るな」
可及的速やかな意思疎通する上で一番大事なのは、自己を表す記号、名称だ。それをすぐさま理解出来るのなら、識別も容易だろう。であれば、紅朗の思惑も少しは可能性が上がるというもの。
「理解しかねるね。今この場で、その魔物に名前など必要かい?」
「そりゃ必要さ。いいかシロ。このお姉さんと、あのお姉さんは仲間。攻撃しちゃ駄目だ。解るか?」
それを知らないスカイクォーツは疑問符を投げるも、紅朗は真面に取り合わずにシロの瞳を正面から見つめる。
「なかま? なか、ま……?」
「あー……痛くしちゃ駄目。バツ。痛い痛い、バツ」
「イたイ! だめ! シロしなイ!」
「やだなにこの子。実家の犬思い出すわ」
「「やっぱ犬か!!」」
別に、紅朗の実家で飼っていた犬が人語を理解していた訳では無い。どちらかと言えば知能は悪い方だろう。なにせ「お手」と「おかわり」で左右の腕を混同させて差し出すぐらいだ。いや、それは犬の知能が問題では無く、躾する人間側が悪いのだが、ともあれ混同させた割に「これやろ!」と自信満々に手を差し出すその仕草が、今のシロと被っただけの話。
そして例えシロが自信満々に間違ったとしても、それはそれで……まぁ……仕方ない事だと割り切ろうと紅朗は思う。死は誰にだって訪れるもの。早いか遅いかの違いでしかない。即死でなければなんとかなるし、仮にそれでソーラかテーラが戦線離脱したとしても、シロの破壊力があれば御釣りがくる。
「……何をしようとしているんだい?」
「シロ」
再びかけられたスカイクォーツの問いかけを、今度の紅朗は無視しなかった。だが言葉を返す事はしない。彼が返したのは態度であり、そして結果だ。
背後に立つ、テーラに刃を添えている騎士に親指を向けて、彼は告げる。
「やっちまえ」
白い異形を、戦力として活用する事を。
そんな紅朗の意思を明確に汲み取ったシロは、無邪気な顔を一転。獰猛な捕食者の表情を浮かべて、テーラを制する騎士に迫る。蛇の身体はほぼ全てしなやかな筋肉で構成されている。例えシロが蛇と同系統の肉体で無くとも、自身の肉体を尻尾一つで支え続け、縦横無尽に跳んで動ける身体だ。ソーラと比べれば間が空いているテーラとの距離ではあるが、紅朗の身体能力で二歩か三歩かの距離でしかない間であれば、シロなら騎士が動く間も無く肉薄出来る。肉薄して、その強靭な尻尾で弾き飛ばす事が出来る。
であれば、やらない道理は無いだろう。
バガン! とフライパンでぶっ叩いたような音を立てて騎士は刹那の浮遊を体験し、同僚達の群れに突っ込んだ。不幸な事に同僚達は抜き身の剣を構えていて、そこに突っ込んだのだからさあ大変。大多数の刃は鎧によって弾かれはしたものの、勢いが強すぎたのか入射角が悪かったのか、剣が二つほど鎧を貫いて、騎士の腹部を赤く染める。
「――う、うわああああああああああああああああああああああ!!」
「おい、何してんだ! 手ェ離せ!! 剣を抜け!!」
「駄目だ抜くな!! 血が溢れるぞ!!」
「ぁあっはっはっは。おいおい騎士様ともあろう御方が同僚殺しか? そりゃあマズいんじゃねぇの? あぁ、いや。信奉してんのは騎士道じゃなくて暴漢道だったか。それなら大丈夫だな」
騎士が突っ込んだ先から溢れる悲鳴と怒号。そこに上乗せされるように紅朗の嘲笑が響く。姉を助けられたソーラも直接助けられたテーラも、これには言葉が出ないようで、顎を落とさんばかりに口をパクパクと開閉させていた。ついでに、血の気も大分引かせて。
何故ならそれは、明らかな反逆行為だからだ。ロレインカムの町の治安を公的に取り締まる権力を持った組織に対する、明確な対敵行動。現代日本で例えるのなら、逮捕状と手錠と拳銃をセットで構えた警察を殴り飛ばす行為に他ならない。この時、ソーラ達の獄中生活が確定されたようなものだった。
「……何をやったか、理解しているんだな」
「お前らこそ、誰に得物向けてっか解ってンのか?」
だと言うのに、紅朗は靡かない。屈しない。跪かない。
「俺の取引相手だぞ偶蹄類」
国家権力を相手に、紅朗の瞳は更に輝きを増していく。顔の下半分は引き攣らせた笑みを浮かべ、顔の上半分は刺し殺すかのように鋭い瞳を浮かべながら、その表情はいっそ活き活きとさえしていた。この男はきっと、何が有ろうとも己を曲げないであろうという確信をスカイクォーツに抱かせる程に。
「随分と反抗的だな。流石は血気盛んな犯罪者。……連行しろ」
「かかれェッ!!」
そんなスカイクォーツの合図とアマレロの号令の下に、戦いの火蓋は下ろされた。
紅朗の後方、数歩離れたテーラとシロへ騎士達は猛然と襲い掛かり、体勢の立て直しが出来ていないテーラは己が獲物を手にするが、恐らくは間に合わない。応戦出来るのは残りのシロのみとなる訳だが、ほぼ野生で生きてきた彼女?に足手纏いを抱えながら戦うなんて無理に等しい。幾太刀かは刻まれてしまう事だろう。
故に紅朗は、重心を後方へと傾けてバックステップを取った。当然、紅朗の元にも騎士達は迫っていたが、騎士達にとって残念な事に、それが紅朗を動かしてしまう原因となってしまう。何故なら、騎士の一部が紅朗とスカイクォーツの間へ割り込むように襲い掛かってきたからだ。それによって紅朗とスカイクォーツ間に引かれた一本の動線が断ち切られた事になり、スカイクォーツが一挙動で紅朗を襲えなくなってしまう。更に言えば、騎士の身体に阻まれて紅朗からもスカイクォーツからも相手の姿が見えなくなる事態が生じた。それを好機と言わず、なんと言うのか。
それは一瞬だ。時間と空間の間に出来た、ほんの少しの隙間だ。だが、その一瞬だけで紅朗には充分だった。
「うぉッ!?」
「は――えぇ!?」
後方へ倒れ込むような重心移動。ただ後ろに倒れるだけの体勢変化だが、倒れ切る前に足を動かせば落下速度はそのまま加速となり、「踏み込み」という予備動作無しに動ける移動法となる。騎士達から見れば挙動やタイミングさえ掴めなかった不可思議な移動法は、彼らに反応する事さえ許さない。紅朗の後ろに立つソーラ。その背後で剣を大上段に構える騎士でさえ、紅朗がソーラを巻き込みながら脇を通過した後になってようやく反応する始末だ。
そんな紅朗プラスαが向かう先では、アマレロを先頭に騎士達がテーラとシロへ迫っていた。戦闘態勢を取り切れないテーラでは間に合わない。シロも周りの騎士達を相手に手助けは出来まい。アマレロによって振りぬかれようとしている白刃に、反射的にテーラが腕でガードしたその隣を、数歩の距離を一挙動で詰めた紅朗が擦り抜けていった。そしてかち上げるように下段からの後ろ蹴り。鎧に阻まれこそすれ、その衝撃は殺しきれず、アマレロは後方へたたらを踏んだ。
「ぼさっとしてんな、剣を抜いて踵を下ろせテーラ。ソーラァ! てめぇもいつまで呆けてやがる! 死にたくなかったら戦え!!」
脇から突かれた白刃。その持ち手の手首を蹴り上げながら叫ぶ紅朗。握りが甘かったのか騎士の剣は手から離れて頭上高く回転し、紅朗を挟んだ反対の騎士に命中した。今回も鎧に当たったので軽傷すら負っていないものの、回転して飛翔した剣が甲高い金属音を立てて自分の鎧に命中すれば、鎧の内部では相応の音量と衝撃になるだろう。予期せぬ響きに一瞬だけ硬直した騎士の隙を、紅朗が逃す筈が無い。蹲るソーラの頭上を紅朗の脚が過ぎり、騎士の下顎を蹴り抜いた。
幾ら鎧で防護したとて、その鎧は間接の可動域を殺す程のものじゃない。下顎を蹴り抜かれた騎士の首は可動域の限界まで勢い良く回り、その頭蓋骨の中では脳味噌が左右の壁に衝突する。結果、騎士は脳震盪を起こして膝から崩れ落ちた。シロはシロで、その強靭で重厚な尻尾をぶんぶん振り回して騎士を倒している。激しい戦闘音が紅朗とシロによって奏でられていた。
「戦え戦え! 俺らの世界はいつだってこんなもんだ! あっちもこっちもどいつもこいつもこんなヤツらばっかだ! 勝手に人を枠ン中に押し込めようとしやがる! 勝手に人を檻にぶち込みたがる! 俺らの世界は未来永劫こんなもんだ!! そン中で生きるためには抗え! 目の前の邪魔なモン全部ぶっ壊せ!! 世の中なんざ所詮、テメェ以外の全てが敵だぁ!!」
剣を避けて蹴り上げる。剣を弾くように蹴り下げる。体を捲り、時に透かし、剣だろうと鎧だろうと人体だろうと関係無く無差別に蹴りつける紅朗。無差別に尻尾を振るうシロ。身体の一部があらぬ方向に圧し折れて動かない騎士も居れば、顔面を蹴り抜かれて血を吐きながらも戦う騎士、膝を踏み砕かれて尚剣を振るう騎士もいた。戦場は、まさに乱戦と化していた。
「なんという暴論か!! 貴様に法と言うものを叩き込んでやる!!」
「なァに抜かしてやがる! 最初に喧嘩吹っかけて来たのはテメェらだろうが! まず俺に数の暴力を働いたァ!! 権利の暴力、躾の暴力、教育の暴力、善意の暴力、道徳の暴力!! お前らはいつだってこっちの意見も聞かずただ殴りつけるばっかじゃねぇか!! こっちの都合丸無視のテメェらの都合なんざ、聞いてやる義理ァ無ぇ!!」
剣と共に振るわれるアマレロの叫びを、紅朗は剣と共に弾き返す。追撃で騎士が二名、首と腕を折られて沈むが、それに関わっていられる程の余裕はアマレロには無かった。
「他人に動いて欲しけりゃ代価を払え! それすらも出来ねぇ癇癪持ち共と砂遊びに興じる程、こっちゃガキじゃねぇんだよ!!」
だが暇は、紅朗にも無い。それは紅朗が叫んだ直後の事だった。紅朗の視界の端で、何よりも鈍く走る光に気付いたのは。
その兆候に気付いたのは恐らくは偶然。視界の端で一瞬だけ煌めいたそれが何なのか、紅朗は解らなかった。だが場所的に考えればそれはソーラの背後。考える暇も無くあやふやな予感に紅朗は突き動かされ、大地を蹴って横跳びの状態で左手を伸ばし、その左腕を一本の剣が貫通した。
「ぐッ――!! ああああああああッ!!」
「クロウッ!?」
「そうだな。我らは子供じゃない。子供特有の癇癪には付き合わないのだよ」
そこには、最初に現れた時と同様、スカイクォーツがいた。剣の正体は彼の突きだ。彼の身体に残る臭いの残滓から、アマレロの肉体強化の魔術と似たものと紅朗は判断する。だがその精度は、アマレロとは段違いだ。アマレロの剣も見えなかったが、彼女の身体は見えていた。しかしスカイクォーツは、その体さえ霞のように消え失せる。紅朗の実力では一対一で、尚且つ全力で集中しなければ躱す事は難しいだろう。
剣は引き抜かれ、栓の無くなった左腕から溢れる鮮血。全身に走る激痛。口から自然と零れる苦悶の声。痛いというよりも、火傷したかのように熱いと感じてしまう痛覚を抱えながら、こいつは不味いと紅朗は思う。乱戦のこの状況で、アマレロとスカイクォーツを一緒に相手取るには余りにも分が悪い。向こうは長年による訓練で息が合うものの、こちとらまだ出会って一週間程度。息を合わせて乱戦を攻略するなんざ出来る訳が無い。
「ソーラ、テーラ、シロ! こっちは任せた! オラ来いデケェの!!」
一瞬で決断した紅朗は自らの脚を振り回し、道中の騎士達を一撃一撃で再起不能にしながら乱戦を抜けていく。そんな紅朗を一度見過ごし、まずはソーラ達を捉えるべきかと逡巡したスカイクォーツだが、直後に包囲から抜け出した紅朗が外周から騎士達を薙ぎ倒す光景を彼は幻視した。悪戯に戦力を失うのは愚策か、とスカイクォーツは剣を握り直す。
「総員、そこの女共を確実に捕らえよ!! 私はヤツを追う!」
命令を下して走り出すスカイクォーツ。握る剣には鮮血が塗れ、しかし彼の誇りに穢れは無い。
読んで頂きありがとうございます。感想お待ちしております。




