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デミット×カワード ぷろとたいぷっ  作者: 駒沢U佑
第一章 環境適応のススメ編
23/53

紅朗、世界を識り始める。二日目その3

ネット環境復活からの四か月ぶりでございます。また宜しくお願い致します。




 魔術とは。


 初めてそう問われた時、紅朗が抱いた事はと言えば……


 ――なんだコイツ。頭湧いてんのか?


 という侮蔑にも近い感情だった。



「魔術っていうのは、今風に言えば超絶クリーンなエネルギーだよね」



 仕事の都合で知り合った、魔術というオカルトな分野に棺桶背負って全身突っ込んだ輩共を集めた組織の幹部が、そう言っていた事を紅朗は思い出す。



「風力発電だなんて馬鹿に高い風車なんぞ建てなくて良い。水力だなんて阿呆みたいにデカいダムで堰き止めなくて良い。火力だなんて延々汚染物質を垂れ流す作業を必要としないし、原子力とかいう周囲の有象無象を黙らせなければ使えもしないもんに頼らなくて良い。更に言えば人力でやっても然程疲れない。ゴミも出ない。正に夢のクリーンエネルギーだ」



 そいつは意気揚々と、自らが没頭する事柄を全肯定しながら息巻いて言う。



「地球という惑星には、流れというものが存在する。水流、潮流、気流。地熱。大陸プレート、引力に重力。太陽光なんてものもあるよね。更にそこへオカルト要素を足して雑多に纏めて総じて、龍脈と言うのだけれど。それらは僕らが住まうこの惑星では、当たり前の事だけれど僕らが産まれるずっとずっと前から何変わる事無く流れて続いているんだ。つまり地球という惑星そのものが産まれた時から保有しているエネルギーだ。魔術というのは、そのエネルギーを使用して本来成し得たであろう事象をまるで別の事象に置き換えてしまう行為だけれど、ここで特筆すべきは変化した事象の事じゃあ無い。事象を変化させるために使用したエネルギーは失われる事無く、損なわれる事無く大気中に霧散して地球に還元される事なんだ。解るかい? この素晴らしさが。人間が文明を開化させて、あるいは人間が文明を育て上げてきて。今や地球の表面は汚れ放題荒れ放題。地球がもし仮にカリフォルニア辺りに住む美しき事こそが存在価値(レーゾンデートル)だと言って憚らない厚化粧ちゃんだとしたら、まぁまず今頃発狂死してるだろうね。砂漠は領土を広げて大気は汚染され、オゾン層に穴が開いていると誰かが嘯けば地球温暖化で南極の氷は解けて海面上昇。その間に人間は戦争戦争また戦争。最近じゃあキリスト教とイスラム教の国際交流が激しくお盛んだよね。どっちもルーツは同じようなものの分際で、世界から戦争を無くす事なんてこれじゃあやっぱ無理だよねあっはっは。ま、どっちも僕から見れば新興宗教みたいなもんだけど。話を戻して中国や韓国では21世紀にもなって未だ工業廃水を垂れ流して奇形が産まれているそうだけれど、エネルギー事情を魔術一本に絞ったらそんな事は無くなるんだ。日本ではガソリンが税金で倍近く膨れ上がっていると聞いているけれど、魔術を使えばそんな既得権益は鼻息で飛ばせるレベルになるんだよ。アメリカがベトナム戦争でランチハンド作戦だっけ? べトコンが潜む森林に枯葉剤を散布した事があったけれど、魔術を使えば後遺症なんて残る事も無く、ポリ塩化ダイベンゾダイオキシンなんて使用しなくて済んだんだ。黄燐よりも凶悪で、クラスター爆弾よりも効果範囲が広く、それでいて後遺症を残さない地球に優しい焦土作戦だって出来る。何故かって? 還元されるからさ!! 実に素晴らしい!! トレビアンだ!!」


「長ぇ。一言で纏めろ」


「つまり魔術を使えば万物に何の悪影響も無く(あまね)く正常に流転するという訳さ」


「纏め過ぎだ。噛み砕け」


「君は随分と我儘だな」



 眉根を顰め、眉尻を垂らし。あからさまに困った顔を浮かべたそいつは、紅朗を糾弾するかのように前傾姿勢で紅朗の眼を覗き込んだ。



「魔術ってのはね、君が体得した武術と同じもので、つまりは人の技術なのさ」



 その台詞で、少しだけ興味が湧いたのを紅朗は覚えている。



「魔術は今でもオカルトの代名詞のように言われているけれども、君が思っているよりも大分ロジカルで、異常に歴史が長い。なにせ事の発端は自然崇拝という原始的な宗教から始まっているんだ。紀元前四年前のアイツとは比べ物にならねぇぜ? 人間と大自然がセットになった瞬間から発生していると言っても過言じゃない。否。大自然の中で人類が叡智の存在に気付ける程に脳の許容量を増やした頃からかもしれない。進化論を信じるとするならばの話だがね」



 目の前のテーブルでは紅茶が湯気を上らせており、そいつは時折その紅茶で唇を湿らせながら高説する。



「雪崩を恐れ、地滑りを恐れ、噴火を恐れ、雷を恐れ、台風を恐れ、竜巻を恐れ、洪水を恐れ、時化を恐れ、日食を恐れ、干ばつを恐れ……。健常な日常から外れた致命的な程の自然の猛威に揉まれ、その恐怖心から逃れたいが為に畏敬の念を込めて創作された宗教から始まり、やがては細分化された。キリスト、イスラム、ヒンドゥー、ブッディズム、シク、ユダヤ、ブードゥー、ゾロアスター、ドルイド。日本にあるのは確か神道だっけ? それに最近流行りのクトゥルフなんかもそうか。つまりはそういった、ある種の信仰心を原動力として造られたのが魔術さ」



 だからこそ魔術と宗教は密接な関係を持っており、だからこそ宗教には多様な儀式があるとそいつは言う。



「それが自然崇拝から始まった信仰心であれ、神に対する反抗心であれ。自然を使ったサイクル可能なエネルギー使用法の一つが魔術なのさ」


「つまりアレだな。魔法(・・)ってのは――」


「あぁ、違う違う。魔術と魔法は全然違う。名称こそ似ているが、まるで別物だよ。別格と言っても良い」



 どうやら、その道にずっぷりと踏み込んだ者から言わせれば、御伽噺や漫画などに出てくる魔法と自らが嵌まっている魔術は似て非なるものらしい。一緒くたにされる事を余程嫌っているのか、紅朗の言を遮ってまでの発言なのだから、その思いも相当なものなのだろう。



「魔法とは名前の通り、【法】だ。人間社会のみならず、自然界全ての事柄の最上段にある。雨は空から地面に落ちるように。水が山から海へ流れるように。逆行する事すら許されない、神のような絶対的な権限を持っているのが魔法だ。対して魔術は、人が生み出した技術だ。鍛を持って改良され、錬を用いて改善され、才を以て体系され、能を尽くして極めるもの。そしていずれは敗れて廃れて滅びる事が約束されたものだ。だから魔術は今こうして憂き目を見ている」



 その例えは紅朗には良く解らなかったが、要するに魔法というものはなんでも出来るぐらいとんでもなく凄いもので、魔術はそれに及ばない小さなものと紅朗は捉えた。しかし小さなものと言えど、世には出ていない未知の技術。小さなものと言えど、とても凄いものなのかもしれない。



「それでもいつか……。いつの日か、僕らは魔法に辿り着きたいんだよ」



 さながら夢見る小学生のように、そいつは言う。


 ――それは素敵だ。トレビアンだ。夢に思いを馳せるのは何歳になろうと良いものだ。その夢が、正しく夢幻の類、妄想の類なのだとしても。


 当時の紅朗はそう思い、幻想に巻き込まれたくないと思った事もあってか、それ以降そいつと言葉を交わす事は無かった。魔術なぞ信じた事は無いし、オカルトに興味は無い。紅朗が夢見るのはいつだって現実の今であり、リアルの今日であり、そして地続きの明日なのだから。


 そんな自分が、まさかこの異郷の地で、信じてすらいなかった魔術なんぞを真剣に教わり、現実的な対抗策を練らねばならなくなるとは……。当時の自分にそんな事を言えば、間も無く侮蔑の視線が向けられた事だろう。



「ちょっとクロウ? 聞いているかしら?」


「あぁ、大丈夫。ちゃんと聞いているよ」



 思わず溜息を漏らした紅朗の思考は、傍らの少女の声によって現実に帰還した。


 今は、狐兎族姉妹の妹、ソーラという白髪の少女に魔術の講義を開いて貰っているのだ。呆けるのはまだ早いぞ、と紅朗は自身に活を入れて姿勢を正す。



「まず魔術というのは、魔力を使って火とか水とかを生み出す技術なの。分類としては生活魔術、治癒術、攻撃魔術、補助魔術、と言った所かしら。特異魔術というちょっと珍しい魔術もあるけど」



 ソーラによる魔術の講義が開催された。先生は当然ソーラ。生徒は紅朗。賑やかし兼背景としてテーラが周囲を歩き回っている大草原が教室で、二人ともに地べたに座って面を向き合わせている。



「はい先生、質問。魔力って何?」


「魔力というのは、厳密にはまだ解っていないわ。解っているのは、魔力とは【世界を満たす力】とも言われていて、森の奥や海、火山などの地理的条件によって特定の魔術が活発化する事ぐらいかしら」



 成程。と頷く反面、理解していない力を多様している事に恐れを抱きはしないのだろうかと紅朗は思う。その魔力というものが放射性物質に近い何かであった場合、魔術を用いる者は全員が被爆者だ。


 まぁ、そんな事を言っていたら何も始まらないし、そうであったらそうであった所で対応策も何も無い。脳裏に浮かんだ可能性を捨てて、紅朗はソーラに続きを促した。



「それで魔術の分類に関してだけれど、先程も言った通り魔術の分類は生活、治癒、攻撃、補助、特異の五つ。効果も基本的には名前の通りね。まずは生活魔術。これは使えると生活が少しだけ便利になる魔術よ。水を流したり火を起こしたり。風で埃を集めたり。前に洞窟探索で使った光も、生活魔術の一つよ。魔術の上手い人だったら複合させて、あたかもお風呂に入ったように清潔に出来るらしいわ。私はまだ出来ないけれどね。魔術の使えない人でも日常的に目にする事が多いから、魔術の代表格と言っても良い分類じゃないかしら」



 随分と生活に密着した代表である。



「それの危険性は? 火を起こせるのであれば、人に向かって火を放つ事も出来るだろう?」


「出来るけど……。それ程の威力は無いわね。精々が少し火傷する程度。吹けば消える程度よ。そりゃあ、ぐるんぐるんに簀巻きにして火を点けたり水に沈めたりすれば殺せるでしょうけれど、でもそれぐらい果物ナイフでも出来るでしょう?」



 少しだけ呆れを見せて紅朗に答えるソーラ。


 確かに、それぐらいならナイフを持つのとそう変わらない。生活魔術を使えば凶器は消えるけれど、簀巻きにした時点で凶器が魔術だろうがナイフだろうが、そこら辺に転がっている石だろうが変わりは無い。危険性の少なそうな真綿だろうと公園の遊具だろうとこんにゃくゼリーだろうと、悪意や害意を持って使用すれば十分に人を死に至らしめられる。危険なのは使用者であって、技術や物品そのものに危険性など無いようなものなのだ。


 そして紅朗は悪意の集大成である武術を体得した男である。



「それはアレか? なんかこう……呪文的なアレは必要なのか?」


「多少は。『火よ』」



 ソーラが一言だけ告げれば、彼女が立てた人差し指に火が灯る。それは確かに吹けば消えてしまう程の頼りない、マッチ程度の火であった。だが確実に、火がソーラの指先に灯っている。


 その事実を、悪意を持って使用するとしたのなら……。



「例えばだが、突進してくる敵の顔面に向かって水や火を放てるか?」


「まぁ、出来るけれど……」


「であれば怯ませて強襲を掛ける事も可能か……」



 突撃の最中、突如として顔面に火や水をぶっ掛けられたのなら。余程の訓練を熟した者でも無ければ、身が硬直するのは避けられない。それは些細な一瞬だが、致命的な一瞬にも成り得る戦術だ。危険度の少ない生活魔術とて馬鹿には出来ない。気を付けるべきだろう。


 そう未知なる技術に危惧している紅朗の前で、教える立場であるソーラは紅朗の呟きに反応して思考を巡らしていた。



「そう……。生活魔術にはそんな使い道もあったのね……」



 言うなればそれは、思考の転換。青天の霹靂と言っても良い。生活魔術とは、あくまで生活の上で役立つ魔術。ソーラ達は自らの技術をそう捉え、それ以上考える事はしなかった。それ程までに、生活魔術は彼女らの近くにあったのだ。それが今や、紅朗の一言によって、戦闘において有利性を引き込む技術でもある可能性が浮上した。


 肉を焦がす事も出来ない小さな火が、槍兵の突撃を鈍らせるかもしれない。溺れさせる事も出来ない一滴の水が、重装兵の歩みを止められるかもしれない。


「火よ」あるいは「水よ」もしくは「光よ」。使う魔術はどれでも良い。しかしたった一言で発現される魔術が、屈強な戦士達の足を止める事が出来たなら。それはきっと、弓を主として動くソーラにとって、何よりも得難い戦法となる。


 それらはあくまで、現段階では実証の出来ない仮定に過ぎない。机上の空論かもしれない。それでも、一考するに値する戦術だった。


 が、それは別に今議論するものではない。



「よし。じゃあ次」



 早々に思考を切り替えた紅朗の音頭に、ソーラも意識を戻して講義を進める。



「あ、そうね。ごめんなさい。次は治癒術に関してかしら。治癒術と言うのは、正確には治癒魔術と言って――」




 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲




 その後、暫くして。


 ソーラ先生の魔術講座を終えた紅朗は、頭の中で今さっきまで受けていた講義の中身を要約しながら整理する。


 それは以下の通りである。



 ・生活魔術

  生活する上で使えると便利な小規模な魔術。地球で言えばライターとか水道とかペンライトとかの役割を担う魔術の一つで、その役割の小ささから命の危険性は余り見られない。が、凡庸性に溢れているために迎撃の一つとして取られる可能性は捨てきれないだろう。


 ・攻撃魔術

  生活魔術の強化板とも言える、殺傷能力を高めた魔術。対人から対城まで、中規模から大規模まで含めた幅広い魔術の総称。つまり、痛かったら大体これだと思えば良いだろう。細かく言えば戦略魔術とか戦術魔術とかあるらしいが、対人戦でそれの使用を想定するなんざ意味が無いから聞くのを止めた。爆撃機を相手に喧嘩する方法を模索してもしょうがないのだから。


 ・治癒魔術

  現在の紅朗の主食にして、生物の肉体を治癒する魔術。話に聞いた所、深い傷は痕が残るらしいから、恐らくは細胞の分裂を促しているような魔術なのかもしれない。しかしこればっかりは専門家でもない紅朗が悩む事でも無いし、直接的な驚異になるような事も無さそうなので、紅朗は詳しく聞かずに次の話を促した。


 ・補助魔術

  主に肉体面の活性化などを目的とした魔術。筋肉量の増大、あるいは神経伝達速度の向上。表皮の硬化など、自己の肉体にのみ作用する肉体強化系を多く含んだ魔術だ。ソーラ先生曰く、紅朗が昨日戦ったアマレロの魔術もこれに該当するようで、紅朗の睨んだ通り肉体強化系の魔術の一つ、【超加速】という魔術らしい。


 ・特異魔術

  ソーラ先生が言うには、これは未だ未解明の魔術が取り敢えずぶっこまれる分類の一つらしい。主に血統や一子相伝など、基本的に同じ魔術を使える人が世界で十人以下とか、そんな魔術が多いと彼女は言っていた。有名なのは【拡声魔術】や【遠隔視】なのだそう。戦争で使えそうな魔術だなと紅朗は思った。



 魔術の分類はこの五つで、その他にも属性や魔術を使う上での技術などを紅朗は学んだ。


 魔術の基本属性は【火】【風】【水】【土】の四つ。流石に基本と冠するように、大体の魔術はこの四つの属性から構成されているようだ。その上に、上級属性の【氷】【雷】【光】【闇】。生活魔術に関して言えば基本属性も上級属性も難易度は個人差は有れど横並びのようだが、殺傷能力を持たせる程の威力となると途端に難度が跳ね上がるらしい。


 どうもソーラ曰く調整がどうとか制御がどうとからしいが、残念ながらその苦悩は紅朗には届かない。彼にとっては魔術の制御や使用法などどうでも良いのだ。魔術に対しての対策を立てられるのならば、それで良い。故にソーラの苦悩が聞き流されるのも仕方ない事なのだろう。


 その他にも魔術師が多用する技術にまで話は延長し、【無詠唱】【多重詠唱】【複合魔術】等、魔術師ならではのスキルの話にまで及んだ。その話の一端で治癒術や補助魔術等、肉体に関する魔術の殆どが基本属性四つ、あるいはそこに上級属性をも含めた【複合魔術】である事が判明したのだが、それは余談である。



「――成程、ね……」



 ソーラ先生の魔術講座が終わると共に、紅朗は顎に指を添えて思考を巡らせた。


 その姿を一時の休止と見たソーラは、暫く喋りっぱなしだった喉を労わる為に、腰に下げていた水袋に口を付け。周囲を爪先立ちで練り歩くテーラの額には玉のような汗が浮かんでいた。だがテーラの姿勢は始めの頃のような頼りない足つきでは無く、今やふら付く事無く歩を進めている。


 傾き始めて橙色に染まりつつある空と合わせてみれば、彼女達がどれだけの時間を費やしていたかが解るだろう。


 そしてそれは、それだけの長い時間、彼女達が町から外れた草原に留まっていたかを指し示してもいた。町外れの草原。昼過ぎから夕方まで。野生の動物と出会うには充分な時間だと言えるだろうし、更に言えばこの世界は紅朗が約22年住んでいた現代地球と比べて、僅かばかり蛮性に溢れていた。


 それに最初に気付いたのは、喉を潤していたソーラだった。狐兎族特有の大きな耳が持つ、広い聴覚センサーが異音を感知した。傾けていた水袋を腰に戻し、周囲を警戒する。次いでテーラが耳を立て、浮かばせていた踵を下ろして剣の柄に手を添える。最後に、狐兎族姉妹から数拍遅れて、紅朗が顔を上げた。



「……クロウ」


「――あぁ。なんか来やがるな」



 その短い意思疎通は、両者が別々に感じ取っていた違和感を異常事態であると確信させるには充分で、ソーラと紅朗は二人とも腰を上げる。やや離れていたテーラもいつの間にか二人の傍に近寄っており、紅朗達は襲撃に備えて臨戦態勢を取った。



「何が来ると思う?」


「解らない。でも、相当焦っているように思う。それも複数」



 紅朗の問いにソーラが答える。彼女が捉えたのは音。狐兎族特有の広い聴覚センサーは、草を掻き分ける音や土を踏み締める音を明確に捉えていた。それも、何かを捜索するような余裕のあるものでは無く、切羽詰まったように我武者羅に前のみを掻き分ける音。前のみに進もうとしている足音。それら音の発生源が相応の速度で一方向に移動している事から見ても、ソーラは自らの予想が遠からず当たっているだろうと確信している。


 その確信を更に高めたのは、テーラの嗅覚センサーだった。



「二種族だね。四足歩行の生物が、先頭で走っている二足歩行の生物を追っている。これは、狩りの臭いだ」



 狐兎族の集落では誇れる事の無いぐらい、実に他愛も無い誰にでも出来る事だが、それでも他の種族と比べてみれば明らかに発達しているもの。それは聴覚と嗅覚である。狐兎族の中では中の上程度の精度しか持たないテーラの嗅覚は、しかしセンサーの無い紅朗や同じ狐兎族である実の妹に比べれば高い精度を誇っていた。


 その嗅覚が、視線の先から流れてくる微量な粒子を確実に嗅ぎ分ける。


 四足歩行の生物の臭いと、二足歩行の生物の臭い。だけでは無く。薄く漂う臭気の中で、微かに混ざった分泌物の臭いさえ彼女の鼻は捉えていた。


 つんと来る獣臭を孕んだ臭気は恐らく涎だ。飢餓からくる、眼前の獲物を噛み砕いた時を想像した際に溢れ出したのだろう。合わせて感じる、薄くとも噎せ返りそうな程濃い臭いは、汗。死を予感した時に浮かぶ冷や汗もあれば、必ず生き延びてやろうと足掻いた発熱による発汗も感じられる。相反する二つの臭いを加味して考えれば、構図は自ずと見えてくる。追う者と、追われる者の構図を。



「どうするクロウ。戦う? それとも逃げる?」


「んー……。微妙な所だな」



 問うたテーラに、紅朗はしっかりと眉根を寄せて言葉を濁す。


 紅朗は純然たる人間だ。狐兎族のような精度の高いセンサーを持っていない、只の人間だ。彼が自分達へと向かってくる気配に気付いたのは、偏に多数の戦闘経験を起因とした勘である。流れる風に乗った臭い、遠くで発生した荒々しく草を掻き分ける音、離れた大地が踏み締められて感知出来ない程小さく揺れる地面。その他諸々の、極々微細な変化。記憶の端にも、感覚の先端にも、意識にさえ上らない微妙な変化を紅朗の体が感じ、それぞれを無意識化に複合させて、紅朗は「何かが此方へ向かってくる気配」を覚えたのだ。人はそれを、野生の勘と言う。


 そしてその野生の勘は、今自分達が踵を返して逃げようと、確実に巻き込まれるだろう速さで此方へ向かってきている気配を如実に訴えていた。追う者か追われる者か、そのどちらかが同じ冒険者の友好勢力であれば良いのだが、現実はそうもいかない。冒険者同士であろうと外道なヤツは一定数居るだろうし、例えそうでなくとも追う側か追われる側かがある目的の下、そのような状況下に進んで身をやつしている事も考えられる。であれば、戦う事を選べば横槍になってしまうだろう。


 そうした判断の下、言える事は唯一つだけだった。



「取り敢えず、両者とも敵対勢力なら皆殺しだな」



 人情が無いと言うなかれ。野生の掟は時に法律をも上回るのだ。


 そんな紅朗達の前に、それは現れる。


 緑の肌、ごつごつした小さな体躯。大きな目と耳を持ち、発達した牙を生やした、醜い形相。その姿を持つ者の名を、狐兎族姉妹は二人同時に叫んだ。



「「ゴブリンッ!!」」


 



 

※この小説はフィクションです。実在の人物団体とは一切関係無いと思えばいいと思います。

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