紅朗、世界を識り始める。二日目その2
遅くなりましたが更新致しました。
紅朗とテーラは再び立って向かい合う。距離も先程と同じく3m。一回目と違うのはソーラの開戦合図が無い事と、テーラが腰を落として構えている事。そして剣の使用を許可された事だ。
ルールは単純。紅朗はただ立っているだけ。迎撃だけに徹する。その紅朗に向かってテーラは好きなタイミングで好きなように襲い掛かるだけだ。剣の使用を許可されたテーラは仲間に向かって剣を使うかどうか迷っていたが、紅朗は自分よりも強いBランカー相当の猛者、アマレロの剣を捌き切った実績がある。負傷する可能性は低いだろうと、テーラは使う事を選んだ。
「さ、いつでも来なさい」
「じゃあ、行くよ」
まるで構える事無く、力無くぶらりと立つ紅朗は、人差し指をくいくいと曲げる事で開戦許可を出す。相対するテーラは、胸を借りるつもりで剣を構え、走り出した。
「おりゃあああああああ!!」
切っ先を高く上げての突撃。その姿勢から、最初の一撃は大上段からの振り下ろしである事は明らかだ。
だが自分より強いアマレロの剣を捌き切った紅朗に対して、自らの剣が通じるのだろうかという懸念がテーラにはあった。故に彼女は、跳ねる。
真正面からの突撃と見せかける為に一歩を踏み出し、二歩目で紅朗の左手に回り込むように跳躍。さしもの紅朗もテーラのフェイントは予想外だったのだろう、少しだけ目を開いた紅朗の表情をテーラは見て、ほくそ笑む。
「隙ありィ!!」
「だが甘い」
大上段からの切り落としを、紅朗は左足を頭上高く上げて受け止めた。剣をレガースで受け止めた訳じゃない。テーラ側に一歩踏み込み、テーラの手首を自らの太もも、その外側で受け止めたのだ。
何故そんな中途半端な場所で受け止めたのだろうと観戦していたソーラは不思議に思うが、それには当然、訳がある。太ももで受け止めたという事は、膝から先はフリーであるという事。それを示すかのように、紅朗の左足が蛇の如くテーラの両腕に絡み付いた。
「なっ、……ッ!」
がっちりと絡み付いた紅朗の足を、テーラは振り解けない。如何にテーラが獣の筋肉を持っていようと、なんの負荷もかけてこなかった彼女の両腕と、毎日自重を支え続けた紅朗の片足。少なくとも劣る事は無いと紅朗は思い、そしてそれは証明された。
ましてそれが絡みつき、留め具のように足の甲を使って固めているのだ。簡単に外せる事では無いだろう。
だがそれで終わりじゃない。紅朗のターンはまだ終わってはいない。
「ほおれ、気張りな」
片足を使ってテーラの両腕を固めている紅朗。その姿勢は自然と、フリーな方での片足立ちに近い状態になっている。そんな状態の紅朗は、ここで上半身を勢いよく捻り、軸足となっている右足を地面から離して振り上げた。
蹴られる! と咄嗟に肩で防御姿勢を取ったテーラだが、紅朗の右足はテーラの頭上を通過して――
「そぉ、れっ」
「うわ、わわわわっ」
右足の代わりに大地を両手で掴んだ紅朗は、全身の力を込めてテーラを持ち上げる。左足でテーラの両腕を固めつつ、右足でテーラが落ちないように彼女を支え、まさかの逆立ちである。絡め捕られて中空に上げられたテーラは突然の浮遊感に身を硬直させ、観戦していたソーラはこんなアクロバティックな防御があるのかと目を丸くした。
「さて。このままお前の頭を地面に突き刺そうと思うのだが、どうする?」
下から聞こえた問いに、テーラは何も返せない。腕は固められて振り解けず、手首だけで紅朗を斬ろうとしても致命傷は与えられそうに無い。では空いている足はと言えば、攻撃しようとしても体を揺さぶられ、効果的な対処は出来ないだろう。
紅朗自身の肉体に加え、テーラの重量さえも加算された体重をしっかりと支える二本の腕は、どれだけ揺さぶろうとも折れる様子をまるで見せず、足で持ち上げられた形のテーラには不安定さを微塵も感じさせていない。それは紅朗の腕が足の役割を完璧に担っている事の表れであり、その指は大地をがっしりと掴んでいる。どれだけ揺すろうとも、紅朗がバランスを崩す事は無いだろう。
そしてこうしてまごついている間にも、頭を落とされたら負けは確定。正に彼女は死に体を呈していた。
「……。参った。あたしの負け」
昨日のガルゲルに引き続き、テーラは二日連続で敗退した。
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「今さっきテーラが味わったのが、前にも言った簡単に強くなる方法の一つ。腕を足のように強くして、足を腕のように器用にした結果だ」
試合を終え、紅朗とテーラ、ソーラは円を描くように膝を突き合わせて地べたに座っていた。テーラとソーラが熱心に聞くのは、紅朗の体術講座。
「これを習得すれば、簡単に虚を突ける。何故なら人は、思いもよらぬ行動を目にした時、それが奇抜であれば奇抜である程、ぎょっとして身を硬直させるからだ」
紅朗が腿でテーラの両腕を防いだ時、確かにテーラは身を硬直させた。その隙を縫い、紅朗はまさしく腕のように器用に足を絡めさせ、テーラの攻撃手段をほぼ封じる。そして足のように力強い腕で自身を支え、両手で持ち上げるように両足でテーラを浮かせた。そこからはもう、煮るも焼くも思うがままだ。
「解るか? これは、真正面から正々堂々と不意を突く技術であると同時に、自らの手数を倍以上に飛躍させる。つまり、必然的に勝率が上がるという話だ」
紅朗の言葉にも頷ける。
腕が足のように強くなるという事がどういう効果をもたらすのか。単純に考えればパンチ力の増大だが、それだけじゃない。まず足を取られてバランスを崩しても、体制を立て直す事無く直ぐに反撃に出られるという所。腕が足の代わりと勤められるのだ。わざわざ二本の足で立つ事に固執する必要が無い。それに伴い、先程のように足で投げ技を放てるというのも魅力だろう。投げ技というのは手で行うものだと誰しもが思っているのだから、奇襲を掛けやすく、動揺を誘いやすい。
足が腕のように器用になるという事がどういう効果をもたらすのか。先にも言った投げの多様化がまず一つ。テーラの両腕を絡め捕った技が一つ。しかしその本質は、奇襲にあった。足で絡め捕られる事などまず無いだろう。足で投げられる事など有り得ないだろう。と、誰しもが思う筈だ。否、思うことすらしない筈だ。何故ならば、そんな事をするよりも手を使った方が早くて確実なのが大多数なのだから。だから簡単に引っ掛かる。だから容易に、テーラは絡め捕られ、奇襲を掛けられてしまった。
真正面から、正々堂々と不意を突く。これがどれだけ恐ろしい事なのか、テーラは思い知ると同時に歓喜を抱く。これが、自分のものになるのだと思うと、どうしようもなく奮起して仕方がない。
「あたしは、何をすれば良い?」
わくわくとした浮付いた興奮を隠そうともせず、テーラは体を揺すりながら紅朗へと視線を向けた。当然その瞳は好奇心によってらんらんと輝いており、傍らのソーラが昔から良く知っている、幼少期のテーラそのものの瞳だった。
「俺の見立てでは、お前の長所は体力と瞬発力。その長所を活かそうと思う。体力をフル活用して、瞬発力で相手を翻弄する。そうなる為に、お前の足の使い方を改善する」
「ほうほう! それで?」
「最初の勝負で見せた効率の良い動きを体得する為には、まず何を置いてもバランス能力が大事だ。だからお前はこれから、母指球で歩け」
「母指球?」
母指球とは、親指の付け根の膨らんだ所を指す。つまり紅朗は、テーラに爪先立ちで歩けと言っているのだ。それも、指を使用しない爪先立ち。
実際にやってみれば解ると思うが、これは実に不安定な立ち姿となる。歩くのも走るのも、ただ立つ事でさえ難しい。言ってみれば常時竹馬に乗って過ごすようなもの。現に今、紅朗の目の前でテーラとついでにソーラも母指球のみで立ったが、二人とも慣れない足遣いに悪戦苦闘し、直ぐにバランスを崩して膝や尻を地に着けてしまっていた。
「……クロウ、これ難しい」
「当たり前だ阿呆め」
ぶーたれて文句を垂れるテーラに、紅朗はキツめの言葉とは相反して笑みを溢す。そうそう簡単にマスターされてはこちらとしても立つ瀬がない、という感情を隠した笑みだ。
「人ってのは安定して二足歩行する生き物だ。安定ってのは地面に根を張るように立つ事。つまり移動には適していないんだ。移動を素早く行うのに相応しい立ち方は、不安定である事。この歩法はな、不安定を極める為の歩法なんだ」
例えば玉を想像して欲しい。真円を描いたまん丸の玉だ。その玉と地面との接地面は、真円になればなるほど、極々小さな一点のみになる。地面が揺れれば転がり、少し傾けば転がり、風が吹くだけで転がり……極めれば人の吐息だけで転がり始める。そんな玉のような移動を理想とした歩法が、この母指球での移動法である。
力強く踏ん張る事を主目的とした鍛錬であればまるで真逆の歩法ではあるが、踏ん張る事を捨ててでも素早く動きたいのであれば、これほど相応しい移動法は無い。そしてこの移動法こそが、体力と瞬発力に優れたテーラにとって何よりも合致するものだと紅朗は確信している。
「という訳で、これから先はずっとその歩き方な。流石に戦闘時は危ないから普通の歩き方に戻して良いけど」
「うぇ!? ずっとコレ!?」
女性としては実に濁った響きで驚愕を表現したテーラ。立つ度に母指球に体重を集めては見るものの、まるで生まれたての小鹿並みに足をぷるぷると震わせていた。
「そりゃそうだ。不安定な状況に慣れないと体重移動のロスなんて無くせない」
紅朗の本音としては一本下駄という下の歯が一本しか無い下駄を履かせたかったが、発祥国である日本ですら廃れゆく履物。異世界であるこの世界にそんなものは存在しないだろう。
そう些か残念に思う紅朗の前で、テーラは紅朗の言いつけ通り母指球でのみ立ち、足をぷるぷるさせながら小首を傾げた。
「で、腕はどうするの?」
「現段階じゃ腕は時間かかるし放っておく。適当に寝る前とかに腕立て伏せでもしてれば良いんじゃね?」
「そんなので良いの? なんかこう、特別な鍛錬法とかは……」
「筋肉ってのは部下のようなもんだ。付けるのは容易いが、万全に動かすのは難しい。筋肉を付ける事と、筋肉を扱う事は完全に別物と言っていいだろう。お前らが抱えている異常なまでの筋肉信仰は今すぐ捨てろ。ものの役にも立たん」
吐き捨てるように告げる紅朗。体格だけで物事を判断する傾向のある異世界の常識は、紅朗にとって唾棄すべき事柄のようだ。
単純な話。普通に直立した姿勢のまま、ゆっくりと踵を上げてみるとする。爪先立ち状態に上がりきった後、ゆっくりと踵を地面に戻したとする。その踵の上げ下げの間で、体がガクンと揺れ動いたりはしないだろうか。まるで痙攣するかのように、収縮と弛緩を細かく繰り返したりするような感じは覚えないだろうか。
もし覚えたのならば。体のいずれかの部位でそのような感覚があるのだとしたら。それが、筋肉は付いているものの、万全には扱えていない状態である。
見掛け倒しの張りぼてのような筋肉を信仰の対象とするのでは無く、スムーズに万全に扱える筋肉を身に着けているのであれば、紅朗もここまでは言わなかっただろう。地球と同じく、あるいはそれ以上に。それ程までに、この世界は筋肉に対する理解が浅く、稚拙なものとなっているのだ。まずはそこの理解度を改めなければ話にならない。
「さて、それじゃあソーラ。魔術について教えてくれ」
「え!? あたしの時間これで終わり!?」
故に話はこれで終わりと、クロウは意識をソーラに移すも、テーラの驚愕に満ちた声が草原に響いた。
「なんか!! なんかこう、もっと!! 鍛錬っぽい鍛錬は無いの!?」
「鍛錬っぽい鍛錬ってなんだよ……」
「なんかこう……ドカーン! って。ずごごごご……うぉぉおおおおおって感じの」
「どんな感じだよ」
テーラの想像ではどれだけ派手な光景が繰り広げられていたのだろうか。恐らくは御伽噺のような、あるいはこの世界には無いだろうけれども漫画のような。なんか凄い奴がなんか派手なエフェクトを使って、なんか飛躍的にレベルアップするような、そんなド派手な鍛錬を期待していたのだろうか。だとしたら、テーラの期待はものの見事に裏切られた事になる。
「あのなぁ。今のお前はそんな舞台にさえ立てて無いの。今は基礎の基礎の為の慣らしなの。そんなお前にド派手な技とか教えてもなんの意味も価値も無いの」
見た目的に派手な効果が付く物もあるにはあるが、今はそれを使うにも値しないと紅朗は言う。が、言外のそれに目敏く気付いたテーラは下半身をぷるぷる言わせながら頭を垂らした。
「あるんだな!? じゃあそれも! それも教えてくださいお願いします!」
「えー。徒労に終わるだけじゃん。嫌だよめんどくせぇ」
「そこを! そこをなんとか!」
確かに、物理的なエフェクトの派手な鍛錬法は存在する。効果だって、飛躍的なレベルアップを体感出来る。かくいう紅朗も、その鍛錬法には随分と世話になった。しかもこの世界の魔術とやらを応用出来れば、短期間でそれを実感出来る可能性はある。
しかし如何せん、その鍛錬法は異常なまでに外聞が悪い。ともすれば弱い者虐めみたいな状況になってしまうのだ。そうなると、紅朗はとても困った事に陥る可能性が高かった。
「けどなぁ……」
煮え切らない態度で紅朗は後頭部を掻きながら、傍らのソーラをちらりと伺う。そう、テーラにその鍛錬法をすれば、ソーラからの印象が悪くなり、最悪契約が切れてしまう恐れがあるのだ。それだけは避けたい紅朗は、腕を組んで難しい顔を浮かべる。
「なんでも! なんでもするから!!」
「……じゃあ、耐えられるんなら、ちょっとだけやってみるか?」
そして遂に、テーラの情熱に負けて紅朗は少しだけ歩み寄りを見せた。別に「なんでも」という頭の足らない子独特の常套句に惹かれた訳じゃない。ここまで懇願された事実があれば、自身の印象低下は常識的な範囲で収まるだろうという打算にも近い歩み寄りだ。
そんな紅朗の前で、ぱぁ、と破顔するテーラ。その顔に、紅朗は現実を突き付ける。
「取り敢えず、全身の骨を砕こうか。頭の天辺から足の爪先まで」
「普通に鍛錬しますっ!!」
見事な手の平返しを見せて紅朗から離れるテーラ。その時も体重は母指球に集まっており、テーラは少なからず体重移動法を体得しつつある事を垣間見せながら屹立し、紅朗に二の句も言わせず素振りを始める。
ぶんぶんと振るわれる剣は、ぷるぷると震える下半身に追従するかのように切っ先がブレブレで、まともに振れてない事は火を見るより明らかだ。先程見せた俊敏な動きは嘘のようにも見えるが、慣れない姿勢で重い物を振り回せばそうなるだろう。
「……。素振りは良いから、そこら辺でも歩いて来い。それだけでも充分鍛錬になる」
「解った!」
言うや否や、すたたた、とテーラは周囲を徘徊するように背を向けて歩き始める。さながら条件反射のように思い切りが良いというか切り替えが早いのは、美点と言うべきか汚点と言うべきか。
「……うん。まぁ良いか。じゃあソーラ、魔術だ魔術」
「あ、うん……」
テーラに対する思考を迷いなく切り捨てた紅朗はソーラに振り返るも、彼女の反応は芳しくない。どうした? と紅朗が怪訝に思うよりも先に、ソーラが意を決したように口を開く。
「ねぇ、全身の骨を砕くって……本気?」
「まさか」
それは、実の姉の安否に対する懸念なのか。あるいは紅朗の過去を気遣っての言葉だったのか。もしくはただの雑談か。神ならぬ紅朗にはソーラの心情などさっぱり理解出来ないものではあるが、そうしたソーラの疑問は当人の口から即時否定される。
「俺は師匠みたいに上手く砕けねぇからよ。失敗するかもしれないモンをぶっつけ本番でやるなんざ怖すぎらぁ」
尊敬する人を誇るかのような紅朗の返答。いや、実際の所、紅朗は師匠に対しては常に敬意を払い、確かに誇っている。それは言葉の節々に現れているのをソーラは自らの目で見、耳で聞いていた。
だがどうだろう。紅朗の言葉から察するに、紅朗はその師匠とやらから虐待染みた鍛錬を施されているかもしれない。紅朗の言動には、そう感じざるを得ない経験が滲み出ているのをソーラは如実に感じている。
――どうしよう。思っていたよりもクロウの過去が血生臭いかもしれない。
蓋を開けた訳でもないのに漂い始めた血肉の臭いをソーラは幻覚し、そっと蓋に重しを乗せるように目を逸らした。
「そうね。魔術の勉強をしましょう」
テーラ曰く。その時のソーラの笑顔はここ数年で一番の笑顔だったらしいが、それは余談だろう。
ネット環境整いましたので更新を再開します。
次回更新は6月4日です。




