紅朗、世界を識り始める。二日目その1
説明回の二日目です。今回は異世界の背景では無く、主人公こと紅朗のバックボーンの説明に近い形になります。楽しんで頂けたら幸いです。
「……鬱だ」
ガルゲルの言ったシュウゲキとは、【蹴撃】という事だと紅朗はガンターから聞かされた。つまり、紅朗に付けられた二つ名だ。
「……日本に帰りたい……」
率直に言わせてもらうならば、ぶっちゃけ超恥ずかしい。呼ばれたくない。というのが紅朗の嘘偽りない本心である。
二つ名なんて、どこぞの中二病みたいじゃないか。そんな呼び方されてたなんて、師匠や友人達にバレたら指差されてゲラゲラと笑われる。それでなくても、紅朗は数年前までは普通に高校生として人生を謳歌していたのだ。考えても見てほしい。学校やコンビニ、あるいはスーパーなどで「おーい、蹴撃の紅朗ー」とか言われた場面を。悶絶して死んでしまいそうだ。不特定多数からクスクスと馬鹿にした笑いが聞こえてきそうで、紅朗は気分が沈んでいくのを自覚する。そして実際に膝は折れ、頭を抱え込んでしまう始末となっている。
「何をそんな落ち込んでいるのよ。良い事じゃん。二つ名が付けられたって事は相応の実力を持っているって皆に認められたって事なんだよ?」
「テーラの言う通りよ。いきなりFからDランクへ昇格して、直ぐに二つ名が付けられるなんて、そんなにある事じゃないわ。私達にだって無いのに。それは誇りこそすれ、落ち込む事じゃないでしょう」
「……クソ。こんな世の中じゃ俺の味方も出来やしない……」
そんな紅朗に降りかかる声は、パーティーを共にするテーラとソーラだ。彼女達の声が割と近くから聞こえた事から、彼女達も自分と同様しゃがんで話しかけてきたのだろうと紅朗は目を向けずとも愚痴をこぼす。
そもそも日本……いや地球の常識は大半が異世界の非常識なので、紅朗に味方する者は大体が非常識人な計算となり、そして非常識人というのは概ね存在が極少数である事は自然の摂理である。つまるところ、この場に紅朗の味方はいないのだった。
「で、次に【齧り取る蛇】をどうにかすればCランクに昇格だっけ? どうする? 狙う?」
テーラのその言葉も、昨日のうちにガンターから聞かされたもの。
ガルゲルとの試合を終え、対価の支払いを済ませた時に彼らはガンターから聞かされた。紅朗に二つ名が付けられ、Dランクに異例の昇格をした事を。そしてその時に、ロレインカム近隣で発生している【齧り取る蛇】事件を解決すれば、Cランク昇格も約束された指名依頼を紅朗達は受けたのだ。
ランクアップするという事は、依頼達成報酬も上がるという事と同義。紅朗は二の句も告げずに請け負ったのだが、今は率先して取り掛かる気は無いようだ。紅朗はテーラに首を振って答える。
「いや、まだ【齧り取る蛇】は置いておく。この依頼は期限が無いようなものだからな。他にするべき事が残っている」
紅朗が受けた依頼は【齧り取る蛇】事件の解決。報酬はCランク昇格のみ。金銭の報酬は無く、また日数期限も「他の誰かが解決するまで」と指定されていないようなもの。故に紅朗はガンターからの依頼を一先ず置いて、知識を取得する事を優先したようだ。
「ふぅん。で、今日は何をするの?」
ガンターからの依頼は紅朗達三人パーティーが受けたものだが、テーラもソーラもその依頼に対して特に乗り気ではない。Cランク昇格という報酬はテーラとソーラにも適応されるようではあるものの、二人は昇格に対して特にこだわりは無く、紅朗が否と言えばそれに反対する情熱を二人とも持ち合わせていないからだ。
だから、テーラは周囲を見回しながら紅朗に予定を尋ねた。今居る場所がロレインカムの街中では無く、ロレインカムから西に数km離れた草原であるが故に。
「ん? あぁ。ソーラに魔術を教わると同時に、お前を鍛えてやろうと思ってな」
先程まで抱えていた陰鬱とした気持ちを切り替えて、紅朗は立ち上がる。
何故草原かと言えば、紅朗自身が体術を教える場所に訓練場を選ぶのは、悪手の可能性が高いからだ。衆目のある所で修練するという事は、動きの基礎を見られるという事。それはつまり、氷山の一角でしかないけれども、自らの持つアドバンテージの喪失を意味していた。
前回のアマレロ戦で解った事だが、この世界の住人は動きの基礎が出来ていない。それは逆説、動きの基礎を仕上げた紅朗の技術は、この世界の住人に対して優位性を保持しているという事だ。未知の技、不可思議な動作。それを衆目に晒すという事は、未知は既知へと変わり、不可思議の前提さえ崩れかねないという事。その優位性をわざわざ自分から捨てる愚行を犯す程、紅朗は馬鹿では無い。
故に選んだ、草原という隠れる場所の無い立地を。
「え! 本当に!?【コッポウジュツ】を教えてくれるの!?」
「いや、今回は【骨法術】を教える前の基礎固めだな」
紅朗の感覚では、テーラもガルゲルもアマレロも、程度の差はあれども、体術という面においては駄目駄目だと評価している。はっきり言ってしまえばどいつもこいつも、【骨法術】を習得出来る肉体ではないのだ。
だから今からやる事は、例えるなら100km走りきるために行う、基礎体力向上の為のランニング。の為の準備運動だ。
とはいえ、最初にやるべき事は肉体面では無い。精神面ですら無い。まずは理解力。動く事に対する理解を深めようと、紅朗は口を開いた。
「どこから話せば良いか解らんから、まず結論から言おう。女の体は男の体よりも闘争に向いていない。これは精神論とかそういう話じゃなく、肉体構造的に変えられない事実だ」
いきなりズバッと切られてテーラとソーラは目を剥くも、紅朗はそれを無視して続ける。
「優劣を決める争いや競技で必ず出てくるのが、男女の肉体の差異。最たるは胸だな。小さければ特に気にしなくて良いのだが、大きければ大きい程、必然的に揺れは大きくなる。その揺れが問題だ」
胸、と言われてテーラ達は反射的に二人とも自身の胸を掻き抱くが、その動作で彼女達は紅朗の言葉の意味に気付く。胸を掬い上げるように掻き抱いた事で、その胸が重しでもあるという事に気付いたのだ。
そしてその重しは、筋肉では無い。自己の意思に従って、肉体の動きに合わせて動いてはくれないのだ。それが、揺れ。
揺れが大きくなるという事は、肉体のテンポに遅れて付いてくる重しが更に重くなるという事。つまりは、体のバランスが非常に悪くなる。
例えば体を上下に動かすとしよう。胸の大きい女性が体を上下に動かせば、抑えられていない胸は必然的に体の動きに遅れて追随する。体が上に行った時に胸はその場所を維持しようと、あたかも下に引っ張られたようになり、体が下に向かった時は遅れて付いていった胸が上に残ろうとして引っ張られるようになる。そして着地した時に一拍遅れて胸が重力に引かれて付いてくる。そうしたテンポのズレ。それが、こと戦闘中には致命的な隙に繋がるのだ。女性が闘争に向かない身体的要因の一つがこれである。
「そして残念な事に、この揺れを制御する方法を俺は知らん」
この世界にブラジャーがあったとして、それでも支えられるのは下方向の挙動のみだ。ブラ紐だけで上方向の挙動を抑止するのは難しいだろう。更に言えば上下左右の挙動を抑止するように乳房を全部覆うタイプの下着があったとして、それでも抑止するのは難しい。何故なら密着タイプでなければ生物の振動を抑える事は不可能に近いのだが、だからと言って密着タイプにすれば汗疹や衣擦れが起きやすいのだ。
つまり現状、意思を持って動かせる部位では無い女の胸は、挙動の邪魔にしかならない。女性トップアスリートの胸が余り無いのも、そういった要因が関わっているだろう。
そんな紅朗の結論に、テーラは気分を害されたと言わんばかりの表情で異を唱える。
「なにそれ。要は女は男に敵わないって言いたいの?」
「さぁな。知らねーよそんな事。適した適してないで諦めんならそうなんじゃねぇの?」
この世界の女性も、もしかしたら男女の構造による差で女性側は苦渋をのむような扱いをされてきたのだろう。テーラの表情からはそれが見受けられた。
しかし紅朗はこれを易々と切り捨てる。
紅朗は知っている。この世に自分より強い者はごまんといる事を。この世に自分より優れている者は星の数ほどいるという事を。どう足掻いた所で自分は最強にはなれない。上には上があるのが世の常だ。男だろうと女だろうと、それは誰しもが直面する大きな壁である。
だからと言って。だからと言われて諦める程、紅朗は素直じゃない。そんな素直にへりくだれるような楽な生き方は望んでいないのだ。
女は男より劣っているなんて紅朗は思った事が無い。男は女より優れているなど思った事も無い。紅朗が言っているのは、現実的に見て、そういうものだと言っているだけだ。これは優劣とか、そういうもの以前の話。現実の話をしているのだ。
「俺が言いたいのは、だ。そういった肉体的テンポのズレが女性の弱点だと俺は思っている。ならばお前がまずやるべき事は一つだ。その弱点、男女の肉体差をゼロにする」
「どうやって?」
ビシィ! と突き付けられた紅朗の指を前にしてテーラは問いかける。彼女に男女差を無くす知恵など無いのだからそれも当然の疑問だろう。
そんな疑問に、紅朗は自らの足をスパァンと叩く。
「足で」
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「昨日の試合だが、お前は素晴らしい動きを見せた。高い瞬発力と体力。ガルゲルの攻撃を躱し、懐に入る速度は中々のものだった。そして決着時にガルゲルは息が切れていたのに対し、お前は切れていなかった」
「負けたけどね」
「それはお前が自分の体を活かしきれてないだけだ。それをまず教えてやる」
紅朗とテーラは、草原のど真ん中で相対するように立ちながら言葉を交わす。二人の距離は約3m。肉薄するにはまぁまぁの距離だ。
「まず前提として、先にも言ったがお前の瞬発力は中々なものだ。脚力も俺よりは高い。つまり脚の瞬発力で言えば、お前は俺よりも優れているという事だ。そこまでは良いな?」
「あ、うん」
紅朗の言葉に取り敢えずの首肯を返すテーラだが、彼の言葉を真実として捉える事は出来なかった。アマレロ戦で見た、紅朗の動き。アマレロの剣を前にして見事に合わせた紅朗の動きは、自分よりも速いと感じたからだ。
脚力にしたって、紅朗の蹴りはアマレロの鎧を鎖帷子ごと破壊して、彼女の意識を刈り取った。自分の脚力で、そんな真似が出来るかどうか。考えるまでも無い。不可能だ。
そんなテーラの胸中を読んだかのように、紅朗は言葉を続ける。
「じゃあ何故、俺の足がアマレロの攻撃に合わせられたのか。何故俺の蹴りがアマレロの鎧を砕けたのか。その答えが【動き方】だ」
言いながら、紅朗は足元の小石を拾い、傍らで見物していたソーラに投げ渡す。
「ソーラ、俺が合図したらその石をあの岩に当たるよう、なるべく高く上に投げてくれ。出来るか?」
紅朗の指差す方にソーラが目を向ければ、3~4m程離れた所に岩があった。投げた石が当たれば、その音は容易に二人へと届く距離だろう。
「射手を舐めないでちょうだい。簡単だわ」
紅朗の意図を汲み取り、ソーラは頷く。
「さてテーラ。先程、俺が言った前提はなんだ?」
「あたしは、クロウよりも脚力が優れてる?」
「そうだ。それを踏まえて、俺と勝負しよう。今からソーラが石をあの岩に投げる。当たった音が鳴るまで俺たちは直立不動。聞こえたら、俺に向かって突撃してこい。俺もお前に向かって突撃する。どちらが早いか勝負だ」
それは、勝負になるのだろうか。というテーラの思いも当然なものだろう。紅朗の言い分を聞けば、瞬発力も脚力もテーラに軍配が上がっているのだ。にも関わらず、脚力で勝負をしようと持ち掛けてきた。
紅朗が何を考えているか解らないテーラは、ぐるぐると思考を回転させ、やがて止めた。どうせ考えても解らないのだ。自分に思考作業は向いていない。ならば、紅朗の胸を借りるつもりで、全力でぶつかろう。
その思考はテーラ自身の肉体に作用し、テーラが足に力を込めるのを紅朗は確認した。確認して、ソーラに目線を向けて頷く。それを紅朗の合図と受け取ったソーラは石を高く放り投げ――
――ソーラが石を放り投げたのを視界の端で確認したテーラは、更に足に力を込める。腰を落とす事は許されていないが、せめてスタートダッシュをより優位にする為に、足の指にまで力を込めた。対して紅朗は力を込めた様子はまるで見られなく、どころか全身を弛緩させているようにすらテーラには見える。それで勝つつもりなのか。あたしより、早く動くつもりなのか。狐兎族の素早さを甘く見るな。そういった勝気な感情をテーラは己を動かす原動力と変換し――
――音が鳴ったと同時に動き始め、しかし足を前に出した瞬間に驚愕で身を硬直させる。
眼前で息がかかる程近くに、余裕の笑みを浮かべて紅朗が立っていたからだ。
「は――、……え?」
「解ったか? これが【動き方】だ。男と女の差じゃない。知ってる者と、知らない者の差だ」
吐息が頬をくすぐる程近く、鼓動さえ届きそうな程近く、体温すら感じる程に近く、紅朗はテーラの目の前に立っていた。
勝敗は、明らか紅朗に軍配が上がった。なにせテーラは一歩しか進んでいないのだ。考えるまでも無く、測る事も出来ないぐらいに完敗だった。
「……嘘吐き」
だからだろうか。感情が口を突き破ったのは。
「はあ?」
「お前、あたしに嘘吐いたな!! あたしの方が優れてるとか言って嘘吐いたんだろ!! そんで自分が勝てるような勝負にしたんだろ!!」
顔が紅潮しているのも、感情が制御出来ないのも、全ては負けた所為なのだとテーラは自己分析する。決して紅朗の吐息が頬を掠めたり、触れてもいない筈なのに紅朗の体温を自らの肌で感じた気恥ずかしさからでは無い。決してそんな事では無いのだ。
「それして俺になんのメリットがあるんだよ」
「そんな事あたしが知るか!!」
「……滅茶苦茶だな。ちったぁ考えてからもの言えよ」
解りやすく肩を落とし、見せつけるように呆れ顔を浮かべた紅朗は、傍らのソーラに視線を向ける。
「ソーラ。お前から見てどうだった?」
「……そうね。反応はほぼ同時のように見えたわ。気持ちテーラの方が早かったかしら。でも、加速は紅朗の方が段違いに早かった。これが魔術じゃないとしたら、やっぱり前提から違うように感じるわ」
「ほら見ろ!! ソーラがこう言ってるんだ!! やっぱりクロウが嘘吐いたんだ!! この嘘吐きめ!!」
どうやらこの場はアウェーのようで、超メンドクセーという感情を隠さず紅朗は表情に出す。特にテーラに向かって。こんな興奮状態では、説明した所で無駄になりそうな感じが更に紅朗のやる気を削いでいった。
「はいはい。どうどう」
「あたしは馬か!!」
「これで落ち着けないんなら馬以下だ」
「なんだとう!!」
こっちにもやっぱり馬は居て、馬を宥める言葉もあるんだなぁ。と、どこか現実逃避のように紅朗は考えるも、直後に首を振るってテーラを宥める事に尽力した。紅朗にとってテーラの鍛錬は蛇足に過ぎない。今日の紅朗の目的は、ソーラから魔術に関しての話を聞きだす事なのだ。
尽力の甲斐あって、というよりもソーラの手伝いがあってこそだろう。短時間でテーラを宥め終えた紅朗は、講義を再開する。
「さっきの加速には理屈がある。俺がお前に勝ったのは種も仕掛けもあるんだよ」
基本的に劣っている紅朗が、どうして優れているテーラよりも速く動けたのか。それには明確な理由があるのだと紅朗は言う。
「人が走り出す時は基本的に――。……あれ、お前らって人で良いの? 人で通じる?」
「なんだクロウ。あたしは魔獣みたいだってのか? あん?」
「テーラ、負けたからって喧嘩腰にならないの」
説明の出だしで躓いたのにも理由があった。紅朗にとって自らの種族は人であると断言出来るが、この世界は【狐兎族】等、明確な種族名が存在し、またそれらが一般化している情勢だ。更には、「丸耳」という人間のような耳を持った種族がいないとされている事から、「人」という単語や概念が存在しているかを紅朗は知らない。
そしてそんな紅朗の内情を、詳細に理解はしていないまでも、なんとなく感覚的に大体は察知したソーラが紅朗の問いに答えを返す。
「私達は基本的に種族名で呼び交わすけど、全般的に言い表すのならば、人で通じるわ。種族全体じゃなく、全種族を総称して人種。人と言うわ」
大体地球と同じような答えに紅朗は頷いた。
「そうか。そりゃ良かった。話を戻そう。人が走り出す時ってのは基本的に、腰を落とし、足を後ろに突き出して推進力を得て、前に進む。テーラの走り方がこの方法だ。これは良いな?」
ちょっとしたジェスチャーを交えて説明する紅朗に首肯するテーラ達。
「対して俺は、体を重力に任せて前に倒し、転んだ時にする対処のように、倒れ切る前に足を出して前に進んだんだ」
つまり、紅朗が言っている事はこういう事だ。
テーラの走り方はスタートダッシュが、腰を落とし、足に力を込め、突き出して前に進む。簡単に考えれば、前進するのに三拍必要な動きだった。
対して紅朗は、重力に任せて倒れ、しかし倒れないように足を前に出すだけ。倒れる勢いだけで前に進んでいるのでいちいち体を押し出す必要が無く、所要時間は二拍のみ。また加速だけならば、倒れた時に加速は始まり、足を着いた時には既にトップスピードに近いのだ。
石が岩に当たって音が鳴り、テーラが走り出そうと腰を落とした時に紅朗は加速を終了させ、テーラがいざ足を前に出した時に紅朗は既に一歩距離を詰めていた。噛み砕いて言えば今回の勝負は、そういった様相を呈していた。
「たった一拍の差だが、これがこと試合や喧嘩等、所謂スピード勝負の場合になると、途方も無くデカい。そして効率の良い動き方を知ってるのと知らないのでは、その差を埋める事も増やす事も可能になる。どうだ、これが技術だ」
これが技術だ。これが体術だ。これこそが、連綿と歴史を積み重ねた結晶だ。そう誇るように言い放った紅朗の説明を、テーラとソーラは目を開いて感心と驚愕を露わにする。
ただの走り出し。それだけの事だ。紅朗はただ倒れ、転ばないように足を前に出した。ただそれだけの事だ。なのにまさか、こんな短縮方法があったなんて、魔術に頼っていた文化を持つ彼女らには、思いもよらなかっただろう。
たった一拍、されど一拍。その一拍の差が二人の優劣を覆し、紅朗の弁を信じるのならば、劣っている者が優れている者から勝利をもぎ取った。これは、テーラ達からしてみれば快挙に近い事である。
彼女らは今までに何度か負けてきた事実がある。それを反省し、理由はと考えるも、結局は一つに行き当っていたのだ。筋肉量で勝てない相手に出くわした場合、それに勝利するためには結局は修練の積み重ねか、魔術で上回るしか道は無いと。だが紅朗は、そうではないと、テーラ達が見えていなかったもう一つの道を指し示したのだ。
思い返せば、紅朗は今までそうやって来たでは無いか、とソーラは思う。膂力、筋肉の量で言えばガルゲルの筋肉量は火を見るよりも明らかに、紅朗より勝っていた。魔術というアドバンテージを持つアマレロは、魔術の使えない紅朗よりも遥かに勝っていた。それらを紅朗は、技術を使って打倒していたのだ。
ガルゲルには、意識の外から折りやすい角度で膝を破壊した。アマレロには、意識を一本化させて突撃以外の攻撃を封じ、技術を持って剣を捌き、技術を持って鎧を破壊した。言い換えれば紅朗の技術は、体格や筋肉、魔術の差等の優劣を覆す程の威力を持っているという事となる。
「「――すごい……」」
姉妹の言葉が、期せずして重なった。だが思いの差は同じではないようで、あるいは性格の差か、その威力を体感したテーラの思いはソーラよりも強く、頬を紅潮させて興奮をそのままに紅朗へぶつけた。
「すごいすごいすごい!! 凄いよクロー! これだよ、あたしが欲しかったのはこれなんだよ!!」
さながら欲しがっていた玩具を手に入れた子供のようにテーラははしゃぐ。それも当然だろう。魔術に頼らずして強者に勝つ。それこそがテーラの欲していたものだったのだから。
「あーはいはい。落ち着け。話はまだ終わっちゃいない」
高揚して瞳を輝かせるテーラは、紅朗の言葉で佇まいを直して次を待つ。らんらんと輝く瞳は変わらないが、静かになればそれで良いやと紅朗は続けた。
「取り敢えず、今回の勝負で技術がどれだけ素晴らしいか解ったか?」
「うん!」
にっこりと笑う紅朗に、笑みを返すテーラ。この状況はテーラから言い出した事なので仕方ない事ではあるが、妹のソーラはほとんど放置気味である。それでもソーラは構わないと思っていた。
姉は楽しそうであるし、紅朗の体術は聞いてて後学のためにもなる。これはこれで良い買い物をしたのかもしれない、とソーラは紅朗への認識を上方修正した。
「よろしい。ではついでに、もう一つ教えておこう。俺が前に言った事は覚えているか? 強くなるための方法を」
前に言ったと言うのは、アマレロを倒した後、拠点ともしている宿で話した事を言っているのだろう。テーラが紅朗に体術の教示を強請った時の話だ。
強くなるための方法を、確か彼はこう言ったのだ。
――腕を足のように強くするか、足を腕のように器用にすれば良い。
一昨日の事である事も相俟って、その紅朗の発言は彼女らの記憶に新しく、すぐに察しがついた二人の顔を見て、紅朗は笑みを深めた。
「腕を足並みに強くし、足を腕並みに器用にする。その実際の使い方を見せてやる」
次回更新は2月12日に更新予定ですが、二月は私事で申し訳ないのですが少し忙しくなる予兆を見せており、多分更新出来ないかもです。