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デミット×カワード ぷろとたいぷっ  作者: 駒沢U佑
第一章 環境適応のススメ編
18/53

紅朗、世界を識り始める。一日目その1

誤字脱字チェックしていたら少しだけ遅れてしまいました。申し訳ありません。




「今日は昨日に言ったように、調べものをします」



 アマレロとの一戦から明けた翌朝。昨日の朝と同じように、空腹による紅朗の魔力要求(ソーラ襲撃)が終わり、魔力切れから立ち直ったソーラがテーラと朝餉を食べ終わり少し経った頃。紅朗達は冒険者らしく今日も今日とて冒険者ギルドに来ていた。


 仕事始めの時間帯なのだろうか、冒険者ギルドは今日も賑々しい。そこかしこで依頼受注の声が飛び交い、情報交換が冒険者間で盛んに行われている。紅朗が破壊したカウンターは未だ修復されておらず、たった一つになってしまったカウンターには長蛇の列が出来ていた。


 そんな中にも関わらず、昨日に起こした対アマレロ戦の話がもう出回っているのか、大人しく列に並んだ紅朗は注目の的となっており、通り過ぎる冒険者達がひそひそと囁き合っては触らぬ神に祟りなしとばかりにギルドの門を潜り抜けていく。そんな朝の一コマ。


 だが列に並んだとは言え、周囲の冒険者のように依頼を受ける気など紅朗には無い。そもそも紅朗が依頼を受けた事など一回たりとも無いのだが、それは兎も角。本日の予定は、昨日アイリスに教えられた、冒険者ギルドの図書館を利用する事だった。


 しかし、そんな予定に不服を申し立てる者、一人。



「えー。鍛錬は? コッポウジュツとか言うのを教えてくれるんじゃないの?」



 と、テーラが頬を膨らませ、自らの胸中を解りやすく表現する。


 そんなに期待していたのだろうか、と紅朗は思うが、残念ながら我慢してもらう他無いだろう。今回の予定は曲げる事が出来ない。直ぐに教える訳にはいかない理由があるのだ。



「調べものが終わってからな」



 と言うのも、紅朗の肉体とテーラの肉体には少しばかりの差異がある。それは男女の違いなどというものでは決して無く、一つの生物としての違いだ。


 例えば紅朗の耳は頭部側面、下顎骨の付け根から少し上に生えている。しかしテーラの――狐兎族の耳は頭頂部付近に位置している。


 これが何を意味しているのかというと、頭蓋骨の耳穴の位置が紅朗と狐兎族では完全に違っているという事。つまり頭蓋骨の形が一部だけではあるものの、まるで別の生物であるという事を意味しているのだ。しかも、もしかしたら三半規管等、聴覚を司る器官までもが違う可能性まで浮上してくる。


 それだけならまだしも、未だ記憶に新しい、先日の夜に対戦したアマレロの姿を紅朗は思い出す。彼女の下半身はさながら馬のようだった。人間とはまるで違う形状をした足は、その動きからして恐らくは紅朗の推測通り、馬の要素を多く含んでいた。


 どういう事かと言えば、アマレロの足は馬と同じように、脛が短く足首から先が長い、爪先立ちであるという事。


 一度そういう異形を見てしまえば、紅朗の中で疑問が湧き上がるのも無理は無い。――果たして狐兎族の足も……否。足に関わらず全身、見た目が人間と酷似しているだけで、果たしてその中身まで同じと言えるのだろうか、という疑問。


 杞憂であればそれで良いのだが、もし紅朗の懸念が当たり、紅朗の鍛錬法とテーラの肉体のソリが合わなかった場合、テーラの肉体に後遺症が残る恐れがある。それはつまり、最悪、ソーラとの契約が切れてしまう恐れがあるのだ。


 それだけは頂けない。紅朗の肉体的事情のみならず、新たな契約先を見つけ出す時間的余裕も紅朗には無いのだ。なにせ、数時間経つだけで空腹に支配される肉体的欠陥を抱える身。更には師匠を見付けだす為に、何の手掛かりも無い帰還方法を見つけ出さなければならない。


 紅朗には、ソーラ以外の契約先を見付ける暇など無いのだ。


 故に、紅朗は狐兎族の肉体についても調べる必要があった。


 運が良ければ医学書が見付かるだろう。何も無ければ手探りで肉質を見極めよう。そう判断したが故の、冒頭の言葉である。



「それってどれくらいかかるの?」


「……さぁ。どれくらいだろうな。少なくとも今日一日はかかるんじゃないか?」



 テーラの疑問に答える紅朗だが、その返答はまるではっきりしない。


 なにせ、調べる為の文字を覚える所から始めるのだから。文字を覚えて書物が読めるようになるまででさえ、今日一日で習得出来るかどうか。幸いにして教師役のソーラが居るから、時間はかかるものの書物を紐解く事は可能だろう。だが今問題にしているのはその時間である。


 言わば紅朗がこれからやろうとしているのは、英語を知らない中学生が、英語の教師を引き連れて、読み解くのに別の知識が必要な洋書を読むようなもの。今日一日で習得出来る筈も無く、前途は余りにも多難だった。


 だがそんな事お構いなしのテーラは、やっぱり不満のようで。眉を寄せて声を上げる。



「えー。じゃあその間、あたしは何をすれば良いんだよー」



 どうやら手伝う気は更々無いご様子。昨日「手伝う」とか言った癖にこの野郎、と紅朗の額に青筋が走った。が、まぁギブ(鍛錬)していない身でテイク(手伝い)してほしいというのは我儘が過ぎるだろう。



「じゃあ素振り一万回やれ」



 だからコレに他意など無いのだ。意趣返しの筈が無い。



「そ、そんなに!?」



 紅朗の余りにもあんまりな台詞に驚くテーラ。対して紅朗は(おや、通じた)と呑気にテーラの驚愕面を眺めていた。


 それもその筈。つい口を突いて出た何の他意も無い台詞だが、紅朗が確認した数え方の単位名称は、一、十、百まで。【千】や【万】は未確認だった為の感想である。


 だが【万】が通じたという事は、恐らくこの世界の単位は大体日本と同じものだと思われる。距離も時間も大体同じだったのだから当然と言えば当然か。流石に【那由他】とか【無量大数】とかは通じないだろうけれども。


 日本でも【京】以上は目に触れる機会さえ無かったからなぁ、と思いつつ、紅朗はテーラに向き直る。



「取り敢えず、剣を振る動作を体に刻み込め。目で見てから脳を経由して反応するのでは余りにも遅過ぎる。見た瞬間に体が反応出来るよう、無意識に剣を振れるよう、その体に徹底的に刻み込め」



 それが、強くなるならない以前の、一番手っ取り早く死亡率を下げられる行動だろう。ひいてはそれが勝率に大きく関係してくる。動きを体に覚え込ませる事が出来たのなら、敵の襲撃にも素早く対処出来るのだから。


 しかしテーラは、どうにも乗り気ではないようだ。



「そんな事しなくても大丈夫でしょ。あたし、結構反射神経良いんだから」


「本当に?」



 随分と過剰に自己肯定している様子のテーラに、紅朗は怪訝な顔を浮かべるも、その表情が逆にテーラの自尊心を刺激したようで。


 勿論だ、とでも言いたげにテーラは満面の笑みで頷いた。テーラの胸中には、笑みを見せるだけの確たる記憶があったのだろう。その記憶が、彼女の自信に繋がっているのだろう。テーラの浮かべる笑みは、確固たる自信に満ち溢れていた。


 頷く為に紅朗から目線を切り、そして顔を上げた後、紅朗の指先が自身の喉元で止められているのを皮膚で感知するまでは。



「本当に?」



 念を押す様に再度問う紅朗。その言葉が恐怖を伴ってテーラの脳裏に突き刺さった。


 視線を切ったのは、ほんの数秒だ。顔を下に向け、そして上げるまでの小さな隙間。下手したら秒にさえ満たない僅かな間だった筈だ。なのに、どうして自身の首を貫くように、紅朗の手が自らの喉元で止まっているのか。テーラの背筋に冷や汗が流れる。


 まるで見えなかった。紅朗が動いた気配すら感じなかった。そして今、確かにテーラは殺されたのだ。反応する余裕さえ与えられずに、喉を貫かれて殺されていた。



「これが動作の最適化だ。俺の手は見えたか? 衣擦れの音は聞こえたか? 空気が動くのを感じたか? 反射神経云々は、これを避けられてからほざけ」



 紅朗の、剣にも似た鋭い両眼がテーラの自信を崩壊させる。


 敏捷性の高い両足は紅朗の行動に合わせる事は出来ず、集音性の高い耳も紅朗の動きを察知する事は適わなかった。産まれた時から持ち合わせた種族特性だけでなく、幼い頃から今の今迄自信の源となっていた反射神経さえも紅朗に破られたテーラ。彼女の口から洩れるのは、「う、うぅ……」という低い呻きのみ。


 仕方ない。認めたくは無いが、こうも厳然たる事実を突き付けられては、認めるしか無いのだ。己の十八年間は、目の前の青年にとってみれば容易く踏破出来るものであるという事を。


 だが未だ20にもなっていない若い身であるテーラは、それを簡単に受け入れる事は出来ない。だからこそ彼女は苦肉の策として、



「うわああぁぁぁぁん!! クローの馬鹿あああああああああ!!」



 逃走を選択した。



「あ!? テメェこら今なんつった!!? おい!!」



 紅朗の言葉を聞き入れる事はせず、テーラはそのまま走り去っていく。制止の為なのか、無意識に伸ばされた紅朗の手が虚しく虚空を掴んだ。


 少しばかりギブ(鍛錬)ってやったのにテイク(手伝い)を拒否した挙句罵倒を浴びせるとは、恩を仇で返すとはこの事か。



「……大丈夫よ。姉は立ち直りが早いから」



 その虚しく伸ばした手に何を感じたのか、ソーラがテーラのフォローをするも、それで紅朗の胸中が納得するかと言えば、答えは否である。



「それは、頭になんも入ってねぇからか?」


「それ以上言ったら殴るわよ」



 無意味に馬鹿にされた挙句、不必要に殴られるのは勘弁だ。ソーラの剣呑な瞳も周囲の怪訝な視線さえも黙殺して、紅朗は唯々列が進むのを待つ。




 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲




 冒険者ギルド、図書館。


 そこには、冒険者ギルドが全国津々浦々から集めた蔵書が納められていた。羊皮紙を無理くり本の形に圧縮した蔵書もあれば、竹簡で出来たものまで存在するそのスペースは、規模は小さいながらも智慧を結集させた場所だろう。


 受付で図書館利用の申請を出し、問題無く受理された紅朗達は、冒険者ギルド二階部分にある、その図書館に来ていた。図書館とは言うものの、それ程の大きさは無い。かと言って図書室と言う程小さくも無い部屋。


 広さは凡そ、紅朗達が拠点にしている宿屋の一室を二部屋三部屋ぶち抜いたぐらいの、日本育ちである紅朗にとって図書館と言うには憚られる小さなスペース。その小さなスペースに所狭しと本棚が並ぶ光景は、奇妙な圧迫感を紅朗は覚えた。圧迫感はあれど、不思議と不快感は無い。むしろ少しばかりではあるが心が弾む感覚は、地球でも覚えた感覚だ。地球も異世界も、こういう所は変わらないらしい。


 その空間では、常駐なのかどうかは解らないが三人の司書らしき人達が働いていた。


 まずカウンターに二人。眼鏡をかけた老齢と妙齢の女性。やはり異世界であれども、こういう職に就く者は基本的に眼鏡なのだろうか。


 そして本の運搬をしている者が一人。先の二人に比べて随分と体が小さく、だからだろうか顔も幼い。頭には犬のような耳がぴょこんと、己の存在を小さいながらもアピールしている。異世界なのだから、そういう、全体的に小さな種族なのだろうか、と紅朗は思った。にしては着ている服が、カウンターの女性と比べて少しばかりボロが目立つし奇抜な箇所もあった。きっと忙しなく動いているのだから、どこかに服を引っ掻けでもしているのだろう。奇抜なのはファッションセンスなのかもしれない。


 紅朗はそう判断し、視線を人物から館(室?)内案内図に移す。相変わらず案内図の文字を紅朗は読めないが、そのためのソーラだ。室内の静寂を乱さないよう、ひそひそと声を落としながら紅朗はソーラに注釈を求めた。そして解る、蔵書の分布。


 このギルド図書館に収められている蔵書は、大まかに地図と図鑑、魔術、宗教、そして歴史書のようだ。医学書は無いのかと紅朗は肩を落としたが、この世界では解剖学がさして進んでいるとは思っていなかったので、落胆は浅い。魔術の発展が科学や医学を拒んでいるだろう事は、可能性の一つとして想定していた。



「紙製の本は無いんだな」


「そんな高級品使えないよ」



 ソーラ曰く、どうやらこのロレインカムを領土圏内に置くイーディフ王国では、紙自体が高級品のようだ。紙となる植物がこの国には少ないのかもしれない。そして紙製品を輸入に頼るしかないが、問題となるのは輸送費で、それを加味したら羊皮紙を使った方が経済的なのかもしれない。と、益体の無い事をつらつら推測する紅朗。因みにこの推測は適当なので、当たっているか外れているのかはまるで気にしていなかったりする紅朗であった。


 それは兎も角。まず紅朗は、近くにあった巻物を取り出して開いてみる。麻縄のようなもので纏められていたそれは、地図であった。


 中に記されているのはイーディフ王国全土を含めた、簡易的な地図だとソーラは言う。高低差は記されておらず、また山や森、川なども適当に描かれている地図だ。主な道路が描かれているが、ここまで適当な仕事振りだと、これが本当かどうかさえ疑わしくなる。そして余白(最早全面的にほぼ余白のようなものだが)に見た事の無い生物が描かれているのは、制作者の遊び心だろうか。阿呆みたいにデカい口を開いた異形の化け物が現実に居ない事を紅朗は祈るばかりである。もし現実のものだとしたならば、縮尺的に勝てる気がしない。


 次に別の巻物を開いてみるが、矢張りこれも地図であった。但し、縮尺は先の物と違い、今回の地図はイーディフ王国ニレオルヒ領の地図。紅朗達が今居るロレインカムを含めた様々な町が描かれているようだが、紅朗にはどれがどれだかさっぱり解らない。



「地図は基本的にイーディフ王国のものだけか?」


「そうね。幾ら冒険者ギルドが国家権力に屈しないとは言っても、自国の地図が他国に漏らされる危険性を無視する程、国も馬鹿では無いと言う事でしょう。周辺諸国への配慮か、それとも高度な政争でもあったのか。支部に回る地図は、原則その土地を納めている国のしか無いわ」



 成程、と紅朗は納得する。地図とは、言い換えれば戦略の土台だ。町と町を繋ぐ行路や、町自体が何処に形成されているかを知られてしまえば、それを侵略や戦略に利用されてしまう危険性が非常に高い。国としては、そんな危ない橋を放っておく訳も無いだろう。



「……。ところで、お前らって地図持ってる?」


「えぇ。ニレオルヒ領内の地図だけなら持っているわ。因みに、領外に出る際にはギルドに売らなけらばならない決まりよ」



 ギルド発行の地図は、必ず羊皮紙の裏にギルド印が押されている。領外、あるいは国外でギルド印の押された別国、または別領の地図を所持していた場合、問答無用で罰金処分が下される決まりである。


 では複写すれば良いじゃないか、と考える者もいるだろうが、それは可とされている、なんともザルな決まりがギルドにはあった。とはいうものの、基本的に冒険者の多くは面倒だからと複写しない実情があるのだが。


 しかし、そこで紅朗の黒い脳がティン! と閃く。今イーディフ王国の地図を複写して、それを外国で売り捌けば儲けられるのではないか、と。それをソーラに告げれば、彼女は苦い顔をして首を横に振る。



「ギルドが出来てから何年経ってると思ってるの? 話に聞いた所、ほとんど全ての国が他国の地図を手に入れているのは公然の秘密、暗黙の了解となっているらしいわ。最早地図に関しての決まりは形骸化してるだけよ」


「じゃあ世界地図さっさと描けよ、すっとろいクズカスが」



 どうやら、紅朗の発想は何処かの誰かが既に開拓した道のようだった。脳裏に思い描いた黄金色の夢が、ただの蜃気楼だと告げられた寂しさからか、紅朗の口調が悪くなってしまったのも仕方ない事だろう。思わず飛び出してきた汚い言葉を耳にして、ソーラは肩を竦めた。



「取り敢えず、クロウは周りの本でも見てて。私、受付に羊皮紙とペン借りてくる」



 文字を覚えるのに一番手っ取り早い方法は、矢張り自らの手で書き記す事だろう。自らの経験として文字を書き記す事は、見聞きした知識としても経験した記憶としても脳に入り、定着しやすい。更にはこの図書館の蔵書は持ち出しが禁じられている為、複写した羊皮紙を持ち帰れば復習にも使える、一石二鳥の方法だ。


 やがてソーラが羊皮紙とペン、インク壺を両手に持って戻り、紅朗と共に近くの机に座った。さぁ、勉強の開始だ。と、紅朗は気合を込めて取り掛かる。




 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲




 現在の時刻は解らないけれども、朝から日が没する今の今までソーラに文字を教わった紅朗の心境は、実に晴れやかなものだった。


 というのも、文字の修得は想定よりも大分早く終わりそうだ。というのが紅朗の率直な感想である。下手すれば文字の修得に一ヶ月はかかるかと想定していたのだ。それが大分短縮出来そうなのだから、少なからず彼の不安感は払拭された事だろう。


 この世界の文字は、基本的にアルファベットと似たり寄ったりの文字だ。地球の文字と比べて例えるのなら、【A】に妙な線が足されていたりと、余計なものが付着して微妙に異なったりはしているが、基本的には同じものと考える事が出来た。それらを組み合わせて単語を形成しているのが、この世界の文章である。


 そういった表記に対してある程度の下地を持っている紅朗にとって、この世界の文字を覚えるのはそう難しい事では無い。要はアルファベットを下地に、全く新しい記号を上書き修正して記憶すれば良いだけの話。


 問題は、アルファベットは26文字なのに対して、この世界の文字は38文字な事。余分に溢れた12文字を覚えて対応するのに、紅朗は結構な時間を掛けてしまった。


 また、この世界の単語は基本的にローマ字のような表記で発音する。例えばソーラの種族【狐兎族】。これをこの世界の文字に対応させると【KOTOZOKU】と書く。まぁ、それぞれの文字に線が増えたり減ったり、妙な記号が増えたり減ったりしているものの、大よそ同じようなものだ。


 だから紅朗は合点がいった。狐兎族であるソーラ達が、何故自らの種族名と獣の狐や兎をイコールとしないのか。


 彼女らには漢字という文化が無いからだ。【KITUNE()】と【KO()】が同じものを指しているという事を、彼女らは認識していないのだ。いや、彼女らは自らの種族を【KOTOZOKU】と言い、それを紅朗が【狐兎族】と変換して認識したのがそもそもの間違いだったのかもしれない。が、それはどうでもいい話だろう。


 話を戻して、単語関連。日本で英語を勉強しているのと同じように、単語を覚えるのにやたらと時間がかかるのは、日本でも異世界でも変わらないらしい。この世界と同じような文字であるアルファベットを覚えている紅朗が、前述した12文字以上に学習時間を割いてしまったのが、単語である。


 実はこの世界の単語は、日本語と英語を学んだ紅朗にとってはどうにもややこしいものがあったのだ。前述した【KOTOZOKU】という単語はそのまま【ことぞく】と読むのに対し、【ATTACK】という単語の読みは【アタック】と【こうげき】、二つの読み方が存在した。【竹刀】と書いて【しない】と読むようなものなのだろうか。


 なんだかもう書きは英語とロシア語がごっちゃになり、読みは日本語と英語がごっちゃになった感覚を紅朗は覚えた。簡単に言えば凄く面倒臭い。超ややこしい。なんだ、アルファベットの法則全無視か。昨今のいじめでもそこまで張り切ってシカトしねぇぞ。と知らず知らずに口から出る程である。


 故に紅朗は単語を片っ端から覚えていく事を諦め、読みは都度修正を図っていくしかないと判断する。いわば、此処から先は只管経験を重ね、間違えては修正するというトライ&エラー方式でいくしかない。


 だが紅朗の心に悔やみや焦燥は無い。覚える事は多々あるし、不条理な文字や単語と対面した今回の勉強会ではあったが、前述した通り、想定よりも早く一般レベルまで識字率を上げられそうだからだ。


 そしてその事実を前に、ソーラの心境は驚愕そのものだった。



 ――……速い!



 彼女が驚いたのは、紅朗の文字修得速度。乾いた畑に水を撒いたかのように吸収していくそのスピードは、紅朗が本当に何も知らないのか疑ってしまう程だった。


 確かに、紅朗は「記憶喪失のようなもの」、つまりは記憶喪失という訳では無いと自ら言っていた。だが狐兎族を知らなかった。魔術も、地名も、通貨も暦も。ソーラが今まで培ってきた常識を、紅朗は何も知らなかったのだ。そこに疑う余地は無い。そんな事で嘘を吐いても意味が無いからだ。


 そんな、何も知らない筈の紅朗は、しかし驚くべき修得速度をもって文字を覚えていく。ソーラ自身がまだ小さい頃、初めて文字というものに触れた時を彼女は思い出すが、こんなにも速くは覚えられなかった。それは子供と大人の理解力の差なのかもしれないと自問するも、ソーラは否と自答する。


 学校というものが少ないこの世界の識字率は、さほど高くない。ソーラのいた集落でも学校なんてものは無く、文字を読めて書ける人数は過半数を下回っていた。そんな文字を知らない大人に、読めて書ける大人が文字を教えている場面を、彼女は何度か目撃した事がある。その経験を踏まえてみても、紅朗程の速度で習得した者をソーラは見た事が無い。


 もしかして、紅朗は文字に関して天才的な才能を持っているのではないか。というソーラの思考に、一つだけノイズが走った。



 ――クロウは、コレ以外の文字を知っている?



 そう思った矢先の事だ。ソーラのノイズを明確にする台詞が、紅朗の口から飛び出してきたのは。



「因みにソーラ、お前はイーディフ王国外の文字も知ってんのか?」



 ソーラは確信した。クロウは、私の知らない文字を知っているのだ、と。



「何処の国も同じ文字だったと思うけど、文字ってそんなに種類があったかしら……」



 この世界の文字に、名前は無い。何故ならばこの世界の文字は、今紅朗が習っている文字しか無いのだ。日本語も、英語も、フランス語もスペイン語も広東語もラテン語もロシア語もアラビア語も無い。今紅朗が習っているこの文字たった一つのみ。細分化も明文化もする必要が無いため、文字に名前は存在していなく、今現在判明している何処の国でも同じ文字が使われているのだ。


 その事実を知っているソーラは、背筋が震えたかのような快感を覚えた。


 もしかしたら……――そう。もしかしたら、と。


 もしかしたら、今までの人生で見た事の無い、未開の部族のみが使っている独自の文字があるのか? とソーラの持つ知識欲が刺激された。


 彼女が集落から飛び出したのは、断じて活発な姉のテーラに連れられたからではない。姉と同様、ソーラも集落の中では人並み外れて好奇心が強い。テーラは見た事の無い景色や体験を求めて集落から出たが、ソーラは未知の技術や知識を求めて飛び出したのだ。


 そんなソーラが求めた未知の知識が今、目前に存在しているのかもしれない。



「……やだ、お前らを嫌いになりそうだ」


「なんで!?」



 中学、高校と必死に英語(他国語)を勉強した苦労は、どうやらこの世界では同意を得られないらしいと判断した紅朗は、今日の勉強会で少しだけこの世界が嫌いになった。それが100%唯の妬みである事は言うまでも無い。


 その一方で、少しだけ、ソーラは紅朗の過去に興味を持ち始めた。




この回から暫くは説明回です。一応、物語として面白くなるよう努めていますが、それが皆さまに通じていれば幸いかと。


次回更新は1月22日です。

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