6 部活見学
「確かに体育も3学年合同だったけど……、その英雄学ってのもそうなの?」
「そうなの、各クラスから数名ずつ英雄学を受ける人が居て、どうして私がそれを受ける事になったのか全然分からなかった」
「説明は?あったんじゃないの?」
「あるにはあったけど……ぜーんぜん分かんなかった。先生が言うには、“お前らは特別な生徒だから、そこは自覚しておくように。英雄学を学べる事に感謝しろ”って。後は普通の授業と同じで通知表の事とか課題の話しか聞けなかった」
放課後、一階の廊下にて。
水姫と百合は、部活の見学へ向かうために、つい先ほど合流して、辺りをぶらぶらと回っていた。そんな中、水姫が今日受けたばかりの英雄学について愚痴るように話をする。
どういう内容なのか、全く見当がつかない。どうして水姫が英雄学なのか、どうして英雄学という名前なのか……。
疑問だらけのまま終わってしまって、もやもや感は拭えない。
尋達は聞きなれた様子で教師の言葉に頷き、授業の事について再確認するばかり。それに加えて自分以外の一年生は、何やら訳知り顔で話を聞いていた。何も知らないのは水姫だけのようで、疎外感を覚えたのは当然の結果だった。
ちなみに席が本当に涼太の隣で、熱い視線をかわしながら受ける授業はかなり体力を使った。これからが怖い。
「そっか……じゃあ次の授業に期待だね」
百合の言葉に頷いて、水姫はスリッパから靴に履き替えて外に出る。百合も履き換えたのを確認すると、二人は隣の武道場へと向かった。
部活の見学はほぼ済んでおり、後は剣道部、柔道部、相撲部といった武道場で練習している部活だけ。水姫は文化系の部活に入るつもりだが、百合は見た目に反して運動が好きなため、彼女に付き合っているという訳だ。
別館である武道場に靴を脱いで足を踏み入れると、早速野太い声が飛んできて、水姫は顔を引きつらせる。いかにも体育会系と言ったこの雰囲気が苦手だ。
「そうだ、そこに攻め入れろ!」
「うりゃあああ」
「とらせてたまるか!」
「俺、これに勝ったら告白するんだ……」
武道館の中はほぼ男で埋まっているのを確認すると、水姫は即座に帰りたくなった。こんな場所、見学する事ないじゃないか。さっさと帰ろうよ、と言いたい。
だが百合は目を輝かせて3つの部活を見渡していて、一体どこに魅力があるのか問いたかった。このむさくるしい空間をどうしてそんな顔で見れるのだ。
「百合、どれか入りたいのはあるの?」
「ううん、剣道が興味あってね、悩んでるの」
剣道部は武道場の最奥で素振りの練習をしていた。僅かに女生徒も居るようで、唯一華やかさがあると言える部活だろうか。ふうん、とたいして興味もなくぼーっと見ていると、その剣道部に知り合ったばかりの姿を見つける。
「あれって、桃耶先輩?」
「え、知り合いなの?どの人?」
「ほら、今皆の素振りを見てる人だよ」
桃耶に指をさして百合に教える。ついでにあの告白してきた涼太の弟であるという情報も付け添えておいた。
彼は唯一練習をせずに生徒たちを見ていて、面もしていない。現場監督なのかな、と首を傾げて見ていると、彼と目があった。
すると監督(多分)なんてそっちのけでこっちにずんずんと歩いてくるではないか。びっくりした水姫はサッと視線を外したが無駄だった。
「姫ではありませんか。見学にいらっしゃったので?」
「いえ、私じゃなくて友達の百合が」
「おや、それはそれは」
黒縁眼鏡の奥の瞳がきらりと光る。それはどう見ても狙った獲物を逃さないようにと思考を巡らせている鷹の目つきで。
「姫のご友人なら大歓迎ですよ。ついでに姫も入部はいかかですか」
「いやいやいや、私運動は全く出来ないですし……」
それに涼太先輩の兄弟と関わりたくないし。
心の中で付け足して百合を見ると、彼女は早速とでも言うように素振りをする生徒たちを間近で見学し、果てには道着を着て体験までしている。何故ああもフレッシュなのか文系には理解しがたい。
百合に一つ一つ丁寧に教える桃耶の姿は少しだけ輝いて見えて、慌てて首を振る。
ダメダメ、自分には桜庭先輩がいるんだから!
第一あんなの見た目だけだ。中身は涼太みたいに何処か迷惑する所があるはず。
疑ってかかる水姫は、しばらく親友と顔だけの先輩をぼんやり見つめて過ごす。ついでに頭の中で自分が入りたい部活を検討していると、時間を告げるチャイムが鳴り響いた。
壁掛け時計を見ると既に5時を指していて、時間の流れに驚く。
それと共に、百合が慌てて道着を脱ぎ始めた。
「百合?どうしたの、そんなに慌てて」
「ご、ごめん水姫ちゃん!今日B組の友達と帰る約束してたの!」
「友達……」
その響きに、僅かながらにショックを受けるものの、親友の人間関係に首を突っ込むわけにはいかない。つまり今日は一緒に帰れないという事で、それなら水姫は笑顔で見送るしかないのだ。
「そっか、気をつけて帰ってね」
「うん、水姫ちゃんも!またね!」
「……もう帰るのですか。剣道部への入部、考えておいてくださいね」
「はい、失礼します……!」
その見た目に反した速さで武道場を出ていく彼女を目で追い、水姫はため息をつく。しょうがない、私も帰るか。
そんな事を思って鞄を持つと、ガシッと桃耶に肩を掴まれた。
「あの、先輩?」
「誰が帰っていいといいました?折角会ったのですから、もう少しゆっくりしていっては」
「ゆっくりって、ここでする事ないじゃないですか。ていうか、いつ帰ろうが私の勝手じゃ……」
「桃ー!愛しき兄弟が迎えに来たぞー!」
「げっ!!」
あの声は。
入学して僅か二日しか経っていないのに要注意人物として見ているあいつでは。
水姫の中で警笛が鳴り、桃耶の手を振り払って逃げようと思うが、予想以上に強い力に前に進めない。
「兄上が来るのにこの場から離れてはいけません。逃がしませんよ」
そう言った彼の笑顔は黒い。
途端に水姫は暗い表情で武道場の入口を見つめる。
すると、水姫センサーを持った彼は当然真っ先にこちらに気づいて、絶望的な速さで突進して来た。
桃耶の掴む手から逃れられないので、このままだと直撃してしまう。
「うおおおおおおお姫ええええええ!」
なので。
足蹴りして壁に飛ばしてやった。
「がはっ……!愛の詰まった素晴らしい蹴りだ……」
けほけほむせながら言う彼は、もしかしてゴキブリなのではないかと疑った。あまりにもしつこいぞ。
「もしかして先輩はゴキブリなんですか?しつこいですよ」
そしてそれを心の中で止めずに言ってしまう水姫は、イライラしていた。さすがにウザいというか、もう勘弁してほしい。だからこの兄弟には関わりたくないのだ。
「姫は俺をそんな汚く見てるの?何で!?」
「ゴキブリはこの世で一番嫌いなものなんです」
「つまり俺は一番嫌いだと!」
わあああ、と叫ぶ彼は、それでもさりげなく水姫に近づきスキンシップしようとやってくる。ひらりと避けて後ろの桃耶に涼太が突っ込んでしまうと、黒縁眼鏡が鈍く光る。
「鬱陶しいんですよゴキブリ!」
竹刀で殴られた涼太は新聞で叩かれたあの虫のように、それでもしぶとく地面に這いつくばって手足をもぞもぞ動かしていた。気持ち悪い。
「兄さん、無様だね」
「そう思うなら何故止めに入ってくれないんだ金よ……」
気付けばゴキブリを見下ろしている力登の姿があり、3兄弟が勢ぞろいしていた。
何か嫌な予感がしてこそっと帰ろうとする水姫は、突如として目の前の壁が大きな音を立ててヒビが入るのを見てしまう。
「やだなあ、姫。こいつを残して帰るなんて、酷いよ?」
「あはは、力登くん……。何で、壁を壊すの?」
力登の拳が壁にヒビを入れているのを見つけ、笑顔をひきつらせる。何という怪力だ。そしてこれはもしかして脅されているのではないか。
「兄をこいつ呼ばわりしてはいけませんよ、金」
「ええー、だって、うざいんだもん」
そう言って這いつくばる涼太の腕を掴むが、音がミシミシいっている。その小柄な見た目からどうしてそんな力が出るの!
「り、力登くん。やめてあげて、あと、私はどうすればいいのよ……?」
「ふふ、分かってるくせに。一緒に帰ろ?」
とびきり可愛い笑顔で、本当ならその誘いはとてつもなく嬉しいはずなのに。力登であるがゆえに、いや、この涼太の兄弟であるがゆえに。
全然嬉しくない……。
「だからこの人たちには関わりたくないのよ……」
小さく呟いたそれに、聞こえているのか聞こえていないのか、3人の兄弟が黒く笑んでいた。




