4 返事
入学式終了後、教室に戻るなり担任の挨拶やらこれからの説明やらと進めて行くと、あっという間に昼に差し掛かった。
担任の気だるそうな解散、という言葉と共に一斉に生徒達は息をつき、ある者は鞄を持って教室から飛び出し、またある者は仲の良い友人を作ろうとそわそわしたり、それぞれが忙しそうに高校生活1日目を終えた。程よい緊張感は、春特有のもので、これが切れる頃には友達が出来ていますように、と水姫は願うばかりだった。
そんな中、彼女も鞄を手に取ってそそくさと教室を出ていく。
帰りは一緒に帰ろうね、と百合と約束しているのだ。待たせる訳にはいかない。
早足で玄関に向かい、赤色のスリッパから真新しいローファーに履き換える。
「校庭で待ち合わせ、だったわよね」
B組はもう終わっただろうか、と視線を方々に散らして、新入生が溢れる玄関を出た。
わいわいがやがや、しかし何処か張り詰めたような雰囲気の中で、小柄な百合を探すのは至難の業に思えた。結局諦めて、校庭へと向かう。
よく手入れされた花壇に囲まれて、校門とは反対方向へと歩いて行くと、頭上から桃色の花弁が落ちてきた。
ひらひらと舞うそれを手で受け止めると、可愛らしい桜の花びらがひょこりと顔を出す。
「これ、どこから?」
近くに桜の木は見当たらない上に、たいして風も吹いていない。水姫は辺りをきょろきょろと見回すと、導かれるように足を動かした。
ゆったりとした足取りで、当初の目的とは違うものを抱えながら校庭に辿りつくと、はっと息を呑む。
校庭の中央に、これでもかというほどに咲き誇る桜の木があったのだ。
ソメイヨシノ、という名前が頭によぎる。確か、そんな名前の種類の木だった気がする。
だが、水姫がそれほどまでに気を取られていたのは桜の木だけではない。
その傍で、儚く桜を見上げる人物に見惚れてしまっていたのだ。
暗めの茶髪が風に揺られ、たれ目から慈愛に満ちた視線が溢れている。時折思い出したように覗く白い歯、そして同じ制服を着ているはずなのに気品漂うその姿。
まるで、御伽話の王子様みたい。
そう思った瞬間、水姫は彼の名前を呼んでいた。
「桜庭先輩」
呼ばれた桜庭は、たいして驚いた様子もなく、水姫と目を合わせる。すると、柔和な目元を惜しげなく晒した。
「水姫ちゃん、さっきぶりだね」
「はい、お久しぶりです。さっきはちゃんとした挨拶が出来なくてすみません」
「仕方ないよ、あれは涼太が悪いんだから」
「あはは……、そう、ですね」
彼の名前を出されて、水姫は口ごもる。名前で呼んでいると言う事は、桜庭と涼太はそれなりに親しいはず。なら、何故会って間もない水姫に告白して来たのか分かるだろうか。
「あの、桜庭先輩?一つお聞きしても良いですか?」
「涼太の事なら、本人から聞いた方がいいと思うよ」
聡い彼は、やはり水姫の考えている事などお見通しだった。憧れの彼にそう言われたら水姫もそうするしかなく、頷いてその質問はしまう。
だから水姫は、今まで積もり積もった話を振る事にした。
「桜庭先輩にこの学校をお薦めされて、そのまま入って良かったなって思いました。制服可愛いし、校舎も綺麗だし」
「それは良かった。水姫ちゃんの学力なら絶対にここが良いと思ってさ。その制服も似合ってるよ」
そう言われたら歓喜せざるを得ない。だらしなく緩みそうになる頬を必死に抑えながらありがとうございます、と礼を言う。すると、突如として横から煩い声が響いた。
「俺も俺も!その制服姫に凄く似合ってると思う!」
はいはい!と勢いよく手をあげながら、いつの間にか桜庭の隣に立っていたのは勿論涼太で、水姫は一歩引いた。いつ、どこから湧いて出たんだ。
「ありがとうございます、涼太先輩」
「アァァアア姫の頬笑みゲット!今夜はこれを夢のお供にして寝よう!」
引きつった笑みを浮かべればこの反応である。何なのだ、一体。
「ていうか、私達って初対面ですよね?何で私の事知っているんですか?あと、私姫って名前じゃないんですけど」
そう言うなり、涼太はハッとして桜庭に視線を向ける。すると、彼は苦笑して首を振り、水姫には分からない意思疎通を交わした。
「あの……?」
もしかして、何処かで会った事があるのだろうか?でなければ姿を見るなりあんな恥ずかしい告白はしないはず。
しかしこんな煩い人物、会ったとしたら忘れそうにもない。
ますます訳が分からなくなる水姫に、桜庭は依然として口をつぐんだまま。代わりにとでも言うように、涼太がきらきらの笑顔で自己紹介を始めた。
「俺、浦島涼太って言うんだ。3年B組、尋と同じクラスね。で、尋とは小学生からの親友!」
どうだ、とでも言わんばかりに胸を張ってそう言うものだから、水姫はそうですか、と曖昧な返事をする。正直彼の事なんてどうでもいいし、とりあえず告白の返事を返して終わりにしたかった。
本当はどうして自分の事を知っているのか聞きたいのだが、この通り一つの事でも煩く返されそうだ。煩いのが苦手な水姫には、少し耐え難いので、止めにする事にした。
「さっき、逃げてしまってすみません。ちょっとびっくりしちゃって」
「いいんだよ気にしなくて!姫が逃げてく姿があまりにも可愛過ぎて動画撮っちゃったしお互いさま!あ、動画見る?」
「ちょっと待って下さいその言葉聞き捨てならないんですが!」
ストーカーと言われても可笑しくない行為だし勝手に撮るのは止めてください。冷静にそう言ってみるものの、涼太は嬉しそうにスマートフォンを尋に見せていて、画面の中で水姫が走り去っている姿に夢中で聞いていない。
ムカついてスマホを取り上げ、動画を削除してやったら涼太は奇声をあげて崩れ落ちた。
やだ気持ち悪い。
「俺の、大秘宝が……」
「涼太、大丈夫だよ。君のワンピースは目の前に居るじゃないか」
「桜庭先輩のらないでください!」
「ぷりぷり怒る姫は、可愛い……」
落ち込みながらうっとりとした表情を向けられ、悪寒が走った水姫は桜庭の背中に隠れた。調子が狂う、としか言いようがない。
「……告白の返事、なんですが」
そろり、と尋の背中から顔を覗かせてぼそぼそ言うと、涼太は耳を大きくして瞳を輝かせた。顔が忙しい人である。
そして忙しなく表情を変え続ける彼は、今度は自信満々、そして安心感に満ちたように顔を綻ばせた。
「大丈夫だよ、姫の答えは全て分かっているから。俺と君は結ばれる運命……。ああ、これからが楽しみだよ!マイホームはどんなのにする!?子供は何人がいい!?実は名前もう考えてあるんだけどこれは産まれるまで秘密ね!ああでも話したい!聞きたい?聞きたい?尋聞きたいって言って!」
「うん、キキタイ」
「じゃあ聞かせてあげます!」
「あの!!」
桜庭の棒読みの声に、上乗せして水姫は大声を出して言った。このままでは涼太と水姫の将来像を延々と語られてしまう。そんなの黙って聞いているわけにもいかない。
「私、先輩と付き合いません」
言った、キッパリ言い切った!
心の中でガッツポーズをして、それでは、と一礼。踵を返して、百合と帰るという当初の目的を果たすために再び桜舞い散るその場から離れた。
「ノオオオオオオオ」
「煩いよ、涼太。大丈夫だって、次はないから」
「それ慰めてないじゃん全然大丈夫じゃないじゃん!」
後方で煩い声と、砂糖菓子のような声が漫才をしているが、気にしてはいられない。ようやく前方に百合を見つけて、駆け寄る。
しかし、その足はすぐに立ち止まった。前方で楽しく話をしている百合は、一人ではない。複数の女子と、笑いあって、その場に溶け込んでいた。
初日だと言うのに、まるで昔から仲が良かったかのように楽しげにしている彼女の姿を見て、水姫は足を竦ませる。
なにか、恥ずかしいような、それでいて焦るような、そんなどろりとした感情に支配される。
よく分からないまま、百合がこちらに気づくまで待つ事にした水姫は、一抹の寂しさを感じてしまっていた。




