3 入学式
ひそひそと話声が聞える。同時に絶え間ない視線を感じて、水姫はため息をついた。彼ら彼女らのそれは、好意的なものであったり、訝しげなものであったりと様々。だがそれが全て自分に向けられているのは、何となく感じ取ってしまった。
待ちに待った入学式、先ほどの出来事から逃げるように校内へと入った水姫は、そこから居心地の悪さを感じ続けていた。
原因はただ一つ、あの涼太という男から告白された事。
たったそれだけ、されど告白。学生にとっては面白いイベントに他ならない。
「ね、あれが涼太くんの」
「ええー?あの子が?」
「可愛いじゃん、涼太先輩が狙うの分かるかも」
「やめとけって、アレだぜ?」
どうやら涼太という男は、この学園で結構な有名人らしく、大声で告白された水姫はもっぱら注目の的だった。
おかげで静けさ漂うはずの入学式の最中でも、こうしてひそひそと話をされる事になってしまい、水姫は恥ずかしさで俯いていた。
校長の堅い歓迎の言葉を包むように、周囲が何かをささやき合う。それは、全て自分に関する事。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
私は、こんな目立つ事をしたいわけじゃないのに。
ただ、桜庭を追って、百合と一緒に平凡な高校生活を送りたかったのに、初っ端からこんなのでは、とても出来そうにない。少なくとも、1週間くらいは注目の的になりそうで、今から怖くてたまらない。
その上、水姫には憂鬱にさせる原因がもう一つある。
ちら、と視線を隣のクラスへと見やると、百合と目が合う。彼女の表情は、励ますかのように苦笑を洩らして、校長へと向けられた。
そう、百合と別クラスになってしまったのだ。水姫はA組、百合はB組。隣のクラスになったのはまだ少しだけ救われた気がするが、それでもこの事実は重い。
クラスが一緒になる可能性は低いだろうな、とは予想していた。勿論、水姫はそれなりに覚悟をしていた。
何せこの学園は一学年に十もクラスがあり、全校生徒は千二百人。学科は普通科しかないとはいえ、この数で一緒になるなんて難しい。
だがしかし、だ。
引っ込み思案ではないものの、典型的なツンデレで、実は人見知りで、人付き合いがとにかく苦手な水姫には、それは予想以上の大打撃だった。
先ほどの一件で注目されている上に、この性格を用いてどうやって友人を作れと言うのだ。周りは既に何人か友人を作っている生徒もちらほら、しかし彼女はただただ、俯いて羞恥に耐えるだけ。
ああ、こんな予定ではなかったのに!
それもこれも、あの訳の分からない涼太とかいう男のせいだ。
平凡に高校生活を送るはずだったのに、初日からぶち壊された!挙句の果てに、憧れの桜庭先輩の前で告白するなんて!あの爽やかバカめ!
心の中で彼を罵ると、少しだけ気分がすっきりした。
そうしてうじうじと俯いてイライラしたり罵ったりひそひそ話に怯えたりして入学式を過ごしていると、突如よく聴き慣れた声が体育館に響いた。
「在校生代表、桜庭尋が、新入生の皆さんに歓迎の言葉を贈りたいと思います」
そう言って体育館のステージに登壇したのはあの桜庭で、水姫は自然と顔をあげ、彼に見惚れた。
まさか彼が在校生代表だなんて!
嬉しくて顔がニヤけてしまうのを何とか抑え、しっかりとステージ上の彼を見つめる。
「桜吹雪の舞う中、期待と不安を胸に膨らませ、この学園の校門をくぐった貴方達は、まるで昔の自分を見ているようで、とても懐かしいもののように思えました。きっと貴方達はこれからいくつもの出会いと別れを経験し、学び、青春を謳歌することでしょう」
まるで子守唄のような桜庭の声は、水姫の身体にすっとくっついて、離れない。そして、話す言葉は一つ一つが身に染みて、また彼と一緒の学校に通えるという喜びに打ちひしがれる。
そうすると、どうしてだろう。
何だか先ほどまで悩んでいた事が、どうでもよくなって、前向きに考えられるようになった。
桜庭の、真剣で、それでいて優しいその顔を見つめると、心が落ち着く。
そうだ、私はこの制服を着て、先輩の隣に並びたくて、この学園に入学したのだ。
こんな事でくよくよしている場合じゃない。
まずは入学式が終わったらあの涼太という男に告白の返事をしよう。逃げたままではいけないのだ。それに答えは決まっている。
そして、百合と離れたからって落ち込まずにクラスの人達と話をしてみよう。不安なのは自分だけではないのだ。
ふと、何処からか視線を感じて辺りをきょろきょろする。
すると、後ろの方で三年生の列を見つけ、その視線と合う。
涼太が、はにかんでいた。それも頬を染めながら。
「……」
水姫はそれが自分に向けれらているのに間違いないと確信すると、そのまま睨んで返した。
そうだ、堂々とすればいい。
だって、これが私で、くよくよするなんて柄じゃないんだから。
やがて桜庭の話が終わり、その姿を目で追う。
やはり彼は、今までもこれからも、水姫の希望だった。




