11 出来ない
遠くで尋の叫び声が聞こえた涼太、桃耶、力登は急いで声のした方に向かっていた。あの穏やかな尋が大声をあげる場面などそうそうない。つまるところ、それは悪雄魂の場所と見て間違いないだろう。
涼太を先頭に、尋の声の場所を探していると、コンビニの近くで震えている水姫を見つけて駆け出す。一人で行動しているとは思わず、涼太は僅かに焦った。もしかして、彼女の身に何か起きたのか。
「姫、どうしたの」
浦島兄弟が揃ってやって来たのを確認すると、水姫は安心したように、だけど何処か後悔の満ちた表情を浮かべて視線を落とした。
そして、コンビニの隣にある路地裏を指す。
「桜庭先輩の声が、ここからして……、でも、私一人じゃ何も出来ないし、その」
水姫の言わんとしていることは分かった。ようは、行ったところで自分も人質にされてしまうのだから、ここで誰かを待っていたのだろう。行きたいのに行けない、そんな気持ちが出ているのか水姫は未だに視線を落したままだ。
だが、浦島兄弟は当然その気持ちを汲み取って、力登がぽん、と肩を叩く。
「大丈夫だって。見つけてくれてありがと、姫」
「ちょっと金、姫にスキンシップ禁止!」
「じゃあ兄上もやればいいじゃないですか」
「え、いいの?」
「いや、やめてください」
即答して、水姫は笑いを漏らす。ようやくいつもの表情に戻ったことを確認すると、四人は一斉に路地裏へと向かった。
そして、その奥には予想通り尋が居た。しかし、だ。
悪雄魂にがっしりと首を絞められ、人質と聞いていた子供は真っ黒な吐息を漏らして尋を見上げていた。まさに修羅場。
思わず水姫は素の言葉が出てしまう。
「全然大丈夫じゃないじゃん」
尋の足元に桜の花びらが落ちている。桜の季節はとうに終え、いくら遅咲きがあるとしても、この近くに桜の木は植えられていない。だのに、どうして。水姫はそう思いつつも、捕らえられた尋から目が離せない。苦し気に歪むその顔は、こちらを認識するのに精いっぱいという様子だった。
「桜庭先輩っ」
「ごめ、水姫ちゃん……」
何も言わなくていい。だから、どうにかしてそこから離れてほしい。そうは思うものの、こちらとしてもどう動けばいいのか分からない。
尋を人質に取られているおかげで、力登と涼太は能力を使えない。使ったら彼まで巻き込んでしまうだろう。
そうだ、桃耶のきび団子なら。人を懐柔させて心を操らせる、あの能力なら。
水姫は咄嗟に桃耶を見る。もちろん彼もその考えを巡らせていたのか、きび団子をもぐもぐとやっていた。
しかし、彼の能力が出るまでには三分ほどかかるはず。その間、こうしてみているだけなのか。
「英雄魂いっぱい。……ふふっ、こいつを殺して、アンタたちも殺してあげる」
物騒な事を言う悪雄魂は、腕に力を込めた。尋が声を上げて呻く。四人の間に焦燥が走る。このままでは時間がない。三分持つかどうかも分からない。
唐突に力登が気を引こうと力任せに走り出す。しかし人質だった子供が立ちふさがって力登を羽交い絞めする。力登はもちろん、ありあまる力でそれを押し切り、まるで背負い投げをするかのように子供を倒す。
しかし、悪雄魂となった人間の力は底知れない。力登の力で、子供にとって地面に打ち付けられるというのは相当な痛みを伴う。だが子供は平然と立ち上がって力登を通すまいとする。
後ろでは徐々に締め上げられる尋がこちらを不安げに見ている。彼は今、何を言おうとしているのだろう。その顔では、全く読み取れない。
どうすれば。どうすれば彼を助け、悪雄魂を倒せる?
必死に考えを巡らせていた水姫は、ハッとなってポケットの中に手を入れる。取り出したそれは、小さな玉手箱。現在水姫を悩ませる唯一の存在。
「そうか、姫、それを使って!時間操作で三分送って!」
涼太の叫び声に近いそれに、水姫は恐怖して玉手箱を見つめる。時間操作。この場合、桃耶の時間だけ早まらせればいい。
だけど、その後一体何が起こる?時間操作をして、その辻褄合わせはどうなる?時間操作して、桃耶に何かあったらどうするのだ?
あの時みたいに。浦島太郎の時間を操作したときみたいに。悲しませてしまったら、取り返しのつかないことをしてしまったらどうするのだろう。
「で、出来ない……。私には」
出来ない。
小さなその言葉が、ぽつりと、零れ落ちた。きっと涼太は呆れているだろう。力登は憤慨し、桃耶はため息をついているかもしれない。殺されかけた尋は失望して、みんながみんな、愛想を尽かしているに違いない。上げられないその視線を、玉手箱から逸らす。こんなものがあったって。私には何も出来ない。
零れそうな涙を手で押さえていたら、横から涼太の手が伸びてきた。
「姫、危ないっ」
そして、涼太に抱き寄せられ、水姫は顔を上げる。瞬時に風を切る音。音の元をたどると、人質だった男の子が無表情に黒い刃を水姫に向けていた。
「あ……」
「弱い人から、倒そう」
子供の小さな声に水姫は身震いする。小さな子供に向けられた無機質の殺意は、それでも彼女を怯えさせるのに十分だった。
そうだ、この中で私が弱いのは誰が見たって分かる。
そんな中、俯いて涙を浮かべていては、真っ先に狙われるのは当然なのに……。
何もかもが後悔に苛まれた時、涼太の手が、さらりと水姫の頭を撫でた。
「せん……ぱい?」
穏やかな顔を涼太は惜しみなく出す。それは、水姫にとって酷く安心させるものだった。彼の腕に抱れながら、頭を撫でられ、心が落ち着く。ああ、乙姫としての私は、今凄く嬉しい。どうして、だろう。
「大丈夫だよ、姫。無理はしなくていいんだ」
涼太は優しい声音で囁くと、締め上げられた尋に視線を移す。そして、高らかに、したり顔で言うのだ。
「な、そうだろ、親友」
「は……は。もちろん、さ」
苦し紛れに尋は言うと、青白い顔を力ませて、腕を振り上げる。
そして、何かを悪雄魂の顔に目がけて投げる。それは、ゴミだった。ガムの銀紙、紙くず、プラスチックの破片、その他もろもろ。どうしてそんなものを尋が握っているのか。そして、それを投げつけてどうするのか。
水姫が訳も分からず見ていると、やがてそのごみ達はパッと華やいだ。
桃のような薄紅を色づけて、可愛らしい形を象って。
桜が、悪雄魂の顔面目がけて咲く。
「これは……っ!」
悪雄魂が一瞬たじろいで力を弱めた。尋はすかさずその腕を捻り上げて抜け出す。子供の放つ刃に軽々と交わし、やがて涼太達の元へたどり着くと、二人の男は頷いた。
「さ、始めよう」
「俺たちの反撃だ」
地面には、ゴミだったはずの桜が絨毯を作っていた。




