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御伽学園の恋愛事情  作者: 美黒
御伽学園の英雄たち
23/29

7 悪雄魂

 その日の五限目は、英雄学。そして、英雄学といえば、早朝水姫が悪雄魂に襲われて、桃耶と鬼柳が救ったことで話題だった。

 英雄学担当教師の溝口は黒板にチョークを走らせる。でかでかと書かれたそれは悪雄魂といった、あの文字だった。

 水姫はいつも通り一番前の席に陣取り、もちろん右隣には涼太。しかし水姫はそれよりも、後ろが気になって仕方ない。

 なんたって、いつも後ろに座っているのは他の生徒だったのに、自由席だということを生かして、鬼柳が座っているのだ。

 しかも、睨みを利かせながら。

 これではまともに授業に参加できるわけがない。鬼柳の左隣に座った桃耶は素知らぬ顔でノートを広げ、何も助けてはくれない。もちろん涼太は使えない。ただキラキラした視線を送ってくるだけだ。

 やはり英雄魂だった鬼柳は、どうしてか水姫が気に入らないらしい。突き刺さる視線を背中に受けて、冷や汗を流しながらなんとか前を向く。溝口の気だるげな態度が、今は何よりも安心した。

「まだ知らない生徒も居るだろうが、世の中には英雄魂と対になる悪雄魂というものが居る。竜宮たちを襲ってきた奴もそれだ。そういえば、前の授業で浦島達が捕まえた時も悪雄魂だった。……となると竜宮はもう二回悪雄魂と遭遇してるな」

 水姫が記憶を取り戻した時の事だろう。彼女は遠い昔のように感じられる、数日前の授業を思い出しつつ、ノートに悪雄魂、とメモした。英雄学にとって、これは重要なキーワードに違いない。

「さて、まずは悪雄魂がどういったものか説明するか」

 欠伸をしながらそんなことを言う溝口には、教師らしさが欠片も見られない。若干涙目で生徒を見渡す姿はなんともまあ拍子抜け。だがこれで英雄学の専属教師なのだ。水姫はだらしない彼を見て、何やら不安を感じたが、そう言い聞かせることに決めた。気にしたら負け。世の中、理解できないことの方が多いに決まっている。

「悪雄魂の特徴は、身体全体に現れている。特に分かりやすいのは目だな」

 溝口が黒板に大きな丸を書く。そして、その丸の中にもう二つ、小さな丸を描き、少し下に逆三角形を書き足した。人の顔を書いているのだろう。

 そしてチョークで小さな丸を指し示した溝口は、説明を続けた。

「普通、人間の眼球っていうのは、白目の中心に瞳孔がある。瞳孔にも人それぞれ、色が違う。だけど、悪雄魂っていうのは」

 丸の二つを、チョークで塗りつぶす。白いチョークで真っ白に。だけど、現実ではこれが真逆になる。悪雄魂の目は、一目で分かるほどに、異常な色彩を放つ。

「こうやって真っ黒になる。真っ白じゃんとか思うなよ。なら黒のチョークを用意しろ」

「先生、黒のチョークなんて売ってるんでしょうか」

「知らん。ハンズにでも行けばあるんじゃないか」

「今度見てきます」

「おうよ。あったら是非とも買ってきてくれ」

 生徒と溝口のどうでもいい応酬を聞き流しながら、水姫は二人の襲い掛かって来た男を思い出す。

 確かに、彼らは異常なほどに目が黒かった。他の色を一切寄り付けない、黒ではなくて闇色。眼球全てが、闇に染まって、狂気染みた顔を見せる、悪雄魂。

 朝、襲われたことを思い出してブルッと肩を震わせた。背後で未だ強烈な視線を送ってくる誰かさんの影響もあるかもしれない。

「悪雄魂の特徴、その二、怪我を負ってもすぐに回復する」

 溝口が右手でピースをした。不気味な笑顔にそのポーズは、ミスマッチすぎて生徒たちを黙らせることになった。さすがである。

 なるほど、ある意味教師として生徒たちを静かにする方法を的確に得ているのだと感心しつつ、朝の事を思い出す。

「そういえば、鬼柳さんのメリケンサックにあてられてもすぐに回復してたっけ」

ぼそっと呟いたその言葉は、真後ろの鬼柳にもちろん聞こえていたらしい。彼女は右手のメリケンサックをちらつかせながら、あいつらはしぶといから、と返す。なるほど、涼太並みのしぶとさということか。

「まあ、悪雄魂の見分け方なんて簡単だ。目を見ればいい。化け物みたいな目をしていたら、そいつらは悪雄魂で確定、以上」

 雑な説明を施した溝口は、黒板の絵を消した。これだけの事なら、その絵もいらなかったんじゃ……と生徒一同が心の中で思ったのは言うまでもない。

「よし、じゃあ次だ。悪雄魂はどうして生まれるのか。一体どんなものなのか」

 溝口は、気だるい顔をピシッと引き延ばした。真剣モード突入、と呟いて、教室内を見渡す。彼の声がワンパターンなものから、抑揚のついたものになる。まだ一か月も経っていないとはいえ、水姫にも分かる。これから溝口は、真剣に、ふざけないで、授業を行う。

「悪雄魂とは、元は英雄だった者が、完全に悪に染まりきった魂に変わってしまった者の事を言う。悪に染まりやすい一番の理由としては、前世で悪事を働いて、そのことに反省や後悔をしないということ。開き直って一生を終えれば、次の転生、すなわち現世に悪雄魂として生を受ける」

 前世が原因となると、本人ではどうしようもない。となると、自分たちが属する御伽話の悪者は、悪雄魂になっているということだろうか。

「……桃太郎の鬼とか、悪雄魂になってるのかな」

 水姫がそう呟いたとき、後ろから背中をグッと殴られた。たいした力ではないにしろ、驚く要素としては充分で、慌てて振り返る。

 すると、鬼柳が世にも恐ろしい顔でこちらを睨んでいた。その顔は憎悪に満ちていて、何かしてしまっただろうかと不安になる。

「その一生で悪事に対して反省していれば、ならない。ちゃんと聞いてなかったの?」

「え、はい。そうですね。じゃあ」

「桃太郎の鬼は、悪雄魂じゃない。覚えておけ」

 鬼柳は桃太郎の鬼に生まれ変わった人物を知っているのだろう。高圧的に断言してくるその表情は、未だ鬼のように怖かった。

「それとな、ここからが本番だ。悪雄魂っていうのは、その能力を持ってして普通の人間を仲間に変えることも出来る。二次災害っていうやつだ」

「能力とは、私たち英雄魂と似たようなものですか」

「そうだ。前世にまつわる能力を、悪雄魂も同じように持っている。元は歴史的で、偉大、有名な人物だからな。英雄魂と同等なんだ。だが、それを悪用して一般人を悪雄魂にする。そして一般人が悪雄魂になれば、更に他者を悪雄魂に染める」

 なんだそれは。それでは、いつまでも悪の連鎖が続いて、各地に悪雄魂が蔓延ってしまうではないか。まるで病気のようなその現象に、水姫はゾッとした。

「もちろん、悪雄魂と唯一対峙出来るお前たち英雄魂も、悪雄魂に染まる可能性は充分にある。気を付けてくれ」

「具体的にどうやって悪雄魂になっていくのですか?竜宮さんは悪雄魂と対峙したようですが、そのようなことはなかったみたいですよ」

 後ろからそんな声がして、水姫は身を乗り出した。確かに、それは知っておきたい。そうでなければ、こちらも対策のしようがない。

「元が英雄魂であればその能力を使って染める。普通の人間であれば、そそのかしたり、巧みに人を操ったりして心の隙間に入り込み、精神から染めていく。対策としては、強い心を持ち、隙を見せるな。そうとしか言えないな」

「俺は全然大丈夫だよ!」

「浦島はバカだから染める価値もないだろうな」

「先生それは心外です!」

 溝口の身も蓋もない言葉に、教室はドッと笑いが寄せる。少しだけ重苦しい雰囲気を察してわざと口を開いたのか。いや、あのへらへらした様子を見ると、そうでもないだろう。涼太の無邪気な性格に、今は感謝した。

「英雄魂の仕事は、悪雄魂の穢れを取り、元の形に戻すこと。いいな?これは犯罪者を厚生させるよりも困難と言われている。だがその分、元の魂に戻したときの評価は大きい。警察に差し出すのもいいが、まずは英雄魂として真っ当に向き合うのも一つの方法だ。まあ、危険がないようにというのを前提にしているけどな」

 その言葉を合図に、授業終了のチャイムが鳴り響いた。キーンコーン……。隣の教室から大勢の椅子から立ち上がる音が聞こえる。

 そして、この教室も同様だった。

「よし、今日はここまで。またな」

 それを合図に、生徒は散り散りになっていく。涼太は真っ先に水姫のもとへキラキラの瞳を向け、桃耶はノートに要点をまとめ始める。尋は涼太を宥めるため、一番後ろの席から移動をし始めて、力登はさっさと教室から出ていく。そんな光景を、いつもの日常として安心しきったように受け入れていた水姫は、しかし去り際の鬼柳の言葉に態度を変えた。

「悪事を働いたことでいつまでも悩んでいては、悪雄魂になってしまう。貴方は今、一番悪雄魂に付け込まれやすい」

 小さな声で、しかし水姫にしっかりと届く声量で言った鬼柳は、何でもないように教室から立ち去る。聞こえていなかった涼太は、隣で姫?と声をかけてくるが、それどころではない。

 つまるところ、このままでは自分は悪雄魂になってしまうのではないかという不安を、鬼柳によって生み出されてしまった。

 だって、この事実は変えられない。

 ――私が、太郎にした最大の悪事の事実は、変えられない。


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