5 重なる不幸
百合が剣道部に入ったと知ったとき、水姫は僅かに焦りを感じていた。親友がすでに部活の入部届を出しているというのに、水姫は未だにどの部活に入るか決めかねていたのだ。
御伽学園の新入生は四月末までに部活に入部しなければならないという規則があって、新入生たちは入学して一週間ほどですぐに決めてしまう。だというのに、自分はいつまでも迷っていた。きっとそれがいけなかった。
部活を続けるにしろ、自分の好きなことをしたい。そう思って吟味していたら遅れをとっていた。最近は友人関係にしろ、部活にしろ焦ってばかりだ。
その焦りが表に出てしまったのか、気づけば水姫は園芸部に仮入部として届を出していた。たまたま目に入った文系の部活として急いで出してしまったのだ。
だが、ここで不幸が起こる。
どうやら園芸部の部長は涼太に好意を寄せていたらしい。だが彼は当然水姫に夢中で、まだ彼女が入学する前に断られた。当然の帰結といえば帰結だが、そのせいで水姫は部長に逆恨みされてしまっていた。その事情を他の部員から聞かされて知ったときにはもう遅い。こうして部活の一環として朝に呼び出されたと思えば、誰も居ないという軽い嫌がらせを受けてしまった。
結局何をしててもあの三兄弟が私の学校生活を変えていくんだよな、と良くも悪くもそんなことを思い、めげずに校内を散策していた。
そこでまた不幸が起こる。
つまり、校内に居るはずのない侵入者が水姫めがけて襲い始めたのだ。
驚いた彼女は悲鳴を上げて逃げたが、追い詰められてしまい、腰を抜かす。大事に玉手箱を抱えているにも関わらず、能力を使わずに目の前に立つ男の目に釘付けだった。
それは、以前町で英雄学の授業で遭遇した彼の目にそっくりだった。
瞳孔は一体どこにあるのか、本当に見えているのか疑問を持ってしまうほど、彼の眼球は黒い。全てが 黒に染まって、身なりは普通のはずなのにどこか怪物じみている。
襲い掛ろうと近づく男を目の前に、何とかしなければと思うも、何もできない。怖くて声が出ない。そして、何よりも能力を使うことにためらいがある。
水姫は恐怖で目をつむり、もうダメだと覚悟していた。
だがそんな時だった。
「姫、伏せて!」
聞いたことのあるその声に訳も分からず、ひとまず言われた通り伏せる。もちろん掌には大事に玉手箱を収めたまま。
すると、頭上で空を切る音がした。恐る恐る目を開くと、黒髪の美少女が男めがけて殺気を立てて、両手にメリケンサックをつけ、振り回していた。見開かれた目は大きく、瞳孔がこれでもかというほどに開いていて、きっと味方のはずなのに少しだけ怖い。
それに何より、彼女の素早さに目を疑う。
以前涼太が気持ち悪いくらいの速さで駆けてきたことがあるが、彼女のスピードはそれ以上だった。身体全体の動きに無駄がなく、確実に男の急所を狙ってメリケンサックを当てていく。その姿はまるで踊っているようで、しかし手の動きは速すぎて追うのもやっと。
そして彼女の頭に、小さな角が2つほどつけてあるのが見えて、水姫はピンと来た。勘に近いが、きっとこの人間離れした速さは彼女の能力。となると、英雄魂なのではないだろうか。
「私に、速さで勝てると思ったら大間違い」
ぼそっと呟いた彼女は、水姫から離れた男を追い詰めて、腹をえぐるように殴る。鈍い音が響いて、水姫は思わず目を閉じる。しかし、彼女が水姫の手を取り、腰を抜かしているのを見透かしているにも関わらず、無理やり立ち上がらせて、壁際に投げ込む。
「いたっ!?」
「邪魔者は、消えて」
彼女の酷い言葉に、一瞬ムッとなったが、助けてもらったのも事実。水姫は黙って、ようやく動けるようになった足を奮い立たせ、何とか立ち上がった。
「全く、相変わらず鬼柳は冷めていますね」
横で声がして、やはり想像通りの人物が立っていた。浦島桃耶。涼太の弟にして、百合が入部した剣道部所属の、美形男子。
「桃耶先輩……」
「姫、よく見ていてください。あの連中は、私たち英雄魂の能力を受けても、抵抗する余地があります」
何を言っているのか分からず、水姫は腹を殴られた男を見る。鬼柳と呼ばれた彼女の背中が凛々しく立ち、男は壁に背を預けて、腹を真っ赤に染めていた。あのメリケンサックで加減なしに殴られれば、相応の血が出ても可笑しくない。嫌なところを見てしまったと顔を歪める。
しかし、そこで不可解な現象が起きた。
病院行きになりそうな負傷を抱えた男の腹は、みるみるうちに塞がり、血も消え、やがて敗れた服までも綺麗に直っていく。どういうことだ、と桃耶を見ると、彼の目は青く光っていた。眼鏡の反射ではない。となると、能力だろうか。
「鬼柳、いいですか」
「もちろん」
二人は頷きあい、桃耶がゆっくりと男に近づく。腹を修復し終えた男は近づく桃耶に気付き、その黒々とした目を見開く。
桃耶はニッコリと微笑み、目を合わせる。そう、目を合わせただけ。
だが、それだけでいいのだ。彼の手から麻袋を受け取っていた水姫は何が起きたか分からず、茫然としていると、男は立ち上がる。そして、おもむろに両手を差し出して頭を垂れる。
「これで、終わり」
鬼柳がつぶやいて何処から取り出したのか縄で男の腕を縛ったのと、桃耶の青い目の輝きが失われたのは同時だった。
八時を過ぎたころ、ようやくちらほらと生徒が登校し始める。朝のHRは八時半。まだ充分時間がある中、水姫、桃耶、鬼柳の三人は学校を去っていくパトカーを校門から見送っていた。
「これで一件落着ですね」
「はい。その、……ありがとうございました。桃耶先輩、それから鬼柳先輩」
その言葉に、桃耶は当然のことをしたまでですと言ってくれたが、鬼柳は不機嫌そうにそっぽを向いたままだ。
水姫は居心地の悪さを感じながら、過ぎ去ったパトカーの跡を眺める。
あの後、桃耶がすぐに警察に連絡して、男をパトカーに乗り込ませた。その時すでに八時前で、部活の朝練に来たと後から聞いた二人には本当に申し訳ない限りだ。助けてもらったし、何かお礼がしたいものの、鬼柳は口をきいてくれない。桃耶は気にしないでくださいと笑っているが、どうしてここまで冷たい態度なのか気になってしまう。何か、悪い事でもしただろうか。
「そういえば、あの男の人、目が真っ黒でしたね。……あれって、何ですか?」
「ああ、あれは悪雄魂というものです。我ら英雄魂と対立する、悪しき存在ですよ」
「そんなことも知らないなんて、間抜け」
鬼柳が隣でぼそっと毒づく。水姫はその嫌味に頬を引きつらせて、桃耶を見る。いつも毅然としている彼にしては珍しく、苦笑していた。
「鬼柳、そんなことを言ってはいけませんよ。姫はまだ記憶を取り戻したばかりで、しかも新入生なのですから」
「無知は、罪」
「はいはい、そこまで。姫、悪雄魂のことはまた英雄学で教えて頂けるはずです。その時にまた詳しく勉強なさってください」
「は、はあ……。じゃあ、ひとまず自力で調べてみます」
「勉強熱心ですね」
桃耶が嬉しそうに微笑む。しかし、その様子をちらりと見た鬼柳は物凄い形相で水姫を睨んできた。二人の表情にギャップがありすぎて、咄嗟に視線を逸らす。何だこの鬼柳って人は!喧嘩を売りに来たのか!
「それにしても、桃耶先輩の能力って……」
水姫が独り言に近い声音でぽつりと漏らす。今日見たことと、以前の英雄学で見たことを重ね合わせて、独自に考えを出す。すると、彼はあの悪雄魂とやらを操っているように見えた。そのことを告げると、意外にも答えたのは鬼柳だった。喧嘩を売りに来たわけではなかったのだろうか。
「桃耶の能力は、人の懐柔。きび団子を食べて、目が青い光を出して、相手の心を操らせる。でも、これくらい分かって当然。いちいち聞かないで」
前言撤回。彼女はやはり喧嘩を売りたいらしい。
「補足するなら、きび団子を食べて能力を発するのに三分ほど時間がかかります。なので、その間は鬼柳に相手を任せていました」
なるほど、そういうことか。そういえば、鬼柳も英雄魂のような気がするが、一体何の生まれ変わりだろう。先ほどつけていた鬼の角は取っているから、それが道具だとは思うのだが。
そこで水姫ははたと気づく。そういえば、あの二本の角のうち、右側だけ。
「あの角、少し欠けてましたね」
別に嫌味で言ったつもりじゃない。喧嘩を売られてそのまま返すほど水姫は子供じゃない。しかし、鬼柳は言われたくない事だったらしい。彼女はこれ以上ないほどに眉間にしわを寄せて、水姫を睨みあげる。
「黙れ。玉手箱があるにも関わらず、ただ怯えているだけのお前に、言われたくない。乙姫なんて、嘘だ」
彼女はそう言うなり、校舎に一人入っていった。
そして水姫は、その言葉を受けて、桃耶が離れて行った事にも気づかず、チャイムが鳴るまで茫然としていた。




