10 英雄魂
月曜の授業は、ほぼ英雄学で埋まっていると言っていい。3限から昼休憩を挟んで、6限目までが英雄学。加えてほかの曜日もちょいちょいと英雄学が入っているので、とても普通科とは思えない時間割だった。
英雄学を受けない生徒は、体育や実習教科で潰れるというのだから、そちらはそちらでうんざりする内容だ。それを考えると、煩いとはいえまだ英雄学で良かったと思える。
「さ、四限目はまだいまいち状況を把握していない生徒のため、英雄学の基礎を教えようと思う」
力登とLINEを交換した昨日、予想通り見た事のある男からバンバン連絡が来た。一分に一度来るものだから、未読無視はおろか、携帯の電源を切って回避した。ああ、めんどくさいことに。
そして、携帯を放置しながら昨日、ぼんやりと考えていた。
涼太の言葉と、彼らがはぐらかす理由。そして、引っかかる名字、浦島。
浦島と言えば、御伽話で有名なあの“浦島太郎”しか思いつかない。それに、涼太が残した太郎という言葉からして、それしかない。
優しい青年が、海でいじめられている亀を助けて、お礼に竜宮城に招待される。そして、乙姫から玉手箱を貰い、地上に帰って開けてみると、自分は老人になってしまったという、お話。
もし、涼太がその話に当てはめているとしたら、彼が太郎で、水姫が乙姫、と言う事だろうか。だけど、その当てはめが何を意味しているのか、全く分からなかった。
考えても仕方のないことかもしれない。そして涼太はこの英雄学ですぐに分かると言っていた。彼が授業中にこっそり種明かししてくれるのだろう、と勝手に思い込んで、水姫は教師の話を真剣に聞く事にした。
「まずは英雄学について掘り下げようか。ホントは3限目に説明するはずだったから、ちょっと急いで話すぞ」
三限は涼太を筆頭に明るい男子生徒が揃って漫才をするという暴挙に出て、それを止める先生も一緒に笑ってしまっていたので丸潰れになった。ホントにこれでいいのか、と何度も心配したのは言うまでもない。
「英雄学では通常、座学で授業になる。自分の歴史を学び、思い出し、英雄魂の覚醒を早め、社会に出る時、再び英雄として活躍させるという誇り高い授業なんだ。皆、光栄に思えよ」
かきあげた前髪を鬱陶しそうに触ると、溝口先生は教卓に手をついた。相変わらず、気だるそうな雰囲気は健在で、これが水姫の担任だと思うと不思議な感覚になる。
「英雄魂……って、何ですか?」
英雄学では自由席らしく、授業を真剣に受けたい水姫は一番前に座っている。もちろん、こうしてすぐに質問が出来るというメリットを活かしたいがためだ。
「それについては追々話そう。竜宮のような完全に記憶がない生徒にとっては、ちょっと信じがたい話になる。……それで続きだが、英雄学は時に実習授業に移る事がある」
記憶が、ない。
その言葉に、水姫は何か言い知れぬ不安を抱えた。もしかして、自分は何かを見落として今まで生きてきたのではないかという、強烈な負の感情だ。
息が詰まるような突然の支配に、どうすればいいか分からず、ちらりと右側を見る。すると涼太がにこにこと水姫を見つめていた。サッと視線を逸らして、冷静になるよう努める。そういえば隣を陣取られていたんだった。
「実習授業は警察の要請が入った時に限るため、不定期だ。だが座学よりも個人の能力を発揮しやすいから、まあ言って見れば通知表に相当な影響力が出るから覚悟しろなー」
「実習に、警察!?」
どこかで誰かが声をあげ、水姫も険しい表情で先生を見つめる。何か物騒な話になっていないか。警察の要請が入ったら実習って、どんな内容なんだろう。
説明を受けているのにもかかわらず、全く中身が見えてこない現実に、もやもや感がぬぐえない。
「さあ、ちょっと早口で説明したが、こんな感じだ。とりあえず、時間ないから、次は英雄魂についてだ」
そう言うと、溝口は黒板に英雄、宝物、魂、と三つのキーワードを書いた。
「今回、一年生には自分の宝物を持って来いと言っただろう。それを出してみろ」
そう言われ、水姫はごそごそとペンケースに入っていた小さな箱を取り出した。それは、三センチ四方の黒塗りの箱で、少し痛みが出ているが、今まで大切にしてきたものだ。
「姫っ……、それ」
隣で涼太が声を抑えずに驚きの声をあげた。水姫はいつものようになんでもかんでもただ反応しているものだと思い、無視を決め込む。その箱を、涼太が愛おしげに見つめているとは知らずに。
「よし、出したな?じゃあ皆、これから少し変な話をする。これは真実なのだが、そう簡単に頷けるものじゃない。特に何も覚えていない生徒にとっては。だから、心して聞けよ」
溝口は黄色のチョークを取り出して、英雄のキーワードに丸を打つ。そして、隣の魂に矢印で引っ張った。
「英雄学を受ける事になったお前達は、前世で有名な英雄だ。そして、その生まれ変わりであるお前達は英雄魂を持っている事になる」
「有名な英雄?たとえば?」
一人の男子生徒が思うままに問うと、溝口は頷いて御伽学園の名前を黒板に書く。
そして、こう言うのだ。
「御伽学園に集う英雄学は、文字通り御伽話の英雄が集まる。英雄魂を持つ中でも、特に珍しいものだ。御伽話は皆、知っているな?桃太郎、浦島太郎、一寸法師、舌切雀……そういった日本のお伽話の英雄の魂を、受け継いで生まれて来ている人間が居る」
「先生、待って下さい。つまりこの教室に居る生徒は、皆何かの生まれ変わりだって言う事なんですか?」
「そうだ。お前達は今まで生きてきた中で、前世に繋がる何かを得て、何かを起こしている。それを御伽学園の校長が調査して、こうやって集めさせている」
「はは、冗談……です、よね?」
何も知らなさそうな生徒達が数名、困惑の表情で居る。その中で、水姫も激しく動揺していた。つまり、自分も何かの生まれ変わりであるという事実が、受け入れられないでいた。
冗談で済ましてほしかったのだが、しかし何も知らない生徒は水姫を含めて数名で、それ以外は到って真面目な顔をしていた。あの涼太でさえもだ。
つまりこの話は、本当の事で。
「宝物を持って来いと言ったのは、英雄魂の能力覚醒に繋がるからだ。たいてい、英雄魂を持つ人間の宝物は、前世に関わっている。記憶を取り戻す事と、能力覚醒のトリガーになるその宝物は、絶対に手放すなよ」
「その、能力っていうのは?」
「ああ、それはだな。英雄魂は身体能力、知力など、様々なものが普通より秀でている。そして各個人が前世に関わる特殊能力を一つ持っているんだ。その特殊能力って言うのは、今後社会で役立つ可能性もあるし、何より英雄魂というだけで将来が期待される。だから英雄学できっちり学ばせて、誇り高い人間に育てるのが、英雄学ってわけだ」
上手くまとめたのが満足したのか、溝口はふう、と一息ついて生徒たちを見渡す。その顔は、疲労に混じって期待が現れていた。
だがその視線を向けられた一年生達は、半数以下とはいえ、困惑に加えて怯え、不安が混じっていた。 突然、こんな事を言われたって訳が分からない。そう言いたげだ。
「この教室に、たとえばどんな生まれ変わりが居るんですか?」
好奇心なのか、後ろで頬杖をついた女子生徒がぼそっという。聞こえるか聞こえないか位の声は、それでも溝口にはっきりと伝わり、彼はニヤリと笑う。
「そうだな。じゃあ分かりやすい奴を紹介してやる」
言うなり、溝口は目の前に座っていた涼太の腕を掴んで、立たせた。その際、キャッ、とかいう男子らしからぬ声が漏れたが、聞こえていない事にする。
「さっき漫才で授業を潰してくれたこの男。こいつは“浦島太郎”だ」
「どーも、太郎です!でも今は涼太ね、ちゃんと名前覚えてね!特に姫!」
途中からこちらを向いて自己紹介するのはどうなんだろう……。
だがその話に、何処か納得した。
つまり、彼が水姫を姫と呼び続ける理由は、やはりそういう事なのだ。当てはめではなくて、本当に、事実として。
「ついでに記憶を失っているみたいだが、まあ薄々気づいてるだろうから、先生が教えてやるよ。竜宮水姫、お前が“浦島太郎”に出てくる“乙姫”だ」
乙姫。
水姫はどうしようもなく、笑った。だって。
何だかその名前がしっくりくるのは、可笑しくてたまらない。




