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 今は昔の物語。

 京に都がございました頃、さしたるご身分ではございませんでしたが、お裁縫の上手なお姫様がいらっしゃいました。お母上を早くに亡くされ、お母上に代わって家刀自として、お屋敷の一切を取り仕切っておいででございました。お父上やご兄弟のお世話をはじめ、使用人へのお指図は抜かりなく、お父上がお姫様にお婿を取るが惜しくなるほど、お屋敷の中は毎日きちんと整えられておりました。

 使用人へのお心遣いもひととおりでなく、決して高慢で冷たく当たるようなことはなさいません。お屋敷に仕える者みながお姫様からのご用事を喜んで承り、働いておりました。お姫様はお姫様で、お裁縫の腕がよろしいので、みなの服の繕いをしておやりです。時には、新しい衣装を仕立てて下賜してくださいます。お姫様が手ずから縫うてくださった衣をみなは大事にしております。

 お父上やご兄弟は、お姫様にもっと華やかな衣装を着て化粧をして装えばよろしいと仰せになりますが、お姫様は、屋敷に籠もる自分よりもお勤めで表に出る殿方が人より劣る衣装を召していてはなりませぬとお笑いになります。

 朗らかで世話好きのお姫様でございました。

 厨の外にある鶏の小屋に動物が紛れ込み、お屋敷でちょっとした騒ぎになりました。やっとのことで男衆が捕まえると、それは子狐でした。

 お姫様は騒ぎを聞きつけて、端近にいざり出ておいででございます。白い尻尾のふわふわとした毛並みの子狐を見て、お姫様は、可哀想にお思いになられました。

「きっと親とはぐれたのでしょう。つないだり、殺したりせずに、山の近くに返してやっておくれではないかえ」

 と、男衆に頼みました。鶏に嚙みついた訳ではなく、餌を漁りにきて鶏を驚かせたようでしたので、それでもよかろうと、男衆は子狐を山へ放してやることにしました。

「山でお暮し。人の許には来るではないよ」

 みなはお姫様はお優しいと感じ入ります。

 男衆の中には初めてお姫様のお顔を拝見するものも何人かおりました。そのうちの一人がお姫様を激しく恋い慕うようになりました。しかし、つねづね身分が違うと自らに言い聞かせていました。そしてその男の気持ちには誰も気付いておりませんでした。

 お姫様の裁縫の腕や家刀自としての気働きの評判を聞いて、大臣家で自分の姫君の女房として奉公に出てくれないかとお申し出がございました。女房とはお部屋を与えられ、お側近くに控え、貴人のお世話する者のことでございます。お父上やご兄弟は、お屋敷を取り仕切るお姫様に出ていかれては困ると思いつつも、いずれはお姫様もお婿を迎え今までどおりの暮らしはできなくなるのだし、これはお姫様にも出世でもあるのだからと、お話をお受けする方向でお考えになってみてはとお勧めになられます。お姫様は見知らぬ場所に赴かれるのを不安にお思いになられますが、外の暮らしに憧れる気持ちもございました。

「お受けしようかしら」

 お姫様は庭を眺めつつ呟かれました。

 お姫様の呟きを聞いていた者がおりました。お姫様を慕う男でした。男は、大臣家からのお話を、大臣家の御曹司からお姫様への結婚の申し込みと早合点していました。お姫様はどうなさるのか気になって、お姫様のお部屋近くに忍んでいていたのでした。

 男はお姫様の呟きを漏れ聞き、矢も楯もたまらなくなってお姫様のお部屋に押し入りました。お姫様は驚きのあまり声も出ず、身動きもできません。男はお姫様を引っ担ぎ、一目散にお屋敷を飛び出しました。

 男はそのまま風のようにひたすら走り続け、自分の育った山里の苫屋に逃げ込みました。

 呆然とするお姫様に、自分が如何にお姫様を恋い慕っていたか、これから何もかもお世話をするので自分の妻になって欲しいと、話します。

 男に顔を見せるのがどんなに危ういことであったのかと、お姫様は大層お嘆きになられ、どうしたらよいか途方に暮れるばかりございました。お屋敷からほとんど出たことのないお姫様には、この苫屋からどうやって帰ったらいいか皆目わかりません。

 男は掻き口説くのを一旦やめ、お姫様にお休みになるように言いました。土間に莚が延べられた苫屋は初めてです。お姫様は戸惑われましたが、お疲れもあり、その夜はそのままお休みになられました。

 朝になりました。お姫様は固い寝床で過ごされて、体が冷え、痛いと感じられました。それでも嫌な顔はしないようにして、男を起こし、あれこれとお尋ねになられます。

 小用はどこで済ませればよいの、顔や手を洗いたいのだけれど川や井戸はどこにあるの、そして水を汲む桶はあるのですか、髪を梳かす櫛はありますか、この苫屋には莚しかないのですか、ほかに衣や布はありますか。

 お姫様からの矢継ぎ早の質問に、男は女性の身支度について何も知らないので、戸惑うばかりでした。桶を探してくるから、待っていてほしいとの男の返事に、お姫様は肩を落とされました。

 男はやっと桶を見付けてきて近くの川で水を汲んで持ってきました。飯炊きの分の水を分け、お姫様に渡しました。

 男が埃だらけの竃に薪をくべ火をおこしている間に、お姫様はなんとかお顔と手をお洗いになられました。髪も衣服も整えられず、見苦しいと思われましたが、どうにもなりません。

 男が湯を沸かし、少しばかりの米で粥を作ってくれたので、召し上がられました。食べ終わり、お姫様は再び男に問われました。

「吾主はまろが妻になれば、何もかも世話をしてくれると言うたが、これからどうするのですか」

「われが水汲みもするし、食べ物も取ってくる。お姫様はここで待っていてくれればよい」

「何もしないでよいのですか」

「ここにお連れしたのはわれじゃ。われが全てお世話する」

 お姫様は心細さで身がすくむような心地でございました。でも、ここから出てお屋敷に戻る術も、一人でこの苫屋で暮らす術も今はございません。男の申し出に肯くしかございませんでした。

 男は有頂天になり、早速山へ入り、食べ物を取りに行きました。

 夜が明けて、お屋敷では大騒ぎでございました。お姫様の姿がどこにもありません。鬼に攫われたのか、それとも……。男衆の一人がいなくなっておりましたので、もしかして、その男がお姫様を攫っていったのだろうかと、お屋敷の者は懸命にお姫様と男を探しました。しかし、男がどこから来たのか誰も知りませんでしたので、山里の苫屋に気付く者はおりませんでした。

 お姫様は今まで自らが暮らしていたお屋敷と、苫屋を比べ、なんという違いかとあれこれと考えられます。お屋敷には板を張り、その上に莚や畳を敷いてお過ごしでしたが、苫屋は地面を突き固めた土間だけで、それに莚を敷いているのです。体の冷えも痛みもここからくるのだろうと何とか板を渡して、過せまいかと考えを巡らされます。

 お姫様は、家刀自としてお屋敷で働く者を仕切り、あれこれとお指図しておりましたが、できないこともあります。実際に飯を炊き、魚や取りを捌くのは厨の者たちですし、お裁縫がお上手でも、麻や藤蔓から繊維を解き、糸に撚り、機を織るのはしたことがございません。全ての世話をすると男は申しておりましたが、どこまであてになるかと全く信じていらっしゃいませんでした。

 男の手を借りずとも暮らせるようになり、そしてお屋敷に戻れる術を探ろうとお決めになられました。

 お姫様は重ね着していた袿と袴をお脱ぎになり、動きやすいようにと、使用人と同じような姿になられました。脱いだ衣服はきちんと畳み、これを売るのは最後まで取っておこうと苫屋の中で綺麗な場所におしまいになられました。そして苫屋の中に残っている道具を一つ一つ出してみて、ご自分で使えそうな物を選び、苫屋の中を少しでも過しやすいように整えようとなさいました。埃だらけの竃を綺麗にして、竃の神に祈りました。古びた瓶や壺が二つ、三つありましたので、重いのを堪え、川に出て清めました。苫屋の中に水を汲み、乾きに困らないようになさいました。

 お姫様は慣れない力仕事でお疲れになり、今日はここまでと、苫屋の周りの枯れ木を少し拾って、莚の上にお座りになり、男を待たれました。

 男は少しばかりの米と、山鳥を持って帰ってきました。小袖姿になっているお姫様に驚きましたが、掃除された竃や水の入った瓶を見て、お姫様は自分を受け入れようとしているのだと、考えなしに喜びました。

 男は飯を炊き、山鳥を焼いて、夕ご飯を作り、お姫様にお出しになります。ねぎらいの言葉をお掛けになり、お姫様は夕餉をお召し上がりになられました。

 そうして、二人は夫婦となり、山里の苫屋で過すようになりました。。

 ある朝、お姫様は仰言いました。

「まろの身繕いの道具が欲しい。吾主が日々の食べ物を取ってくるので精一杯ならば、人里に出て、繕いや仕立ての仕事をもらってきてくれぬか。それで道具や暮らしの足しになるような物を購いたい」

 男はお姫様を働かせるのは嫌でしたが、確かにお姫様の髪は梳られないので枯草のようでしたし、衣服も傷んできていました。女性の身の回りの物は女でなければ解らないのだろうから、と男は承知しました。

「まろが付いていかねば、繕いができると信じてもらえまい」

 とお姫様は下々の者から顔を見られる恥ずかしさがございましたが、これも生き抜くためとお心を固め、渋る男を説き伏せて、人里まで付いてゆかれました。

 人里へ行き、長者の家に行き、何とか繕い物と、童の衣の仕立てを請け負うことができました。なんとか人里までの道を覚えられそうだ、仕立てが終わったら自分で届けに行くと、お姫様は長者の家の者に仰言いました。男はそれを横で聞いていて、びっくり仰天しましたが、繕い物は急ぐのだから、当たり前だとお姫様は涼しい顔をなさいました。

 そうしてお姫様は仕立物、男は狩りとそれぞれたつきの道を持って、暮らすようになりました。

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