司祭の頼み
☆
「……ん?」
「どうしました、王子?」
「いや、なんか声が聞こえた気がしたんだけど……空耳かな」
隣にいるアルトにそう答えながら、前の父たちに着いて廊下を歩く。
今僕たちが向かっているのは、城の聖堂だった。
「実は聖堂の地下室に、魔物が住み着いているようなのです」
父とライトモンド伯爵の間でそう静かに言ったのは、年をとった男だった。
華やかなパーティ会場には似合わず、髪色と同じ白い服を着ている。
それもそうだ、彼はこの城の聖堂を管理している司祭である。
「以前から、床から妙な音がするとは感じていたのですが……愚かな私はそれを、老朽のせいだと信じ込んでおりました……」
司祭は、悲しみと憎しみが混ざった表情で、言葉を続けた。
「清き聖堂が、あの忌々しき奴の手で汚されていたなんて……。ああ、王子様、どうか聖堂をお救いください……!」
そう言って彼は、深々と頭を下げた。
「……つまり、僕が魔物を倒せばいいんですね?」
けど、なぜ僕でなくてはいけないのだろう。
この国にはそれこそあまるほど、腕のたつ魔導師や騎士がいるはずだ。
「いえ、ただ強い者の手を借りたいというわけではないのです」
司祭が答えた。
「というのも、聖堂は、この国に水をもたらしたという『雨の神』に礼拝するために建設されました。……失礼、それは王子様もご存じでしたね」
知らなかった。
「そして昔……それも千年以上前の昔ですが、王族は『雨の神の神授者』と信じられていました。ですからその血を引くシルク王子様に、粛清していただきたいのです」
「それに、これはシルクにとっても名誉なことなんだ」
父が言葉を繋いだ。
「聖堂の魔物を倒したとすれば、それはシルクが王位についたときにも、誇れる事柄となるだろう」
「そうか……そうだね……」
小さなことだけど……僕も父や祖父のように、歴史に名を刻むことができるんだ……。
そう思うと、急に世界が輝いて見えた。
だから考える前に、既に言っていた。
「僕がやります! やらせてください!」
「私、聖堂にはあまり訪れないので、見学するのが楽しみです」
「私も中を見るのは初めてだ。楽しみだな」
アルトの隣でそう言ったのは、アイルス王子だった。
アイルス王子は『魔物』を一目見たいということで、僕たちに着いてきた。
パーティの主役であるアイルス王子が着いてきていいのか心配になったけど、王子がどうしてもと強く押すので、同行することになった。
そしてアルトは、大臣で彼の父親のライトモンド伯爵といっしょに僕を見守るため……つまり、アイルス王子もアルトもおまけである。
それにしてもアルトは、他国の王子の横を歩いていることに、とても緊張しているようだった。
「おっとと……!」
だってさっきから、この何も物のない真っ平らな廊下でつまずいている。
一方アイルス王子は、そんなことは全く気に留めていない様子で、薄暗い道の先を見据えていた。
「この魔法使いの多い貴国で、かつて最強であった魔導師が作り上げた『魔物』……前から一度見てみたいと思っていた」
「けれど、ここに住み着いているのは、普通のと比べたらあまり強くないみたいですよ」
僕が答える。
「聖堂にいるのは、スイカくらいの大きさらしいです。普通、都の外などに居るのは、こ~んなに――」
「あいてっ」
「あっ、すみません……こんなに、大きいらしいですから!」
手をいっぱいいっぱい広げて見せたため、隣を歩いていた司祭にぶつかってしまった。
アイルス王子はそれを見てくすりと笑うと、「らしいな」と言った。
それから一行が少し歩くと、大きな木の扉が現れた。
「ここが聖堂だ」
父は、僕たちの方を振り返ってそう言い、隣にいた従者は聖堂の扉を開けた。
☆
「ねえストロン、今の聞いた?」
「ああ、今王都に有名な楽団が来てるって話だろ? 後ろの護衛が話してた……」
「も~ちがうわよ、そっちじゃない!……いや待って、それもちょっと気になるわね……」
ルリーは呟くように答えてから、口の前で人差し指をたてる。
辺りには噴水の水の音、そして隣のパーティ会場からのくぐもった声しか聞こえない。
一行はどうやら、聖堂に入っていったようだ。
「もう大丈夫ね」
ルリーはベンチの裏から顔を出し、普段の声の大きさで言った。
廊下を通っていったのはサリー先生ではなく、国王一行だった。
声からするに、シルクとアルトとその父さん、それから俺の知らない若い男……恐らく貴族の誰かだろう。
しかし先生でなくとも、国王に姫と俺がパーティ会場から抜け出しているところが見つかるのは、少々まずい。
だからそのまま息を潜めていたのだが……。
「魔物……ね」
ルリーは興味深げに、ちょうど正面に建っている聖堂に目をやった。
「ねえ、こっそりついて行ってみない?」
「え? なんで?」
思わず聞き返す。
ルリーは正面を見つめたまま、
「私も、さっきの……貴族かしら? と同じで、魔物を見たことないの。それにシルク王子って、あまり剣術が得意じゃないって噂じゃない?」
「いや、あいつは技自体はかなり上手いと思う。きっと体力が……」
「とにかく行ってあげなきゃ! 助けが必要になるかもしれないわ!!」
そう言ってルリーは目を輝かせた。
はは、冗談だろ?
俺は笑って、
「ルリーは女の子じゃないか。魔物なんて――」
そう言いかけたとき。
彼女が飛んだ。
正確にいうと、この草の地面から両足で跳ね、ベンチの背もたれの縁に立った。
高さは俺の腰ほどまであるのに……。
しかも縁は、親指のつめほどしか横幅がない。
けれども彼女は、まるで普通の平たい地面にいるかのように、バランスを崩さなかった。
その身軽さは、まるで猫のようだ。
ルリーは風に髪とワンピースをなびかせ、自慢げに口角を上げた。
「こんなこと、貴方はできる?」
俺は黙って、首を横に振ることしかできなかった。




