晴れと雨と雲
「長い間、お世話になりました」
朝食の後。馬車の前まで見送りをしてくれた、リグと司祭に頭を下げた。
僕の鞄には、洗濯された衣類と昼食のパン、そして『青の魔導師』への紹介状が入っている。
「いえいえ、楽しかったですよ。また機会があればいらしてください」
「身体には気をつけてな」
微笑みを浮かべる二人に、僕の隣でクラウドは、
「じいさんこそ、早々にくたばるなよ。トラスコットも、飯作るの面倒がって餓死すんなよ」
「なあに、あとニ十年は生きるつもりじゃ」
「食事については、空き部屋も増えたので、料理の得意な若い修道士を呼ぼうかと思っていますよ」
二人の答えに、クラウドはニヤッと笑う。
「じゃあ、心配いらねーな。オレの部屋も使っていいぜ」
しかしその言葉には、リグと司祭は首を横に振った。
「クラウディの部屋はそのままじゃ。誰にも貸さんよ」
「また帰ってくるのでしょう?」
二人にそう言われ、クラウドは目をぱちぱちさせた。
そして次には、照れたように頭をかく。
「しょーがねーな。どーしてもって言うなら、帰ってきてやるよ」
「……そういえば、今後もお前のこと、シルクって呼んでていいのか?」
僕とクラウドの乗った馬車が動き出したあと、クラウドは僕にそう言った。
少し考えてから、頷く。
「いいよ。シルクで」
「けど周りに気づかれるんじゃないか? だから『ルーク』って名乗ってたんだろ?」
「そうだけど、たぶん大丈夫だよ。僕の他にも同じ名前の人はいるだろうし。それに、本名で呼んでほしいから」
「……」
そう言って笑うと、クラウドは気まずそうに目を反らした。
「なんかおかしい?」
「……お前、会ったばかりの頃、オレに聞いたよな。じいさんがオレのことを『クラウディ』って呼んでるの、あれはあだ名かって」
『――あれはあだ名なの? 僕もそう呼んだ方がいい?』
そうだ、確かに聞いたはず。
「それがどうしたの?」
「本当は、『クラウド』の方があだ名で、そっちが名前なんだ。……オレの本当の名前は『クラウディ』」
「えっ?」
驚いて聞き返すと、クラウドは顔を上げて言った。
「なんで?って顔してるな。嫌いなんだ、この名前。『曇り』って意味だから」
「曇り……」
「晴れにもなるし、雨にもなる。……そんな不安定な危うい感じ、確かにオレにぴったりだよな」
そう、自嘲気味に笑った。
魔王と同じ赤い瞳を持つ彼は、名付けた人にそう映ったのかもしれない。
けど……。
「名前にまで、そんな……」
「うん、嫌だったよ。意味を知った後は『クラウド』って名乗るようにした。危なかしい天気より、自由な雲でいたいから……。今は名前をくれたじいさんだけが、クラウディって呼んでる」
「リグさんが名前をつけたの?!」
「そうだよ。赤ん坊のオレを最初に受け取ったのが、じいさんだったんだって。……誰が持ってきたとか、その辺、あんまり詳しく教えてくれないけど」
クラウドはそう言って、視線を膝に落とした。
……リグさんは、どういう意図でその名前をつけたんだろう?
クラウドのこと、危ない存在だと思ってるのかな……。
「……まあ、何が言いたいかって、オレは本名で呼ばれるのが嫌いだ。だから『クラウド』って呼んでくれ」
「うん、いいよ。君がそう呼ばれたいなら」
微笑んで頷くと、クラウドも小さく笑みを浮かべた。
「僕たちって、ほんとに真逆だね」
「見た目は似てるのにな」
二人で顔を見合わせて、笑った。
「――大魔導師様は何故、彼にクラウディという名をつけたのですか」
「おや、トラスコットには話していなかったかね」
翠の都。司祭のトラスコットと大魔導師のリグは教会へ帰っていた。
「クラウディは、『曇り』という意味でしょう? 何故、そのような……」
「そうじゃ。曇りは晴れにもなるし、雨にもなる。『晴れ』のように、金色に眩しく輝くこともできれば……」
そう言ってリグは、手のひらを空に向けた。
「いつか己の運命に気づいて、好きな道に進んでほしい」
彼らの視線の先には一つ、真っ白な雲が浮かんでいた。
第二章 終




