兄弟の姿
旅立つ前日のこの夜。しかしなかなか眠れなくて、教会の三階の窓から、翠の都の町並みを見下ろしていた。
この街の建物は全てここより低い高さだから、べリール村の方まで見渡すことができた。
翠の都は、街灯や窓から漏れる光で輝いている。
「でも明日には、もうさよならか……」
窓の縁に両腕を置き、その上に顎をのせる。
この街では色々なことがあった。
新しい人に出会ったり、魔法にふれたり、魔物と戦ったり。
思い出の粒はひとつひとつ色褪せず、この夜景のように、僕の心の中できらきら輝く。
次の街では何が起こるだろう? 青の大魔導師はリグのように親切で、また家に泊めてもらえるのかな。
それとも宿がなくて、もしかして野宿になったりするのかな。それも楽しいかもしれないけど、魔物がいたらどうしよう。
旅への不安と期待を募らせていると、背後で床のきしむ音がした。
「シルク? まだ起きているのか」
「クラウド」
振り返ると、廊下にクラウドが立っていた。
寝る前なのか、今は目に眼帯も何もしていなくて、長い前髪に隠れたその赤い瞳も、はっきりこちらを見ている。
「なんか寝付けなくて。クラウドも?」
「暫くこの景色は見れないだろ?」
クラウドはそう言って、僕の隣に立って街を見下ろした。
彼の赤い瞳に、明るい街の光が反射して、綺麗……。
ぼんやり見ていたら、ふと、少し前に同じ色を見たことを思い出した。
「あのね、僕、夢の中に、いつも出てくる男の子がいたんだ」
「へえ」
「……彼が兄だと良いなって、ずっと思っていた」
そう言うと、クラウドは不思議そうに目をこちらに向ける。
それはまだ、ストロンやアルトにも、誰にも言ってなかったことだった。
「昔、母上が言ってたんだ。僕、本当は双子だったんだって……けど、僕の兄になるはずだった子は、生まれて間もなく死んでしまったそうなんだ」
「……それは、みんな可哀想だったな」
「うん。きっと両親も周りも、すごく悲しんだと思う」
僕が頷くと、クラウドはフッと笑みを浮かべる。
「んで、その分お前が甘やかされたんだろ?」
「あはは、絶対そう」
僕も笑って、そしてひとつため息をついた。
「……僕も悲しかった。話を聞いてから、もし兄が居てくれたらどんなに心強かっただろうって思ってた。だから夢に出てくるその子が、なんかこう、その子の魂みたいなものなんじゃないかって、本気で信じてたんだ。都合良く」
けれど結局、彼は僕の兄ではなかった。
僕は、一人ぼっち。
「……信じることに、罪はない」
黙っていると、クラウドはポツリと呟いた。
「罪はない。裏切られたとき、自分が傷つくだけだ。わかってるのに、何で信じてしまうんだろうな」
「……強くなれるからじゃないかな」
クラウドに、そして自分に言い聞かせるように答えた。
「何かを信じているときは、強くなれる。心の支えになる。生きる道になる。……夢の中の彼はもういないけれど、今度は君を仲間だって信じているから、新しい旅も心強い!」
ぱっと、片手をクラウドに差し出す。
「ね! だからクラウドも、僕を信じて!」
「なんだよ、いきなり」
クラウドはその僕の手をぱしんと叩き、笑った。
「大丈夫、もう間に合ってる」
「聞いたよ。旅に行くんだって」
次の日の、朝早い時間。教会にリトくんが尋ねてきた。
横には、ハニーとジャムも一緒だ。
ジャムは療養のお陰で、健康的な青年に戻っている。
「何だよリト。引き止めるのか?」
「なわけないでしょ。見送りに来たんだ、ありがたがれよ。……ね、ハニー」
突っかかるクラウドにリトは呆れたように言い、隣にいたハニーに視線を移す。
ハニーはニコッと笑い、僕達にあるものを差し出した。
「これ、お兄ちゃんたちにあげる」
「これは……」
布を取ると、そこには魔宝石が埋め込まれた二本の剣が現れた。
リトは微笑み、
「あの大蛇が落とした魔宝石を使ったんだ。剣はジャム君が打ってくれた」
クラウドはその一本を手に取り、しげしげと見つめた。
「もらって良いのか?」
「ささやかなお礼だよ」
「ルーク、クラウド、お兄ちゃんを助けてくれてありがとう」
ジャムとハニーはそう言って、そっくりな笑顔を見せた。
「それと、ルーク」
リトは改まって僕の方を向いた。
「何だい、フォーレスくん」
「リトでいいよ。……あのね。君とこれから旅をするクラウドという男は、いつも偉そうにしてるし、自分勝手だし、性格に難ありだけど」
「おい、リト!」
クラウドは掴みかかろうとしたが、リトはそれをはらりと避け、僕に笑った。
「けど、かつてのぼくの家族だ。頼んだよ」
その彼の笑顔は、いつもの皮肉っぽさはなく、純粋そのもので。
子供が悪戯をしたあとみたいな、どこかあどけないものだった。
「行こう」、リトはハニーとジャムに声をかけ、ローブを翻した。
「家族?」
「……馬鹿だな、あいつ。シルクはまだ知らなかったのに」
二人の言葉の意味は僕にはわからない。
けれどクラウドは、三人が街角に消えるまで、リトの背中をずっと見ていた。




