夢の中の彼
「――あれ?」
ぱちり。目を開けると、そこは穏やかな森だった。
木の葉の囁く音、頬を撫でる優しい風。
(そうだ、これは夢の中の森)
子供の頃から、よく見ていた景色だ。
けれどそこに初めて、変化が訪れていた。
「道が、ある……」
僕を囲む草むらの一ヶ所が、まるで獣道のようになって、通れるようになっている。
それと……いつまで経っても、少年の声が聞こえない。
「あっちにいるのかな……」
……進んでみよう。
柔らかい地面を、一歩踏み出した。
暫く歩き、森を抜けると、どこまでも続くような広い草原に出た。
そこにぽつんと置かれた、白いテーブルと二つの椅子。
「やあ、よく来たね」
椅子の一つに座った『彼』は、僕に笑いかけた。
「座りなよ、お茶でもしよう」
テーブルの上には、紅茶の入ったティーカップがあった。
「ここ最近、なんで会いに来てくれなかったの?」
「色々事情があったんだ。けれど、君のことはずっと見ていたよ」
彼の姿は、ぼやけてよく見えない。
なのに、表情や動きはわかる。きっと、これが夢だからだ。
今、彼は笑ってお茶を飲んでいる。そんな気がする。
「旅に出ることにしたんだね。それも、君の一つの道だと思う」
「……やっぱり、僕には王様は向いてないって言いたいんだね」
「ううん、そういう意味じゃない」
彼はカチャリと、カップを皿においた。
「君の性格や本質は、本当に王に向いていたと思う。君をよく知る人間は、みんなそう思ってるはずだ」
「そんな、思ってないよ……」
「ほら、そういう謙虚なとことかさ。僕も、君のような人が王様になれば、レインルインは安泰だと思っていた。だから今まで、僕が知る限りの色々なことを教えてきたんだ」
「ありがとう……お世辞でも、嬉しいよ」
でも……それなら尚更、僕の中にいる君の存在って、一体……?
それを尋ねる隙なく、彼は流れるように言葉を続けた。
「けれど、敢えて話さなかったこともある。それが君を混乱させてしまった。……悪かったよ」
「話さなかったこと?」
「そう。――世界の秘密さ」
彼はそう言って、手から何かを落とした。
四つの小さなガラス玉だ。黄色、緑、青、白の四色。
テーブルにかけられた白い布の上に、転がらず留まっている。
「いいかい、これらは四色の魔力だ。金は『義』、緑は『知』、青は『栄』、白は『美』に比例する」
「……え?」
「つまり、緑魔導師は、知恵がある分魔力が上がる。同様に青魔導師は、栄光を手にいれるだけ魔力も大きくなる。……これは一級魔導師にしか明かされない、魔法使いの秘密」
そう言って彼は、ガラス玉を両手で包み、一ヶ所にまとめた。
「でも裏返せばそれぞれ、『自我』、『努力』、『人柄』、『愛情』。本質は似ているんだ」
手の中で、四つの色のが同様にキラキラ光っている。
これが、世界の秘密?
「じゃあ、僕……赤魔導師の魔力は、何に比例するの?」
「ふふ、知りたいかい?」
彼は笑い、もうひとつガラス玉を取り出した。
それは、透き通った赤色。
つまり、赤の魔力。
「――あるところに、魔法使いの一族がいた」
「え?」
答えになっていなくて聞き返すけれど、彼は語りを続ける。
「一族は、魔法使い同士を結ばせることにより、魔法使いの純粋な血が守られる、という考えを持っていた。その一族の子は必ず、魔法使いと結婚した。――そして、それが千年続いたあるとき、『赤』の魔力を持つ魔法使いが誕生した」
彼は、四つのガラス玉の上に、赤色のガラス玉をのせた。
「赤魔導師は生まれながらにして、どの魔法使いよりも強い魔力を持っていた。その後、その赤魔導師から生まれた子供も、殆どが赤の魔力を持った。――一族は、赤魔導師の家として有名になった」
そこまで言って彼は、僕の顔を見た。
「その一族の家の名は、『ルイン』」
――ルイン。
その名字は、聞き覚えがあった。
「そうさ、君のレイン家に代々大魔導師として長く使えた、魔法使いの一族。そうしてできた国が、このレインルイン王国。……けれど五十年前、ルイン家は滅びた。その理由は君も知っているだろう?」
「……ロディ・ルインが、魔王になってしまったから?」
僕の言葉に、彼は深く頷いた。
「ロディは、王族レイン家を裏切った。国王を殺した。以降、ルイン家、そして赤の魔力は悪と見なされ、恐れられた」
「…………」
「だから、どうして君にルイン家の血が受け継がれているのか、僕にはわからない。……けれど、これだけは断言できるよ」
彼は、僕に微笑んだ。
「君の魔力は、強い。もしかしたら、世界の誰よりも」
「強い……?」
「そう。最初の質問に戻るよ。赤魔導師の魔力は何に比例するか?『血』だよ。裏を返せば、『誇り』――紛れもなく君の生い立ちが、君の魔力を高めたんだ」
ザアア。風が吹き、草原が音をたてる。
「君の魔力なら、ロディが作った魔物を倒せる。困っている人を、助けることができる。世界が救われる」
「僕が……」
彼はこくりと頷き、紅茶をすすった。
――信じられなかった。
これは僕の、都合の良い夢?
全部、僕の想像?
……けれど、それを知る鍵は、何となくわかっていた。
それは、ひとつの理想の真偽を確かめること。
落ち着いて、目の前の彼に尋ねた。
「教えて。君は一体、何?」
「…………」
彼は慎重に、カップを皿に置いた。
「これを言うと、君の夢は醒める。……それでも良いかい?」
「……うん」
頷くと、彼は微笑んだ。
……どこか、悲しそうに。
「僕の名前は、ルビィ・ルイン」
「ルビィ……」
「そう。次世代の赤魔導師が、魔王と同じ過ちを起こさないよう、自身に呪いをかけた一人の魔導師。……だからずっと、赤の魔力を持つ君の成長を見守っていたんだよ」
彼の言葉が、僕の中に落ちていく。
強い風が、耳元で音をたてた。
「君の兄じゃなくて、ごめんね――」
――元気でね、シルク。
薄れていく景色の中、きらりと、彼の赤い瞳が瞬いた。
そうして、僕の夢は覚め。
その後、僕の夢にルビィが出てくることは、二度となかった。




