図書館と肖像画
窓から差し込む朝の光、たまに聞こえる囁き声、古い本のにおい――。
翠の都で一番大きな図書館は、開館直後だというのに人の姿がまばらにあった。
僕はその中の一人になって、並んだ本の背表紙をなぞってゆく。
「えっと……ベリール村の地図……あと地理……」
呟きながら、載っていそうな本を何冊か手に取り、ひとまずテーブルにどさりとおく。
そこでひとつ、あくびがこぼれた。
……なんだか、昨日は全然眠れなかったな。
疲れてるはずなんだけど。
まあそのおかげで、自分の調べるべきことはちゃんとまとめられたし、早くにここへ来れたし、良しとしよう。
(あと、魔物図鑑みたいなの……どこだろ)
あーあ、クラウドなら持ってるかもしれないのに……。
なんでクラウドは事件を人のせいだとか言うんだ、意味がわからないよ。
一緒に調査した方が早いのになぁ。
「本をお探しですか?」
うろうろしている僕を見かねたのか、声をかけられた。
振り返ると、そこには眼鏡をかけた一人の少年。
あれ……この子どこかで――。
見覚えのある顔に、記憶を辿っていたとき、その少年はあっと声を上げた。
「もしかして、馬車に乗ってたお兄さん?」
「……! そうだ、君、一緒に乗ってた男の子だ!」
思わず声を張ってしまい、彼に慌てて「しーっ!」と言われる。
謝って、今度は声を潜めて聞いた。
「ここで働いてるの?」
「はい」
頷いた彼の、つやつやした栗色の髪が揺れる。
僕の探してる本は奥の方にあるらしく、本をもって着いてきてほしいと言われたので、彼についていくことにした。
ひとけのない大理石の廊下まで行ってから、やっと彼は話始める。
「ぼく、マリウスといいます。ここの館長である、ニクラス・マリリスの孫です」
「へえ、そうなんだ」
幼いながらもしっかり話すマリウスを、微笑ましく思いながら見つめる。
僕にもこんな時期があったかな、みたいなことを考えていたとき、眼鏡の奥で、翡翠のような緑がこちらを見つめてきた。
そして、そのあとの質問に僕は驚き、思わず本を落とした。
「お兄さんって、シルク王子ですよね?」
バタバタ、と静まり返った廊下に、本と床のぶつかる音が響いた。
「な、なんで……?!」
「やっぱりそうなんですか? いや、初めは全然気がつかなかったんです。どこかでみたことのある顔だなーとは思ったんですけど」
マリウスは平然と答え、足を進める。
僕も本を集め、彼と一緒に扉の前に立った。
「こっちに帰ってきて、やっと気がつきました。お兄さんは、シルク王子だったんだって」
そう言ってマリウスは微笑み、扉を開ける。
そして見えたその部屋の光景に、僕はまた目を見張った。
広い六角形の部屋、その壁に肖像画が何枚もかけられていた。
男の絵が何枚か並んだ中に、僕のひいおじいちゃんである国王シルクの絵。
若い頃の僕の祖父に、サリーおばあちゃん、その妹のシェリーが並んで描かれた絵。
姉と弟の関係である、母とルリーの父の、幼い頃の絵。
結婚式の服を着た、僕の両親の絵……。
そして最後に、幼い僕とルリーが一緒に描かれた絵があった。
ここに描かれた沢山の人のその共通点は、すぐにわかる。
全員、名字に『レイン』がつく人だ。
「これ……」
「ぼくのおじいちゃん、王室のファンなんです。だからぼくも覚えちゃって」
僕が絵に見入っている間に、マリウスはお茶とお菓子を持ってきた。
ティーカップに注がれたのは、透明感のある赤茶色。
その香りからして、かなり高級なものだろう。
「このお茶、もし王族の人が来たときのためにって、おじいちゃんが棚に置いてたお茶なんです。よかったら飲んであげてください」
「……ありがとう」
微笑み返して、とりあえず花の模様のカップを手に取る。
マリウスは興味津々で、僕を見つめていた。
「王子様、ラッキーですね。おじいちゃんはちょうど銀の都の方に出掛けているから、質問攻めにあったりしないです。熱くなるとうるさいんですよ、おじいちゃん……あっ、よかったらお菓子も食べてください」
そう言って、マリウスはメレンゲのクッキーをすすめた。
だから、僕は迷ってしまった。
……普通、僕たちはこんな風に貰ったものを飲んだり、食べたりはしないから。
けれど、その決まりに僕はまだ、入っているのだろうか?
王子をやめたいと思っていたんじゃないか?
しばらく、その赤茶の波を見つめて……そしてカップをテーブルに置いた。
「ごめんね、食べられないよ。そういう決まりなんだ」
そう言うと、マリウスは「あっ、そっかー」と残念そうに笑った。
マリウスの中で、僕はまだ王子様なんだ。
絵の中に、僕はまだ存在している。
それなら、それに答えるべきではないかと思った。
それに、これが王子に向けたものならば、どっちにしろ僕は受け取れなかった。
「――けどもったいないからもらっとく」
「あ、召し上がれるんですね」
クッキーを口に運び、お茶をすする。すごく美味しい。
「それで、王子様は魔物の本を探しているんですよね。ありますよ」
マリウスはそう言って部屋の奥へ行き、何冊もの分厚い本を持って帰ってきた。
「わ、重い。ありがとう」
そうして揃ったのは、ベリール村の地図、地理、そして魔物の図鑑。
僕は、小屋を襲った魔物は、元々村に隠れて住んでいた魔物だと考えた。
あの城に住み着いていた、蜘蛛の魔物みたいにね。
だから、この本から調べたら、またどこかの地下室とか、魔物の隠れ家が発見できると思ったんだ。
「なるほど、ベリール村について調べてるんですね」
マリウスは僕の隣に座って、資料を覗き込む。
「あの村は数十年前、名も無き集落を英雄が救ってから、始まった村なんですよ」
「英雄?」
「はい。それが、後のベリール伯爵の一世です」
本に乗っている小さな肖像画に、指をさした。
そこには、一人の男が凛々しく描かれていた。




