二つのカップ
結局、クラウドは食事を残したまま、席を立ってしまった。
彼の分のシチューを鍋に残して、司祭のお皿洗いを手伝う。
「私はあの子に、正しい導きをしてあげなければと思うのです」
司祭の声に、僕は顔をあげた。
あの子……きっと、クラウドのことだろう。
司祭は皿をふきながら、ため息をつき、
「けれど、あまり上手くはいきません。神の導きは間違っていないはずなのに……」
「神様の教えは、正しいと思いますよ。正直なことは大事です。ただ、臨機応変というか……って、僕みたいなのが言うことじゃないですね」
なんだか大人に説教しているみたいになってしまって、笑ってごまかす。
けれど、司祭は真剣な目をしていた。
「貴方は、ルークと言いましたね。その年にしては、随分教養があるようで」
「そ、そうですか? えっと、一応貴族で……」
「ああ、通りで……」
司祭はわずかに微笑んで、それ以上のことは聞いてこなかった。
再び、洗ったお皿を彼に渡す作業を繰り返していると、司祭は呟いた。
「私は、怖いんです」
「――え?」
聞き返したが、司祭は 「いえ」とだけ言って、黙り込んでしまった。
「クラウドー、起きてる?」
午後十時。
二つのカップとバケットをお盆にのせて、リグに聞き出して教えてもらった、二階のクラウドの部屋を訪ねた。
「シチューとパン持ってきたんだけど。お腹すいてるかなって思って」
そう言うと、ごそごそと音がした後、ドアが開いてクラウドが出てきた。
「……いる」
そこは必要最低限の家具だけが置かれた、小さな部屋だった。
「このもう一個のカップはなんだ?」
「僕のホットミルク」
「……お前、しばらく居座る気だな」
クラウドは机の上の本を端に避けて椅子に腰掛け、僕は勧められたベッドの上に座る。
「何してたの?」
「調べもの」
クラウドは答えながら、パンをカップの中のシチューに浸す。
よく見ると彼は包帯を外していて、代わりに白い布の眼帯をつけていた。
会話がなくなってしまったので、一番言いたかったことを呟いた。
「さっきはごめんね」
「は? ……ああ、別にいい。言われ慣れてるし」
クラウドは一度、なんの話か分からない顔をしたが、すぐに思い出したようでそう返した。
あまり気にしていない様子だったので、ホッとしてミルクを一口飲む。
蜂蜜の甘さが美味しい。
「それにお前こそ、オレに話すべきじゃないか?」
「え? 何を?」
「お前のことだよ。一体どこのヤツなんだ? ……別に、興味とかないけどさ」
そう言って、カップに口をつける。
初めに約束していた、『クラウドが魔物を倒したら封印のことを話す』ことは、もう夕方にしてしまっていた。
だから今、クラウドが僕について知っていることは、『ルークは誰にかは分からないけど魔力を封印されていた、ある貴族の息子』、ということだけだ。
(じゃあ、身の上を明かす、ってこと?)
けれど、僕が王子だと知ってしまったら、クラウドはどうするんだろう……きっと謙遜するに違いない。
せっかく気を使わない関係を築けたのに、それが壊れるのは嫌だな……。
「ごめん、僕も話せないや」
そう言ったら、クラウドはフッと笑った。
「わかった、じゃあ聞かねぇ。だからルークも深く詮索するな」
「そうだね。そうしよう」
頷いて、僕も微笑み返した。
それでも一緒にいてくれるのは、きっとクラウドも僕のことを信頼してくれてる、ということだろう。
もう、友達と呼んでも、いいんじゃないかな。
「……またクラウドに魔法を教えてもらってもいい?」
「いいけど、どうせ使えないだろ。センスないし」
「きょ、今日は調子が悪かっただけだよ! たぶん!」
慌てて言うけど、クラウドは信用してない目で見てきた。……何でだ!
「それに、オレも暇じゃないぞ。あの村の魔物を何とかしねーと」
「じゃあ手伝うよ。聴き込みなら僕の方が上手でしょ?」
「……そうだな」
心当たりがあるのか、クラウドは素直に頷く。
そしてカップを机に起き、椅子ごと僕に向き直った。
「整理しよう。今わかっているのは、あの村で『鶏小屋が襲われた事件』と『ネズミが増えた事件』、この二つの事件が重なって起こったってことだ」
クラウドは二本の指を、ピンと張って言う。
「同時に起こったのは偶然かもしれないが、何か繋がりがないとも言い切れねぇ。だから、先に起きた鶏小屋の事件を解決すれば、もうひとつの方のヒントが得られる可能性は高い。オレはそう思う」
「僕も賛成。じゃあ、初めに鶏小屋が襲われた原因を調査する、ってことだね」
「ああ」
クラウドは前で腕を組み、
「鶏小屋を襲ったのは、別の魔物か、もしくは犯罪者……だな。けどこれは絶対、」
クラウドがそこで一旦言葉を切ったので、僕は即座に答えた。
「魔物の仕業だね」
「人間の仕業だな」
その声は、クラウドと重なる。
……訪れる沈黙。
「……いや、絶対人だろ。そんな器用に鳥だけ狙う魔物がどこにいる?」
「何言ってるの、魔物に決まってるじゃないか。あの村の人がそんな悪いことするはずないよ」
「は? 余所者かもしれねーじゃねぇか。ったく、ちっとは考えろ、ほんとにバカだな」
「ば、バカなのはそっちじゃない? 考えてみてよ、一晩であの大きな小屋の鶏がみんないなくなったんだよ? 絶対魔物の――」
「あー、はいはい、わかったよ! だったら、こうしよう」
クラウドは僕の言い分を遮り、椅子から立ち上がってこう言った。
「別行動だ。明日、オレは犯人を人間だと思って調査する、だからお前はお前で勝手に調査してろ」
「わかったよ。絶対魔物だって、証明してあげるから!」
「そーかそーか、精々がんばれよ。悔しそうなお前の顔を見るのが楽しみだ」
嘲笑うように言う彼を見て、頭に血が上る。
「もうっ! 僕、部屋に帰る! 明日の夜、証拠を持ってくるから待ってろよ!!」
そう叫んで、ベッドから立ち上がる。
そんな僕を見て、クラウドは愉快そうに笑った。
「はいはい、逃げんじゃねーぞ」
「そっちこそ!」
前言撤回だ、こんなやつを友達だなんて、絶対認めない!




