三代目の勇者
「やあ、シルク」
少年の声が、夢の森に響く。
「また剣の授業で倒れたんだって?」
彼の口調は楽しそうだ。
けれど僕は全然面白くない。
「……何でなのかな」
膝を抱えて、思わず呟く。
「何故、剣を使うと気分が悪くなるのかって?」
「うん」
彼の言葉に頷いて、はあっとため息をついた。
剣を振るうと、頭痛がする、目眩がする。
僕がそう訴えても周りの大人は、
『争いを嫌う神の導きだ』
『過去に心的外傷を受けたのだろう』
『剣の材質に体質があっていないのかもしれない』
……等々、ありそうな原因を教えてくれるだけで、解決しようとはしてくれなかった。
だけど、僕は知ってる。
“――ただできないのを、言い訳してるだけ……。”
みんなそう、思っているんだって。
それに気づいて以来、体調不良を訴えるのはやめた。
そして、授業でも滅多に本気で戦わなくなった。
「僕の祖父は、伝説の王国騎士・勇者ハルクなんだよ」
勇者ハルク。
あの魔王をたった剣一本で倒した、レインルインの英雄だ。
「それなのに、僕は剣もまともに持てないなんて……」
膝を抱える腕に、ぎゅっと力が入る。
「今日は今学期最後の授業だったし、いけると思ったんだけどなあ……」
……だめだ、考えれば考えるほど泣きそうだ。
「そんなに落ち込むなよ。剣術なんてできなくても大丈夫さ」
しかし、少年の声は明るかった。
「君のお父さんなんか、それこそ勇者の息子なのに、運動音痴の雪だるま体型じゃないか」
「父上はいいんだよ、頭が良いから」
僕の父――つまり現在のレインルインの王様は、魔王により混乱していたこの国を、わずか一世代で立て直した人だ。
そのため、勇者ハルクよりも英雄だと讃えられている。
なのに、僕は……。
「君だって、勉強できるじゃないか」
「それは君が教えてくれるからだろ」
深緑の地面を見つめながら、いじけたように返す。
しかし彼は、
「僕も含めて『君』だろう?」
平然と言った。
その言葉に、思わず顔を上げる。
しかし、目に映るのは風に揺れる木漏れ日ばかりで、やはり少年の姿はどこにも見えなかった――。
目を開けると、見えたのは真っ白な天井だった。
寝ているベッドは白いカーテンで囲われ、耳を澄ましても微かな話し声しか聞こえない。
そして微かに漂う薬品の匂い……ここはおそらく、学校の保健室だ。
(ああ、またストロンが運んできてくれたのかな)
彼に対する感謝の気持ちと、申し訳なさが胸に広がる。
しかし、もっと別に気にかかることがあった。
――“僕も含めて『君』だろう?"
夢で聞いた、それも今まで度々言われてきた、あのフレーズ。
何故、あの少年は僕に色々なことを教えてくれるのか。
そもそも、何故彼が存在するのか。
それらの疑問には既に、母上に『あること』を聞いたときから、一つの仮説を思い付いていた。
とても非現実的だが、強く確信を持てる仮説。
(……やっぱり、彼は僕の……)
少年のあの涼しげな声を思い出しながら、白いシーツの上で寝返りをうった。
と、そのとき。
「おうじいぃぃぃい!!!」
「うぐはッ」
背中に、突然の衝撃!
咳き込みながら振り返ると、僕の背中に一人の少年がくっ付いているのが見えた。
僕が上体を起こすと、彼は明るい茶色の大きな目に涙を溜め、
「ああ、気がつかれてよかったです、王子……! もう目を覚まされなかったらどうしようかと、私アルト・ライトモンドは、心配で心配でっ!」
アルトはそこまで言うとわっと泣き出し、ミルクティー色の癖っ毛の頭を僕の胸に埋めた。
「ぐえっ」
待って、そこみぞおちなんだけど。
超苦しいんだけど。
しかしアルトは気づかない。
「おいアルト、その辺にしてやれよ。王子様、ほんとに死んじまうぜ」
そんな笑いを堪えているような声が聞こえたかと思うと、途端に息がしやすくなった。
見上げると、ストロンがまだ泣いているアルトを抱えて、ベッドの横に立っていた。
アルトは小柄とはいえ、僕らと同級生の男子である。
それを軽々持ち上げるなんて、さすがストロン……パワータイプ。
ストロンはアルトを床に立たせながら、
「シルク、体調は大丈夫か? まだ気持ち悪い?」
「ううん、大丈夫だよ。寝たら大分よくなった!」
そう言って笑うと、ストロンはほっとしたような表情になり、アルトも泣き止んだ。
「二人とも、心配してくれてありがとう。ところで、今って何時? 僕どれくらい寝てたの?」
「今は、剣の授業が終わって放課後。午後の茶の時間が過ぎたくらいかな……」
「あっ、掃除は今度でいいと学園長先生がおっしゃっていました。今日はゆっくり休みなさい、ですって」
アルトが涙を拭いながら、ストロンの言葉に付け加える。
彼は真面目で、誰に対しても敬語だった。
それにしても、朗報だ。
「よかったー、今日はもうあの婆さんに会わなくていいんだ! また『成績だけは良い』とか嫌味言われたら、僕爆発しちゃう……」
「あー、それわかるよ。俺もいっつもあの人に『剣は使えてもペンの使い方はわからないのね』とか、言われる……」
ストロンもそう愚痴るように言って、二人同時にため息をついた。
一方アルトは、心配そうに僕を見つめ、
「ストロンはともかく……王子はきっとお勉強のしすぎです。だから今日は疲れてしまったのですよ、無理なさらないでください」
彼の目には、尊敬の色がうかがえた。
……違うよ。
僕は、そんな存在じゃないよ。
しかし発してしまったのは「ありがとう、気を付けるよ」という言葉と、作り笑いだった。
「……おい、俺はなんで『ともかく』扱いなんだよ」
「えっ? だって、ストロンはただやる気がないだけではないですか。それに引き換え、王子は苦手な剣術もちゃんと練習しています」
「お、俺だって、ちゃんと勉強してるし~!」
「まあ、そうですね。……一日五分くらい?」
「いや、十分くらいやってるから!」
「机に座ってるのが? そして実際の勉強時間は五分、と……」
「はあ~?! お前俺なめてるだろ! 勉強取りかかるのに七分もかからないし!」
「……ああ、ストロンがついに引き算もできなくなってしまった……」
「……ふふっ」
僕が笑い声を上げると、二人は同時に僕を振り返った。
ストロンもアルトも、面白すぎる。
二人を見ていると、なんか、もう……。
(努力がどうとか勇者の孫とか、どうでもいいや)
そう、僕はシルク・レイン。
勉強が得意で剣術が苦手な、レインルインの第一王子だ。
「あーあ、僕も君たちと同じ寮で暮らしたかったなー」
「そんな、王子がいらっしゃるような場所ではないですよ……!」
「え、今度夜にこっそり来たら良いじゃん!」
「ストロン、何言ってるんですか! き、来ませんよね?! 王子は規則を守る人ですもんね?」
「あっ、アルト知らないの? 規則は破るためにあるっていう、先人の素晴らしい教え……」
「お、おうじいいいいい!!!!」
そんな僕たちの会話は、保健室の先生からの「場をわきまえなさい!」というお言葉付きで廊下に追い出されるまで、花を咲かせ続けたのだった。